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プロローグ
自由って何でしょう。
やりたい放題好き放題することでしょうか。
わたくしは違うと思います。
なぜと言って、誰かが気に入らないからと傷つけたり、誰かの持ち物が欲しいからと奪ったりできるということは、誰かから傷つけられたり奪われたりするということですわ。
そういったことに怯えて生きれば、かえってできることが少なくなりますでしょう? そんなのとても自由だとは思えませんわ。制限なき自由は自由たり得ないのです。
自由には法が必要です。法というのは「みんなで決めた正しさの基準」だとわたくしは思います。
正しい行いをする者には自由という権利を、破った者には罰を――それが我々が暮らす、自由と正義の国、マナソヤですわ。
わたくしも微力ながらそれに貢献しております。
わたくしの家は代々司法関係のお仕事をしており、親友には随分と遅れをとりましたけれど、数ヶ月前にわたくしも念願の弁護士になることができました。
国家と国民のためのお仕事、大変誇らしく思います。
思いますが……。
「はあ……」
ついため息が漏れてしまいました。
ぐー。
お腹もなりました。
「ま、まあ、わたくしったら……」
思わず赤面してしまいますが、事務所にはわたくし一人。
助かりました。
いえ、助かってませんわ。誰も雇えないほど困窮しているということなのですから。
わたくしが弁護士になってから、関わらせて頂いた案件はわずか三件。
しかも全敗。
他の国では違うと聞きますが、マナソヤにおいて弁護士は国家公務員であり、基本給の他に依頼人を勝利に導いた場合に高額の特別給も頂けます。
本来は基本給だけでもぎりぎり食べていけますが、わたくしの場合は借金で事務所を開いたため、月々の支払いが厳しくて……。
実家は裕福ですが頼るわけにも参りませんし……。
「依頼人もいらっしゃらないみたいですし、お昼ごはん(パンの耳)でも買いに行きますか……」
すっかり癖になってしまった独り言をつぶやきながら、わたくしが席を立とうとした時でした。
キィ、と静かに響く音――
そう、滅多にわたくし以外の人に触れさせないシャイな扉がついに動き始めたのです!
「どうぞこちらへ! ……って、キャシーですの……」
「おいおいそんなあからさまにがっかりした顔するなよエイミー!」
扉を開けて入ってきたのはお客様ではなくキャシー。わたくしの親友で、先輩弁護士でもあります。
本人はわたくしのライバルを自称していますが、はっきり言って差がありすぎます。
困窮しているわたくしとは違い、史上最年少で弁護士の資格を得てから連戦連勝。妹分としてべったりついて来ていた昔とは色々と変わってしまいました。
「いつもお仕事でお忙しい先輩がどういった風の吹き回しですの?」
「嫌味言うなよ! せっかくいい話を持って来たのにさ」
「いい話?」
キャシーが言うには、お仕事を紹介してくれるとのこと。
詳しく言うと、キャシーが最近行政訴訟の依頼を受けたのですが、訴えられる行政側の弁護を担当しないかという話。
どうして国から依頼されるはずのお仕事をキャシーが紹介できるのかという疑問もありましたが、それよりも気になったのは裁判の内容。
それというのが――
「トマトは魔物か食物か?」
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数週間後。短くて数日、時には数ヶ月にもおよぶ長い裁判の最初の日がやって参りました。
場所は法廷。
裁判長と複数の裁判官たちが見守る中、原告の弁護人にキャシー、被告の弁護人にわたくしが立ち、審理が始まりました……。
「…………トマトの街への持ち込みの際に関税のかかること、これを不服だとする申し立てがありましたが……まずトマトは特定特殊生物に指定されています」
特定特殊生物。通称魔物。
近年世界に現れ始めた、不可思議な生き物のことです。トマトもそんな生物の一種である植物型の魔物で、人間を見つけると強酸の詰まった赤い実を飛ばして攻撃するとか……。
魔物のせいで人々は大なり小なり迷惑を被っておりますが、利用できる部分もあります。
ですから魔物の街への搬入自体は珍しいことではありません。
「そして特定特殊生物の街への持ち込みに関税を課すことは、特定特殊生物対策関連法第十七条に明記されています。したがって、原告のルイーゼ商会がトマトを持ち込もうとした際に、街門において関税の支払いを求めた門番の判断に何ら不備はないと言えます」
魔物が現れてから、人類はその生活圏を狭めることを余儀なくされました。
森林や山間等の危険な場所を避け、高い壁で囲われた平地の狭い範囲で細々と暮らしております。
そういった街へ入る際には門を通らざるを得ません。そこで正式な手続きを行ったもののみ、中へ入ることを許されるのです。
常識で考えれば原告側に勝利がもたらされることはないでしょう。
居並ぶ裁判官たちの顔を見ても、そこに書いてあるのは「裁判の勝敗はどうなるか」ではなく「なぜ原告は負けると分かっている裁判を起こしたのか」「なぜ優秀な弁護士であるキャシーが弁護を引き受けたのか」「なぜクソ雑魚弁護士であるエイミーがこの場にいるのか」「お腹空いた」等々のように思えますわ。
わたくしは戦略の一端をキャシー自身から聞いておりますが――
「ちょっと待って下さい」
早速、キャシーから待ったがかかりました。
「確かにエイミー弁護人のおっしゃったことは間違いありません。しかしながら、同条第三項には関税の免除対象について記されています」
魔物は脅威だけではなく利益をももたらします。
魔物の公的な利用として有名なのが、一部の魔物を原材料とした魔法薬の作製。こういった公共の利益をもたらすものについては、関税は免除されます。
「しかしキャシー弁護人。トマトが魔法薬の原料となる、などという話は聞いたことがありません」
裁判長が投げかけた疑問に対し、キャシーは落ち着いて答えました。
「ええ、その通り。しかし関税の免除対象は何も魔法薬の原料だけではありません」
「まさか……食品ですか!」
そう。
それこそがキャシーの戦略。
彼女に昼食をごちそうになりながらその話を聞いたときは、はじめその余りにも荒唐無稽な内容に「もしかして私にわざと勝利をプレゼントするつもりなのでは?」と疑ったものですが、徐々に栄養が頭にまわってくるにつれ、彼女はそういった人間ではないと思い直しました。
しかし「トマトが食物」という荒唐無稽さが変わるわけではありません。
確かに食べられる魔物は持ち込みに関税がかかりませんし、トマトの赤い実は一見するととても美味しそうです。
ただしその実に詰まったものは人体を溶かしてしまうほどの強酸。
わたくしはキャシーに話を持ちかけられてから今日まで資料を漁り尽くしましたが、出てきたのはトマトの誤食による事故の報告ばかり。
したがってわたくしは「トマトは食物ではない」と結論付けました。
裁判官たちも同内容の言葉をキャシーに投げかけます。
「皆様のおっしゃるように、トマトの中身が人体などやすやすと溶かしてしまうほどの酸である、ということは事実ではあります。ありますが、事実の全てではございません」
「……私は回りくどい言い方は好まない。結論を言いたまえ」
眼鏡をかけた神経質そうな裁判官の言葉に、キャシーは待ってましたとばかりに、にっこりと笑って言いました。
「はい。結論から申しますと、トマトは人間の姿を認識して初めて実に強酸を蓄え始めます。つまり、トマトに認識されずにその実を落とすことができれば、美味しくいただくことができるのです」
「!?」
法廷内を、驚愕の沈黙が貫きます。
「実際に皆様に食べていただいた方が話は早いでしょう。ルイーゼ商会はトマトが食品だと認められればトマト料理の専門店を開こうと考えていますが、そこで出される予定の料理の一つがこちらとなります」
キャシーの合図により、待機していたらしい料理人たちが皿に盛られたトマト料理を運んできました。
一見してトマトと分かる実を輪切りにしたものがオシャレに盛り付けられ、緑がかったソースがかかっており、その姿は外国の高級料理と言われても疑問に思わないでしょう。
おそるおそる口に運ぶと、まず感じるのは酸味。しかし舌を焼くほどではなく、優しい甘みと絶妙に調和しながら口いっぱいに広がります。ほんのりと苦味のある塩の効いたソースがアクセントとなって、実に――
「美味しい!」
いえ、美味しさはどうでもいいですわ。
大事なのは、トマトがちゃんと食べられるということ。
まずいです。トマトはまずくはないですが、この事態はまずい……。
しばらくの間、裁判官とキャシーとの話が続きます。先ほど「回りくどい言い方は好まない」と断じた裁判官も、今度は興味深そうに耳を傾けています。
蚊帳の外におかれたせいか、引き伸ばされたようにゆっくりと感じる時間が過ぎていきます。
――しかし、その時間がぎりぎりの所でわたくしを救ってくれました。
「……おっと、もうこんな時間ですか。本日の審理はここまでとします」
閉廷の時刻となり、審理は一旦休止となりました……。




