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忘れられた解  作者: 鈴埜
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第七章 目の儀式2

 アーヴィンの強固な防御の魔法に阻まれて、イルマの体に致命的なダメージはなかった。だが、途切れた集中力は、発動後の修正を続行不可能にさせる。

 なにより、体が動かない。

「アー、ヴィン」

「黙って!」

 彼の周りに魔力が集まり、それがイルマへ流れ込む。

「なに、が?」

「ホレスだ」

 生きていたのか。

 最初に思ったのはそれだ。

「痛みは? 息はできる?」

「うん。すごい、楽になった。本当に、変数の方程式ってすごいのね」

「僕が、すごいんだ」

 見上げる顔が怒っている。

 痛みに怯えながら、ゆっくりと体を起こす。彼が肩を貸してくれたので、素直に体重を預けて立ち上がった。

 防御の魔法のおかげだろう。衝撃に一瞬からだが麻痺しただけで、頭も打っていないしおかしなところはなかった。

 イルマの様子を見て手を放すと、彼は落ちた杖を拾って渡してくれる。

 二人は無言でホレスを見た。彼もまた方程式を解いたところだ。

 竜は、イルマとアーヴィンの魔法で地に落ちている。第三の目(テルティウム・オクルス)だけを開いてその大きな体を横たえていた。

 そして、その力の目から螺旋のように魔力が空へ登っている。イルマの作った半球状の結界にそれがどんどん吸い取られていく。

 ちょうど中央に、力が濃密に渦まく場所があった。ホレスはその真下にいる。

 杖を頭上に掲げた。杖の先が紫色に輝く。

 そして、雷のようにホレスの上に降り注いだ。

師匠(せんせい)!!」

 イルマが走り出すと、アーヴィンも後を追った。最後の一歩を踏み出そうとしたところを、強く腕を引かれる。

 なぜ、と振り返る。

 だが、アーヴィンの険しい表情に口をつぐんでホレスを見た。

 魔力を一身に受けた彼は、大地に伏していたが、ゆっくりと立ち上がった。

 二人の姿をみとめると、口の端をつり上げて笑う。

「見ろ! 魔力だ。力だ。力を手に入れた!」

 両手を広げ、二人へ全身に巡る竜の力を見せつけるように体を開く。

「これほどの魔力を見たことがあるか? ないだろう? 王都の、六貴族であっても、これほど力に溢れた人間はいない!」

 だが、賞賛のまなざしがあって然るべき二人の瞳に、その色が見あたらないとホレスは不快感をあらわに眉をひそめる。

「どうした? 素晴らしいと素直に共感すればよいものを」

 イルマは、恐ろしさに身を震わす。アーヴィンが彼女の肩を後ろから抱く。

 その仕草に、ホレスは今度は顔をしかめた。端正な、美しい顔が醜悪な色に染まる。

「どうした、お前の自慢の師匠(せんせい)が、これだけの力を手に入れたんだ。なぜそんな顔をする」

 アーヴィンでなくともわかるその変化に、なぜホレスは気付かないのかと戦慄を覚えた。泣きそうになるのを堪えていると、アーヴィンが彼女を後ろへやり、ホレスとの間に立ち塞がった。

「本当に、魔力を己のものにしたとお思いですか?」

 静かな彼の言葉に、ホレスは不審そうな表情で目の前へ右腕を伸ばす。杖の魔石が光っている。

「そうだ。もう、魔力の消費に気持ちを傾けずとも、どれだけ大量の魔力を使う方程式であろうとも、好きなだけ、そしてより強力に振るうことができる! こうやってなっ!」

 魔力が濃密な塊となって宙に集まる。

「自分をよく見てみることです。今二つの魔力が体の中でせめぎ合っています。本来の魔力と、竜の魔力。人が、あの竜に勝てるはずがない」

「ふん。何を……(フィーニス)!」

 ホレスの叫びのような解放の言葉と、彼の体に劇的な変化が起こるのがほぼ同時だった。

 突然胸を押さえて苦しみ出す。四肢を折り、地面に這いつくばる。

師匠(せんせい)!」

 駆け寄ろうとするイルマ。

 だが、伸ばされた彼の手の甲に、あの竜と同じ鱗と、長く伸びた爪が見えて恐怖に後ずさる。

「さきほどイルマが講釈してくれたでしょう? ウェトゥム・テッラ〈古王国〉の人々は、一度無くした魔力を手に入れようと目の儀式をした。つまり、受け入れる側にもともと魔力はなかった。人体に自然と宿る、形を作る上での魔力以外はね。だからこそ、上手く行っていた。イルマが連れ去られたあと、遺跡をもう一度よく見ました。ウェトゥム・テッラ〈古王国〉最後の王は、あなたと同じように魔力に取り憑かれていた。先の王よりも、魔力がかなり少なかった彼は、さらに魔力を手に入れようとあの儀式を行ったのです。そして、あなたと同じように、失敗した」

 記録の間が完成されていなかったので、後半は推測に過ぎない。だが、目の前のホレスを見ればそれが正しいと確信できる。

「魔力が少ないとはいえ、あなたよりは遙かに多かったでしょう。直系なわけですから。反発も強かった。竜の力に対抗できてしまえるほど。だが、勝つことはできない。そして、ウェトゥム・テッラ〈古王国〉は滅び、ニヒ・ラルゲ〈荒れた土地〉ができた。儀式は完了せず、竜は力を取り戻すための眠りについた」

 淡々と語るアーヴィンの言葉を、ホレスはどこまで聞いていただろうか。体がみるみるうちに鱗に覆われていく。すでに喉はびっしりと砂色をした固い表皮に覆われていた。

師匠(せんせい)が……」

「もう一度、さっきの方程式を」

「えっ!?」

「彼から竜の魔力を取り出すんだ」

 確かに、それはできると思う。

「でも、取り出した魔力はどうするの? 竜に返すわけにはいかないでしょう?」

 イルマの指摘に彼もそうだと顔を歪めた。

 アーヴィンの話で、あの壁画にあった竜の側に立つ人の意味もわかった気がする。彼らは目の儀式で竜を眠らせ、第三の目(テルティウム・オクルス)からある一定量の魔力を取り出す。そうすると、竜は安定し、目は魔原石となるわけだ。そして取り出された魔力を人が受ける。だがそれは、あくまで魔力をまったく持っていない人間でなくてはならない。そうでなくては、反発が生まれて儀式が終わらない。

 滅びがやってくる。

「そうよ、人じゃなくてもいいはずだわ。ほら、透明の石は魔石になる」

「それだ! ……けど、透明の石なんて、あ、サミュエル先輩の杖の石、先にあるのは、偽物だから使えるかもしれない」

「兄さんがいる場所は遠いわ」

 ホレスは地面に伏したまま、もうぴくりとも動かない。急がなくては。

「そう、これ!」

 イルマは首にかかっている紐をたぐり寄せ、胸元から引っ張り出す。

「あなたがくれた石」

 小さくはあるが、確かに透明で、魔力をまったく帯びていない。

「旅人を、私を護る石」

 二人は頷くと、再び同じ儀式を始めた。

〈丸い月が 天を回る〉

 丸い月、それは球。グロブスの方程式を送り出す。

〈無数の月が 世界を回る〉

 グロブスの方程式を、次々と生み出す。複製の方程式を使い、空が球で覆われて行く。

〈天を貫く 四本の柱〉

 円い柱が 空へと伸びる。

 地下で見た。四隅にあった円柱の図案。円柱はキュリンドロスの方程式。地面から、空へと柱が伸びる。

〈強い力は螺旋を描き〉

 ホレスから、魔力が立ちのぼる。このときひと工夫して、彼の魔力は残しておき、竜の魔力だけを吸い出すようにした。その判別は簡単だ。竜の魔力は人のそれよりも力強い。

 螺旋はコクレア。渦まきながら天へ向かう。

〈後を追うのは 陽昇る軌跡〉

 太陽が移動する軌跡のように、半球の結界を作り出す。

〈世界を箱に 閉じ込めて〉

 ホレスを、立方体のクブスの方程式で覆う。もうほとんど、彼の魔力を感じられない。竜にあらがうために、残っていた魔力すべてを注ぎ込んでいる。

〈月の睡りを 誘い出す〉

〈二つの渦は 力の道筋〉

〈世界を巡る 力は大地へ根を下ろす〉

〈瞼を閉じて 睡りの泉に身を浸せ〉

〈渦は力を天よりくだす〉

 ここからは一気に進む。魔力の渦が空に満ち、溜まりに溜まったそれが、一気に降りてくる。イルマが杖を投げ出し、天に向かって石を掲げた。透明のそれが、太陽の光を受けて輝く。

 力が、天からくだされる。

 あの雷のような力。自分の腕が焼かれるほどの衝撃を覚悟していた。駆け寄ろうとするアーヴィンを退け、一人で石をしっかりと持つ。

 だが、思ったような事態にはならなかった。

 魔力が、光を伴って透明の石に注ぎ込まれる。額の目でそれを感じた。それでなくてもよく見えるアーヴィンにはどのように視えているのだろうと、そんなことを考える余裕すらあった。

 空に渦まいていた魔力の最後の一欠片が、イルマの手の中に収まったとき、竜が鳴いた。そして、閉じかけていた力の目がゆっくりと開く。透明だったそれが、今は黄色に輝いていた。イルマの石も、同じ色に染まっている。

 安定した大きな力。

 手の平に収まるほど小さな石の中に、自分の魔力よりもさらに強大な力を感じる。

 石に魅せられていると、彼女の肩をアーヴィンが掴んだ。

「おめでとう」

 何百年も前に失敗した儀式を、今ようやく終わらせた。

 笑う彼の瞳を見ているうちに、我慢できず飛びつくように抱きついた。アーヴィンもイルマを優しく両手で包み込む。 

「あなたのおかげだわ」

「そうだね」

「……そこは、そんなことない、君の努力の賜だ! とか言うところじゃないの?」

「君相手に謙遜しても意味はないって、学んだから」

 体を離して彼の瞳をのぞき込む。

 それはどんな意味がと尋ねようとして、後ろであがったうめき声に弾かれる。

師匠(せんせい)!」

 仰向けに倒れている彼に駆け寄る。体の変化は見られなかったが、体中を竜の魔力が駆け巡り、深刻な影響が出ていた。

 同じようにホレスの横へ膝をついたアーヴィンが、すぐさま治癒の方程式を解き始めた。だが、その腕をホレスの手が掴む。

「やめなさい。無駄です」

 いいながら、咳き込み、胸を血で濡らす。

師匠(せんせい)!」

 声が震える。

「私は、欲張り過ぎた」

 さっきまで鱗に覆われていた手を、握る。指先は驚くほど冷たかった。頬を撫でられたときの暖かさが失せている。そのまま脈へ指を這わせる。間隔が、とても長い。

「でも、欲しかった。あのあふれ出す魔力に身を浸したときの快感は今でも忘れがたい。自分にないものを手に入れた瞬間のなんとも言われぬ幸福感……君も全能の者になれたかもしれないのに。何か工夫すれば、その身に力を宿すことも可能だっただろうに。女だ、非力だと蔑まれることもなかった」

 こんな状態になっても諦められないほど、ホレスは取り憑かれていたのだ。

 その事実に胸を痛めながら、イルマは首を振った。

「私は女です。その事実は変えられない。腕力だって、どうしても男の人には劣ります」

 だがそれは、仕方のないことだ。それがイルマなのだから。否定すれば自分を否定することになる。

 そうだ、それをすでにアーヴィンは教えてくれていたのに、イルマは気付いていなかった。あの、学校で泣いている姿を見られた日に、彼ははっきり言っていた。

「問題に直面したとき、どうやって乗り越えるか。そうやって人は成長して、また、成長すれば新たな方法も見えてくる」

 ホレスは、その問題を解決する方法を誤った。

「確かに、成長しましたね」

 握っていたホレスの手が、上がる。イルマの頬に添えられる。以前と違って、指先はかさかさと肌を傷つけた。干からびたそれを、イルマの涙が濡らす。

「教育係失格です。君はもう、私の弟子ではない」

 再び強い力で彼の手を握る。

「違います。私は、一生師匠(せんせい)の弟子です」

 涙で世界が歪む。その中で、ホレスは笑った。

「さあ行きなさい。他の都市も何かしら騒ぎになっているでしょう。宮廷魔法使いとして人々を救わねば」

「……え?」

「レケン君が話してくれたでしょう? ウェトゥム・テッラ〈古王国〉最後の王は、己の身に竜の力を受け、そして暴走しこのニヒ・ラルゲ〈荒れた土地〉ができた。けれどそれが本当なら、各地に影響が出ているはずです。さもなければ、あのウェトゥム・テッラ〈古王国〉がたかがこの一帯を不毛の土地にした程度で滅ぶはずがない。例えば、他の魔原石が共鳴し、魔原石ある都市に重大な被害が出ていないとも限らない」

 ホレスの話に二人は息を飲んだ。

「今回のことは、そこら辺に転がっているオキデスの人間を一人二人捕まえていけばいい。サミュエルにそこら辺は任せるといいでしょう。彼なら上手く立ち回る。妹の立場を悪くするようなことはない」

「でも、師匠(せんせい)……」

「私はこのまま砂に埋もれます。今レケン君が治療を施しても、半年保つ自信がない。その間、尋問の責め苦に遭うのは避けたい」

 どうしたらいいかわからなくて、彼の手を離せずにいるイルマを、アーヴィンが立たせる。指の間から、ホレスの手が滑り落ちる。

 醜悪な、歪んだ顔を見せていたホレスだが、今は以前と同じ穏やかな表情で目を閉じていた。

「イルマ、行こう」

「でも、でも……」

「目を閉じてごらん。力の目で彼を見るんだ」

 深い海の色をした瞳が、イルマを促す。

 理性の両目を閉じ、眉間の力の目を開く。世界が反転し、暗い中に魔力の光がきらきらと輝いていた。二人の方程式の名残が、空中に漂い、遠くの竜は、目だけが光り輝き他の部分は真っ暗に闇に溶けていた。あれならばもう動き出すことはあるまい。

「ホレスさんが、ほら」

 ほとんど魔力が残されていない。人を構成し、形取っているそれが、消えた。

 アーヴィンの外套をぎゅっと握ると、イルマの拳に彼が手を重ねる。

「ほら、見ていて。始まるよ」

 消えたと思った魔力が、ぽつぽつと全体の輪郭に現れる。花開くように現れた魔力はやがて輝きを増し、彼が横たわっている大地に吸い込まれて行く。光の池ができたように、ホレスの周りを中心に、煌めきが広がる。

「人が死ぬと、魔力が大地に還る。それはとても、美しい」

 ホレスの命が、ニヒ・ラルゲ〈荒れた土地〉に染み渡っていく。

「彼は今、世界に還った」

 美しくて怖い。アーヴィンの言葉に頷くと、溢れる涙を彼の胸に押し付ける。

 そうやって、サミュエルが二人の元にやってくるまで、イルマはずっとアーヴィンの腕に抱かれていた。

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