星空の住まい
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
ん、なかなかこの柄のハンカチ、かわいいと思わない?
そろそろハンカチもだいぶ汚れてきちゃってさあ、このあたりで一、二枚は買っておこうかと。ましてや最近の男子ってハンカチ持ってなくて、ズボンでごしごしやって済ませることが多いでしょ。個人的に、あれ、あんまり好きじゃないのよね〜。
ちょっと手が汚れた時には、ハンカチなりウェットティッシュなりで、スマートに対処する。私が考える好ましい男性像のひとつよ。「そこらへんにあるもので、てきとーに」ってスタイルに、なんだかお下品というか、ガキっぽさを感じるようになっちゃって。
小さい頃はさほどでもなかったのに、これも女性ホルモンとやらの影響かしら。それともマンガやアニメにのめり込みすぎ? いずれにせよ、そういうのと同じ次元とみられるのに、抵抗を覚え始めてきたわけよ。
……あ、これなんか良くない? 草木染めして、木のブロックプリントがしてあるの。値段はぎり4桁ってところね。
そういえば草木染っていうのも、かなり歴史を持っているらしくて、染色にまつわる色々な話があるのよ。買い物付き合いのお礼だと思って、聞いてみない?
染物に関しては、奈良時代と戦国時代のものが多めで、平安時代や鎌倉時代のものは少ないらしいわ。原因のひとつとして、応仁の乱で京都が荒れてしまった一方で、奈良などはさほど大きな被害を受けなかったためだとか。
そして戦国の時代。外来品の影響と、散り散りになっていた職人たちが有力な大名たちに招致されたことで、再び染物は力を取り戻すわ。
重要な点としては、これまで下着として着られていた小袖が、服装の簡素化などで、上着として用いられるようになった点。すなわち、人様の目に堂々と映る機会が増えたということだから、第一印象として大きな役割を帯びるというわけ。
大名たちはもちろん、有力な武将たちからの需要も高まった。
そのような高級品を身にまとうのは、財力があるということ。財力があるということは、強者にとっては侮ることのできない相手という証。弱者にとっては、寄っていくべき大樹を判断する、ひとつの標。
これは時に、褒美の選択肢のひとつとなって、武器や茶器とならび、将たちや好事家たちが、自らにつける箔として意欲を燃やしたわ。
そうなると職人たちも負けじと腕を振るい、領主に太鼓判を押してもらえる品々。現代感覚でいえば、ブランド化に注力したのだとか。
そして戦国時代も末期を迎え、地域一帯を支配したとある大名は、戦から程遠い領地の城下にお触れを出したわ。
大規模な染物の大会。その開催をね。
大会といっても、大勢の人を呼び寄せ、その前で染色作業を行うというような、見世物ではなかった。期限までに、職人たちが技を振るい、その品々を献上して、精査の後に大名じきじきにお召しがあったり、仕事を拝見されたりして認めていったとのことよ。
この催しは、一年に一回。天下統一事業の波にもまれるまでの十数年間、毎年行われたらしいわ。その中でも出色のできだったのが、最後の三年間を総なめにしたとある生地よ。
その生地を目にした殿様は、こうつぶやいたと伝わっているわ。
「藍に星空が浮かんでおるわ」と。
その生地には濃く染み込んだ藍色の中に、星のごとき無数の瞬きが散りばめられていて、袖が振られるたびにきらきらと光を放つ。ただ柄をつけるだけでは、到底及びもつかない出来ばえ。
いかようにして作るのか。殿様をはじめ、多くの者が興味を持ち、広い敷地を持つ仕事場を訪れたものの、立ち入り御免の札が立ち、そこの職人たちも「門外不出の技ゆえ、なにとぞご勘弁を」と退かない。
無礼を咎めようとする部下たちをなだめる殿様は、その場は引き下がった。けれど城へ戻るや、自分に仕える者たちの中から、身内があの仕事場で働いている者を探し、金を始めとする様々な手段で篭絡。なんとか秘密を聞き出さんとしたらしいの。
領地経営も、蟻の一穴からほころびが出かねない。秘かに軍備を整えていたり、他国の忍びの隠れみのになっていたりしたら、ことだという考えもあった。
そして三ヶ月後。もろもろの報告がほぼ出尽くし、おおよそ作業工程が明らかになったわ。
材料として使っている藍に関して、殿様が指定した染料生産用の畑を用いていることは間違いない。およそ10ヶ月の時間をかけて作り上げた藍玉は、直に仕事場へ運び込まれる。
そして、本格的に染める前の下染め。ここで大きな違いが出てくる。
当時から麻など、植物に由来する繊維は、そのままだと色が付きづらいことが分かっていたわ。そこで下染めで一度、色がくっつく足掛かりになるたんぱく質を、布の中にまとわせる必要があったわ。
かの仕事場が用いたのはお茶。だけれども、その中に炒って潰した大豆と、渋柿の汁を混ぜた上で、生地をくぐらせる。
この下染め液は、親方の厳格な指示によって作られる。どうやら気温が少し違うだけでも、入れる量が大幅に変わり、古参の職人でもせいぜい半分ほどしか技を掴み切れていないのだとか。
「お前ら、春夏秋冬でまったく同じ装いのまま過ごしているか? 夏には袖をまくり、冬には暖を取ろうとするだろう。
染めるのも同じだ。色とはつけるものではなく、宿っていただくもの。これから長く住まってもらう場所を、しっかりと整えなくてどうする。一辺倒なやり方では、移り行く『旬』を掴めぬわ」
誰かがヘマをするたびに、親方からはそのような注意が飛んだそうよ。
その後はたっぷりの酢を用いて作った、ミョウバンによる媒染液の用意。「媒」の字を関する通り、色と生地を仲立ちして、しっかりと結びつける役割があるわ。
媒染液は作成におよそ一ヶ月がかかる。予め作ってあるものが仕事場の蔵に貯蔵されているみたい。
そして染めの段階に入るのだけど、これがまた大掛かり。
窯茹での刑に使うのではないかという大きい窯。それを四人で囲い込むと、各々が槍の代わりにできそうな長さの菜箸を手に、染料を焚きながら、混ぜるような動きで撹拌を続けるの。
一度始まったなら、布を転がす手の動きは止まらず、またそれ以外のものも、親方の指示で火加減を調節。この温度も親方以外は今ひとつ図りかねるもので、完全に体得できたものはいない。
「ほれほれ、ご宿泊の段取りをもっとしゃんとしろ。お前ら、くたくたに疲れてたどり着いた宿が閉まっていたり、対応が悪かったりしたらどうする? 二度と足を止めてはくれなくなるぞ。
我々のお客様は何も人様ばかりじゃないぞ。こうして場所を移し、住まうことになる染料たちのために、口を利いているのだということを忘れるな」
そうした作業の後、脱水。竿に干して乾燥させる。
初めは濡れていることもあって、ほぼ真っ黒に見える生地。それが乾いてくるにつれて、青みがかった藍色がのぞくと共に、あの星々のごとききらめきが、あちらこちらに浮かび上がるのだとか。
殿様が報告を受けた翌日。親方が目通りを申し出てきたそうよ。
時機的にぴったりかみ合っていることもあり、殿様たちはやや警戒気味。けれども、それを悟られないようにするため、希望を受け入れたそうよ。
新たに納められる、巻かれた状態の反物たち。そのひとつを取って広げてみる殿様。
すでに幾度か見たものと同じ、星たちのきらめきがひしめいていたけど、親方が言葉を発したわ。
「今回の生地はいささか、威勢がよいものばかりでございます。できることならば、奥様方の服に用いられ、戦場など刺激の強い場へ持ち歩かぬように、お願いいたしたいのです」
殿様は、その場ではうなずき、親方に下がることを命じたわ。けれど、10日余りが過ぎた時、内応によって戦わずに相手の城を落とした家臣のひとりに、褒美としてかの反物を渡したらしいの。
これは名誉と、家臣は自分に仕える女房や職人たちでも、ひときわ手先が器用な者を集め、反物の一部を陣羽織に加工させたのね。
今度は血を流さない戦だったけど、また槍働きをする機会があれば、これを羽織ると心に決めて。
そして時が来たわ。
かの将は殿様の命により、別動隊を任されて敵の補給線に当たる小城を攻める任に当たっていたわ。本隊が当たっている城は前線にあり、地形の関係上、前線の城へ向かう援軍は、この城を通らないと大いに時間を損なうことになる。どこかしらで救援を出さないと、殲滅の一途というわけ。
すでに残すは本丸だけ。陣の中で床几に腰かけながら、軍の侵攻を見守っていたかの将だけど、不意に頭に衝撃を感じたわ。
兜を串刺しにして、矢が刺さっていた。幸い、上部をかするように食い込んだもので、負傷はしていない。すぐに傍にした臣下たちが曲者の捕縛に動いたけれど、残ったものと殿様自身は更に恐ろしいものを目の当たりにしたわ。
藍色に染まった星空を広げる、陣羽織。その裾からぼとぼとと滴が、真下の地面に溶けていくの。それにつられるように「星空」はどんどん下へ下へ移動し、星たちも自分たちのいる「空」が外に染み出るのに合わせて、地面へと逃げていってしまう。
曲者をとらえた臣下の者たちが戻ってきた時、そこには先ほどまでの陣羽織が宿していた、神秘さえ感じる柄は失われ、ただの真っ白い生地だけが顔をのぞかせているばかりだったとか。
この一件は殿様の耳にも入り、改めて仕事場へ向かったけれど、親方の姿はそこになく、他の職人たちも暇を出されてしまった後だったとのことよ。