第二章 魔法都市フェンデルワース3
「仕事の方はどうなの?」
「どう、とは?」
「何か面白いことはないの? やっぱり学校とは全然違うでしょ? せっかく手紙返してくれてるのに、アーヴィンちっとも質問以外のことを書いてくれないんだもの」
「仕事の話は情報漏洩」
「わかってるわよ! そうじゃなくて、こんな楽しい先輩がいるよとか、こんな珍しいことがあったとか。当たり障りがない程度でいいのよ。仕事のことじゃなくてもいいわ。休日にあったこととか――そうよ! 私アーヴィンの自宅の住所も知らないのよ? いっつも研究所宛てに出してるし。今は一人暮らしなんでしょ?」
「卒業したのに学校の寄宿舎にはいられないだろ」
さも当然といった様子でアーヴィンが言う。こちらはちょっと勇気を出して聞いたことなのに、軽く流される。彼は昔から自分のことをあまり話そうとしない。触れられたくないのだろうと思うのだが、でも、気になる。
「もしなんだったら手紙は自宅の方に――」
「研究所宛てに出してくれる方が受け取りやすい」
えーっとイルマは不満をあらわにする。だが、彼はまったく動じない。
「でも、いいな。一人暮らしって。一度やってみたかったわ」
「……君が?」
「うん!」
「掃除洗濯食事の支度。何から何まで自分でやるんだよ? できるの?」
眼を細めて疑わしそうな表情で見る。
大変失礼だ。
「寄宿舎で掃除も洗濯もきちんとやっていたもの。あとは食事くらいでしょ。屋敷の厨房に入り浸ってお料理見ていたし、たまに手伝っていたのよ? 大丈夫!」
「……」
「ま、マナのスープみたいに最初っから美味しくってわけにはいかないかもしれないけど」
「ふうん」
大変大変失礼だ。
「いいわ! じゃあこれからアーヴィンの家に行って、何かとんでもなく美味しいものを作ってあげるわ!」
そうだ、それがいい。彼の家も見られるし一石二鳥だ。
ウキウキと席を立とうとするイルマを、アーヴィンが慌てて止める。
「何を言い出すんだ君は!」
「いいじゃないちょっとくらい」
「……もう、ほんとに、無茶苦茶だ」
呆れたように口をぽかんと開けて、最後は額に手を当てうつむいてしまった。必死で長衣の袖を引っ張るので、仕方なしに立ち上がりかけていた腰をもう一度下ろす。
「ちょっとくらいとかそんな問題じゃないだろ」
「だって、まだそんなに遅くないのに、宿に帰っても寝るだけなんだもん。つまらないじゃない? だったらアーヴィンの家でお茶でもしてー」
「だ、か、ら、……はあ。……お茶ならここでもできるだろう」
内臓まで吐き出しそうなほど深いため息。よっぽど差し障りがあるのだろうか? 怒ってはいないようなので、触れられたくないとか、そういった要素ではないようだ。
ただ、なんでか困っているようなので話を変えてあげることにする。
皿を下げてもらい、彼の提案通りお茶を頼むことにした。
「じゃあ、研究所のこと。何か面白いことはなかったの?」
「君らみたいに毎日波瀾万丈なんてことはないなあ。もともと地味な仕事だし。方程式を作っては壊しての繰り返しさ」
話題が変わったのをこれ幸いと思っているのか、普段より高いトーンでアーヴィンが話す。視線は宙を漂っている。
「困ったことは?」
「いや、環境はいいと思うよ。それぞれ個室も与えられているしね。ただ、前の人の資料が山のように残っていて、文献を拡げて作業ができないんだ。でもそんなときは共同の部屋に行けば広い机がある。ああ、いびきがなあ」
「いびき?」
「先輩なんだけどね。たまに共同部屋で昼寝をしてるんだ。まあ、徹夜で仕事をしていたりするから、上司は大目に見ているし気持ちはわかるんだけど」
「上司っていうのはダモンさんよね。お会いしたわ。おなかに栄養が詰まってそうな方」
イルマの表現にアーヴィンも噴き出した。
「沙漠で遭難してもやっていけそうだって、本人も普段から言ってるよ」
「うんうん。で、いびきって何?」
自分がそらした話を引き戻す。
「悪い人じゃないんだけど、いびきが本当に大きくてね。壁が震えるんじゃないかってくらい」
「……すごいわね」
「思わず魔法でなんとかしてやろうと考えるくらいに」
「アーヴィンが!?」
魔法を使わないと決めた彼が、衝動的に杖を手にしてしまうほどのいびきとは。そこがすごい。
「あ、でも、人は魔力の周期がころころ変化するから、一度消してもすぐに戻っちゃうわよね」
音は波だ。
いびきを消すならまったく逆の波を魔法で作り上げ、ぶつけてやればいい。
だが問題があった。
生き物の魔力は常に変化する。波の大きさもすぐに変わり、少しでもずれればせっかくの魔法も効かない。
「うん。そう。そうなんだ」
イルマの指摘にアーヴィンはふいと目をそらした。最後の台詞も尻すぼみである。
魔法を使わないという誓いを、破ってしまいそうになったのが後ろめたいのかもしれない。
その後もなんだかんだと言い合いながら、やがて二人は店を出た。
もと来た道を並んで行く。
さっきまではなかったテーブルが通りまでせり出し、男たちが着飾った女を伴い杯を掲げていた。確かに騒がしくはあるが、これはこれでまた楽しそうだ。店の扉は大きく開かれて、奥の奥まで丸見えだった。
「へえ、たいした美人だ。どうだい? 少し飲まないか?」
突然手首を掴まれた。反射的に投げ飛ばそうとして慌てて踏みとどまる。行きに張っていた防御の結界を、つい忘れていた。慣れてしまっていたのもあるが、気が抜けていた証拠だ。情けない。
酒臭い息に眉をひそめて腕を振りほどこうとしたところへ、女の声が入ってきた。
「おやめよ。まだ子どもじゃないか。――それに杖持ちだ。あんたまた吹き飛ばされるよ」
彼女の言葉に男は慌てて手を離す。
「こりゃ、悪かったね」
「お嬢さんみたいな子がこんな時間にうろうろするもんじゃないよ。それともあれかい? あいつの仲間かい?」
赤いドレスは胸をやたらと強調している。それを恥ずかしがることなくぐっと張って、腰へ手を当て彼女が尋ねた。顎で指された方を見ると、奥の方で男が一人、杖を杖立てに乗せて料理を食べている。
「……イルマ」
「ええ。アーヴィンは知らせを」
女は首を傾げ、男はイルマの視線の先をたどった。
そこには男の杖がある。魔石の色は緑。濃い、新緑の色をしている。普通の人間にはそう映るだけだ。しかし、イルマやアーヴィンには別のものが見えていた。
魔法使いは二年に一度、魔法学校へ出向きその二年間、どのような仕事を行ってきたか報告する義務があった。イルマや、アーヴィンなどは国の下で働いているので報告は免除されてはいるが、それでも魔法学校へ行かなくてはならなかった。
そこで杖に印をつけられるのだ。
その印は二年が有効期間で、それを過ぎると色を発する。魔力を制限することはできないが、その光を覆い隠すことも難しい。
魔法使いが悪事を働くことのないように、決められた制度だ。また、国内の魔法使いの所在を確認するための意味もあった。
印つきの杖を発見した場合は速やかに通報する。
こちらに気付かれては拙いと、目をそらそうとする。だが、視線が交わる。互いが互いの存在を確認した。
次の瞬間には杖の周りに魔力が集まる。
「爆破だ」
アーヴィンが叫ぶ。
「解!」
ほんの少しだけ、イルマの方が早かった。
フェンデルワースの街に、火柱が上がる。
それでも被害は驚くほど少ない。煙と埃が舞う中、さらにイルマは駆け出す。男の杖についた期限切れの印は一度気付けばそうそう見失うことはない。さらに方程式を解いて男に目印を放つ。いくつも、執拗に。
「イルマ、無茶はだめだ」
後ろでアーヴィンが叫ぶ。
「わかってるわ。知らせをよろしく!」
そう叫び、足元に魔法を放つ。一時的に重力を無効化するものだ。同時に地面を強く蹴る。
体が空へ向かって飛び上がる。舞い上がるというような優雅なものではない。ナイフのように真っ直ぐ上へ向かった。ちょうどよい場所に到達したところで再び杖を振るう。イルマの体が難なく建物の屋根に着地した。長衣の裾がふわりと踊る。だがそれが下りないうちに、彼女は屋根の上を走り出していた。
男は爆発と同時に飛び上がり、先を行っている。
イルマは焦らず自分の周りに結界を準備する。
同時に複数の作業をすることには慣れている。慣れさせられた。
宮廷魔法使いの訓練はかなり厳しいものだ。そして、イルマが一番得意とするものでもある。難しいことは考えず、ただ目の前の敵に向かう。常に一番の成績を収めていた。
だが、相手がどれほどのものかわからない。イルマよりもかなり年上のように見えた。実戦経験が高ければ侮れない相手となる。能力がわからない魔法使いに挑むときには慎重にならねば痛い目を見た。
男はすぐにイルマが追っていることに気付く。
フェンデルワースの建物は、斜めに尖った屋根を持つものと、平らなものとがちょうど半々ぐらいだった。足元に先ほどの魔法の効果があるから苦労はしていないが、距離を縮めるためにさらに新しい式を追加する。ぐんと、体が引っ張られるような感じがした。早さが増す。
イルマの役割は、応援が駆けつけるまで彼を見失わず、また周囲に被害を出さないことだ。
そう胸のうちで再確認しているところへ、前方に魔力が集中した。
先ほどから魔力の世界もこまめに視るようにしている。男が解いている方程式の形があまりにもよく知るもので、慌ててこちらも対応できる式を引っ張り出した。解き終わり、相手の発動に合わせて魔法を展開する。
夜空の星よりもひときわ明るい火の玉が、イルマめがけて飛んできた。
だがそれは次々イルマが作り出した結界に飲まれて行く。向こうもそうなることがわかっていたのだろう。だが懲りずに同じことを繰り返した。――範囲を広げて。
イルマは防戦一方になる。イルマの対象は男一人だ。しかし相手にとっては攻撃範囲はフェンデルワース全体だ。こちらの気をあちこちへ向けさせ、注意を拡散したいのだろう。
しかしそれも想定内だ。
必死に防戦していると、思われるのがいい。
火の玉を投げつけることに必死であれと願いながら別の新しい方程式を解き出す。相手の攻撃への対処はすでに自動で行われていた。昔アーヴィンが試していた方程式を応用したものだ。単調な攻撃には簡単に対応できる。火に反応して対応する基礎を作ってイルマの背後に展開していた。
今度はこちらからだと舌で唇をぺろりと舐める。
準備はすぐに終わった。
イルマは追い続ければよい。だが、できれば、広くて見晴らしがいい、援護する魔法使いが介入しやすい場所に導くことができればなおよい。
少し行ったところに広場があった。そちらへ誘導したい。
「解」
男の周囲に魔法を放つ。
彼の左肩で光が弾ける。当然ながら防御の結界に阻まれ男は無傷だ。しかし、衝撃までは抑えきれずに横へ飛ばされる。
だが敵もなかなかにしぶとい。すぐに立ち直りまた走り出す。
印は期限切れを知らせるだけのものだ。何年放置していたのかなどはわからない。
だが、これだけ必死に逃げるのだから、かなりの年月なのだろう。そんな男がこのフェンデルワースで何をしていたのか。
気を抜くなと己にささやきかけ、光と衝撃の手は緩めない。わざと左右に振り、しかも命中させたくてやっているが命中させられないといった風に演出した。
光は応援の魔法使いに現在地を気付かせやすくするためでもある。
――そこまで考えて、拙いと思った。
最初に明るい火の玉を使ったのは男の方だ。火の、周囲を燃やすという特質ばかりに目が行っていた。
ああ。やはり自分は見習いだ。愚か者めとののしる。
なぜ不正魔法使いが一人だなんて思っていたのだろう。これは、罠だ。
そう覚悟したとき、隣の少し高い建物からアーヴィンの声が聞こえた。
「この先に結界が張られている! そこまで行かせるな!」
やはり、と唇を噛み、追うことをやめて捕らえるための方程式を解き始めた。だが、男もこちらの変化に気付いてさらに足を速める。
魔力の世界へ切り替えると、前方に大きな結界が見える。ただ、イルマにはそれがこのフェンデルワースに張られた町全体を守るものか、男が何かたくらむためか、または自分が逃げ込むために特別に張った結界かは見分けがつかなかった。
そういった視ることはアーヴィンの方が格段上だ。
「解!」
男の足元へ網状の魔力の塊を投げつける。その直前に男の前方へ囮を五つ。おかげで彼は足をもつれさせ、真っ逆さまに落ちて行く。
三階建ての建物から、あんな風に無防備に落ちれば頭を打って死んでしまうだろう。すぐさま彼の周りに防御の結界を三重に張る。
そのまま自分も宙へ躍り出た。
速度を緩めることなく着地する直前に衝撃を吸収する魔法を張る。
もがく男の手には杖がなかった。少し先に、離れた場所にある。
チャンスだ。
今なら反撃もない。
素早く捕縛の魔法を彼へ向けて解き放つ。だがそこで信じられないことが起こった。
杖が自ら男の手に飛んだ。
しまったと思ったときには遅い。
イルマがこの場へ駆けつけたときには、その方程式は完成していたのだろう。杖が手から離れているのも、油断させるためだ。相手の方が何倍も上手だったのだ。
杖を手に入れ、男はイルマへ攻撃を仕掛ける。
こちらは捕縛の魔法のために完全に無防備だった。来るべき衝撃に備えてぐっと目をつむり両腕で頭を守る。
だが、――それはなかった。
代わりに男のうめき声が聞こえる。
すぐに目を開くと、男の傍らによく知る人物が立っていた。
榛色の髪の毛が、夜風に揺られている。
生成色の外套が夜の中で浮き立つように見えた。
「師匠!?」
足下で気を失っている男を見下ろしていたホレスが、弾けるように顔を上げた。駆け寄ろうと足を一歩前へ踏み出す。
だがそれ以上に素早くホレスがこちらへ近づいた。
どうしてここにと尋ねる前に、少しだけかがんでイルマを抱きしめた。
まるでサミュエルのような自然な抱擁に、固まる。
あまりこんなことはしない人なので、驚いてしまった。
「よかった。怪我はないようですね」
ほっと深く息を吐きながら言う。
「えと、はい。大丈夫です」
最後も、ホレスが守ってくれたのだろう。こちらの戸惑いに気付いていないのか、彼はイルマを放そうとしない。
「帰りが遅いと思っていたところに火柱が上がったので」
宿はあの場所からそう遠くない。この短時間で駆けつけることも可能だっただろう。
少し広めの道には、両脇に二階か三階建ての住宅が並んでいる。騒ぎを聞きつけて窓がいくつか開かれていた。
細い路地からアーヴィンが現れる。ホレスの肩越しに彼と目があった。
勢いよく飛び出してきた彼は、イルマの姿を見つけると一度足を止めた。途中の、倒れている男に目をやり、ゆっくりと歩き出す。
「二人とも怪我はないようですね」
その足音に気付いてホレスはようやくイルマを開放して振り返った。
遠くから杖の先に明かりを灯した魔法使いが数人やってくる。
「ここの処理は私がしておきましょう。二人はもう戻りなさい」
「いえ、最後まで」
「彼らに引き渡して少し書類を書かねばならなりません。走り回って疲れたでしょう。レケン君。彼女をお願いできますか?」
アーヴィンは黙ったまま頷く。
「でも……」
「こういった処理には私の方が慣れていますから。もちろん、手柄を奪う気はありませんよ」
そんなことはどうでもいいのだが、結局イルマも頷いてアーヴィンと宿へ向かった。
なんだか変な気分だ。
アーヴィンとも、その後は一言も話さずに宿屋の前で別れを告げる。
捕らえた魔法使いが脱走したとの知らせが入ったのは、イルマたちが次の町へ転移の陣を使った後だった。