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坂道は足取り軽く



「ねぇ、ねぇ。まだ帰らなくても良いじゃん? 」



夕焼けに染まる商店街、級友たちのブレザーの裾を引っ張り駄々を捏ねると、友人たちは一様に困ったような表情を浮かべた。


「ダメだって、千花。夕飯に間に合わなくなっちゃう」


「良いじゃん。次はカラオケ行こう?オゴるからさぁ」



中学生の頃はもっと遅くまで付き合ってくれたのにと不満に思いつつも、可愛らしく拝むように手を合わせつつ首を傾げる。



「たまになら良いけど、連日で後から一人で夕ご飯とか気不味いんだよ」


「そうそう、ママに恨みがましい目で見られている気がして」


「優しく『温め直すねー』とか言われると却って良心が痛んだりして」



得意の甘えん坊作戦は他の友人達からの援護射撃によって敢え無く失敗に終わりがっくりと肩を落とす。


みんないつも家族の事をウザいウザい言ってるくせにと脹れっ面を浮かべるが、優希ちゃんからの「自由人の千花には分かんないんだよー」という悪気はないであろう言葉が秘かにグサリと刺さる。

 自由人って、まぁ別に傷物を触る様に扱って欲しい訳じゃないけどね。

 


「優希は本っ当に余計な事言うんだから!アンタって子は」


と叩く真似をして叱りつけたのは少し大人っぽい綾乃ちゃんだ。

 それに「ごめんなさーい」と言って逃げ回る優希ちゃんを見てみんな笑顔になったところでやっぱり今日の放課後はお開きとなってしまった。

 私だって引き際は心得ている。あんまりしつこくすると嫌われちゃうからね。








「つまらんのぅ」



一人そう呟いて、会社帰りと思われる人が多くなった商店街をゆるゆると歩く。 今帰ると、ハウスキーパーの長谷川さんに出くわしてしまうかもしれないので、私はまだ帰れない。長谷川さんは私に会うと必ず嫌味を言うのだ。



『お金をもらっている以上仕事はしますが、もう少し自分分で出来る事は自分でやった方が良いのではないでしょうか』



 お母さんは私が幼稚園に通っている頃に交通事故で亡くなったので、彼女について覚えていることはあまりない。お父さんは小学生5年生になったころから家には帰って来なくなった。しかし、元々コミュニケーションのなかった父娘なのであまり問題はない。


 長谷川さんはお母さんが亡くなってからずっと来てもらっているが、昔から漂う厳しい中年女性的雰囲気が苦手で、小学生の頃は挨拶もそこそこで自室に逃げ込み帰るまで閉じ篭って、中学生になると時間帯を調整して会うのを避けるようになった。



 私は他人から怒られることが大嫌いだ。

 だから先生にだって怒られないようにいつも割と良い子にしているつもりだ。

 でもたまに全部放り出してやりたくなることがある、無理だけど。



 平和な商店街を歩きたどり着いたのはゲームセンター。そこで大して興味のないゲームで遊んで19時位までバキューンバキューンと時間潰しをする。そうして店を出た時にはもう辺りは暗くなっていた。






 10月に入って陽が沈むのが早くなったものだと思いながら、やや急な上り坂道の中腹にさしかかった時、向かう先に中型の犬が立っているのが見えた。広めの間隔で置かれている電柱の光では明かりが届かず、犬の姿がぼんやりとしか見えない。ゆっくり歩を進めつつ慎重に目を凝らすと、

 『グルルルr・・・・』

向こうからも近づいてきて唸り声を上げる。



「馬鹿犬ドンキーだ」



 道に立ち塞がっていたのは、近所では有名な凶暴かつ意地悪なドンキーという犬だった。子供とか自分より弱そうな人間に向かっては威嚇したり追い回したりたまに噛み付いてきたりする癖に、大人には従順そうな目を向け良い子振る卑怯な問題犬である。

 これまでも地域で何度か問題になってきたようだが、愛犬家が多いこの町では可哀想だからと厳重注意で済まされていると噂で友人から聞いたことがある。




 私は踵を返すと、今来た坂道を駆け下りた。

 ハッハッ……とドンキーの荒い息遣いが聞こえるのがすぐ後ろのように感じて焦り、足を縺らせて勢いよく地面に体を打ちつけた。


「いったぁ…」


 思いっきり膝を擦り剥いたようで痛くて泣きたくなる。

 一瞬ジンジンと痛む膝に気を取られたものの、ピンチはより深刻になっていた。 ドンキーがもう2メートル位のところまで来ているのだ。ドンキーはそこまで近づくと駆けていた足を緩め追い詰めるようにゆっくりと近づいて来る。

 

「ドンキー!向こうへ行って! 」


 私は犬嫌いな訳じゃない。むしろ友人たちの飼っている可愛い犬達は大好きだ。だけど、庭につながれている時でもいきなり激しく吠え威嚇してくるドンキーは大嫌いなのだ。


 そうだ、一度も使った事無いブザーが確か鞄に。


 思わず閃き、鞄から取出し急いで防犯ブザーを鳴らす。

 けたたましい音が周囲に響き、ドンキーも一瞬たじろいだようだったが、しばらくすると慣れたようでまた唸り声を上げ始める。



 坂道には民家はなく、坂道を折りきったところから一気に住宅街になっている。助けが来るとしても少し時間が掛かるだろう。

 もうこうなったらその喧嘩買ってやる。人間様に逆らった恐怖を思い知らせてやる。こっちも噛み付いて、やった事ないけど『拳で語り合う』っていうのをやろうじゃないか。



 そこまで考え、いつでも飛び掛かれるよう中腰に態勢を整えた時、坂道の山側から一匹の犬が現れた。その犬は灰色の毛並みで、均整の取れた美しい体躯を持つ見た事のない種類の犬だった。顔つきは狼みたいに凛々しく、大きさは中型犬のドンキーより少し大きいぐらいだ。



 灰色い犬は近くまで駆けて来て、私とドンキーの間に割り入ると私には背を向けドンキーに低い唸り声を上げた。

 するとドンキーは『キャうっ?キャウン キャウン』と情けなく泣きながら私とその犬を大きく避けてから坂道を下へと逃げ去っていった。







 張り詰めていた緊張感から解放され、その場に座り込もうとするも膝を曲げた瞬間擦り剥いた傷がジワリと痛んだ。

「イタタ…」

 灰色の犬はこちらを向いているが決して近づいてこない。

と、そこで気付いた。

「ああ、ゴメンゴメン」

ずっとけたたましく鳴り続けていた防犯ブザーを止める。

すると辺りは驚くほどの静寂に包まれた。





 少しして聞こえてきたのは「大丈夫か~い? 」というおじさんの声だった。私が鳴らしたブザーの音を聞きつけて、坂下から助けに来てくれたみたいだ。


「すみませんー。大丈夫になりましたー」


 走ってこちらに向かってくれているおじさんに私も大声で知らせる。

するとおじさんはフゥフゥ言いながらスピードを緩めつつもこちらまで来てくれた。



「もう大丈夫なんだね? 」


「はい。なんか怖い野良犬に追いかけられて、しかも逃げてるうちに転んじゃって。噛まれると思ってブザー鳴らしちゃったんですけど、あのコが追い払ってくれたんです」



 そう言って、灰色の犬を指す。私だって鬼じゃない。私の所為でドンキーが遂に保健所送りになってしまっては目覚めが悪いから野良犬と嘘をついた。



「へぇ、野良犬ねぇ…。それにしても綺麗な犬だね。君が飼っているの? 」



 そう聞かれて即座に否定する。動物なんて飼ったことがないし、それどころか自分の世話さえできていないのは自覚しているのだ。



「でも命の恩人な訳だろ?いや恩犬か、はっはっは」



 なんだろうこの誘導的文言は。もしや私にこの犬を飼えと言っているのか?

 私も「はっはっは」と笑って日本人らしくお茶を濁そうと思ったが、そんな会話を続けている間も灰色の犬はちょこんと良い子に座っているのが視界に入ってきてうーんと悩む。

 

「ご両親に怒られてしまうかい?保健所は可哀想だよね」


 そうおじさんに困った表情で聞かれて焦る。命の恩犬を保健所なんてとんでもないが、ご両親について私はワケアリなのだ。おじさんにソコをあまり突かれると困る。まぁ、命のなんて言って…あのままだとしてもドンキーが私を噛み殺すとは思えないけどね。



「いいえ、今年のクリスマスに子犬を買ってもらう予定なので連れて帰っても平気だと思います。ただ、賢そうな犬なので、すでに誰かの犬じゃないかと思って」



 今日の私は冴えているようで、嘘はスラスラと出た。クリスマスに親からプレゼントなど貰った覚えはない。

 しかしニヤリとしたおじさんは信じたようで、「じゃあ、迷い犬の張り紙を近所にしておけば良いよ」とアドバイスをすると元来た坂道を下りて行った。私は慌てて「ありがとうございましたー」と声を上げて呼びかけると、おじさんは振り向いて手を振ってくれた。








「うちに来る? 」


 制服や鞄の汚れを一通り払っている間も、良い子に座って待つ犬にそう尋ねると『ウォ』と答えた。

 坂道を登っていく間、私は犬の仮の名前を考え独り言ちる。



「迷い犬のポスターは出しておくとして、名前が無いと不便だよね。カッコイイ系にする?ルシファーとかケルビムとか?でも、それだと私が呼ぶの恥ずかしいしなー。好きな芸能人とかもいないしなー。灰色だしグレイで良いかな。…ん?アーティストのグレイ好きだと思われるかなー?じゃあ、ちょっと変えてグレンで良いか? 」



  よく友達から独り言が多いと注意される。だけど、一人暮らしの身としては独り言を禁止されると、毎日ほぼ半分の時間を無言で過ごさなくてはいけなくなってしまう。

 

『ウォッ』


 しかし今のは独り言にならなかったようだ。犬、いやグレンが上手い具合に吠えたのが返事っぽく聞こえた。

 林に挟まれた坂道をどんどん上って行くと、あるのは私の家だけだ。



 最近のお気に入りの妄想は、世間から隔離された私だけのお城っていう設定。

 そうでも思わなければ、気が重くて坂を上れない。冷えきった玄関ドアを開る事も出来ない。



 しかし、今日はグレンが私の隣をゆったり歩く。

 帰ったら犬の飼い方を調べなくてはいけない。餌やリードとかも買わないといけない。出来れば、ボフッとした固そうな毛並みにも触ってみたいし、抱き付いてもみたい。


 そうなると悲劇のヒロイン的城の設定などすっかり不要になっている事に、私は気付いていなかった。









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