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きぼうダイアリー  ~三つ目看板猫の平凡で優雅な日常~  作者: 矢立 まほろ
○第2話 三つ目看板猫となかよし夫婦
15/30

 -4 『まだ、少女』

 ソルテは非常に不愉快極まりない思いだった。


 喫茶店を出て南に向かうと、駅と住宅街の間に短い商店街がある。


 屋根付きのアーケードの通りは風除けにも丁度良く、暖色で統一された外灯の色合いも相まって冬でも少し暖かい。これで時折吹く隙間風のような冷たい風がなければ最高なのだが、文句は言えないだろう。


 一面に敷き詰められた波形のレンガブロックの上を歩くソルテの表情は、いつになく不機嫌である。いたるところのスピーカーから流れるクリスマスソングというしゃんしゃん耳にうるさい音楽もそうだが、それ以外にも原因はある。


それはソルテのやや手前を歩く美咲という少女のせいだった。


「もうちょっとで十二月も半分だもんねー」


 商店街の柱に掲げられたポスターや飾りなどを眺めながら彼女が呟いた。


 学校のブレザーにマフラーと喫茶店の黒いエプロンを着て、陽気な靴音を鳴らしながら歩いていく。首からはソルテに良く似た黒猫の顔をしたポーチが提げられていた。


 ソルテの不機嫌の原因は、そのポーチと美咲のせいである。


「えっと。どう行くんだっけ……」


 美咲が立ち止まり、マスターから渡されたメモ用紙に目を落とす。先ほどからこれを数度繰り返している。その度にソルテも足を止めさせられているのだ。


 今日は散歩ではない。お使いなのだ。


 お店で使う雑貨などを買って来て欲しい、とマスターにメモを渡されて外に出たのがもう二十分前。あまり遠出ではなかったはずなのに時間がかかりすぎている。わざわざ丁寧にお店の名前と地図まで書いてくれているのにこの調子だ。


 ならば何故ソルテがわざわざ付き添っているのかと言うと他でもない。


 商店街の中ごろに差し掛かって、ペットショップの前を通りかかった。


 ソルテが機敏に足を弾ませて店へと駆け寄る。

 その店頭には、カートに詰まれて大安売りされている猫缶の山があった。

 器用に二本足で立ち上がるとカートの足にしがみつき、顔を美咲へ向ける。


 買え、という合図である。


 普段はマスターと一緒に買出しに来て、ここで猫缶を買ってもらうのが決まりなのだ。こうしてめざとくアピールをすれば、マスターならば「仕方がないね」と笑いながら黒猫ポーチのがま口を開けてくれるものだ。


 だが今日は、


「お使いが先だよー。帰ったらちゃんとご飯があるからねー」と美咲に抱きかかえられてしまった。そうしてふくよかな胸と腕の中にすっぽりと包まれてしまう。


「うにゃあ」と鳴き喚いて抵抗したが、すっかりお尻を抱え込んだ彼女の腕が逃がしてはくれなかった。


 まったく融通が利かない娘である。

 やはりこの少女のことを好きになれそうにはない。


「抱っこしたらいっつも大人しくなるよね、ソルテ」


 ――揺り籠のように心地よい抱っこ以外は。


 彼女の高めの体温と女性特有の柔らかさにはどうにも抗えないのだろうか。


「はあー。ソルテ、あったかいねー。私は冷え性だから手が冷たくてつらいよー。ちょっとのお使いだと思ってコートも置いてきちゃったし」


 そう言う美咲の胸元も十分温かい。

 これで彼女が大人しく寡黙であれば寝床として最高なのだが。


「ううう寒い寒いこりゃ寒い。はやく帰りたいねー」と彼女の口先のエンジンは常に温まり続けている。


 五月蝿い彼女に抗議のつもりで「うにゃあ」と鳴いたら、

「おーおー、ソルテも寒いかー」と頭を撫でられてしまった。


 まったく違う。断じて違う。

 これは断固として抗議である。


 と、途端にアーケードを強い突風が駆け抜けた。

 刺すような冷たい風に当てられ、二人そろって体を震え上がらせた。


「早く帰ろう」

「うにゃあ」


 まったくの同意である。


 さっさとお使いを済ませるため、美咲は足を速めて商店街を練り歩いた。


 しかし少し進んだ先にお花屋さんを見つけ、美咲が突然立ち止まる。


 ソルテは花の香りがあまり好きではないので早々に立ち去りたいのだが、美咲にがっちりと抱きかかえられて逃げられない。そんな彼女の視線は、花屋の前に立つ女性へと向けられていた。


「こんにちは」


 美咲が声をかける。

 女性は気づき、猫背でやや曲がった体をゆくりとこちらへ振り向かせた。


 この前喫茶店に夫婦でやって来ていたおばあさんだった。どうやら店の人から色とりどりに包装された花束を受け取っているところだった。


「あら、こんにちは」


 おばあさんが柔和に笑んで丁寧にお辞儀をする。


 可憐な花束を持ったその振る舞いは、ドレスのような綺麗な洋服も相まって育ちの良い令嬢のような気品さを感じさせた。かおにしわが寄っていなければ、街行く若者に声をたくさんかけられていたことだろう。


 今日は一人かと思ったが、よく見ると、傍で物静かに寄り添うおじいさんの姿があった。相変わらずの無愛想で、何もしていなくても怒っているかのように表情が厳しい。


「綺麗なお花ですね」


 美咲が言うが、ソルテからすればどれも香りの強いだけで同じに思える。色鮮やかという感覚もあまりわかってはいない。


「ウエイトレスさんは今日はお休みで?」

「いいえ。お使い中なんです」

「あらそう。寒い中大変ね。気をつけて」

「はい。ありがとうございます」


 愛想よく微笑むおばあさんに、美咲は嬉しそうにはにかんだ。


 ふと、ソルテがずっと傍のおじいさんばかりを見つめていると目が合った。


 加齢で瞼が垂れて細目になったおじいさんの視線は鋭い。しかしよく見ると、それは単に生まれつきのせいなのか、怒っているような雰囲気は感じなかった。目尻を垂れさせ、むしろどこか哀しげにも見える。


「それじゃあお使いがあるんで。さようなら」

「ええ、さようなら」


 綺麗な花を見て元気付いたのか、快活に美咲が手を振る。

 おばあさんも、ゆったりとした早さで手を振り返していた。


 そうして美咲とソルテは、また商店街を進み始めた。


「お花、綺麗だったねー」

「うにゃー」


 ――興味はない。


「お店にも飾りたいね」

「にゃあ……」


 ――臭いからやめてほしい。


 まだ高校生の子どもとはいえ、綺麗なものに興味を引かれるのは人間の女の定めというやつか。小さい子どもは花に興味がなかったりするが、美咲くらいになると思春期で感情が色めき始めているのかもしれない。


 花の香りに表情をとろりと和らげていた美咲だが、


「あ、揚げたてコロッケだって! 安いし、ちょっと食べていこ!」


 精肉店の前を通った瞬間に、そんな華やいだ色めきの残り香は跡形もなく消え去っていったのだった。


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