行きて戻りて
今日もはじまり、はじまり
(うう……ん、あれ? 暗い、何これ? やわらかい……?)
衝撃が過ぎ去ったあと、目を覚ましたアレックスは真っ暗な視界と顔を覆う温い感触に思わず身をよじった。
頬にあたる柔らかな布と、その裏にある呼吸音の間を埋めるむっちりとした肉の重量はうっすらと、土と汗のにおいに混じって甘い安心感を与えてくれる。
まどろみの心地よさと目覚めの爽快感を天秤にかけるような、いつまでも浸っていたくなる息苦しさが目の後ろのあたりで渦を巻き、無意識に喉が声を絞り出す。
「…… 重い」
「重くありませんよう!!」
急に開けた視界に眩しさがにじみ、目を細めたアレックスにモニカの声が聞こえる。
光に慣れて視力を取り戻してた彼はぷりぷりと頬を膨らませて体を起こしているモニカと、膝に手をついて自分たちを見下ろす勇神気付いて、先ほどの爆発がいかに非常識な威力であったかをようやく思い出した。
「……モニカが守ってくれたんだ、ありがとう。 あれ、じゃあさっきのは……」
「ご無事で何よりでした。とっさの事だったので、その……、そんなに重かったですか?」
自分がモニカの胸に顔を埋めていたのだと理解したアレックスは、恥ずかしそうに服を整えながら体を退ける彼女の体温が離れてゆくのに安堵と残念さを覚えて心臓が跳ねるのを感じた。
「いやあの、モニカだとは思ってなくて……ごめんね」
「あははは、冗談ですよう。 そうだ!お嫌でなかったらまたどうです? 王子なら仰って下さればあたしはいつでも……」
「なななな何言ってるの!?」
茹で蛸のようになってしまったアレックスに手を貸して、起き上がらせたモニカは彼の服の土を払って悪戯っぽく笑った。
続いて顔を拭おうとハンカチを取り出すが、モニカの顔が近づいた途端アレックスは自分の手の平で乱暴に髪をはたき、袖の肩で両の頬をこすってそっぽを向いた。
「あら」
『からかいが過ぎたな娘よ。アレックスの年頃は色事への興味と反感とが入り交じるものじゃ、押しすぎは禁物であるぞ』
二人のやりとりを眺めていたのだろう、山道に腰を下ろした勇神とその横で地面に寝そべるファングリオンが一つ大きなあくびをした。
日向に寝そべる猫科の仕草そのままに骨盤を持ち上げて前脚を伸ばし、開いた口には一人の男が牙に引っかかるようにして伸びている。
「もう!!勇神様まで!!」
「はぁい。それで、その男が勇神様の気になる事だったんですか?」
拗ねてむくれるアレックスと切り替えの早いモニカを前に、勇神は胡座をかいたまま身を屈めて顔を近づけた。
『うむ、此奴は山小屋の近くから儂らの様子を覗っておった曲者よ。傭兵達の依頼主に繋がる者かも知れぬで捕獲させたのじゃ。大方回収ついでに関係者の始末でもするつもりだったのであろう、物騒なものをわんさか身に着けておったわ』
そう言って獅子の口に指を突っ込む勇神は男の足ををつまんで外に出す。
ファングリオンは嫌そうに目を細めるがそれ以上の抵抗はせず、勇神の手が引かれると前脚を枕に頭を下ろして横を向いてしまった。
つまみ出された男は夏にも関わらずフードのついた長袖の上着姿で、山歩きに備えたごついブーツと、ポケットの多い背嚢やポーチを躰の各所に着けていた。
ぐたりと力の抜けたまま逆さになった男がアレックスの目の前でぶらぶらと振られ、服の中から転げ落ちた小瓶を見て巨神が憎々しげに呟く。
『これは自決用の毒か?全くもってけしからん! どうじゃアレックス、こやつはお主らが昨晩見た顔かのう?』
「ええっと、わかりません。ですが、装備は王国軍ゆかりものではないように思います」
「あたしも覚えがありませんよう。昨夜広場にいた人間ではないと思いますが、断言は出来かねます。お役に立てず申し訳ありません」
『ふんむ、さてどうしたものか……』
片手で顎を撫でる勇神は、硬質の顔を更に硬くして空を舞う大鷲を目で追って何か考え込んでしまった。
気絶していた傭兵達が目覚めるのを待って面通しをしたアレックス達であったが男を見た事がある者はおらず、日が傾き始めた事もあって下山する事にした。
男を捕縛した勇神は獅子にまたがり、先んじて街道なき山ををゴサロ市の方角に向かって走り出した。
『霊峰より大勇神を輸送するのに数日のあいだグライガルーダも借り受ける事になろう。儂が話を通しておくゆえお主らはゴサロ市まで引き返し、騎士団と落ち合うように。 この男もそうじゃが傭兵団の者達も貴重な証人である、ゆめゆめ油断するでないぞ』
一生懸命口笛を吹いて馬を呼び戻したアレックスの横で勇神からの指示を受け取ったモニカは、巨神が峰を越えて見えなくなるまで頭を垂れていたが、やがて背筋を伸ばして暑さを思い出したように襟の胸元を指でのばして服の中に風を入れるように動かした。
「それじゃぁ、俺たちはここで失礼しやすぜ」
「ハイでヤンス」
「え!?」
「あら」
バンダナを締め直して荷物を背負い、強盗二人が別の方に歩き出そうとする。
アレックスは心底残念そうに、大きな声を出してしまった。
「オジサン達は一緒に戻らないのですか? 勇神様と騎士団からお礼が出るように、ボクが報告しようと思ってたんですが……」
「そりゃ有難いお話で恐縮ですが、王子サマ方が引き返すってんならこの先の村にも危険が無くなった事を伝える人間が要るでしょう。 それに俺たちには仕事もあるしな!なぁザッカー?!」
「そ、そうですアニキ!!急げば日暮れまでには行けるはずでヤンス!! ……自分たちの報酬は昨日の宿と飯で十分でヤンスよ。町長にはお孫さんが産まれる時に、医者が通れるようになったと伝えて下さいでヤンス。では!!」
無駄にきりりとした顔を決めて、ワッジとザッカーは互いに頷くと早足で街道を進み始める。
その進みは次第に早足から小走り、そして大股の駆け足となり最後には土煙を上げるまでになって山の先へ見えなくなった。
「なんて無欲で立派な人たちだろう…… モニカもそう思わない?」
「そういう見方もあるもんですねぇ。 まあ、顔も匂いも覚えましたから、何かあるのでしたら次に会った時で良いんじゃないですか」
男たちの背中が道を曲がって、土ぼこりも熱せられた地面の揺らめきにまぎれてしまうまで手を振っていたアレックスだったが、傭兵団の乗り込んだ馬車まで歩くと、モニカが乗るはずの御者台にちょこんと腰かける。
「さぁ戻ろうモニカ。 後ろで傭兵団の様子を見ていてね、馬はボクが見るから」
半日ほどで目まぐるしい体験をした少年は疲れたような、それでいてちょっとだけ頼もしくなったような顔をした。
馬車のステップに足をかけたモニカはそんな主人に鳥肌が立つようなときめきを感じながら、きっと馬が歩き出せばこの少年は可愛らしく船をこいで眠り始めるのだろうと、固まって座る傭兵団が見える御者台の一番近くの席に座った。
「はい。早くみんなを安心させてあげましょう。 お疲れの時は変わりますね、御者台は暑いですから」
主人のやる気を削がないように一言だけ投げかけて軽く深呼吸したモニカを乗せて、黒塗りの馬車はゴトゴトと山道を下り始めた。
今日はここまで
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