夏の馬車
今日もはじまり、はじまり
「気が済みましたか王子、そりゃあ王子のお小遣いですから何を召し上がっても良いですけど、ちょっとはしゃぎ過ぎたんじゃないですか」
「あぅ、うえっぷ……」
街道を走る馬車の中で、顔を青くしたアレックスは胃袋から逆流しようとする内容物と必死に戦っていた。
平坦で良く整備された街道もゴサロ市から離れるにつれて石畳からむき出しの土へと変わり、すれ違う馬車や旅人に遭う度に上下左右に揺れる。
慎重に手綱を握って馬を操るモニカもアレックスを気遣ってなるべく速度を落としてはいたが、次の宿場まで今日中に辿り着けなくなっては本末転倒だと、馬車を止める事はしない。
普段は彼に甘いモニカがいつになく厳しい理由は、アレックスの度を超した豪遊にあった。
彼の側には焼き肉の串や揚げ物の紙袋など、屋台の戦利品とおぼしきジャンクフードの包みが散乱し、散々な有様をなしている。
「屋台巡りする為に宿の食事抜いたなんて、ヤマガタさんが知ったら大目玉ですよう」
「ぅぅぅ……ごめんなさい……」
ドラゴン騒ぎから四日、ゴサロ市に到着したアレックスとモニカは市の行政所から伝書鳩を飛ばし王都に連絡を取り、事の顛末をアルフレッドに報告した。
かつて勇神が退けるだけで精一杯だった翠星王と和解の兆しありとの内容は、王城の執政官たちを十分喜ばせるだけの価値があったものの、勇神が連れ去られたという結果は少なくない混乱をもたらし、アルフレッドの睡眠時間がさらに短くなる事となった。
王都に向けて放した馬車が巡回騎士の手によって彼の元にもどり、兄の返答を受け取るまでアレックスは賑やかな商業都市に滞在して、趣味の屋台巡りと食べ歩きを満喫したのであった。
大河を越えるための大橋を備えたゴサロ市は王都の北部を防衛するための要衝であると同時に、魔獣の森や聖国へのルートなど重要な街道の分岐点であり、様々な地方の文化と食材が集まり仕分けされる食の都でもあった。
観光客向けの洒落た店から労働者用の大衆食堂、土産物屋の試食に街角の屋台と、ジャンルを選ばず回れるだけ回ったアレックスの若い胃袋は、さすがに連日の塩分過多と脂質によって、遂に不調を訴えるまでに弱ってしまったのである。
始めは楽しんでお供していたモニカも、しまいにはアレックスの底なしの食への好奇心に付いていくだけでくたびれてしまった。
「ドラゴンさんを叱りつけた時はあんなに覇気があったのに……」
すっかり頼りなく弱ってしまった主人にモニカが呟く。
街道で大勇神とドラゴンを圧倒したアレックスは、その日の夕方にはいつも通り優しい少年に戻った。
計略通りドラゴンと去っていた勇神が途切れ途切れの通信で語った所によれば、生命の危機と龍の魔力に当てられて少年の精神が暴走したもので、アレックスの魂に異常はないとの事だったが、連日のアレックスのたがが外れたような食欲に、もしかしたらこれも龍の影響ではないかと不安を拭いきれないモニカであった。
やっと二人旅になったというのに食べてばかりで、馬車の後ろに寝転んでうなっている主人に何と言葉をかければ自分の不満が伝わるか、自分自身の気持ちにはっきりと気づいていないモニカは苛立ちながら、不器用に冷たく当たるのである。
「モニカ……もうちょっとゆっくり……」
カーブに差しかかって斜めに揺れる馬車の中から、アレックスが体を起こして話しかけた。
青くかった顔は今度は白く血の気が引き、うつろな目と口元を押さえた細い手がふるふると震えている。
「これ以上は無理ですよう。もどしたくなったら止めますから、我慢して下さいな」
「そんなぁ……」
ゴトゴトと起伏を増して川沿いを伸びる路を遡る馬車に、木立の間から夏の木漏れ日と大河の反射光が照らした。
もう夕方が過ぎて辺りが薄暗くなった頃、アレックスの馬車は宿場の門が閉められるギリギリのタイミングに何とか間に合い、街に入る事が出来た。
「今日はもう宿は一杯かもしれないよ」
門をくぐる馬車に親切に教えてくれる男の声。
かんぬきを閉めて伸びをして、一日の仕事を終えた壮年の男が街の中心を指さす。
「ちょっと立て込んでてね、足止めされた連中が多いんだ。広場に行けば炊き出しをやってるし集会堂が臨時の宿泊所になってるから、宿が空いてなかったらそっちへ行くといい」
「ご親切にどうもありがとうございます」
礼を言って馬車を進めたモニカは、門番の教えてくれた事が思ったより大事だと感じて驚いた。
夏の日が暮れる時間はかなり遅く、辺りの街灯に明かりがともされる頃ともなれば多くの旅人は今日の宿を決めて引っ込んでいるはずだったが、宿場の路には馬車が幾台も止まっており、所在なさげな人々が困ったようにうろついているのである。
「何かあったのかな?」
時間を置いてやっと回復したアレックスが御者台まで顔を出した。
「立て込んでるって言ってましたが、詳しいことは聞きませんでした。宿は満員の札が出てる所ばかりですね……。あ、汗臭いんでそんなにくっつかないで下さいよう」
頚の後ろに突き出された主人の鼻先に、自分の髪が揺れて当たりそうになったのを感じて、モニカは珍しく赤くなって体をすくめてしまう。
アレックスに水浴びを見られても何とも感じない彼女であったが、年頃の少女には変わりなく、身だしなみの行き届かない所を注目されるのは苦手なのである。
対してアレックスは馬車に籠もっていた自分の臭いを指摘されたのかと、少し寂しそうな顔をして自分の襟の当たりをスンスンと嗅いだ。
「王子の臭いじゃないです、あたしのですよう。 それよりこの様子だと宿は無理みたいですし、教えて貰った広場に行ってみましょうか?」
「そうだね。人造湖へ避暑に行く人達にしては多すぎるし、収穫祭もまだ先のはずだから、こんなに混むのはおかしいもの。なにがあったか聞いてみよう」
モニカの横に出てきて御者台にぎゅうぎゅうと収まりながら、風に当たるアレックス。
肩の高さに主人の頭を感じて、モニカは脇を締めた。
二人を乗せた馬車は石畳をからからと走り、かがり火の焚かれた街の中央に向かった。
今日はここまで
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