人造湖
今日もはじまり。はじまり
王都北西部の谷間にある人造湖は大河の水量を調節するため造られた巨大な堰と、その上流数キロまでに及ぶ湖からなる。
山深い聖国からもたらされる雪解け水は王国の穀倉地帯を大河となって貫き、豊かな恵みと水運をもたらすが時として気まぐれに水量を増し、下流に水害を起こす事も度々であった。
ゴーレム技術を解放した先代王トマス・ダグムの治世にあって、王国はその威信をかけて衝撃転換装甲を応用した堰の建造に着手し、オーバーテクノロジーの実地検証と数年に一度訪れる天災への備えを進めた。
貴族連合からは強引であるとの反対を押し切って進められた一大プロジェクトは森を拓き魔獣を退け、15年の歳月をかけて山中に王国史に残る破格の建造物を完成させるに至り、現代に残る人造湖はそれ以降ただの一度も大河の氾濫を許す事無く、穀倉地帯の護りとなったのである。
「─────衝撃転換装甲を使っているせいで他国からのゴーレム攻撃の対象になるかもって反対されたんだけど、人造湖のおかげで収穫が安定した穀物を輸出するようになったからその心配も無くなったんだって」
御者台に座るモニカの横で辞書のような歴史書を広げたアレックスが、白い足をぶらぶらさせて揺れる。
山賊改め傭兵団の一件から数日、ゴサロ市に引き返した二人は当初の予定通り人造湖への道を進んでいた。
護送を終えてゴサロ市に滞在していた間、今回は暴食をセーブして大人しく行政所の一室で待機していたアレックスだったが、関係者への取り調べが一区切りするまでの時間何もしないのはさすがに退屈であったのか、行政所の書庫にある本を暇つぶしに借り受けた。
外で遊びたい盛りの少年にとってじっくり腰を据えて活字に向かう事は新鮮な体験となったらしく、気がつけばモニカが止めなければ食事も睡眠も取らずに本にのめり込む、食べ歩きに並ぶ厄介な趣味に定着したのである。
中でも特に気に入った歴史書と、幾冊かのグルメガイドを自費で購入して旅の友としたのは良かったが、今度は馬車の揺れの中でも本を読みたがる少年が激しい乗り物酔いに襲われる事になってしまった。
新鮮な空気を吸うために度々外に顔を出していたアレックスが面倒になって、モニカの隣に座るようになったのは彼女にとって僥倖であったが、それは主の横顔がいつでも側にある状況に、高鳴る心臓が休まる時を失う事を意味していた。
「ねぇ、聞いてたモニカ? 歴史の勉強一緒にしようってモニカが言うから読んでるのに……顔が赤いけど何処か悪いの?」
「っは、ハイ!!大丈夫です!! モニカは元気ですよう。これから向かう人造湖のアレのお話ですよね、ちゃあんと聞いていましたとも」
いつの間にか本から顔を上げて自分を覗き込んでいた主人に、緩んでいた顔を見られてしまって慌てるモニカ。
彼女の心配より本の続きが気になるアレックスは変なの、と呟くと目線を手元に戻した。
「そんな訳でおじい様が造った人造湖は、今は聖国と王国を繋ぐ重要な中継地として観光や保養に訪れる人が絶えない一大リゾート地になったんだ。ガイドには魚料理が美味しいって書いてあったけど、山の幸と聖国産のチーズも有名だよね」
「ふふ、なんだかいつもの王子でちょっと安心しました。これからずっとご本に夢中でいらっしゃったらどうしようかと……」
二人のを乗せた馬車はのんびりと登り坂を越えて、山に沿った街道を大きく曲がる。
谷あいから開けた視界に切り替わると、正面には山の間を埋める城壁にも見まがう虹色の壁と、その後ろにキラキラと光る湖面の輝きが姿を現した。
「見えたよモニカ!!大っきいなぁ!! あれはね、水の圧力が衝撃転換装甲に伝わって魔法光を放ってるんだって!!」
「うわぁ……綺麗ですねぇ」
緑に囲まれた道をぽくぽくと下り、二人の乗った馬車は人造湖の脇に広がる観光市オウィミへと進んだ。
結論から言うと観光都市の食事はアレックスの口には合わなかった。
泊った宿で出された料理は貴人にふさわしい格調高いものであったが、聖国寄りの酢を効かせた味付けと漬物にした野菜が中心のメニューはジャンクフードを好む少年にはしっくり来なかったのである。
湖で獲れた淡水魚も出るには出たが、今は旬を外れているうえ不漁続きで、ガイドブックの大仰な宣伝文句を真に受けたアレックスの期待を大きく裏切る物しかなかった。
「まぁ、名物なんてこんなもんですよう。山国に近い所は保存食が多いってヤマガタさんが言ってましたし」
一応残さずに食事を平らげはしたものの、言葉少なになってしまったアレックスをモニカが慰める。
部屋に運ばれていた食器はすでに下げられ、今は彼女が淹れた熱い茶が飲み頃になるまで椅子に座ったアレックスは窓から見える夜の人造湖と、遠くでぼんやりと光る堰の明かりが空に映えるのを眺めていた。
「あーあ、大人なら野菜も美味しいと思うのかなぁ……モニカは好き嫌いないの?」
「特に思いつきませんね。王子とご一緒出来れば何でも美味しく頂けますよう」
アレックスのカップに砂糖を二匙落としてかき混ぜながら、頬に指を当てたモニカが答える。
王都ではあまり嗅いだことのない、爽やかさと青臭さの入り混じった薬草茶の香りが湯気と共に広がって、アレックスはまた黙り込んでしまった。
夜の湖を思わせる黒とも緑ともつかないぬるりとした液体はいかにも健康に良さそうで、少年の気分を萎えさせる。
「お疲れでしたらもうお休みになりますか? 明日は人造湖の噂を調査なさるのでしょう」
「……そうしようかな」
「では、寝室の用意をしてきますね」
彼がなかなか手をつけない薬草茶をさりげなく下げ、代わりにグラスに注いだ水をあるじに差し出したモニカは足音を立てずに隣の部屋へ去っていった。
栗色の髪が扉の向こうへ向こうへ消えるのを視界の端に捉えて、窓に視線を戻した少年は町の明かりに揺らめく湖水と、その背後に続くであろう山々に意識を向ける。
(母様が作ってくれたら、聖国の料理も美味しいのかな……)
グラスの水を半分飲んで隅に避けたアレックスは、上半身をだらしなくテーブルに乗せて、顔も知らない母の故郷の方角を見つめ続けた。
今日はここまで
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