終章
終章
『親愛なるアーヴィンへ。
もう引っ越しの準備は終わりましたか?
いつ王都へ来るのでしょうか? 今から楽しみでなりません。
住む場所は決まっていますよね? どの辺りになるのかしら。ぜひお手伝いさせてください。日用品から魔法使いとしての道具まで、よい店を知っています。なるべく早めに案内します。隙を見て準備していかないと、仕事が忙しくていつまでたっても引っ越したときのままになりかねませんからね。
さて、こちらの近況です。
私もだいぶ落ち着いてきました。フェンデルワースへの出張はしばらくなくなりそうです。
あの方の言った通り、他の魔原石が共鳴し、各地がひどい状態になったときは、本当にどうなってしまうんだろうと不安に思いました。
けれど、さすがは宮廷魔法使いたちです。日頃の鍛錬の賜でしょうね。どの地域でも、他の魔法使いと比べてめざましい活躍をしたそうです(もちろん、その中に私も入っていますよ?)特にひどかった魔原石を有する都市も、もうすっかり人々の活気が戻ったようです。
でもね、誰よりも活躍したのは、やはりあなたですよ。アーヴィン。
今までのことを考えると、あなたが進んで変数の方程式を使い、人々の治療に加わったと聞いたときは、本当にびっくりしました。でも、同時にとても嬉しかったです。何がと訊かれると困ってしまうけれど、とにかく嬉しく、そして誇りに思いました。だって、今ではレグヌス国でも一、二を争うほどの有名人であるあなたと、私は旧知の仲なんですもの。
魔法医の長であるフィデス様と一緒に国中を回ってみて、どうでしたか? だからあれだけ短縮式はこまめに作った方がいいと言っていたのに。
実はこっそりフィデス様とお話する機会があったの。あなたが教えようとした変数の方程式、正直あそこまで複雑だとは思っていなかったんですって。アーヴィンが一緒に行くことを同意してくれてよかった。胸をなで下ろしたとおっしゃっていたわ。あの、白い長いおひげを手でしごきながら、笑ってらしたの。
今まで魔法医はあまり興味なかったけれど(目指すは王属護衛官だからね!)、フィデス様の下で学ぶのならば、悪くないかもとちらりと考えてしまったわ。もちろん、考えただけですけどね。
ああだから。おめでとうと言わせて。本当に、嬉しいわ。
お祝いをしなければなりませんね。
王都へ来る日を連絡ください。城門まで迎えに行くから!
それでは、会える日を楽しみにしています。
あなたのよき友 イルマ・インプロブ』
長衣の裾を茂みに引っかけてしまう。それでもイルマは止まらない。
「そんなに急がなくたって間に合うよ」
兄ののんびりとした声に、眉をつり上げて振り向く。気圧されてサミュエルは足を止めた。
彼の胸元には一位の印があった。見習いの銅に一本の線が記されている。つい先日与えられたものだ。
今回の活躍と、結界に関しての魔法方程式への造詣の深さが認められたのだ。一年も結界師の見習いとして働けば、一人前の宮廷魔法使いの印が送られるだろう。
イルマも三本線だったのが二本線の二位を手に入れていた。見習いの見習いは卒業ということだ。
この半年は目の回る忙しさで、本来なら行われるはずの試験がことごとく中止となっていた。ようやく最近、位を進めることができたのだ。本当ならすでに一回、半年ごとの一位試験を受けることができたはずだった。しかし、なによりも可哀想なのはイルマの一つ下の魔法使いたちだ。宮廷魔法使いの試験もなくなって、今は待機の身である。もう少ししたら臨時で試験を行うらしい。今、宮廷魔法使いの見習いに三位はいない。これはイルマたちにとっても死活問題だ。面倒な雑用を押し付ける相手がいない。
「私は、わざわざ連絡をちょうだいねって言ったのよ? 門番に頼んでおかなかったら、今でもアーヴィンが来たことを知らずにいたわよ!」
杖を振り回して怒る妹に、兄は確かにと頷き、そして苦笑した。
杖の先にはイルマのオレンジ色の魔石とともに、もう一つ、石がはまっていた。
アーヴィンがくれた旅のお守り、そして、ホレスから取り出した竜の魔力が詰まった石だ。第四の魔原石、トパジウスと同じ黄色の石だった。
目の儀式を終え、王都に帰還したとき、もちろんイルマはこの石を国に差し出した。個人が持っていていい物だとは思えなかったからだ。
しかし、この魔石から魔力を取り出せる魔法使いが、イルマ以外にはいなかった。
竜の魔力とともに、イルマの魔力も微量ながら石に含まれているからだとみられている。
まさに、儀式を行った者が力を手に入れたのだ。
「っ! いた!!」
教育係の塔に向かって足早に進む彼の姿を見つける。藍色の魔原石が彼の歩みに合わせて揺れている。
少し髪を切ったようだ。あれから何度か会っているが、いつも伸びた髪をうっとうしそうにいじっていた。髪を切る暇すらないようだった。
着ている濃紺の長衣も、初めて見るものだ。
王都に来ることになり、長衣を新調するくらいには彼も喜んでいるのだと、燃え上がっていた怒りがくすぶるくらいに静まる。
「アーヴィン!」
叫ぶと同時に駆け出す。彼も気付いて足を止めた。
目の端に右手に持っているものをみとめながら、それでも言わずにはいられない。
「来る日は教えてって言ったのに!」
今、イルマは少し怒った風に顔を作っているはずだ。
なのに彼は少しだけ笑った。背が、この間よりも伸びているような気がした。もともと痩せていたが、さらに肉が落ち、顎が尖っている。それだけ激務だったのだろう。背が伸びたと感じたのも、もしかしたらそのせいかもしれない。また差をつけられると思うと、そちらを信じたい。
「私、手紙にきちんと書いたわよね?」
もともとあった落ち着きに、さらに余裕がプラスされている気がする。
「今読んだところなんだ」
「ええ!? もう! 信じられない」
「仕方ないだろう。しばらく研究所に行っていなかったし。所長が届けてくれなかったら、完全に置いてきたよ」
それはイルマが悪いのだろうか。いや、絶対に違う。
「だから! アーヴィンのおうち教えてっていったのにーっ。今度は絶対教えてもらうんだからね」
「だめだと言っても、押しかけて来るんだろう?」
「ええ。そうよ」
その言葉にアーヴィンの雰囲気が緩む。もしかしたら、緊張していたのかもしれない。彼の長衣に光る銅の印を見つけて目を細めた。
今日は晴れがましい門出の日だ。いつまでも怒っていてはこちらが大人げない。軽く咳払いをして我ながら素晴らしいと思う満面の笑みを浮かべる。
「それじゃああらためて。おめでとうアーヴィン。今日から私の後輩ね」
「そうだね」
対する彼はあっさりしたものだ。しかし、その程度でめげていてはアーヴィンの相手はできない。
国中を魔法医の長フィデスと回ったアーヴィンは、ようやく身辺が落ち着いた頃に銅の印を渡された。宮廷魔法使いの見習いの証だ。
彼は開かれた子だ。国の意志は絶対で、拒否権など与えられない。それでも、ちょっと嬉しかったと漏らしたアーヴィンに、イルマも喜んだ。そんな風に思うようになった彼の変化に、なんだか胸が熱くなる。
「でも、正直アーヴィンは魔法医になることは決定しているんだから、見習い期間なんていらないわよねえ。フィデス様と一緒に国中を回ったわけでしょ? 下手な見習いよりよっぽど経験積んでいるのに」
「そうそう特例を出すわけにはいかなかったんじゃないかな」
そういってアーヴィンがイルマの杖を見る。
彼がくれたイルマの無事を願う石が、まさに彼女を守り、そして力を呼び込んだ。
「せっかくもらったんだし、上手に使わないとね」
分不相応なものだと反対する人間もいたらしい。だがこの大切な時期にこれだけの力を遊ばせておくのも問題だと、王から直々に賜った。
そして、それに見合うだけの働きは十分にしたと思う。普段から努力することには何の抵抗もない。持てる力を振るい、限界まで働くことに慣れていた。
おかげでこうやって一段落する頃には皆がイルマをわずかでも認めるようになっていた。
「さあ、行きましょう」
アーヴィンを迎える準備がされていることだろう。だがすぐ足を止める。忘れていた。
「お祝いをしないと」
「そんなのいらないよ」
「だめよ! きっとこの後は、またゆっくり話す暇もないくらいになってしまうだろうし」
何かめでたいことがあるたびに、兄はイルマに祝いだとキスをする。こうやって努力を祝うのだと言った。
アーヴィンには肉親がいないし、一番の友人である自分がその祝いの役を買って出てもよいだろう。
ただ、イルマも学んだ。
まずは許可を取ること。それが大切だ。
「お祝いのキスよ。いいでしょ?」
イルマの言葉に彼の瞳が揺れる。ちらりとイルマの後ろの方を見た。兄はまだ遠くにいてこちらを眺めている。二人の話が終わるまでは来ないつもりなのだろう。
「ねえ、いいでしょう?」
「……いいよ」
やった! と手を叩く。もしだめだと言われたらどうしようと思っていた。もしかして他に祝ってくれた人がいるのだろうかとか、色々聞きたくなってしまう。
「よし、じゃあ行くわよ」
イルマが気合いを入れる姿を見て、彼も苦笑する。
そして、軽く、彼の唇に触れた。
「お祝いよ、アーヴィン」
「いやいやいやいやまてまてまて!!」
少し離れた場所にいたはずの兄が、二人の間に現れる。
アーヴィンに詰め寄ろうとしたのだろうが、彼は――さっきのままの姿勢で動かない。それを見て、こちらへ向き直る。
「お前はっ! いきなりなんてことするんだ!」
「なんてことって……お祝いじゃない! 兄さんよくやってくれるから、アーヴィンには私が……」
「お前に俺がそんなお祝いしたことあるかっ!?」
最後は声が裏返ってる。
「してくれたじゃない。ほっぺたとかおでことか」
「ほっぺたとかおでことかだろうが!」
サミュエルが何を怒っているか見当がつかない。が、アーヴィンがまったく動かないのでまさかと思う。
「もしかして、嫌だった? だからその、確認取ったんだけど……ほら、ニヒ・ラルゲ〈荒れた土地〉で師匠が私にお祝いのキスしてくれたけど、でも私にとってはあのときお祝いとかそんな状況じゃなかったし。だから、やぱりそうゆうのって確かめないといけないんだなって思ったの」
「だーっ! 違うだろう。お前、そんな風に自分で片付けてたのか。畜生っ! あんまりにも忙しくてそこら辺しっかり話し合えてなかったけどさ! って、アーヴィン? 大丈夫か? おい、返事をしろアーヴィン・レケン!」
彼の肩を揺すっていたサミュエルだが、最後は顔を覆って苦悩している。
「ごめんね、アーヴィン。嫌だった?」
彼の目を見て尋ねると、わずかだが首を振る。そして深く息をついた。
「いや、嫌じゃない。うん」
「そう。よかった!」
ほっと肩の緊張が抜ける。
「だけど」
「けど?」
「あまり人のいるところではちょっと」
「おい!」
すかさずサミュエルから突っ込みが入る。立ち直りが早い。
「じゃあ今度は二人のときに」
「イルマ!?」
兄は妹の台詞に血相を変えた。
「だって私、半年後には一位よ。今の師匠にお墨付きもらっているもの。そうしたら一年経てば王属護衛官。そのときはアーヴィンからお祝いをもらわないと!」
「えっ!?」
二人が仲良く声を揃えた。
ほんのりと頬が染まっているのがわかる。彼らに背を向けて自分に落ち着けと深呼吸を繰り返した。いつまでもこちらが待っていては彼との距離はなかなか縮まらないと、ようやくわかった。幸いサミュエルはイルマの変化に気づいていない。イルマだって、自分の気持ちを知ったのは本当につい先日。ホレスが促した成長の一つとも言えよう。
平静を装って振り返ると、彼らに向かってにっこりと微笑み、促す。
「早く行きましょう! フィデス様がお待ちかねよ」
白い塔の影から覗く太陽が、イルマの杖を照らし出す。
魔石が二個はまった、一つしかない珍しい杖の持ち主は、まさしく地上の太陽だ。
誰よりも輝き、周囲を、世界を照らし出す。
了