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きぼうダイアリー  ~三つ目看板猫の平凡で優雅な日常~  作者: 矢立 まほろ
○第1話 三つ目看板猫とミステリー少女
3/30

 -3 『ストーキング少女』

 ソルテにとって、散歩も楽しみの一つである。


 冬になるにつれて寒くなり足も鈍るが、昼間の暖かい時間を狙って外に出る。適度な運動こそが空腹をもたらし、午後のおやつや夕飯をより美味しくさせるのだ。


 それに太るとマスターに食事の量を減らされてしまう。

 そのため、雨の日以外は欠かせない日課となっている。お店にやって来る主婦たちの騒がしい世間話から逃げられるので一石二鳥だ。


 店の扉にある猫用の小さな出入り口から飛び出し、いつもの散歩コースを歩いていく。


 住宅街の塀の上。民家の庇や屋根。

 よほどの壁でない限りソルテを阻むものはなく、そこに小さくとも足場があれば立派な道だ。家屋を隔てる柵も悠々と飛び越し、息一つ乱さず、足音一つ騒ぎ立てずにすたりと四脚を動かしていく。


 優雅に進むその様はランウェイを歩くモデルすらも嫉妬する。燦々と照りつける太陽がスポットライトで、黄色い歓声を浴びせてくるのは庭先の番犬たちだ。


 表通りを歩けばまるで拍手喝采。

 こぞってファンの子どもたちが駆け寄ってくる。


 しかしソルテは相手にしない。

 その一歩は常に乱れず悠然で、余裕と気品に満ち溢れている。

 しつこいパパラッチのような小学生たちも、少し小道に入って茂みに姿を隠せば、あっという間に姿を見失い諦めて帰る。


 鈍間なそんじょそこらの飼い猫とは訳が違うのだ。

 故にソルテの散歩は、誰にも邪魔されない優雅で気ままな楽しみなのである。


 が、今日のギャラリーは少しばかりいつもと勝手が違うようだった。


「ねえ、ソルテちゃんだよね。あれ、ソルテくんだっけ。男の子ってマスターさん言ってたし」


 古民家の塀の上を歩くソルテの真横の歩道を、赤いマフラーとベージュのコートを羽織った女の子が追従していた。


 先日、喫茶店にやって来て頭を悩ませていたあの少女である。ソルテがいつも通りに散歩をしていると、奇遇にも、いや不運にも出会ってしまったのだ。


 ソルテの首輪には小さなマグカップ型のペンダントがついている。それを彼女は覚えていたらしい。それからは、脇目も振らずに歩き続けるソルテを満面の笑みで追いかけてきていた。


「お散歩してどこに行くのー」


 へらへらと笑みを浮かべて話しかけてくる。

 しかし意地でも視線、いや髭の一つも動かしてはやらない。


 人間たちの相手などただただ面倒で億劫なだけである。相手をするのは餌をねだる野良猫か、教養のないふしだらな飼い猫くらいだ。ソルテはそんな安っぽい猫ではない。


 すたりと足音もなく進むソルテの後ろを、革靴の音と鞄のキーホルダーの擦れる音が追いかけてくる。それとたまに笑い声。


 ソルテは少女に一瞥もせず民家の茂みへと入り込んだ。

 庭を伝い、軒裏へと抜ける。とても人間に追いかけてこれる道ではない。


 別の路地へと出て振り返ってみてもさすがに少女の姿はなかった。


 ようやっと巻いただろうと思ってまた悠々と歩を進めようとすると、ソルテの耳がぴくりと反応した。


「あ、はっけーん」と少女が背後の曲がり角から駆け寄ってきていたのだ。子どもであれば諦めて興味を失うのに、少女はわざわざソルテの行く先を予想して回りこんできていた。


 なんと恐るべし女である。


「きみー、すごいとこ通るねー」とやけに嬉しそうににまにま笑いかけてくる。


 最近は近所の子どもくらいにしか追いかけられなかったから逃げ方が甘かっただろうか。決して彼女の方が優れているわけではなく、ソルテが手加減してしまったということに違いない。反省すべき点である。


 しばらく少女と併走したソルテは、やがて似通った形の住宅が立ち並ぶコンクリート塀の一角に飛び乗った。


 家屋の間に伸びる塀の上をバランスよく進む。塀はあみだクジのように途中で他方に繋がっており、そこを適当に曲がったり直進したりする。


 さすがにどの通路からでるか予想はできないだろう。

 ここまでやって巻けなかった人間など見たことはない。


 余裕な顔をして髭で風を切り歩いていたソルテは適当なところでまた道路へと出る。しかし、何故か塀の真下には、さっき見かけたばかりの癖っ毛の黒髪頭があったのだった。


 その頭がソルテへと振り返る。


「おおー、奇遇だー」とそこにいた少女が目を輝かせるように大きく見開いた。


「どこにいったのかと思ったよー。器用だねー」


 そしてやはりへらへらと少女は笑ってくる。


 それからも、子どもがやっと通れるような狭い路地に入ったりもしたが、少女は汚れるのもいとわず無理やり通って追いかけてきた。干上がった側溝に潜り込んでみても、顔を出した先で見つかってしまった。


 例え一度見失っても、どういう訳か行く先々で巡り合ってしまう。もうかまっているだけ無駄なのかもしれない、とソルテの方が呆れてしまうほどだった。


 ソルテは気にせず散歩を続けることにした。

 なおも後ろをついてくる少女のことは気になるが、仕方がない。もう気にしないでおくことにした。


 駅前の商店街と住宅街の間には小さな河川が流れている。

 その川沿いにある公園はソルテのお気に入りの散歩スポットだ。


 グラウンドが開けていて陽当たりもよく、等間隔に植えられた広葉樹や茂みは身を隠すにも最適である。雨が降れば雨宿りの傘代わりになるあたり好印象だ。


 背の低い金網のフェンスを飛び越えて中へ入ると、数人の小学生の男の子たちが敷地の端っこに集まっていた。円になってなにやら遊んでいるようだ。しばらく眺めていると、やがて彼らは笑いながらどこかへと帰っていってしまった。


 いったいなにをやっていたのか。

 ソルテは男の子たちが集まっていた所にやってきた。


 くぼんでいて、他よりも柔らかく、明らかに掘った形跡がある。

 一度気になっては突き止めたくなるのがソルテの性分というものだ。


 前脚を鉤に曲げ、怪しい窪みを起用に掘り進めていった。

 ざらざらした砂利の感触の中、ふと何か固いものにぶつかる。


 軽い金属を叩いたような音がした。


 箱だ。おそらくアルミ缶か何かでできたお菓子の箱。

 土からほんの少し顔を出した外蓋には美味しそうなクッキーの絵が描かれている。


 わざわざ隠すなんて、非常食として隠しているのだろうか。いや、もっと素晴らしいご馳走かもしれない。お宝の予感がして心が弾んで仕方ない。


 もっと掘り出してやろうとまた前脚を振りかぶろうとした瞬間、しかしソルテの身体は突然ふわりと宙に浮かんでしまった。


「あー、こら。こういうの掘り出しちゃ駄目だよ」


 いつの間にか背後へ忍び寄っていた少女に抱きかかえられたと気づいた時には、前脚の付け根をがっしりと拘束されて逃げられなくなっていた。


「もう。これはね、たぶんタイムカプセルだよ。大事な物を入れて後で掘り返すの。せっかくあの子たちが埋めて隠してたのに。なくなってたらガッカリしちゃうよ」


 ソルテを抱きかかえたまま、せっかく掘り返した砂利を少女が戻していく。


 なにをするんだ、気安く抱きかかえるな、と手足をじたばたさせて動き喚く。


 だがこの少女、猫の抱き方を心得ているのか、ソルテの腰がきれいに少女の懐に沈みこんでしまい脱出することができない。曲がった背が少女の慎ましやかな柔らかい胸に包まれて、存外にも心地よいとまである。


「うにゃあ」と低く唸るような声で不快感を示してみたが、されるがままに「いい子いい子」と顎をさすられると、途端に喉を鳴らして破顔してしまった。


 やがて抵抗する気力すら奪われてしまったソルテは、少女の懐にすっぽりと納まって落ち着いてしまったのだった。


「それにしても、なんだか小学校の卒業式の日を思い出すなあ」


 穴を全て埋めきった少女がふとそんなことを呟いた。その声調はさっきまでの明るいものではなく、目つきも手許ではなくどこか遠くを見ているように呆けていた。


「こうやってクラスの皆でタイムカプセルを埋めたっけ。二十歳になったら開けようって。あの時が十二歳だから、八年後かあ」


 少女がポケットから紙切れを取り出す。

 先日の、メッセージが書かれた紙切れだ。


「あんたはタイムカプセルに何を書いたのかな」


 その呟きの意味を、しかしソルテはまったく興味のない顔で聞き流し、温かい服の袖に顔を埋めたのだった。


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