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お伽世界の魔女

恵みの家

作者: しもり

#深夜の真剣文字書き60分一本勝負(フリーワンライ)提出作品の加筆修正作品。使用お題は「ホットケーキ」 同シリーズ短編「親なし子の決意」が過去話となっております。

 大陸の北西に、大きな国がある。歴史ある大国だ。

 その国の中央、城壁にぐるりと囲われ、その内部も市壁によって地区を区切られた王都の一画――賑やかで善良な人々が暮らす街の中にその建物はあった。

 それはこの地区の中でも一等古い建物。尖塔を一つ備えた館。

 建築様式から歴史を感じさせる館と尖塔は、屋根を塗り替えたばかりの緑色が眩しく、敷地を囲む二メートル程度の塀は、斑に白い漆喰で塗り固められている。その内側には数本の木がぐんと背を伸ばして塀の内外に濃い影を落としていた。

 緑の草を絨毯のように敷き詰めた塀の内側は、明るい声を絶えず響かせ、厭くことなく抱き続ける赤茶色の建物。そこは王都一の孤児院であり、王都の城壁の中で唯一の孤児院だった。

 院長は年若い女のセシル。穏やかな春の象徴を思わせるピンクブロンドの髪を持つ彼女は、大地の如き暖かなブラウンの双眸を有する気性穏やかな女性だ。広い館、そして何人もの孤児たちの世話は一人で行うものではない。他に何人かの手伝いの職員がおり、施設は国からの助成を基に運営されている。国立の施設という扱いなのだ。大きな建物には相応しいだけの子供たちが生活しており、現在はその数を六十人ほどにしている。

 王都全体の広さを見れば少なく思われる数だろうが、ここに引き取られる子供というのは縁者もなく、住んでいた近隣の住民に引き取られることもない、真に寄る辺ない子供たちを保護する施設なのだ。国の取り組みがあり、多くの市民の協力があってもなお生まれてしまった孤児がおよそ六十。これは決して少なくない数だ。

 だが幸いなことに、ここ数年は孤児がそれほど増えず、年に五人前後で推移している。。

 セシルは子供たちから先生と呼ばれており、絶えず微笑みを浮かべた三十手前の彼女を、彼らは姉のように母のように慕い、敬うべき教師と眩しいばかりの目で見つめている。

「せんせい、せんせい。粉屋さんがき……きていらっしゃいます?」

「ちがうよー、それはえらいひとに言うの! 来てます!」

「コラ、先生に群がらないの」

 ぱたぱたと外から戻ってきた数人の子供たちに足許を囲われたのは地味な藍色のスカートと生成りのジャケットを合わせた女、セシルだ。明るく温かい色合いのピンクブロンドを、後頭部で一つに纏めて毛先が飛び出さないように布で覆うのがいつものスタイル。そして子供たちは彼女が他の髪型をしているところを見たことがない。

 セシルの隣には、子供たちを叱りつけた女性の姿が。まだ成人間もない彼女は手伝いの一人で、キーネという。元々はこの孤児院に暮らす孤児だったが、成人を機にこの孤児院の運営を手伝うようになったのはほんの一年前のこと。

 だからであろうか、キーネにはまだまだこの孤児たちをまとめる年長者のような雰囲気が抜けず、子供たちの方もキーネお姉ちゃんに叱られているという気持ちが残っていた。

「あらあら、粉屋さんが? 頼んでいた小麦粉かしら」

 首を傾げる先生を子供たちはグッと顔を上げて見つめ、忙しく動いている。

 口々に彼女のスカートを引っ張っては、あのねあのねといろんな声を響かせ、まるで合唱のよう。音は揃っていないしまとまりもないので不協和音だったが、彼女はそれも賑やかさと捉えて嫌な顔一つ見せないでいた。

 その代わりにと言わんばかりにキーネが静かにと厳しい声で言い放つ。

 すると鶴の一声のように子供たちはぴたりと口を閉ざした。まだ五歳から七歳の子供たちだ。キーネの怒鳴り声はすっかり怖い物として刷り込まれてしまっているのだろう。

 条件反射のように静まりかえった子供たちの頭をセシルはそれぞれ撫でていき、その手を戻して細い眼鏡を上げ直す。

「みんな、ありがとう。キーネと一緒に奥に戻って遊んでいてね。粉屋さんのお仕事を邪魔をしてはいけませんから」

「はーい」

 子供たちはすぐに声を揃えて元気に返事をする。パッと藍色のスカートから離れると今度は、キーネの汚れがうっすらと残ったエプロンを左右や前から引っ張るように掴んでいた。

「キーネ姉ちゃん、はやくー」

「はやくはやくー!」

「先生とこな屋さんにめいわくなのよ」

「あんたたちね……」

 小さな子たちの言葉は次々と飛んでくる。そして失礼なものだ。

 だがいちいちそれを叱りつけていてはキーネが疲れるだけだったので、引かれるに任せて歩き出す。それでも呆れに息を吐くということは止められず、少し高い位置にあるセシルの顔を見ようと振り返って彼女が欲しているであろう言葉を口にする。

「エイゼンに手伝うように言ってきますから」

「ええ、お願いね、キーネ。わたしは先にお話しているから」

「わかりました」

 さ、急ぐよと子供たちを急がせると、小さな手はおもしろい程パッと離れてワァワァと廊下を駆け出した。

 それを微笑ましく見送り、彼女は院の玄関へと少し早足で向かう。


 エイゼンは立派な青年だ。

 彼もキーネや他の職員たちと同じくこの孤児院で育ち、成人を機に院の外へと働きに出た。それでも彼が外で働いていたのは八年ばかり。仕事を辞めて戻ってきた彼は、給金の大半(とても八年で普通に生活しながら貯めたとは思えない金額)を院のためにと持って帰ってきたのだ。そしてそのまま手伝いとして残っている。

 この地方では珍しい黒髪で、肌の色も異なる彼は、まだ乳飲み子の頃にこの孤児院に保護された。旅の夫婦の子であったようだが、その夫婦が運悪く当時の流行病に罹ってしまい、引き取られる宛てもなかったエイゼンは病床の父母に別れを告げることも出来ず、ここを家と定められて育った不運な子供の一人だった。

 しかし彼には父母のことを伝えてある。隠すようなことでもないため、父母の素性が知れている子供たちにはそれが伝えられるのだ。

 成長する度に聞かされる実の両親のことを、子供たちがどんな気持ちで受け止めているか。しかし、そうして育った子供たちは孤児院へと戻ってくる者もあれば、外から孤児が出ないようにと働く者もいる。エイゼンの場合はたまたま前者だったようだ。

 彼を含めて数人の男たちは孤児院でも力仕事を任されることが多い。今日の小麦粉を食料庫へと運ぶ仕事のように。

「ありがとうエイゼン」

 通常は日の差さない食料庫。だが出入り口の戸を開け放っていると、そこから地下へと向けて陽光が入り明るくなる。食料庫は地中に向けて作られているため、戸を開けてすぐに階段があり、ここを小麦粉袋を抱えて一人で下るというのは厳しいものがある。

 実際過去には何度かこの階段で事故があったため、こうした大きな物を入れる際には必ず二人以上でと取り決められた。

「先生と粉屋の旦那だけに任せられませんよ。俺だって働き盛りなんだし、もっと扱き使っていいんですよ」

 あのおっさんもいい年だしなあ、と呟く声は快活さからの爽やかさがあった。三十路手前のエイゼンは彼の言葉通りまだまだ働き盛り青年であり、この孤児院の職員の中ではもっとも若い男手という自覚があるようだ。

 エイゼンは孤児院育ちということもあってか、それとも元々の性質なのか。兄貴分のように振る舞うことが多く、院の子供たちからも兄ちゃん兄ちゃんと慕われている。それどころか近隣の子供は大抵がエイゼンに懐いているほどだ。彼の魅力というのはとてつもないパワーがあるらしい。

 とは言え彼を育ててきたセシルにはそれも通用しない。

 立派な青年になってもエイゼンはエイゼンのまま。

「私はあなたたちが戻ってきてくれただけでも嬉しいもの。細々としたことを手伝ってくれているだけでも十分よ」

「……ほんと、先生ってば無欲なんだからなあ」

 胸の裡から湧き出してきた独り言は、小さな声だったがしっかりとセシルの耳に届いていた。

「あら、そんなことはないわ。わたしはとても強欲なんだから」

「強欲? 先生が? ちっとも似合わないですよ」

 ぎょっと驚く彼は丸くした目をすぐにいつもの大きさへと戻して笑う。そんな、あり得ないと否定する笑い方だった。

 彼女にはどちらかといえば清貧という言葉が似つかわしいくらいだ。孤児院の運営は不足なく行われ、貧しい暮らしではないが、不思議とその言葉が真っ先と浮かぶのがセシルという人物で。それはきっと街の人々もそう頷くだろうが、当の本人は愉快そうに笑って小麦粉が入った袋を撫でる。

「ふふ、例えばこの小麦粉。いつもより多く入れているでしょう」

「……ええ、いつもより二袋も多くてびっくりしました」

 食料庫の中にはまだ前に注文して購入した小麦粉袋が残っており、今日届いたばかりのそれを合わせると、かなりの量になる。

 子供たちの人数もあり、孤児院は日々小麦粉を消費していく。特にこの国では主食が小麦粉を使った薄焼きパンにソースを塗り、肉や野菜などを挟んで食べるというのが主流だ。

 孤児院では朝と昼にそのパンとスープが、夜は眠るだけなのでスープだけを飲んでの食事が繰り返される。

 これは孤児院に限らず、どこの家庭でも繰り返されるメニューだ。北西の国は沿岸からも離れ、さらに内陸の王都であるから魚はあまり食卓に上らないため、どうしても質素にならざるを得ない。

「これで今日はみんなにお菓子を作ろうと思います」

「お、かし?」

 きょとんと瞬きを繰り返し、言葉も繰り返す。

 一瞬なにを言われているのかエイゼンには理解が及ばなかったが、それすらもセシルは楽しんでいるようで、眼鏡の奥のブラウンの目が弓なりに緩やかな弧を作る。

「うふふ。じーつーはー、昔からのお友だちにいい砂糖をもらったの。彼女は自分はそんなに使わないからと言ってね。わたし、こう見えても甘い物には目がないの。彼女もそのことは知っていてね、どっさり譲ってくれたのよ。だからわたしが食べるついでに、みんなにもと思って」

 にっこりと笑う彼女の顔はきらきらと輝いていた。

 食料庫の薄暗い中で、彼女にだけは春の日差しが降り注いでいるかのように明るく眩しい笑みにエイゼンは見惚れた。

 うっとりとしながら早く食べたいでしょう? 食べたいわよね、とエイゼンに詰め寄ってくる姿は歳よりも若い振る舞いで、ぼうっと見惚れ続ける時間は与えられなかった。

「え、ええ、そうですね。食べてみたいです」

 砂糖なんていう高級品を気軽にプレゼントしてくれる友人がどんなものかは知らないが、エイゼンはセシルの眩しいまでの空気に圧されて頷いていた。

 きっと彼女の言う昔からの友であるなら、エイゼンたちがおいそれと近づけない人物なのだろう。

「そうよね! 人数が多いからみんなにも手伝ってもらわないといけないけれど、楽しみね」

 言って彼女は大きな桶に小麦粉をざっくりざっくりと移していく。

 どうやらかなり沢山の粉を必要とするようだ。いったいどんなものを作ろうとしているのか、エイゼンにはわからなかったが、そこに彼女の遠慮は見出せない。

「さ、行きましょうエイゼン。あとは卵とミルクと塩と蜂蜜よ」

 砂糖の袋ぐわしと掴み、小麦粉を入れた桶に入れる。白い粉が食料庫の中でむわりと舞うも、セシルは一顧だにしない。

 思わぬ荷物を抱えて飛び出していきそうなセシルはもうまるっきり子供のようだった。いつもは慈母そのものの彼女も、甘味を前にすると豹変するということか。しかしその子供のような表情は珍しくて、もっと見ていたいという気持ちがエイゼンの中に生まれていた。

 慌てて小麦粉の桶を引き取り、セシルの手から大荷物をどうにか減らす。これはキーネもいた方がよかったかもしれない、と少しだけ考えるも、先生と二人きりの時間というのは貴重だ。大事にしたい。

 セシルが木篭に卵と蜂蜜瓶を入れて抱える。ミルクだけは厨房にあって良かったとエイゼンは本気で思った。全ての材料をセシルは一人で抱えてしまいかねない。食料庫から出ると、真っ白な日差しがカッと目を焼くように刺激し、思わず木戸を潜る足が止まる。

 しかし足を止めたのはエイゼンばかり。セシルはすたすたと迷いない足取りで館へと戻っていくので、慌ててそれを追いかけた。

「……でも、やっぱり強欲とは違うよなあ」

 菓子を楽しみたいという気持ちは確かにあるようだが、それを独り占めしようという気持ちはない。これのどこを強欲と呼ぶのかわからず、自然と苦笑いが落ちていた。

 食料庫から厨房までは真っ直ぐ道が繋がっている。敷地内には養鶏場とささやかな畑がある。さすがに牛までは飼うことができず、ミルクは毎日卸してもらっているのだ。そのためミルクだけは厨房にそのまま置いている。外と繋がる戸を開けると、そのすぐ横にたっぷりのミルクが入った甕があるのだ。

 厨房にはよく料理を作るゾフィと中年を越えたダンの姿があった。ゾフィは外で暮らし、通いで働いている娘で、二児の母だ。夫は成人してから知り合った人物で夫婦仲は良好だ。そしてダンは結婚していたが、妻を亡くし、子が成人してからは孤児院に戻ってきて住み込みで働くようになった。家は子供に残してきたそうで、時折孤児院にその子供が父の様子を見にやって来る。

 二人は裏口から入ってきた二人を見て目を丸くして荷物を取り上げようと動く。

「どうしたんですか、先生!?」

「エイゼンの方もずいぶんな荷物じゃぁないか。そんな桶一杯の小麦粉、どうするんだ」

 セシルの手から篭を取り上げたゾフィはすぐに調理台へと置いて、セシルとエイゼン二人の顔をきょろきょろと忙しなく見比べた。

 ダンは桶から砂糖袋を取り上げ、エイゼンが台へと置いた桶の隣に並べる。物が並ぶとその異様さは際立つ。

 蜂蜜なんて普段は滅多に使わないだけに、これが殊更異彩を放っていた。

「さあ。どうやら先生は菓子を作りたいらしいけど、俺も詳しくは知らないんだ」

「菓子、ですか?」

「こりゃあまた、随分と奮発しますね、先生」

「あら、いいのよ。砂糖はタダでもらったものだもの。それより、全員分を作らないといけないから大仕事よ。他の子たちも呼んできてくれる、ダン、ゾフィ。エイゼンはわたしの準備を手伝ってくれるかしら」

 材料とセシルを見比べてゾフィはすぐに頷く。ダンの方はいったいなにを作るのかと、そちらの方が気になっているらしく、しつこい様子を見せるも、ゾフィに首根っこを掴まれて厨房を出て行った。

 セシルはそんなダンとゾフィにお願いねと声をかけて見送り、二人の姿がなくなると調理器具の準備に取りかかった。

 あれこれと指示を飛ばすセシルに従ってエイゼンはボウルを始めとした器具の準備をする。一方でセシルの方は竈に薪をくべ、火加減の調節をしていた。それを終えると手早く調味料を台へ移動させ、ミルク甕からミルクを瓶へと移して使う準備を整えた。

 そのように二人が準備を終える頃合いには、送り出したダンとゾフィが他の職員たちを連れて戻って来た。

 職員の数は十人にも満たない。そして女の方が多い。男たちはエイゼンとダンを含めてもたった四人しかいないのだ。あとは女たちが年齢も様々に立ち並んでいる。

「さすがに子供たちの監督役にキーネを置いてきました」

 ゾフィが言うように、見慣れた顔ぶれの中にはキーネの姿だけがなかった。すぐにそうだろうと察しがついたが、ゾフィもしっかりと説明する。

 子供たちと今一番年齢が近い職員はキーネだ。だからこういう時はよく彼女に子供たちのことを任せるのが色々と自然な流れとして完成していた。キーネならば安心して任せられると、セシルは頷き、これから作るものについて説明を始めた。

「みんなにはこれからホットケーキというお菓子を作ってもらいますね。作り方を説明するので、お仕事を分担しましょう」

 ホットケーキという聞いたこともない名前に首を傾げる彼らだったが、否やを唱える者は誰一人として現れない。

 彼らは皆セシルに育てられた子供であったから、逆らうということがなかった。中には好奇心が刺激され、どのような菓子なのか気にしている様子の者もいた。

「だいじょうぶ、難しいことなんてないわ。気をつけるのは火加減と生焼けくらいよ」

 生焼け? とエイゼンを含む厨房仕事にあまり携わらない者たちが首を捻った。

「昔わたしが大切な友人に教えていただいた、とても美味しいお菓子なの。きっとみんなも好きになるわ」

 うっとりと、その味を早くも思い出して夢心地の表情を見せるセシル。その常にはない様子に戸惑う彼らの中で、エイゼンがどうにか「先生」と声をかけて彼女を現実へと引き戻した。

「あ、そうね。先ずは小麦粉を篩ってボウルに移しましょう。それから火加減をずっと見ていてくれる? 強すぎても弱まりすぎてもいけないから。粉を混ぜるのは力仕事になるからエイゼン、お願いしてもいい?」

 生き生きと指示を始めたセシルに従って、それぞれが動き始めるのは早かった。それから厨房は慌ただしく回り始める。


 ねーキーネ姉ちゃんと、まだ幼い子が呼ぶ。小さな頭で見上げてくる姿に気づくと、キーネは一時的に他の子たちから目を離してその子だけに目を向けた。

 なあにと座り込んで応じると、他の子供たちがわっと集まってきてキーネに纏わり付いてくる。特にやんちゃな子がそうする。

 キーネの袖を掴む子供はまだ大変に幼く、孤児たちの中でも下の年齢の、まだ孤児院にやって来てそう長くない。

 まん丸のガラス玉のような瞳でキーネを見上げる子供はしかし、その瞳の中に不安や恐れを抱いているかのように揺れている。

 小さな口は蚊の鳴くような声でたどたどしい言葉を織り上げ、小さな子供が持つには当然すぎる疑問の答えを求めていた。

「先生は、なんさいなの?」

「ああ、そのこと?」

 キーネたちや、ここで過ごす時間が長い子供たちはわかっていることだが、この子供はそうではないために知りたいのだろう。

 そこに他の子供たちを掻き分けて年中の子がやって来る。

「こいつ、先生がいつか死んじゃうって心配してるんだよ。ほら、こいつの親が病で、だからさ」

 まだしっかりとした筋肉がついていない腕を伸ばして、質問した子供を抱き上げながらキーネに言う。

 成人までまだ数年の少年だが、子供たちを監督するには十分な年齢だ。キーネの目が届かないところに目を向けられるくらいにはしっかりしている。

「先生は魔女だから大丈夫だっていっても、歳とったら危ないんじゃないかって思ってるみたいでさ」

「そうなの……。大丈夫よジャック。先生はこの国の魔女さまだもの。病で亡くなられるようなことはないし、ずっとずーっと私たちの先生でいてくれるわ。だから、ジャックのママみたいにって心配しなくても大丈夫」

 中腰の姿勢になって幼いジャックに応じる。

 昔キーネが抱いていた不安と似たものを、この子供も持っているのだろう。だがその内わかることもある。キーネも気がつけば魔女というものがどんな存在かわかっていた。

 魔女というのは概して不老長命。中には老いるものもいるというが、セシルは何十年と姿が変わっていないそうだ。それはこの孤児院を出て既に働けなくなった家族たちが何度となく聞かせてくれたこと。最初こそそのことがわからないものだが、自分の経年を自覚したとき、彼女がなに一つ変わっていないことに気づき理解するのだ。

 増えることのない皺や染み。ピンクブロンドという珍しい色は一本の白髪もない。

 セシルは自身が魔女であることを隠したりはせず、またそもそもこの館は何代も前の王から魔女である彼女に与えられた物だとか。なにがあってそんな立派な建物を孤児院に利用しようと思ったのかを語られることはないが、国は彼女の行いを認め助けている。そして時折訪れる官吏はセシルへの礼節を怠らない。

 魔女とはそういう存在なのだとわかれば、なんの不安もなくなるもの。きっといつかジャックにもその時がやって来るとキーネは信じていた。

「ほんとぉ?」

「本当よ」

 不安そうな目に笑みが移るように首を傾げる。

「本当だって言ってるだろ。その内わかるって」

 ジャックを抱く子の素っ気ないながらに棘のない言葉を聞き、周りの子供たちも一緒になって大丈夫、怖くないよと声を上げる。それは揃いの大合唱のように部屋を満たした。

 思わぬことにキーネは微苦笑を漏らすが、彼らの先生を愛する気持ちは、キーネが持つものとなに一つ違わないものだった。

「あ。ねえ、みんな、良い匂いがしてきたわよ」

 部屋に入ってくる香ばしい匂いにそう声をかけると、子供たちはワッと明るさを取り戻して初めての菓子に目を煌めかせ始める。先程までとは違う賑わいに部屋の中は波打ちながら誰かが呼びに来るのを心待ちにしていた。

 ジャックも意識は良い匂いへと向いたことで、少しずつ表情が明るさを取り戻す。

 暫くしてふわりと甘い匂いをまとうゾフィが子供たちを呼びにやって来た。

 食堂への大移動を経て始めて食べたホットケーキはとろりとかかった蜂蜜と、溶けたバターがふわふわとした生地に重なり、とても美味な菓子であった。

 子供たちは皆一様に感動顕わにして、その日の夜はかなりの満腹感を抱えてベッドに入ることとなる。寝入った子供たちの寝顔は誰も彼もが幸福そうな表情を浮かべていた。

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