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魔女

今日もはじまり、はじまり


 北部領主ガイアス・ドライスタの夕食はまだ薄暗い時間から始まる。

 日が暮れた直後の時間、窓の外からは涼やかな虫の声と緑の匂いが入り込んで一日の終わりを告げている。

 夏の終わりにしては肌寒い食堂にきちんと身なりを整えた給仕が一人、初老の偉丈夫が黙々と食事を口に運ぶのを傍に控えて立っていた。

 広いテーブルには簡素な木の食器によそわれた具の少ないスープ、見栄えのしない硬いパンに干し肉と幾つかのゆで卵、それに湯気を立てる茶。それだけ。

 薄明りではあるとはいえ、この時間にはもうロウソクの一本でもあった方が良いだろうに、この主従は全く意に介することが無い。


 「貴族にしては随分と慎ましいのね」


 いつの間にか部屋の隅に立っていた、細い女が声をかける。

 懐から短剣を抜き出して構える給仕を手で制して、領主はスプーンをテーブルに置くと口を拭って茶を啜った。

 

 「下げよ」


 領主の一言で短剣を仕舞った給仕は、あるじのカップがテーブルに戻されると食器をワゴンに片付け、終止無言のまま一礼をして部屋を後にした。


 「しつけの行き届いた飼い犬ですこと」


 「客としてくれば噛みつく事もなかったぞ魔女。貴様から見えるとは珍しい」


 椅子に深く座りなおして楊枝を使い、ガイアスが低い声でうなる。

 ゆらりと動き出してテーブルに歩み寄ってきた女が、うっすらと差し込んできた月明かりにその身をさらす。

 ひらひらした白い衣服に全身を包み、畳んだ傘を杖のようについて歩く細身の身体は蝶のようで、妖しい色気をはなつ赤い眼は憂いを帯びて細く、柔らかに微笑みを作る口元は蛇。

 真っ白な肌と髪は漂白されたように生気がなく、それでいてぞっとするような美しさが同居した年齢不詳の姿はまさに魔女。

 妖艶さと幼気さとを織り交ぜて、たおやかに歩みを進めるさまは穢れた巫女を思わせる魔性の人型であった。

 彼女はガイアスの横まで来ると彼の肩に手を掛け、その頭を抱くようにしてもたれかかった。


 「最近呼んでくれないから来ちゃったのよ。そろそろ魔法薬が切れる頃だろうと思って」


 愛し我が子をあやすような声音で囁き、白く細い指先がガイアスの頬を撫でる。

 並みの男なら震え上がるほどの刺激に、ガイアスは眉一つ動かさず女を押しのけた。


 「岩塩に偽装して流通させるのは止めた。領内の魔法使いを増やすためとはいえ、適合者でないものに中毒症状が出るとは聞いていなかったぞ」


 「あらぁ? そんな事もあるのかしら?」


 「今のところただの中毒だと思われているが、勘づくものが出てきた。娘の出自まで探られてはいずれ王家の目にも止まろう。貴様の進める実験とやらもしばらくは控えてもらうぞ、最近は領外でもなにやら騒がせておるようではないか」


 「耳の早い事。だって最近は若い女とお人形遊びに夢中みたいだもの、退屈で仕方なかったのよ」


 しなを作って目を伏せて見せる魔女に、ガイアスは汚物を見るような眼を向ける。

 美しく歪められた眉根と口元には、どこか作り物めいた悪意が感じられたためだ。


 「ぬかせ。人造湖であれだけの騒ぎを起こされて、黙っているほど今の王は馬鹿ではない。貴様の勝手が出来るのは我が力の及ぶ所までだと決めてあったであろうに。違反は違反だ」


 「もしかして怒ってる? ちょっとはしゃいだだけじゃない」


 「それで計画を潰されてはかなわぬからな。貴様は当面謹慎だ。そうだな、遺跡鉱山で博士のお人形遊びに手を貸してもらおう。アレックス王子と勇神が領内にいる今、貴様にうろつかれてはいささか都合が悪い」


 「まあ!ひどいわ……」


 「今度は勝手をするなよ。貴様の欲する聖国の秘宝、王家から取り戻せるのは我だけであることを忘れるな」


 蛾のようにまとわりつく白い魔女を置いて、ガイアスは闇に沈む食堂を後にした。

 





 


 「硬いね」

 「硬いな」

 「硬いですねぇ」

 「……硬いです」


 夕方の陣屋、掃討作戦を終えて大勢の兵士たちが一日の疲れを纏った武具を外し、一時の休息を取る時間。

 アレックス達もあてがわれたテントの外で焚火を囲み、今日の収穫である鹿の肉を焼いていた。


 長い串に肉の塊を刺して火で炙り、削ぎ落して食べるワイルドなスタイルの食事はアレックスの少年らしい冒険心を大いに刺激したものの、その肉の堅さもまた素晴らしいほどにワイルドであった。

 血抜き以外の下処理が為されていない肉は筋が多く噛み応えがあり、まぶされた塩に混じる野生の臭みも相まって容易に飲み込むことが出来ない。

 都会育ちのアレックスにとって憧れといえる自然さながらの夕食は、自然そのものの厳しさを彼に教える良い機会ともなったのだった。


 「香辛料があればもう少しマシなんだろうが、こういうのも悪くはないな。うん、硬い!旨いが硬いな!」


 焚火の明かりに照らされて文句を言いながら、アイリスは頬がハムスターのようになるまで肉を詰め込んで食事を楽しんでいる。


 「もう!アイリス姉様、食べながら喋らないでよ」


 「まぁまぁ王子、アイリス様は一日働き詰めだったんですよう。とはいえこれは硬いですねぇ、煮た方が食べやすかったりするのでしょうか?」


 「そうだぞアレックス。私とルシル殿は朝からゴーレムに乗って駆けまわってきたのだ。腹も減ってるが飲み込む時間が惜しいほど話す事もたくさんある。なあ?」

 

 「ええ、はい……」


 モニカが切り分けた肉を小皿に受け取って、少しずつ噛んでいたルシルは眼をぱちぱちとさせる。

 

 「ルシルは森に入ったんだよね?やっぱり危険なところなんでしょ、怖くなかった?」


 「いいえ。領軍のゴーレムなら森の中でも目立たずに活動できますし、兵士たちも熟練の者がおりますので」


 「そっかぁ……凄いなあ」


 「とはいえ危険な事には変わりありませんから、領軍も滅多には立ち入りはしません。魔獣の発生があれば確認をする程度です。 それが今日は勇神様と姫様のご活躍で、災害魔獣まで撃破することが出来ました。我々にとってこれほど喜ばしい事はありません。父と領民に代わりお礼を申し上げます」


 そう言っておかっぱ頭をぺこりと下げるルシル。

 自分とそう歳の変わらない少女のとても大人びた所作に、アレックスは素直に感心してしまった。


 「ルシル殿は立派だなぁ。アレックス、お前も彼女を見習ってもうちょっと何とか……」


 「姉様の意地悪!ボクだって一日中勇神様と魔法を使ってたんだよ。遊んでたわけじゃないのに」


 「一日中……ですか?」


 「ああ、ルシル殿は知らないか。アレックスの腕輪は魔法の反動を最小限に抑えるアーティファクトなのだ。並みの魔法使いでは燃え尽きてしまう規模の大魔法、勇神様とその眷属の召喚や、ゴーレムサイズの魔法を放てるのもそのおかげだ」


 少年の左手にある、深紅の大宝玉をあつらえた腕輪に目をやって、ルシルはほぅと息を飲んだ。


 (そのようなものが、まさか……)

 

 魔法の反動、世界の本体からの修正を無視できるアーティファクトなど聞いたこともない。

 そのようなものがあれば制約の多いゴーレムに頼らずとも、腕の良い魔法使いが無尽蔵の魔法を繰り出して魔獣を退ける事が可能であろう。

 世間に公表されれば世界の軍事バランスを大きく歪める事は間違いない、それだけの価値がその腕輪にはあるのだ。

 王家の人間がこのような少年に、この腕輪と勇神を託している理由がわからない。


 「王子にとってはお母さまの形見でもあるのですよう。ね?」


 「うん……」


 もぐもぐと肉を噛みながらわかりやすく黙ってしまったアレックスが、口の中のものを飲み込む為にひと口水を含む。

 モニカは焚火に薪を足し、肉を小さく刻み鍋で煮込む用意を始めた。

 ぱちぱちと水分が爆ぜて火の粉の散る中、勢いを増した炎に夏の夜に虫たちが踊る。

 

 「アレックス様は、その、どうして守護神のお役目を……」


 どうして、といえば自分がどうしてそんな質問を口にしたのか分らないまま、ルシルは言葉を途中で飲み込んだ。

 守護神の在り方に疑問を持つなど、王国民にあるまじき不敬。まして当人の前であけすけに尋ねるなど礼儀知らずにもほどがある行いなのだ。

 場所が場所なら何かしら罰を受けたであろう質問に、目の前の姉弟はあっけらと答えた。


 「確か父上と初代様が決めたんだった、と思う。初代様は何十年も寝ていたのに、なぜ今になって動く気になったのかは知らないがな」


 「ボクは物心ついた時から勇神様と戦うものだって。働き始めたのは最近なんだけどね」


 「物心、ついた時から、ですか……」

 

 焚火を見つめて俯いてしまったルシルの表情は生木の燃える煙にまぎれて、その場にいた者たちからは見えなくなってしまった。

今日はここまで

お読みいただきありがとうございました。

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