プロローグ
「最低!!もう、信じられない!」
バンッと机を叩きつけ立ち上がると、エレンはドレスの裾をつまみ自慢の煌くブロンドの髪をが揺らしながら部屋を駆け出た。
(なんなのあの男!あれでは、私がまるで恐ろしい魔物ようじゃない!)
大理石でできた広い廊下を怒気を込めて踏みしめて進むが、上質な絨毯がハイヒールを優しく受け止めてくれる。しかし、今の彼女はそれすらも気に入らなかった。角を二つ曲がった部屋の前に立ち、右の重厚な扉を勢いよく開く。
「クライヴ、もう聞いてよ!馬鹿な騎士がいて……。」
薄暗い部屋にエレンの声が響く。
広い室内にはたくさんの大小さまざまな球体が浮いていて、その中心に立っていたクライヴとよばれた男は煙草の煙を吐きながら振り返った。
中年と言うには可哀相だが青年と呼ぶにはやや抵抗のある、その中間ぐらいの歳の候に見えるその男はエレンにとって仕事の上司であり、血の繋がりは無いものの家族であった。
しかし、お互いその続柄については認識の違いがあるようだが。
「エレン、人に話を聞いて欲しいのなら、自分も他人の話を聞かなくてはいけませんよ。私は先週も言いましたね。『部屋に入る時にはノックを』と」
クライヴはまた元の方向に向き直ると、目の前の青い球体を見つめた。
「これはいけませんね。灰が少し落ちてしまいました。」
いつも穏やかな彼にしては珍しく険しい顔で、浄化の術を青い球体にかけている。エレンは内心クライヴを怒らせてしまった事に焦りつつも、持ち前の負けん気を発揮して
「観測室での喫煙はいけないって先生が言っていたわ」
と、小声で口答えするも彼からは何の返答も帰ってこない。
気不味い空気が部屋に充満している。クライヴを怒らせてしまった。
沈黙が続く中、エレンは自分が招いてしまった失態にこの部屋から動けずにいた。浄化が終わったクライヴは沈黙したままモニターを出し何やら調べ物を始めている。エレンはおずおずと彼に近づき声を掛けた。
「クライヴ、あの…」
その声に男がゆっくり振り向いてくれたことに安堵する。
「エレン、確かにこれは煙草を吸っていた私が招いた事でもあります。しかし君に何も改める意思がないのなら、私も各部屋に鍵の取り付けを考慮しなくてはなりません」
子供に甘い親のように「しょうがないですね」と我儘を許してくれるいつもとは違う、冷気を含んだような言い方と眼差しに焦りを覚える。
「改めると誓うわ!それと……あの、ごめんなさい。だから、部屋から私を閉め出さないで」
頭を下げてから恐る恐る彼の顔を窺うと、にっこり笑ったクライヴが優しく頭を撫でられ(また子供扱いして)と思いつつも心からほっとした事は否めない。
「それで、落ちてしまった灰は全部浄化できたの?」
「大方は取り除けたのですが、落ちてしまった灰の片鱗が、私の管理する世界の
悪因子と同化してしまって、周りの人間に影響を及ぼしてしまうようなのです。
特にこの少女に。」
クライヴの説明によると、灰と同化した禍機は、今までに度胸や頭脳が足りなくて出来なかった負の因子を本物の悪漢へと変える。そのターゲットとなってしまうと云う少女は、巻き込まれ最悪の場合死の危険すらあるというのだ。
「そんなっ!……で、でも、あなたの管理する世界には、月と言う禍を癒すモノがあると勉強したわ。月がそれを癒してくれるんでしょ?」
願いを込めてそう聞き返す。
「自分の管理対象以外の世界の事なのに、よく勉強をしていますね。良い子です。」
穏やかな笑みを浮かべエレンの頭を撫でる。
(やっぱり子供扱いだ)
「確かに月が癒してくれるのですが、そのスピードはとても穏やかです。私達は『事後の罰』という場合以外、直接的に地上と接触することはできない。加えて生憎このまだ幼い少女には、自分を守ってくれるような身近な人間はないようです。月が癒すまでの間、彼女を守れるような人物をこの世界とは別の世界から守役として送らなければいけないのですが、私達の過ちを何の罪も無い他人に全部委ねてしまうのは何とも心が引けます」
確かに、守役にはなんの非が無いのに多大な迷惑を掛ける事になるだろう。
第一事情も知らず、何の責任もない少女を守ってくれるような人がいるのだろうか。腕を組んで考える事しばし。急になぜ自分がここへ来たのかを思い出した。腹立たしいあの男は確か騎士のような恰好をしていた気がする。
「あ~~!!」
急な大声に驚いたように首をかしげるクライヴにすぐ戻ってくると伝えると、エレンは急いで自分の執務室へ資料を取りに向かった。
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「諸悪の根源であるこの男にやらせましょ」
エレンは自室で資料走って取って戻って来ると、一通り先ほどの出来事を説明し、『不幸な男』の資料をクライヴに渡して、そう宣言した。
グレン・フェルトン 男 28歳
シュレスデン王国 天鷹騎士団 団長
平民出身でありながら異例の若さで昇格
上司・部下からの信頼も厚く、正義感の情に深い
剣にも長けるが、この男の持つ怪力は周辺諸国からも
人狼と呼ばれ恐れられている
クライヴは一通り資料に目を通すと眉を顰めて思案して、溜息をつき苦い笑みを見せる。
「少しグレン君が気の毒な気もしますが、そんな場面をエレンに見られた時点で、運が無かったと思って戴きましょうか」
エレンも決定とばかりに「おお~!」と、右の拳を上げて同意する。
「おや、ウチのお姫様の機嫌も良くなりましたか?」
ニッコリ微笑むクライヴにエレンはウインクする。
「お姫様じゃないわ。未来の王妃様よ、王様。」
クライヴが優雅に飲みかけていたお茶を盛大吹いた。