第13話:天候の変化、嫌な予感
誰も起きていないので、こんな時間に起こすのも悪いと思い、何も言わず神殿を出て行く。
「うわ、面倒な天気だな」
今日は霧が濃く、5メートル先が見えるかどうかというくらいだ。しかも、今は勉強疲れで頭が回転していない状態だ。足元に気を付け、慎重に走りながら、マップを見て魔物との遭遇を警戒する。
この頃体力が付いたのか、余程のことがない限り疲れることは無くなっていった。だが、体力はあっても技術や強さが上がるわけではない。教えられている練習メニューは朝走る、午前勉強、午後戦闘訓練、夜自由時間だけだ。そろそろ自分で練習方法を考えるべきだな。
3キロメートル走ったあたりで、霧がだんだん晴れていく。良かった、これで直接確認しながら走っていける。不思議と魔物との遭遇が一度もない。1キロメートル歩けば魔物とは何回か戦闘になるはずだが、一度もないのは不気味だ。
「はぁ……はぁ……ん?なんだ、あれ?」
と、気が付かないうちに前方にとても大きなテントが張られているのを発見する。ガブである可能性は低いので無視しても良いのだが、大きなテントが張られていれば、中に何があるのか気になってしまう。サーカスではあるまいし、他に当てはまりそうなのは何だろうか。
歩いて近づく。近くに人がいるのなら尋ねて終わりなのだが、人の気配はしない。人ではない別の気配はするが、近くにいる魔物の気配だろう。少し警戒を強めようか。
朝早かったため、入口にも誰も立っていなかった。代わりに多くの魔物がいる。グリーンアサルトボア、グリーンベア、他にもポイズンスライムという紫色の手のひらサイズのスライム、パワードゴリラという3メートルくらいの赤色の腕が丸太のような太さの強そうなゴリラなどがいる。
かなり強力そうな魔物だ。勝てない相手ばかりだ。見た感じ、襲っているという訳ではなさそうだ。やはりここはサーカスか何かなのだろうか。いや、それにしては調教師みたいな人がいないのが怪しい。
「というか、あんな強そうな魔物が檻の中にいないのが普通じゃないな」
逃げた方が良い。少なくとも、いやな予感がするのは確かだ。マップにポイントを置いて、後で誰かに対処してもらおう。ポチっとな。
「誰かいらっしゃるのですか?」
思わずビクっと驚いてしまう。人の気配がないのに、ひどく眠たげな女性の声がする。しかも、後ろからだ。
ゆっくりと振り返る。そこには、紫がかった長髪の身長が高い女性がいた。魔法使いっぽい厚い黒い衣装で、つばの大きい帽子を被っている。なのに、服の上からでもわかる豊満な身体に、思わず見惚れてしまう。
が、すぐに警戒をするように、腰の鞘にあるナイフを触る。片手剣の方は重いから置いてきてしまっていた。代わりに、ナイフが2本ある。後ろの方にあるから相手からは見えないが、相手はそれだけで武器を手に持っているのだと分かっただろう。
「ここは危険だ。魔物があんなにもいるぞ。逃げた方が良い」
強めに声を出す。なんだか危険な臭いがしてならない。逃げた方が良いのは俺の方なのではないだろうか。
「ご忠告痛み入ります。ですが、あなたもお逃げになられた方が宜しいのでは?」
相手は笑っているが、帽子があるため暗い表情にも見える。森で美女にしか会っていないが、不思議と警戒を解こうとは思わなかった。
「あの建物は誰がいるのか分からないか?中に人がいるなら助けたいんだが」
「中に人はいらっしゃらないですよ。だから大丈夫です」
「何故、中に人がいないことを知っているんだ?」
「あのテントは❘私が建てたものですよ?」
ふむ、今のところ、特に怪しい点はなさそうだ。何故か今も警戒を解こうとしないのか自分でも分からないが、危険な気がした。一応、ナイフを手に持っておこう。どちらにせよ、自衛のために必要だしな。
「一旦どこかに隠れるのが良いと思うが、あの魔物の大軍を蹴散らすことが出来るのか?」
「何故そうおっしゃられるのですか?」
「魔法使いっぽいからな」
「面白いことをお考えになられますね」
クスクスと笑うが、どこかおかしい。別のことを考えているみたいだ。俺の方をじろじろと見ている。どちらかと言うと、観察しているように見える。
女性の後ろ辺りにグリーンリザードがいる。女性の方には攻撃する気配がないが、こちらには敵意剝き出しだ。その近くにはウサコーン特有の角が生えている。怯えているようだが、あれもしかしてラピュタ丸なのではないだろうか。今すぐこの場を離れて神殿に帰ってもらった方が良さそうだな。
「魔法使いは万能と考えられているのですか?それではまるで、あなたは魔法が使えないように聞こえますが」
「生憎、魔法を覚えようと頑張ったが、独学ではどうしようもなんだ。魔法は便利だが、万能じゃないんだな」
そう言いつつ、ラピュタ丸の方に視線を向け、手をひらひらさせて神殿の方に目を向ける。相手も視線を俺の後ろの方に向けながら、首を縦に振った。
「そうですか。……後ろに誰かいらっしゃるのですか?」
「ああ、お前の後ろにグリーンリザードがいるぞ?俺が倒そうか?」
俺の後ろの方から歩いてくる音がする。この音は、間違いなくこの前聞いたグリーンベアの足の音だ。怖くて少し震えだしてしまう。
「親切なのですね。ところで、あなたの後ろの方にも魔物がいるのですが、どうしましょうか?」
いつの間にか、周りには魔物が大勢で囲ってきている。俺と目の前の女性を中心に半径10メートルの円を描くように魔物が進行している。
呼吸が乱れてくる。なんだこの状況。今すぐ逃げなければいけないが、どこに逃げれば良いんだ?
「戦闘経験が低いんで、逃げたいんだ。手伝ってくれないか?」
「それは……出来ませんわ。そういえば、ここの魔物はレベルが高いものばかりでして、魔法が使えない人はまず勝てないでしょうね」
「その言い方だと、まるで今から俺が殺されてしまうように聞こえるぞ」
そこで、女性はニヤリと嗤う。何が可笑しいのか全然分からない。魔物の調教師にしてはこの状況がそもそも変だ。調教しているのなら、人間を襲う訳がないだろう。
「お前、本当は魔物の調教師なのか?こいつらを何故檻に入れないんだ?危険だろう?万が一という場合もあるだろうに」
「魔物の調教師、ね。確かにそうかもしれませんね。ですが、あなたが思っているような調教師とは違いますよ?そもそも、檻に入れると、いざという時に動けないではないですか」
「そうか。最後に一つ良いか?こいつらを止めることは出来そうか?」
フッと女性は嗤う。その笑みが不気味で、思わず身体が強張った。嫌な汗が身体から噴き出し、過呼吸気味になる。女性が右手を上げると、魔物たちは半径5メートルの円を描いて、止まる。
「止めることは簡単ですよ。そして、―――人を襲うことも」
次の瞬間、女性は右手を下ろした。魔物が一斉にこちらに掛かって来た!
何故、このような状況に陥ってしまったのだろうか。自分よりも強い魔物に囲まれていて、それで自分はナイフ2本で戦わなければいけないなんて。
世界が止まって見える。これは、死を目前に体感するという、時間が遅く感じるやつなのだろうか。走馬燈が見える人と、単に時間が遅く感じる人がいるが、どちらも死を目前にしているのが特徴だったか。
チャンスだ。周りの状況を整理して、対処しよう。一旦冷静になると解けるらしいが、今はまだ走馬燈の感覚だ。
グリーンベアも、グリーンアサルトボアも、風の魔法により素早さが強化されている。
2秒後には俺の死体が出来上がっているとみていいだろう。ということは、将棋でいうところの王手というところだろうか。
あとは、考えろ、考えるんだ!この場を一気にひっくり返し、死なないようにする方法を!
……無理だッ!どうやっても勝てる気がしない!
あのでかい魔物と戦うのか?ダメだ、力もスピードも数も体力も全部足りない。
最後の抵抗みたいな感じで、ナイフをあの女に投げつけるか?ダメだ、避けられておしまいだ。
あの魔物から逃げ出して追っ手を振り切るか?無理だ、風魔法によって速さはあちらの方が速い。
どうあがいても勝てる見込みはない。そもそも、気になってここに来てしまったのが運の尽きだった。
そうだよ、前世もそうだったじゃないか。運が無いから今までだって死ぬ思いを何度もしてきたし、運が無いから雷に打たれて死んでしまったじゃないか。
たまたま異世界で異世界っぽいものをたくさん見れて、運が良いと思っていただけで、最初からテールも言ってたじゃないか。幸運を上げるか、異世界へ行くかって。つまり、不幸体質のままだったわけだ。
……だがな、諦めるわけにはいかないんだよ。前世でもそうだが、諦めなければ高校生まで生きてこれたんだ。力をつけた今、天災でもない限り諦めるわけには、いかないんだよ!
時間の流れがどんどん早くなるのを感じる。どうやらピークを過ぎたようだ。
4匹のグリーンアサルトボアが4方向からこちらに突進してくるのを見る。その後ろに2匹ずついるが、今は4匹の方に集中しよう。
「フッ!」
「!?」
自分に突っ込みに来る寸前、ジャンプする。一瞬後に、下で頭がゴツンッと当たる爆音が聞こえる。馬鹿で助かった。二匹ずつ来ていたグリーンアサルトボアが急停止する。どうしたんだ?
タイミングが重要だったが、目で見えていたわけではなかった。単に、前回がガブが戦っているのを見て、速さはこれぐらいだろうかと思ったわけだ。
休む時間もなく、2匹のグリーンベアが左右から来て、片方が上から、もう片方が右から腕を振り下ろす。これも素早く、視認できるか怪しい。これは回避が遅れると死んでしまう可能性が大きい。というより、こちらは今、空中にいるわけなので、回避できない。ナイフを当てて、力を振り絞り、受け流すのが良いだろう。
右手を右の方からくるツメに、左手を上からくるツメに備えて、素早く上げる。ナイフとグリーンベアのツメが当たる甲高い音が鳴る。このタイミングだっ!
「ぐっ……おおおおおっ!!」
上から来たツメを左手で左に、右から来たツメを右手で下に逃がすようにする。結構ギリギリだ!それと同時に、ナイフを手首で回し、相手の腕に突き刺して土台にして前に転んで受け身を取る。勿論、ナイフを突き刺したままだと何もできなくなるので、ナイフを抜く。
しくじったな、ナイフで刺さなければ、もっと遠くに転がれたんだが。
「ハァ……ハァッ……ッ!!」
と、転がって10センチメートルくらい先には、ポイズンスライムが作った、毒の水たまりが出来ていた。地面が溶け出していたが、ナイフを腕に突き刺していなかったら今頃死んでいたかもしれない。
すかさずポイズンスライムに砂をかける。
……いや、だってさ、ナイフ刺さるか分からないし、砂なら固まると思ったし。砂が溶けていくのを見て、対処方法が思いつかなくなってしまう。どないすんねん、こいつ。
距離を取ろうとして体勢を立て直すと、パワードゴリラがこちらに右手アッパーを決めるところだった。パワードリラなら強いイメージだ。両腕で受け流すしかないだろう。
右から左に動かすようにナイフを振り下ろし、ナイフを腕に突き刺す。結構ギリギリだったが、間に合ったようだ。こちらは身体が左に行くようにナイフに力を全力で込め、再びジャンプして空中に浮く。
「こんのっやろおおおおっ!」
無事に受け流すことが出来たので体勢を立て直し、相手が攻撃する前にナイフで丸太のような腕を切り落とそうとする。が、やはり太いのでナイフでは切り落とすのは難しかった。ナイフに魔物の血がどんどんついて来る。第三者が見たら、俺の今の外見は血塗れだろうか。
「グルルルルアアアッ!?」
傷ついて痛いのか、右腕を抑えてこちらを睨む。
ここまででまだ10秒と掛かっていないはずだ。……3秒はスライムと戯れていた気がするが。
「ハァ……ハァ……」
流石に疲れが出てくるが、一度でも手を抜いていたら死んでいた可能性が大きい。それに、なんとか対処出来ている。上出来じゃないか。
この場での勝利条件は逃げるかあの女性を倒すかの二択でしかない。
「へぇ、強いのですね。この森に挑む冒険者程度ならもう終わりになられたと思いましたのですけれど」
当の本人がしゃべりだした。会話中なら相手は仕掛けて来ないかもしれないな。それにしても、丁寧語がなっていないな。
「お褒めに預かり光栄だな」
って言ってみたかっただけです。良くこの状況で言う人いるけど、恥ずかしいから今度から言わないでおこう。
「今の私は少しばかり弱体化を受けてしまっていてお相手できませんので、申し訳ありません」
おや?会話を続けてくれそうだ。しかも良いことを聞いた。今弱くなっているってことは、倒せるかもしれないし、逃げることも出来るかもしれないな。
ここは、穏便に逃げを選択しておこう。
「いや、それを聞いて安心した。なあ、見逃してくれないか?ここで見たことは誰にも言わないし、ここに来た理由も単純に散歩で来ただけなんだよ」
「それは出来ません。私はあなたをここで殺さなければいけませんので」
「いやいや、嘘じゃないって!他言しないから。俺は単純に死にたくないから言っているだけなんだよ」
そう言うと、あちらは顎に手を当てて考え出す。頼む、良い方向に動いてくれ!下手に動きすぎて筋肉痛でもあるから、これ以上やると痛みで動きが鈍って死んでしまうかもしれない。
どれくらい経っただろうか。心臓がバクバクと音を立てている。緊張しているから、たいして時間は掛かっていないのだろうが、こちらとしてはかなり待たされたような気分だ。下手に動けば、また戦闘になるのではと思っていたが、逃げようか?
「いえ、こちらとしては、誰も見逃す気はありません。申し訳ありませんが、ここでお亡くなりになられてはいかがでしょうか」
「いや、丁寧に言われても困るんですが」
つまり、単刀直入に言うと、死ね、と言われた。断るよ、普通?
折角の会話チャンスなのに。くそっ!それにしても、何故会話をしようとしたのだろうか。最初から殺す気なら別に会話せずにこちらを攻撃すればいいだろうに。
考えられるのは、時間稼ぎか、相手の力量調べか、それとも単純に会話がしてみたかっただけとか。最後のはないな。
右からグリーンベアが突進してくる。また、避けれそうにない。スピードが速すぎて音速の壁がすぐに割れて、熱を発生させている。当たったら即死だな。まあ今までもそうだが。
これも先ほどと同様、腕を伸ばしてナイフの先端をグリーンベアの一部に当てて受け流し、受け流し切ってから腕を切りつける。
──その時、奇妙な音が鳴った。骨が軋む音。
その音に少し嫌気が差してしまう。が、相手に攻撃が効いている証拠だと考えて、ナイフを思いっきり振り切った。
「ッ!!」
今もまだ戦えているが、最悪なのは相手が避けてしまった時だ。確実に当てられるようにこちらに当たる寸前にもう片方のナイフを当てているが、そろそろ対策されてしまいそうだな。
そう考えているが、相手の方は一向に状況が進まないからか、どう攻めようか考えていて攻撃を仕掛けて来ない。勿論、こちらは攻撃しようとすれば、すぐに反撃にあうので攻撃は出来ない。
「まだ1割程しか回復していないけれど、あの程度ならばいけるかもしれないわね……」
睨み合いが続くかと思われたが、再び女性が話し掛けて……いや、独り言を呟いたようだ。
「あの程度って、もしかしなくても俺の事ですかね?ちょっと酷いな……」
いや、あの程度ごときなので問題は無いだろうし、1週間くらいで強くなれるとも思ってない。がしかし、努力はして来たつもりだ。そんな風に言われると腹が立つ。
しかも1割で倒せるとか思ってるのかよ。そんな訳……1割?どういう事だ?今の魔力が?体力が?それとも魔物の数が?それを言われると万全の状態が来たら絶望するな。
さて、どうしたものか。