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王城

今日もはじまり、はじまり


 アレックス第三王子のただ一人の忠犬、モニカの朝は夜明けの少し前から始まる。

 歳の頃15,6の少女が起きるにはかなり早い時間 。

 アレックスが眠るのベッドの隣の床で目を覚ました彼女は、誰もいない屋敷の廊下をぬけ、まだ薄暗い庭に出ると裸になって井戸の水を浴びた。

 朝の澄んだ空気と、冷たい水が精神を引き締める。

 アレックスと出会う前からの習慣、今日を生き抜くための緊張を失わないための儀式。

 彼女がただの獣だった頃の、たった一つの贅沢。

 栗色の髪は背中まで張り付き、ぼんやりとした白い裸体は朝露の中に浮かび上がった。


 「ふぅ」


 アレックスには浴室で行うように何度もいわれているが、汲み置きの水は空気と同じ温度がするので嫌だった。

 夏に、冬に、肌が感じる温度差が肝心なのだ。


 誰かに見られたらどうするの?


 まだ幼い主人が赤面しながら尋ねてきたことを思い出す。

 モニカとしてはアレックス以外に裸を見られても何も感じないし、アレックスが覗いてくれるのであればそれはそれでこの上ない本望であったのだけれど、きっと彼女の小さなあるじはそんなつもりは全くなく、ただ家族の心配をしているのだと、近くに仕えるからこそ彼女はわかってもいた。

 モニカは強いので大丈夫ですよ、と笑って返してそのままになっている習慣を、いつかもう一度、違う感情を込めて心配してくれるのかと、毎日思い返して体を拭き、髪を振って乾かして一日の仕事に向かう。 

 昨日の戦闘の件で、アレックスは王城に呼ばれていたのだった。

 ほおっておくと昼前まで寝たがる可愛い主人を、彼女は心を鬼にして起こさねばならなかった。







 「いってらっしゃいませ」


 優雅に見送る執事姿の老人を置いて、アレックスの乗った馬車は王城へと動き出した。

 貴族街の一角にある屋敷から王城までの道は高台に造られ、見事に舗装されて揺れが少ない。

 朝の光を斜めに浴びて、王城から放射状に整備された城下町は、東西南北にそれぞれの特徴ある街並みを外周の防壁にぶつけて広がる。


 「またサラダ残したんですか王子、ヤマガタさん困ってましたよう」


 エプロンドレスのまま御者台で手綱を握るモニカが、片手で口ひげの手真似をしながら、まだ眠そうなアレックスに話かける。

 よそ行きの服をきせられて、ポヤポヤと窓から差し込む光を浴びていたアレックスは、白い膝をぶらぶらさせて揺れていた。


 「もっと時間があったら食べたもん……」


 ちょっと唇を噛んでむくれるアレックス。彼は11歳になっても偏食が治っていなかった。


 「モニカがもっと早く起こしてくれたら良かったのに」


 普段は誰にでも敬語で話すアレックスだったが、モニカにだけは自然と、年相応の喋り方で自分を出した。

 あと数年もすればやってくる本格的な反抗期を楽しみに、モニカはからからと笑う。

 

 「朝いつもの服に着替えたらヤマガタさんに見つかっちゃって、「王城に上がるのにその格好は頂けませんな」とか言われてですね、メイド連中に捕まってひん剥かれちゃったんですよう。あいつら群れるとあたしでもちょっと手強くて」


 綺麗に櫛を入れて整えられ、アップでまとめられた栗色の頭を指さして白い歯を見せる。

 薄く上品に施された化粧と、良く動く唇の紅も彼女の意思とは無関係になされたものか。


 「それで遅かったんだ。起こされた時誰か別の人かと思ったよ」


 御者席の横に顔を出したアレックスに、ひひひと笑って流し目をぶつけてみるモニカ。


 「見とれてくれました?」


 「ううん、モニカがいなくなったと思った……」


 下向きに歪む眉を薄茶色の前髪で隠れる様にしながら、上目遣いで答えるアレックス。

 琥珀の瞳は今朝を思い出してふるふると彼女を見上げる。

 思わぬ不意打ちにモニカは思わずほおずりしそうになるのを、生唾を飲み込んで堪えた。

 望んだ答えではなかったが、それ以上の嬉しい収穫があった。

 今の自分が本物の犬なら、尻尾の力で空も飛んだ事だろう。


 「フヒッ」


 口の端から変な空気が漏れる。


 「モニカ?どうしたの?」


 「何でもありません王子、モニカはいなくなりませんよう」


 跳ね回る胸の高鳴りを抑えるため、背筋を伸ばして一息すると、王子に優しく言葉を掛ける。

 面倒な王城行きも、ひらひらして動きにくい服も、今日の彼女の敵ではなくなった。




 

 


 王城に到着したアレックスが通されたのは、兄アルフレッドの執務室だった。

 王城に住んでいた頃は滅多に立ち入ることのなかった、大人達が働く別の世界の扉。

 つやつやに磨かれた黒木の板は、まだアレックスには大きく重く感じられた。


 「おはようアレックス」


 入室したところで立ち止まってしまったアレックスに先んじて声をかけたのは、金髪をオールバックにした涼やかな顔立ちの青年。

 アレックスとは15も年の離れた王太子でもある長兄は、王国一の美男子の名をほしいままにする伊達男であり、国内の殆どの執政に通じるワーカーホリックだった。

 机に高く積まれた書類に猛烈な速さで目を通しながらサインを書き入れ、次々と部屋を訪れる人物からの報告に口頭で指示をするアルフレッドは、アレックスに気づくと後ろに控える執政官達に退室を命じた。


 「10分休憩するよ、飲み物を運んでくれたまえ」


 一人一人扉の前で礼をして出て行く者達に良く通る声でそう言いながら、手元の書類に最後のサインを済ますと、ワイン箱より大きな書類箱に回転させながら投げ入れた。 

 箱の中には裁定済みの書類がぴったりと角を揃え、議題ごとに3つの四角柱を成している。

 飛んできた一枚は真ん中の柱にふわりと、まるで元々その一部だったかの様に寸分のずれもなく収まった。


 「おはようございます、アルフレッド兄様」


 少し緊張した様子でぺこり、とお辞儀をするアレックス。


 「昨日は大変だったね、大きな怪我がないようで安心したよ。さあ、そんなところにいないで座りなさい」


 執務机から立ち上がり、アレックスに応接ソファーを勧めながら、自分も近くに来て座る。

 金糸の装飾で飾られた服装に包まれながら、柔らかで嫌味のない仕草。

 するり、と人の心の内を見通すやや垂れ目の瞳は、久しぶりに会う末弟に優しい微笑を向ける。


 「夕べは父上達も大騒ぎで大変だったよ。アイリスなんか初陣の先を越されたって暴れるしね、疲れた時はこっちに帰ってきても良いんだよ。君はまだ成人前なんだし、顔を見せてくれるとみんな嬉しい」


 膝に肘を乗せてアレックスに顔の高さを合わせながら、アルフレッドは少し早口で話す。

 短く限られた家族の時間を無駄にしないように、共に過ごすには自分たちが加速しなければならない。

 アレックスはこの兄が誰より家族を大切にしている事を知っている。

 彼は仕事のサインの合間、一行づつ家族へ手紙を書く筆まめな男なのだ。

 彼の妻となった隣国の姫も、結婚するまで彼の顔を見たのはたった2度であったが、仕事の合間に連日手紙のやりとりを続けてついにゴールインしたのは国中知らぬものはいないほど。


 「それに、今朝も野菜を食べ残したそうじゃないか、もう城で食事を取って屋敷で寝るようにするかい?」


 「あぅ」


 ほんの数刻前の事が、もう耳に入っている。ばつが悪そうに目をそらしてしまったアレックス。


 「あっはっはっは。この国で起きた事で、僕の知らない事はあんまりないよ。だからアレックス、僕が聞きたいのは報告なんかじゃない、君しか知らない、君が感じたことだ。だからそんなに緊張しないで。勇神様と戦ってどうだった?」


 咎める訳でもなく明るく笑うと、アルフレッドは本題に入った。


 「つらくは、なかったかな?」


 ただ優しく、しかしはぐらかす事を許さない厳しさをもって、弟の返事を待つ。


 「夢中でよく覚えてないところもあるけど、怖かったです」


 昨日の戦いを思い出すアレックス。

 一晩寝ても巨大なゴーレム同士の戦闘による興奮と、初陣で感じた恐怖は頭の中から消えなかった。


 「でも、つらくはなかったです」


 勇神が、騎士団が、モニカが自分を助けてくれた。

 まだ少年のアレックスにも、自分が恵まれていることは判った。

 そして、自分の仕事が誰かの助けとなった事も。


 「そうか」

 

 前より少し逞しくなった弟に、アルフレッドは今度こそ本当に安心したようだった。


 「守護神と共にある君の役目は大変なものだ。かつてなら僕らでもおいそれと会話なんかできない程に神聖で危険で、代わりのいない窮屈なものだったんだよ勇神様の操者というものは。だが今は騎士団にゴーレムがあるし、辺境軍の整備も進んだ。時代とともに役割だって変化する」


 「はい」


 「だから君は今の勇神様と一緒に新しいあり方をゆっくり見つけて欲しい。王家として、家族として、私たちができる事は何だって惜しまないから。 暫くはヤマガタを通して仕事を回す事になるとおもうが、無理はしないように」


 一番無理をして働いている男が言うことではないがね、と付け足して、この日初めて二人は同じように笑った。




 「母上達にも会って帰りなさい」


 残った時間を運ばれてきたお茶とともに、団欒に費やした帰り際のアレックスにそう言って、扉が閉まるのを見送ったアルフレッドは大きく息を吐いた。


 「僕らができる事がどれほどあるだろうか……」


 勇神と先代の操者が起こした30年前の混乱。

 父も、母も、勇神しか知らないその真相を、今の自分は記録を読み解く事でしか理解できない。

 国中を危機に陥れた惨劇を再び起こさないために、我々にできる事はアレックスを孤独にしないことだ。

 ともに過ごし、笑い悲しみを共有する誰かを彼の近くに絶やさない事だ。

 そう考えて国政に励みだしていつしか身動きの取れなくなってしまっていた自分に吹き出してしまいそうになる。

 家族をばらばらにしないため働いたつもりが、気付けば自分が一番遠くにきてしまった。

 王城を離れることは滅多にない筈なのに、近くにいる家族との時間は取れなくなるばかりだった。

 

 「アントニオ……君は上手くやったなぁ」


 旅の空の下にいるであろうもう一人の弟の名を呼びながら、部屋になだれ込んでくる役人達と、その手にある書類を迎え撃つアルフレッドであった。


今日はここまで。次回「王城2」

お読みいただきありがとうございました

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