第三章 武装都市ティルム2
そして、杖を持って魔法を使わない人を、イルマは知っている。
「卑しい薄き血風情が魔法使いになろうなどと思うからこうなるのだ」
カッと体内の血が一瞬で沸き上がる。
それは、肌や髪、目の色が濃い、貴族の色をしていない魔法使いを貶める言葉だ。魔力が貴族より少なく生まれた者を、侮蔑するときに使われる代表的なものだった。
「通してください」
魔法で無理矢理道を開きたいが、それをなんとか我慢して、人の隙間に身を滑らせ中心へ向かう。
「すみませんでした」
抑揚に欠けた、よく知っている声が謝る。まったくすまなそうに聞こえない、煽っているのかと思えてしまう彼の言葉。
ようやくちらりと見えた先に、アーヴィンがいた。思わず舌打ちする。
男が三人。かがんでいる彼の側に立っている。杖持ちが一人と、腰に剣を差しているのが二人。どちらもそれなりの衣装を身につけている。貴族だ。まあ薄き血などと言って己の優位を保とうとする輩が貴族でないはずがない。
もう一度舌打ちをする。
アーヴィンは右手を胸の前にあてていた。何かを抱えているようだ。左手の杖は魔力を帯びてもいない。相変わらずの無防備な状態だった。
男が杖を振り上げる。魔力の集まる。
反射的に発動の呪文を唱えていた。
「解!」
ざっと、人垣が割れる。現れたイルマへ四人の視線が集まる。彼は、険しい表情を見せる。
そんな顔をするなら魔法を使えばいいのに。
もちろん、イルマの使った方程式は防御の結界で、相手を攻撃するものではない。こちらから何かする気はない。
軽い口笛が響く。
剣をぶら下げた一人が嫌な笑みを浮かべながら吹いたものだ。
「何があったの?」
イルマのよく通る声は、辺りに響く。ことの成り行きを見ていた群衆の目が、現れた彼女に惹きつけられた。惹きつけて、放さないだけの容貌をしている。
だが、問いに答えはない。
仕方なく、相手をする。
「彼が何か?」
明らかに貴族とわかるイルマの髪や肌の色にも臆さず、そのような態度を取るのは、彼らも位が高い証拠だ。しかし、フェンデルワースの出ではない。年はサミュエルとそう変わらないだろう。ならばイルマが知っていて当然だ。そして、イルマを知っていて当然だった。
だが、見たことのない人物だった。もちろん、魔法使いでない二人もだ。
となるとゲナかスペキリ。ティルムにいるということはゲナか。ティルムに居を持つ貴族の御曹司という可能性も捨てられない。
どれにしろ、兄に騒ぎを起こすなと釘を刺された。これ以上はまずい。
「何か? だと? お前はこいつの連れか?」
中でも一番下っ端であろう赤毛の男が一歩前に出る。身長差を利用して、威圧するように見下ろしてくるが、そんなものに構うはずがない。平然と質問を繰り返す。
「ええ。謝っていたようだけど、彼があなたたちに何をしたのかしら?」
イルマの様子に不満だったのだろう。
男はさらに声を荒げた。
「あいつは突然俺らの足下へ飛び込んできて、ぶつかりやがった」
「あら、危ないわね。でも、怪我がなくてよかったわ」
イルマがにっこり笑うと、もう一人取り巻きが言葉を重ねる。
「怪我は、な」
では何が欠けたのだ。
上から下まで丁寧に相手を見る。値踏みするように取られるだろうと計算して。
早く名乗り上げてくれないだろうか。家柄によっては対応に違いが出てくる。つまり、こてんぱんにのしていいか、それともある程度気を遣わなければならないか。
慎重に対応しなければならないような部類にこの顔はいなかった。いくら廃れているとはいえ、六貴族の一員であるイルマのことを知らないのだから、慎重に対応する必要はないことはすでにわかっている。
今後のお役目に差し支えがない程度にしたい。
「その阿呆の杖がジェラルドの剣に当たったんだ。高価な鞘に傷がついた」
仕方なく彼が示す先を見ると、確かに装飾過多な剣がある。実際戦場で使い物になるのかと聞きたくなるほど、金銀宝石がちりばめられていた。もちろん、杖持ちの彼の剣だ。三人の中で主導権を握っているのが彼なのだろう。
「ドゥールス材は堅いからね。魔法使いならそれくらい知っているでしょう?」
杖は、時にはそれで剣を受けることもできるほど堅い木材で作られている。衝撃には弱いが、そこはそれぞれが魔法で補っていた。北の厳しい寒さの中で育ったものが杖の材料としてより品質がよい。
「お前らには一生かかっても払えないほどの値段だぞ。どうしてくれる!」
剣の持ち主は成り行きをニヤニヤと眺めていた。
正直、余裕で払えるのだが、まあ父に迷惑がかかるのでそれはあえて提案しない。父にだけならまだしも、周りへ余波がとんでもなく広がりそうでなるべく大げさにはしたくない。
彼らの視線のいやらしさから、要求はだいたい予想がつくが、それを面と向かって言われたら今度は自分が切れてしまいそうで悩ましい。
しっかりと前を合わせた外套のせいで内側の、宮廷騎士見習いの銅色の印が見えていないのが悔やまれる。少しは相手も考えただろうに。
「イルマ」
背後で短く呼ぶ声がする。
「大丈夫よ」
小声で返す。
彼が何を言いたいのか。わかり過ぎるほどわかっている。
「おい! 聞いてるのか!」
赤毛が吠える。
「こんな近くでそんな大声で話さなくたって十分聞こえているわ。それで? ぶつかったからとっさに魔法を使ったの? たかが、ぶつかった程度で」
「たかが、だと!? 今までの話を聞いていなかったのか? この、高価な――」
「飾り物が傷ついたのは聞こえたわよ。私が訊いているのは、単にぶつかっただけで思わず魔法を使ったのかと訊いているの。あなたどこの出? どんな教育を受けてきたの?」
魔法使いの中には、出身校にこだわる者がいる。というか、ほとんどの魔法使いが実際こだわっている。貴族は特に、まずはなによりフェンデルワース。それしか認めないという傾向にあった。だが、頭が足りずに競争率の高いフェンデルワースを落とされる者も多数いる。
彼も、そういった劣等感を抱いていた立場にあったのだろう。親に言われ続けたのかもしれない。イルマの問いかけにさっと顔色を変えた。
「飾り物だと!? 貴様、愚弄するのか」
「私はただ、もし道ですれ違いざまぶつかった人間に、魔法で攻撃するのをよしとする学校があるのなら問題だと思って訊いただけよ。違う?」
それには魔法使いの男もぐっと黙る。
だが、赤毛とは別のもう一人――こちらは金髪だ――が、話を進める。
「その小僧がジェラルドの剣に傷をつけたと言っているんだ。話をすり替えるな!」
よい連携である。こういった言いがかりに慣れているのだろうか。
「これはジェラルドのお父上が、記念として送ったものだ。この世に二つとない一品なんだぞ!」
何の記念かと訊いて見たい衝動にかられる。卒業記念ならば、その後数年まったく実戦で使われていなかったことになる。
ティルムにいるのも、どうせ三男四男の穀潰しを、その根性をたたき直すために兵士として送り出したからだろう。そこから騎士になればめっけもの。魔法使いはそれなりに受容もある。ただ、これほど尊大な人間が、平民出の魔法使いと上手くやっていけるとは思わない。結局いざこざを起こして首になるのが目に見えている。引導を渡してやるのも優しさかもしれないなあと、そんなことを考えていた。
イルマが上の空なのを敏感に察知したのだろう。勢いを盛り返した赤毛がまた一歩前に出る。
「どうしてくれる!」
イルマから引き出したい言葉が見え過ぎて、言う気にならない。正直どうもする気がない。
だが、このままではらちが明かないので、仕方なしに口にする。
ただ、とんでもなく偉そうに、上から目線で。喉が無防備にさらされるほど顎を上へ向けて。
「どうして欲しいの?」
三人はむっと顔を引きつらせる。
だが、待ちに待った言葉に、赤毛が我慢できずに応じた。
「どうするジェラルド」
目の前にぶら下げられた餌に、すぐ食いついた彼を少しだけ迷惑そうに見やるが、だが、ジェラルドも笑ってイルマを見る。下品な笑い方だ。品性が表れ過ぎだ。
「これから飲み直そうと思っていたところだ。付き合え」
「ごめんだわ」
「何ぃ!?」
イルマのにべもない返答に、男たちは色めき立つ。
「弁償するとでも言うのか」
笑う。
形容するならばからからと。弾けるように笑った。
「弁償も何も。あなたたち、初期の訓練でティルムに来ているのでしょう? 違う?」
やはり違わないらしい。三人はイルマを睨み付けたまま動かない。
「それならそんな傷、すぐに気にならなくなるわ」
現にイルマの剣の鞘には、あちこち傷がついている。少々がさつであるからというのもあるが、これが普通だ。
「それとも、鞘と同じで剣もお飾りなのかしら?」
「何をっ!」
「女だと思って甘く見ておればっ!」
男たちは怒りに顔を赤くし、柄に手をやる。
ここまで来れば彼らは嫌でも名乗る。
計画通りに進んだと内心ほくそ笑むが、そこで計算違いが生じた。ジェラルドが言ってはいけない言葉を口に出してしまったのだ。
「女のくせに生意気にも佩刀しおって!」
かちんと、頭の中のどこかで何かを叩く音がした。我慢だったか、忍耐だったか。計画、かもしれない。叩かれたそれらはあっという間に砕け散る。
「イルマ!」
「何よ!」
アーヴィンが選びに選んだであろう言葉をイルマの背に投げた。
「魔法はだめだ」
「わかってるわよ。私弱い者いじめ嫌いだもん」
言いながら少し冷静になる。危ない。思い切り勢いで吹き飛ばすところだった。それじゃあジェラルドと変わらない。
「やめておくなら今のうちよ?」
「それはこちらの台詞だ!」
ジェラルドが剣を抜いた。飾りではなかったようだ。刀身が太陽を受けて光る。
だが、イルマは動かない。名前を、まだ得ていない。この後どう収めるかが左右される。応戦する前に絶対に手に入れておきたい。
「どうした。怖くなったか?」
対峙して、少しの震えも感じられない。たいした使い手ではなかった。剣を抜かずにどこまで対応できるか、考える。地の利を生かして戦えるというのならいくらでも方法はあるが、群衆に囲まれ、彼らはイルマの勝利のための逃走を許しはしないだろう。
軽くため息をついて剣の柄に手をかけた。
そこへ、この場に似つかわしくない女たちの笑い声が聞こえた。嬌声と言ってもいいだろう。それが群衆を割り、中央のイルマたちに近づいて来る。
「おっとごめんね。ここで待っていてくれるかな」
知っている声だ。十人以上の女性に囲まれて、男が現れる。ゆったりとした動きで、すがる女たちの手をするりと抜ける。
インプロブ家の家宝である透明で大きな石の指輪が、太陽の光に煌めく。
「君ら、なんて名前なの?」
ジェラルドの取り巻き二人の間に立ち、その肩をがっしりと掴んで離さない――サミュエルだ。
「なーんか見たことある顔だね。君らどこの子? あの子の名前なんてえの?」
口調はあくまで軽いが、兄の指が二人の肩に食い込んでいた。痛みにその手から逃れようとしているらしいが、少しでも動けばさらなる激痛が襲う。
前を向いたまま、微動だにできないようだ。
「ねえ、俺の質問に答えてよ」
「……ジェラルド……ディーウェ」
金髪の方が絞り出すように応えた。
「ディーウェ、ディーウェかぁ。そんなのたしか、うちの傍流にいたね。スペキリだったかな?」
ジェラルドたちがぎょっとした顔をする。
「まあ、イルマ・インプロブのことも知らないような貴族なんざあ、どうしようがたいした問題にならないだろう」
インプロブの名を聞いて、さらに顔色が青くなる。
サミュエルと、イルマを交互に見つめる。イルマはどこまでも馬鹿にした笑顔で応対してやった。
顔が朱に染まる。青くなったり赤くなったり忙しい男だ。
だが、どう考えても拙い状況だと悟ったのだろう。
口の中で何事かをつぶやくと、ジェラルドは二人を置いてその場を離れた。群衆に文句をつけながら、遠ざかって行く。
それをサミュエルが見送る。が、そこへまた、大地が揺れた。
ここでは日常となった地鳴りにサミュエルがバランスを崩す。手が彼らの肩から離れる。
今がチャンスとばかりに、二人は自分を置いて逃げた魔法使いの後を追う。
群衆も地鳴りに気を取られ、また派手な事態にならないと知り、人の流れに消えていった。インプロブ家との囁きがこぼれてくる程度だ。
「普通に訊けば教えてくれるだろうに」
「教えてって言うのが嫌だったのよ!」
一瞬でも下手に出ることが我慢ならなかったのだ。
「それで切れてちゃ意味がないだろう。馬鹿」
そう言ってサミュエルはイルマの頭をくしゃりと撫でた。子ども扱いに普段なら憤慨するところだが、今はそうされても仕方ないと肩を落とす。
「イルマ、すまない」
「ううん。私も置いていってごめんね」
イルマが悪いのだと、サミュエルを牽制する。彼の形のよい眉が跳ね上がった。
「それで何してたの?」
「……彼らが猫を踏みそうになっていたから」
アーヴィンの腕の中には小さな白い生き物が丸まっていた。微かに動いている。
「大丈夫だったの?」
「宿に戻って手当てをすれば」
「……そう。よかった。今日はもう帰りましょう」
これだけ騒ぎを起こして注目された中、街をうろつくのは面倒なことになりそうだ。逆恨みで襲撃なんてことになっても困る。まあ、あの動揺の仕方ではそれもないとは思うが、このあと控えていることを考えると面倒ごとは避けておくべきだった。
サミュエルも引き連れていた女性たちに別れの言葉を告げる。彼女たちは名残惜しそうにこちらをちらちら振り返りながらもその場から離れていった。
「何よあれ」
「ん? 彼女たち? ちょっと歩いてたら声かけられてね。見る間に人数が膨らんだんだ」
ふうんと納得して見せるが、どうせ自分から声をかけていったのだろう。宿からここまでの短い距離でよくもまああれだけの人数が寄ってくるものだ。
アーヴィンは白い猫を心配そうに撫でているが、あまり反応はない。
「怪我しちゃったのかな? 魔法でぱぱっと治せればいいんだけどね」
生物に魔法で治療を施すのは今の技術では難しい。無機物と違って有機物、特に複雑な器官を持つ生物は魔力の値が刻一刻と変化する。それに合わせて治癒する側の魔力の量も加減しなければならない。瞬間的な判断は経験がものを言う。魔法医はかなり難しい仕事だった。
その生物の魔力の変化に合わせて自動的に魔力の放出量を変化させる方程式は、高い懸賞金がかけられている。変数εを求める変数の方程式だ。たくさんの方程式研究家がその難題に挑み、破れていた。
例の、アーヴィンの先輩のいびきも、この方程式があれば解決するのだが、難しいだろう。いびきの原因を探った方がずっと現実的だ。それほどの方程式だった。




