中編
王太子殿下の離宮で臨時の人員を募集している。
アーネストの父親から話を聞かされたとき、真っ先に思い浮かんだのが、テオフィル様の葬儀で出会った少年の顔だった。
なんでも、今まで閉鎖していた屋敷を殿下の離宮として活用することになったが、時期が悪かったためか予定よりも人が集まらなかったらしい。そこで、王家から信頼されている家にのみ話を持っていき、足りない人員を確保することになったそうだ。
正式な人員が揃うまでの短い期間でも構わないのでやってみないか。
そう言われて、アーネストの将来のためにもやろうと決めた。
「ウルストラ・ベンゼンと申します。よろしくお願いします!」
自分の上役となる女性に大きく頭を下げる。
「よろしくね。それにしても助かったわ。あなたが来てくれたおかげで、ようやく人が揃ったのよ」
「そんなに困ってたんですか?」
「ええ。こういうことは偶にあるのだけれど、まさか殿下の離宮で人手が足りないなんてね。広く募集したら人は集まるかもしれないけれど、信用がねぇ」
頬に手を当てて小首を傾げる姿に、ウルストラは安堵の笑みを漏らす。
よかった、優しそうな人だ。怖い人だったらどうしようと思ったけど、これなら大丈夫そう。
「殿下の婚約者であられるエリザベート様の方でも頑張ってくれたんだけど……」
「婚約者……ですか?」
彼にも婚約者がいたんだ。そういえば、エルサって言ってたけど、その人とは違うのかな。
「あなた、まさか殿下に見初めてもらおうなんて考えているんじゃないでしょうね?」
「ま、まさか。違いますよ」
「本当に考えてないの?」
一転して怖い目をして顔を近づけてくるので、たじろいでしまう。
「ほ、本当ですよ。私には許嫁がいますし」
「そうなの? じゃあ大丈夫かしら。でも、一応注意しておくわ。殿下の婚約者は、ウィケッド公爵家のエリザベート様。この離宮には何人もウィケッド家から派遣された人がいるから、もし殿下に見初められようものならただじゃすまないからね」
「はい。き、気をつけます」
まあ、確かに彼はかっこいい人だった。アーネストには悪いけれど、格が違うと思う。でも、男爵家の娘が王太子に見初められるなんてあるわけがない。
「じゃあ、仕事場を案内するわ。男爵家の出だから、そんなに厳しい仕事じゃないけれど、それだけ手抜きが許されないと思いなさい。あなたの評判が家の信頼、ひいては許嫁の将来がかかっていることを忘れずに」
「わかりました」
上役の言葉に、気持ちを引き締める。
自分が信頼を失うと、将来アーネストの仕事がなくなってしまう。そうなると困るのは結婚することになる自分だ。
「その子が新しく来た侍女か?」
部屋から出たところで、上役が話しかけられた。
昔聞いたことがある声に、光の中で名を告げる姿を思い出されて、鼓動が早くなる。
「これは殿下! はい、今から案内をするところでございます」
「そうか。せっかくだ、今挨拶をしておこう」
前と違い、少し見上げないといけないために時の流れを感じてしまう。だが、顔は確かにあのときの少年の面影が色濃く出ている。
「ん? 君は……前に何処かで……」
「はい。テオフィル様の葬儀でお会いしました」
「テオフィル……そうか、たしかウルストラだ。ウルストラ・ベンゼン!」
「はい! 覚えていてもらえて、うれしいです。ラディスラウム殿下」
殿下の後ろで、怪訝な顔をする男がいるが、そんなのは気にならない。
私のことを、殿下が覚えていてくれた。それがただ、本当にうれしかった。
玉座の間に、王都に参集できるだけの貴族と騎士が集められている。
ドワルドの反乱によって傷つけられた調度品は取り替えられ、反乱がおきたというのに見苦しいところは見受けられなかった。
まず、空席の玉座に向かってラディスラウムがドワルド追討の報告を行う。その上で、マーロム司教によって鎮魂の祈りが捧げられた。
次に行われる論功行賞は、本来なら国王が行うものだ。しかし、アルブレヒトが死亡しているため、第一位はマーロムが読み上げ、それ以後はラディスラウムが執り行った。
勲功一位は、総指揮を取った王太子ラディスラウム。二位は、ウィケッド家の一族一門を引き連れて最も多くの兵を指揮したウィケッド公爵の叔父ティーゲン伯爵。三位は、ドワルドを一騎打ちで敗走させたレオポルト・シュパニエン。
ラディスラウムの勲功一位は、総指揮を取ったからという形式でしかない。もしラディスラウムが国王として出征したならば、一位はティーゲン伯爵だった。
それがわかっているだけに、ウィケッド派の貴族たちの喜びは大きい。五位にウルストラの義父エイチンク伯が呼ばれると、ウルストラも周囲に集まるエイチンクの一族で精一杯祝福して対抗した。
論功行賞が終わると、休息を兼ねて祝宴の会場へ順次移動する。
大勢の前でラディスラウムの隣を歩くのは、どうにか乗り切ることができた。そして、ラディスラウムの母親の親族やドワルドに同調しなかった中立派の貴族たちに挨拶して回る。どちらも緊張したが、そんな緊張は前哨戦ですらなかったと思い知る。
エリザベート・ウィケッドが、レオポルト・シュパニエンのエスコートで会場に姿を現したのだ。たちまちにウィケッド派の若い貴族たちはエリザベートの周りに集まっていく。
ウルストラは思わず、ラディスラウムの手を握りしめた。自分を家族諸共に殺害しようとした女。主犯の証言によって、エリザベートが黒幕だという疑いはなくなりつつあるようだが、そんなことは信じられない。
「大丈夫だ。ウルスラはわたしが守る」
耳元でラディスラウムがささやいてくれる。そのお陰でふっと力が抜けた。見上げると力強く微笑むラディスラウム。ウルストラは小さくうなずき、覚悟を決めてエリザベートに顔を向ける。
エリザベートは、レオポルトにエスコートされつつも集まってきた貴族たちに一声ずつかけていた。そして、ラディスラウムとウルストラに見られているのに気がつくと、その笑みを深くする。
エリザベートはさりげない仕草で、レオポルトにラディスラウムたちの方向へエスコートさせた。するとエリザベートの周りに集まっていた者たちがその後ろに続く。数の暴力に、ウルストラの覚悟はすぐに霧散してしまった。
二人の前まで来ると、エリザベートがレオポルトの手を離し、左胸に手を当てて礼をする。レオポルトもエリザベートの後ろで騎士としての敬礼をする。
ウルストラは、エリザベートの所作の美しさに息を呑んだ。家庭教師よりも美しいと言わざるを得なかったからだ。
「ラディスラウム殿下、お久しぶりでございます。勲功をあげられたと聞きました。大変喜ばしいことでございます」
「エリザベート、お前がどうしてここにいる?」
エリザベートの祝意に答えず、ラディスラウムが問いかける。
「ええ。実はこのレオポルトに頼まれまして。名誉な機会に、ぜひわたくしをエスコートさせて欲しい、と」
エリザベートの後ろにいたレオポルトが前に出てきた。
ウルストラも、今回功績を上げた者の名前などの情報は覚えている。ウィケッド公爵の一族に名を連ねるシュパニエン男爵家の長子。ドワルドを撃ち漏らしはしたが、敗走させて決戦での決定打を与えた立役者だった。
「屋敷から出ることが少なくなったエリザベート様の慰みとして、野犬に芸を仕込みましてお見せしたところ、いたく気に入られまして。褒美をくださるとのことなので、今回のエスコート役に任じていただきました」
「野犬に芸ができるのか心配だったけれど、とてもよく仕込んでいたわ。思いがけず願いまで叶ってしまうんですもの」
嬉しそうにコロコロ笑うエリザベートが不気味だった。自分を目の前にして、こんな上機嫌なエリザベートを見たことがない。
「さあレオポルト、そろそろわたくしのエスコートはやめて、お相手を探してらっしゃい。こんな催しも最近は少ないのだから、この機会を逃さないように。他の方々も、楽しまないといけませんよ」
エリザベートの言葉を受けて、貴族たちが三々五々と散っていく。ラディスラウムとウルストラの後ろに集まっていた親族や中立派もいつの間にかいなくなっていた。
「殿下、少しお話をいたしましょう。他に聞かれないように、うちの者たちが周囲を邪魔をしてくれていますので」
「……わたしに話すことはないが、聞いてやろう」
「ありがとうございます。それでは、お聞きするのですが、殿下は王になれますでしょうか?」
「なんだと?」
聞いたことがないラディスラウムの不機嫌な声音に、寄り添っていたウルストラは身を固くする。まるで自分が脅されているようだった。
「王冠と王笏、行方がわからないと聞きました。王位を示す大事な二物、即位の折には必ず必要なものでございましょう」
「おそらくドワルドが持ち出したのだ。奴の領内を徹底的に探させている」
「わたくしはこんな噂を聞きました。神が、アルブレヒト陛下から二物を取り上げ、命までお奪いになったのだ、と」
それはウルストラの耳にも届いていた。誤った審判を行い、それをもって神の代理人として結んだ契約を破棄したことで、神罰が降ったと。
「馬鹿げた噂に過ぎん。マーロム司教は神罰ではないとおっしゃっておられる」
「なるほど。司教様がそうおっしゃっておられるのなら、ただの噂なのでしょうね。わたくしと同じように」
「お前がならず者を使ったのは噂ではない。事実だ」
「そうお信じになりたいだけでは? しかし……王国にとって今何が必要か、わからない殿下ではございますまい」
ウルストラにはエリザベートが何をいいたいのかわからない。だから、不安げにラディスラウムを見上げた。
奥歯を噛み締めたラディスラウムの厳しい顔。いつものラディスラウムに戻って欲しくて、寄り添う手に力を込める。
ラディスラウムが弾かれたようにこちらを見る。そして、優しく腕を腰に添えて抱き寄せてくれた。
「何があろうと、正義はわたしにある。最後に勝つのはわたしたちだ」
宣言するように力強く、堂々とした声。一緒にいれば、どんな障害でも乗り越えられそうな気がしてくる。
エリザベートは目を瞑り、大きく息を吐いた。
「殿下のお覚悟、承知いたしました。父にはわたくしの方から申し伝えておきます」
エリザベートにさっきまでの圧力がなくなっている。拍子抜けするような事態に、ラディスラウムも呆気にとられている。
「では彼女に、先達であるわたくしから助言を差し上げましょう。こちらへいらしてくださいません?」
エリザベートが、両の手のひらを見せて明るく告げる。
思わずラディスラウムと顔を見合わせる。ラディスラウムがうなずくので、両手を見せたまま笑顔のエリザベートに近づく。
手の届くところまで来ると、両肩に手を置かれ、お互いの横顔同士がくっつきそうなる。
「侍女の報告はちゃんと聞きなさい」
ウルストラの背筋に悪寒が走る。
「それに、二人きりだからって宝石を身に着けないのはいただけないわ」
エリザベートが、知るはずのないことを知っている。
「その顔、その表情、その仕草、その会話。全部、見られている、聞かれている、吟味されている。覚えておくことね」
ただ手を置かれているだけの肩が、妙に重く感じて、立っていられない。
「あなたを、いつでも、どこでも、見ているわ。ウルストラ」
エリザベートが、ゆっくりと離れていく。
チラリと見えたその表情からは何も読み取れない。笑っているのか、怒っているのか、泣いているのか、とにかくなんらの感情を読むことができなかった。
「それでは、わたくしは可愛い妹をいじめる不届き者を退治しに参りますので。これで失礼いたします」
エリザベートが頭を下げる。そして、優雅に身を翻して二人の前から去っていった。
「ウルスラ、大丈夫か。あいつに何を言われた?」
ラディスラウムに後ろから抱きしめられて、初めて自分が震えていることに気がついた。
「えっ、その、あっ、えっと……」
言葉が出てこない。そして、じわじわと涙もこみ上げてくる。恐ろしかった。だから、きつく抱きしめてくれるラディスラウムにただ縋っていたかった。
だが、横で笑い声が聞こえた。
ふと視線を向けると、女二人組が自分を指差して嘲笑っている。しかも、人が横切っていくと、すでにいなくなっていた。
視線を動かすと、あそこでも、そこでも、向こうでも、性別や年齢の違う誰もが自分を見て、嘲笑っている。そして、すぐに姿が見えなくなる。
「ウルスラ、しっかりしろ」
「だい、丈夫です」
「何を言われた?」
「ただの、心構えです。本当に。だから、大丈夫、です」
自分は見られている。だからしっかりしないと。どんなことでも、ラディスラウム様と一緒なら乗り越えられるはずだ。
心配そうに見つめてくるラディスラウムに、なんとか微笑んで見せる。
しかし、自分を嘲笑う声がやむことはなかった。