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きぼうダイアリー  ~三つ目看板猫の平凡で優雅な日常~  作者: 矢立 まほろ
○第1話 三つ目看板猫とミステリー少女
8/30

 -8 『年末の報せ』

 鞄も携帯電話までも席に残し、少女はポーチだけを片手に一目散に店を飛び出していた。


 冬の、雲の高い広々とした空が夕焼けに赤く染まっている。

 その暖色とは正反対なほどに冷たい風が、彼女の黒髪と制服のスカートをはためかせる。


 白い息を立ち上らせながら、少女はひたすらに道を走っていた。


 そんな少女のすぐ後ろを、ソルテもこっそりと追従する。


 もちろん少女を心配してのことである。


 急に走り出した彼女を見て、素早く動くものに意識を取られてしまう狩猟本能が反応してつい飛び出してしまったとか、何か面白いことがあるのかと期待してしまったとか。そんな薄情な理由ではない、と言えば嘘になるが。


「あー、どこだろ。適当に来ちゃったけど反対側の道だったかなあ。引き返えそうか、どうしよう」


 闇雲に走っていた少女の足が迷い、速度を緩めはじめる。


 団体客が店を出たとき、駅前の商店街がある南の方角へと声が遠ざかっていったのをソルテは覚えている。おそらく少女の目星は当たっているだろう。


 立ち止まって引き返そうとした少女の横をソルテが颯爽と抜き去った。

 聴覚において、人間などに負けるはずがないと自負できるほどには信用がある。犬にだって負けはしない。


「あ、ソルテくん!」


 少女が驚きに声を上げる。

 しかしソルテは構わずに走り続けた。

 まるでソルテに引っ張られるように、少女の足もまた動き始める。


 やがて、しばらく同じ方向に進んで路地を一本曲がったところで、見覚えのある老人集団の背中を見つけた。近くにまで寄れば、相変わらずの騒がしさですぐに居場所がわかった。


 後についてきた少女も追いつき、無事に彼らを引き止めることができた。


 ポーチを見せるとその内の一人のおばあさんのものだとわかった。

 おばあさんが息を切らせた少女に何度も深く頭を下げて礼を言ったが、ソルテには見向きもしないあたり薄情である。誰のおかげで追いつけたというのか。


 手を振って去っていった老人グループを眺めながら、少女は息を落ち着かせた。運動して上気した顔で足元のソルテを見て微笑む。


「ふう。ちゃんと持ち主のところに残ってよかったねー。うう……マフラーもコートも置いてきちゃったから寒いよー。早く帰ろう」


 流れるような手つきでソルテを抱き上げ、少女は喫茶店の方へと踵を返した。


 あまりに自然だったのでソルテも逃げることを忘れていた。

 一度捕まれば、その抱かれ心地よさに腰が動かなくなってしまう魔性の抱っこである。


 しかし帰るとなればソルテも本望だ。寒いところは好きではない。

 暖房の効いた部屋から外へ出るたびに、嗚呼あの店はなんと心地の良い温度をしているのだろうと思い出させてくれる。


 だがソルテの思いとは反対に少女の足がすぐに止まった。


 早く帰るのではなかったのか、とソルテは尻尾で少女の胸をぺちぺち叩く。しかし少女の視線はひたすらに、目の前の道端に立てられた掲示板へ注がれていた。


 街角にある小さな郵便局前の掲示板。

 そこに貼られている一枚のポスター。


 それは年賀状のポスターだった。

 十二個の丸々とした可愛らしい絵が円に繋がって並んでいる。


 鼠、牛、虎、龍、兎――。


「……干支」


 呆然と見やる少女の口から短く言葉が漏れる。


 干支。鼠から始まり猪で終わる、十二匹の動物を指したものだ。

 それに何の意味があるのかはソルテには知ったことではないが、寒くなると決まって人間たちが口にし始める。その中に犬はあって猫はないことが些か気に障る。


「もう年賀状の季節だもんね。来年は戌年かあ。去年はぜんぜん書かずにメールで済ませちゃったからなあ」


 細々とした声でぼやいた少女は干支の描かれたポスターを舐め入るように見つめていた。


「戌年……犬……」


 次第に口数が減り始める。


「犬……狼……」


 ぽつりと、声が零れていく。

 少女は呆けたままポスターに並んだ動物を順番に見やり、やがて、


「――もしかして!」と唐突に顔を持ち上げた。


 かと思った瞬間に、喫茶店とは正反対のあらぬ方向へと走り出していく。


 真冬の冷たい風を切って、寒空の広がる住宅街を、さっきよりもずっと力強く駆け抜ける。温まったエンジンから吹き出る排気筒の煙のように、少女の口から白い息が噴き上がる。


 勢いを増すその身体に揺さぶられながら、行方も知れず、ソルテはされるがままに運ばれていくのだった。


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