濡れ衣、試着できます。
男のクローゼットの中身は、季節感ゼロの、同じような感じの服がぶらさがっていた。
せっかく苦労して志望の大学に合格したのだ。めくるめくキャンパスライフを堪能したい。
男は決心し、オシャレな洋服を買うため、近所のショッピングモールへと足を運んだ。
これまでは服ごときにお金を掛けるなど馬鹿らしいと考えてはいたが、今は違う。先行投資ということで、軍資金はたっぷり用意してきた。
「お兄さん、お兄さん」
とある店の前で待ち構えていたキャッチのお姉さんに声を掛けられる。
「大学生? 今流行りの洋服、試してみない?」
オシャレの最先端に位置する服屋のお姉さんが言うんだから間違いない。誘われるがまま、店内へ。
「濡れ髪って流行ってるでしょ?
そのヘアスタイルに合わせた洋服なんですよ~」
そう言われて、店員さんに勧められた商品。
──その名も、『濡れ衣』。
文字通り、湿ってる。水分を含んでいるようで、持つと若干重たい。
「えぇと、これが流行ってるんですか?」
「濡れ髪だけでも、いつもと違って雰囲気変わってどことなくセクシーな感じなんですけど、
これと合わせればさらに魅力がグンと増すんですね!」
今の流行りには、まるで付いていけない。
「ちょっと試着してみます?」
まぁ、試着ぐらいなら、と、その『濡れ衣』を持って、試着室へ。
パーカーを脱いで、代わりに『濡れ衣』を羽織る。濡れているので、袖を通しただけで、インナーが湿ってしまった。蒸れる。気持ち悪い。
試着室に備え付けのワックスがあったので、見よう見真似で、濡れ髪とやらをスタイリング。……確かに、普段の地味な自分とは別人のようだ。心なしか、鏡に映った自分から、何処となくエロスを感じる。濡らすだけで、こんなにも印象が変わるものなのか。
「いかがですか?」
「生まれ変わったような気がします」
「少し店の外を歩いて来てみてはいかがですか。
きっと、周りの見る目が変わると思いますよ」
店員さんの許可を得て、『濡れ衣』を着用したまま、店の外を散歩してみる。
「ねぇ……あの人……」
道行く女の子たちが、男に注目している。
スゴイ。これが濡れの力。
パッとしないフツメンの俺が、今まさにショッピングモールのスターと化している。
世の男子は、濡れ髪止まりだが、今の俺は、全身濡れ濡れ。濡れのレベルが違う。
インスタやってないけど、プロフィール用の写真でも撮ろうかな。
『濡れ神、降臨なう』みたいな(笑)。
「あの……」
前を歩いていた女の子が、突然振り返り、男に声を掛けてきた。
まさか、逆ナン!?
「さっきから、スカートの中、盗撮してますよね?」
「え?」
「スマホ見ながらニヤニヤして……気持ち悪いんですけど」
気持ち悪い? 冗談じゃない。今の濡れ濡れの俺はパーフェクトだ。
一見カワイイのに、ちょっと他の子とは感性がズレてる、残念な子なのだろう。
「誰か、警備員さん呼んでください」
「はァ、ふざけるな? 誰がお前なんかブス盗撮するかよ」
そんな捨て台詞を吐いて、男はその場から後にする。
あらぬ誤解を掛けられてしまった。俺の魅力に、世界が嫉妬しているのか。
「ねぇ、ちょっとアナタ……!」
今度こそ、逆ナン!?
「まだお店の商品、レジ通してないですよね?」
「は?」
首から下げたスタッフ用ストラップ。この服屋の店員さんらしい。
「店頭に陳列していたTシャツが1枚、無くなってるんですよ。
まさか、アナタ万引きですか?」
「何言ってんだ。そもそも俺、今日初めてこの店の前を通ったし……ッ!」
「でも、実際モノが無くなってるんですよ!
そして、店の前には挙動不審な男。状況的に、アナタが万引き犯以外に考えられないでしょ?」
「だったら、カバンの中身調べてみろよ!」
男は、店の前にカバンの中身をぶち撒ける。
「確固たる証拠も無いのに、客を万引き犯呼ばわりだなんて、失礼な店だ。抗議してやる。
SNSで拡散してやる!」
スマホを片手に、世界中に向けて、つぶやきを投稿する、ふりをする。(アカウントは持っていない)
すると、女性店員、突然泣き出す。
何事かと、ショッピング客が集まってくる。
……こんな注目のされ方は、ヤダ。
俺は、再び逃げ出した。
今日はなんだか、妙な疑いばかり掛けられて、気分が悪い。厄日だ。
すると、今度は小さい女の子が、俺の服の裾を掴んで言った。
「オジちゃん、この人」
誰かに俺を紹介しているようだ。出逢ってまだ間もないのに、親御さんへの挨拶!?
「おどれかァ? ちぃちゃんにイタズラしたっつー、クソガキはァ!?」
顔にナイフ傷、極彩色のアロハシャツを着た、そっち方面の怖いお兄さんが目の前に現れた。
「な、なんのことでしょうか」
「ちぃちゃん、この男でおうてんのか?」
「うん、多分。でも、ひょっとしたら、違うかもしれない」
「どちらにせよ、疑わしきは罰せよ、やな」
「か、かっこたるしょうこもないのに(ry」
「あ゛ぁ゛っ!?」
胸倉を掴まれる。
「ぬ、濡れ衣だぁ!」
男は、お兄さんの腕を振り払い、その場から離脱。全力疾走でモールを駆け抜けた。
行く先々で、あらぬ誤解を受けまくる。
……まさかとは思うが、この服のせいじゃないだろうな。
この『濡れ衣』を着用すると、文字通り、周りがソイツに対し無実の罪を被せようとする、世にも奇妙な洋服。
もう嫌だ……、こんな誰得な服、とっとと返品だ。
男、先ほどの洋服店に飛び込んで、第一声。
「試着はもう結構です。これ、返します!」
「そうですか。お気に召さなかったですか」
店員、素直に受け取るが、眉をしかめる。
「スミマセン。こちら、お客様のお買取りになりますね」
「なんでだよ!?」
「だってこの服、もう乾いちゃってますので」