第六章 竜と魔力1
次に目を覚ますと見慣れない場所だった。天幕の中のようだが、イルマの使っていたものではない。両手を後ろ側で縛られているので、体を起こすのも一苦労だ。少し頭が重い。
だが、なんとか肩と腹筋を使って起き上がり座る。足が縛られていないのがせめてもの救いだ。
何が起こったのかと自問して、あの情景を思い出す。
「アーヴィン」
「起きたか。早いな」
天幕の裾が持ち上げられ、ホレスが現れた。彼の手にはもちろん彼の杖が握られている。あの紫の光が目の前にちらついた。
「師匠……」
「まだ師匠と呼んでくれるか」
どこか安堵したような響きを含んだ言葉に、自分の顔がこわばるのを感じた。
何かの間違いが連続して続いた。イルマの知らぬところで誤解が誤解を呼んだのかもしれない。
そんな淡い期待を打ち砕く彼の台詞。つまり、彼の行いはイルマから見れば許されたものではない。そう認識されても仕方のないことだったと証明されてしまう。
だが、それ以外になんと呼べばいいのか。
「そんな泣きそうな顔をしないでおくれ」
地下でそうしたように、ホレスはイルマの目の前で膝をつくと、そっと手を伸ばし頬に触れる。
「何が起こっているのか、私にはよくわかりません」
「そんなことはないだろう。お前は私の自慢の弟子だ。優秀で頭の回転も早い。レケンは君に何か言ったのだろう? 頭のよいイルマがわからないはずない」
アーヴィンの名に、イルマは顔を歪める。
「彼を、地下へ閉じ込め置き去りにした」
「開かれた子との調べはついていたが、まさかあんな風に魔力を視る目があるとは思ってもみなかったよ。他にも色々思うところがあってね。予定外の異分子は、計画に支障をもたらすから」
「計画?」
「後で落ち着いたら見せてあげよう。魔原石を無事オキデスに移し終えたらね」
「魔原石……やっぱりあるんですか?」
「ああ。透明で大きな石だ。魔力に溢れている。私の知ってるゲナのカルブンクよりは少し魔力が安定していないように思えるが、移動させてからゆっくりそこら辺は調節するよ」
「せ……なんで、何をしようとしているの?」
師匠と呼びかけてやめる。
目の前の、彼の紫の瞳が微かに揺れ、薄い唇に笑みがこぼれた。自虐的なそれにイルマは目を伏せる。
「女だから、そう言われ続けて何も思わなかったか?」
突然の話に眉をひそめた。
「レグヌス王国の根底にある差別。魔法を取り巻く差別に、私はもううんざりなんだよ。ウェトゥム・テッラ〈古王国〉の人々の血を多く受け継いでいるために、貴族には魔力の強い者が多い。そういった人間が国の中枢を動かすようになる。方程式が少し難しくなっただけで、悲鳴を上げるような、無能な輩があそこにはわんさかといるんだ。魔力魔力と、すべてを魔力で推し量る。魔力の量がなんだというのだ。生きている間に魔力が枯渇するのが困るなら、魔力の消費を押さえた方程式を上手く使えばいいんだ。その努力を惜しんで、生まれたとき無条件に与えられた魔力をかさに着る連中」
彼の目はイルマに向けられてはいたが、イルマを捉えてはいなかった。そのずっと遠くを見ている。イルマも貴族で、彼女の内にある魔力を第三の目で見ているのかもしれない。
「まあ、彼らが魔力に固執するのも少しはわかるんだ。私も魔力を抑え、より早く方程式を解けるよう努力を続けた。そのおかげで宮廷魔法使いにもなれたしね。だが、常に陰口は聞こえてくる。薄き血と、努力すればするほど努力を馬鹿にし、蔑んで呼び続ける。私も劣等感があった。確かに魔力が貴族たちのそれよりは少ない。重要な役職に就けば就くほど魔力の消費は日々上がる。それならとね、研究したんだ。魔力がないなら補えばいい」
「それはだめよ!」
思わず声を上げるとホレスの顔色が変わった。
穏やかで、笑みを絶やさないその顔に怒りがのる。初めて見るホレスの激情に身を硬くする。頬に添えられていた手が、イルマの肩に触れ、指が食い込む。
「お前までそんなことを言うのか! やつらと同じように、それは愚かなことだと。間違っても考えてはいけない危険なことだと! その愚かな考えを抱かせるほどに、魔力を求めたくせに!」
痛みに涙がにじむ。
それでも、だめだ。魔力は生まれたときに持っているもので、人が後から取り入れてそれを振るうのは絶対にやってはいけないことだ。
イルマの苦痛に耐える表情に、ホレスはハッとして手を離す。
「研究し、当時私の教育係でもあったメルヴィンにそれを話し、見せた。その場に他の教育係がいたのも災いして、その話はあっという間に宮廷魔法使いの上層部まであがった。私は危うく宮廷魔法使いの地位を失うところだったよ。メルヴィンが四方へ手を尽くし、なんとかそれは免れたが、それ以来私がどんなに優秀な成果をあげようとも、与えられるのは閑職でしかなかった」
ホレスが教育係に任命されたのも、教育係は引退間近の魔法使いが最後に回される役職だからだった。
「だめです。だって、人は本来魔力を捨てたんです。もう一度手に入れようとし、手に入れて、やがてウェトゥム・テッラ〈古王国〉は魔力におぼれ滅びたんですから」
必死で自分の知っているホレスを取り戻そうと訴える。肩が疼き、自分の声に痛むので途切れ途切れになってしまう。
「魔力は、今あるものを大切に使うしかないんです。新しく手に入れようなどとすれば、ウェトゥム・テッラ〈古王国〉と同じ道をたどることになってしまう!」
だがホレスは怒るでもなく、笑うでもなく、不思議そうな顔をする。
イルマを見て、何を言っているのだと理解に苦しむ顔をする。
「魔力を捨てた? いったい何の話だ」
それにはこちらが驚くしかなかった。
ホレスも竜と人間の話を知らないというのか。
これで二人目だ。ホレスは出身校がゲナの魔法学校だと言っていた。生まれもそちらの方かもしれない。フェンデルワースが一番学校の地位としては高いが、その分貴族が集まり、入学金や寄宿学校代は一律としても、他に細々金の要求があるらしい。一般市民出の魔法使いはゲナやスペキリに行くのが普通だった。
ただ、幼い頃王都やフェンデルワースに関わっていないからと言うのは、違う気がする。
そういえば、学校で例え話に竜の話を持ち出したことがあった。そのとき初めはみんなぽかんとして、最後はなんとも言えない笑みを浮かべていたではないか。例えの仕方が悪かったのかと思っていたが、違う。彼らは竜などいないと思っていた。一人、はっきりと、竜はお伽噺でとイルマに言った。竜の話をみんなは知らないのかもしれない。
「出会いは偶然だったのか、はめられたのか。オキデスの人間は昔から魔法を研究しようと、モンス山脈を越えて魔法使いをさらっていた。それは知っているだろう?」
「……はい」
再び語り始めたホレスに、イルマの思考が中断された。
ひどい話だ。
魔法使いをさらい、それを研究するという噂がまことしやかに流れていた。
「実際事実らしい。魔法はそれだけ脅威だ。私は、ティルムに一時期身を置いていたが、そのとき彼らに出くわしてね。魔法は稚拙だった。魔力を持っていても使い方がわからないんだ。ただ、恥ずかしながら自分の置かれていた状況にくさっていた頃だった。彼らが何をしに来たか、魔力を手に入れた方法と、その場所を、今考えるとかなりひどい方法で聞き出した」
人に影響を与える魔法は褒められたものではない。しかも魔力に耐性のない者たちなら、あっという間に口を割っただろう。
「彼らが魔原石らしきものをニヒ・ラルゲ〈荒れた土地〉で見つけていると知った。そして、それを使って魔法使いを作ろうとしていることもね。こんなニヒ・ラルゲ〈荒れた土地〉の奥地まで入って来る人間はそうそういない。彼らも以前こちらへ侵入し、見つかって逃げ込んだとき偶然発見したそうだ。幸運なことにそこから生きてオキデスへ帰ることができた。だから沙漠に魔原石があることを知っていたんだ。私は、彼らの国に手を貸すことまでは、正直あまり考えていなかった。ただ、自分の研究の成果を試してみたかっただけなんだ。本当に魔力を移し替えることができるか。それだけだ。初めメルヴィンに提案したときも、魔力の宝庫である魔原石から魔力を人に移し替えるという話だったんだが、望みは潰され、自分で試そうにも移してみるための魔力がない。天の采配だと思ったよ」
その顔が本当に嬉しそうで、内容がこんなものでなかったら、ホレスが喜ぶ姿にイルマも喜んだだろう。だが、その内容はイルマの気持ちを重くさせる。
「そんなにレグヌス王国が、私たちが憎かったんですか?」
なんといえば彼をこちらへ引き留めることができるのかわからない。国とか、そんなものは正直どうでもよかった。ただこのままでは完全にイルマの敵になってしまう。ホレスを、そんな風には思いたくなかった。彼のいたわりの言葉の数々。あれはすべて嘘だったというのか。
「貴族ではない魔法使いや、魔力の少ない魔法使いを薄き血と呼ぶ。どんなにその人物が優秀であろうとも。それは、君が女であるからと決して認められないのと同じだと思わないか?」
はっと顔を上げる。紫色のホレスの瞳と視線がぶつかる。
「いつも、一番近くでお前の努力を見ていた。私はその姿に感動さえした。だが、その努力がどう評価されるか、それも痛いほど知っているんだ」
ホレスはぐっと拳を握りしめ、立てている右膝の上に置く。力を込め過ぎて白くなる右手に、彼の苦しみが詰まっていた。
「同じように薄き血と蔑まれて生きてきている魔法使いがたくさんいる。ほら、拷問の末死んだ彼もそうだ。私は聞いてしまったんだ。死んだという知らせと同時に、『薄き血なら仕方ない』と言い放つ貴族の声を」
「ひどい……」
「そのときに決心した。今の魔法使いたちの体制を変えるしかないと。それまでは、オキデスの申し出に迷っていたが、私の名を出すことなく死んだ彼の想いに報いるには、こうするしかない」
薄き血という言葉は知っている。だが、イルマの周りでそのようなことを言う人間は一人もいなかった。それはつまり、魔力が少ないからと貶めれば、女であるからとイルマを貶めることと同じ行為になると、誰でも気付いていたからだ。そして、それがイルマの耳に入れば、アーヴィン曰く、正論で攻め立てられる。そんな目に遭いたいと思う者は少ないだろう。
「でもやっぱり、だめです師匠」
師匠と呼びかける。どんな状況にあっても、やはりホレスはイルマの師匠なのだ。
「こんな風に女だと散々痛めつけられても、それでもやはりあの魔法使いたちを庇うのか?」
怒ってはいない。イルマが感情のまま思わずやってしまった失敗に対してする、少し悲しそうな顔がある。
「違います。師匠の、今の体制を覆さなければいけないというお話には、私正直大賛成です」
ホレスの表情に明かりが差す。彼の硬く握られていた拳がほどかれて、再びイルマの頬に添えられた。
「だけど! やっぱりだめです師匠。魔力を魔原石から取り込むなんて、危険過ぎます。ウェトゥム・テッラ〈古王国〉の二の舞です。それは、国を滅びに導く方法です」
ホレスは怒らなかった。
残念そうにため息をつく。
「私は君を、とても可愛がってきた。自分が受けた苦しみからなるべく遠ざけ、少しでも軽減されればと思ってきた」
「師匠のおかげで、私、すごく救われていました。師匠がいたからこそ、今までやって来られた」
その次の彼の行動は、イルマの理解を超える。
突然彼の顔がぼやけて、唇に柔らかいものが触れる。何が起きたのか、考える間もなく、ホレスは立ち上がり天幕の外へ向かった。
「愛してるよ、私の可愛い弟子。オキデスへの旅は海路を行く。しばらく窮屈な思いをさせるだろうが、我慢してくれ」
一方的な言葉を投げかけ、立ち去る。
天幕の中に独りになって、ホレスの言葉を反芻して、かなりの時間を要した後、ようやく事態を飲み込む。
「あれ、え、だって」
体中の血液がすべて顔に集まったような感覚に陥る。
「だって!」
膝の間に顔を埋めて絶叫したいのを必死に抑える。今何かすれば、すぐそこにいるであろうホレスが飛び込んでくる。それだけは絶対に嫌だ。
「っていうか、私、き、キスされたの!?」
あくまで心の中で大声で喚く。
確かに、師匠は憧れだ。大好きだけどそれは、そうじゃなくてこうでもない。
興奮が収まると、今度はとんでもなく泣きたい気分になった。悲しくてたまらない。
どうしてこんなことになったのかと、激しく落ち込む。
「師匠のことは好きだけど、でも、こんなことして欲しくなかった」
相変わらず手は後ろ。顔を覆うこともできない。両目が熱くなってきたので下を向いてぎゅっと目を閉じた。
誰もが君のように考えるとは限らない。
なぜか、アーヴィンのあの言葉が思い出される。
「アーヴィン」
口に出してみると、涙が倍増した。さらに固く目を閉じる。
あの地下で生き埋めになった彼にはもう会えない。それをあらためて思い出して、涙がこぼれる。
「アーヴィン、助けて」
絞り出したイルマの言葉が天幕の中に響く。
同時に、場違いな明るい声が聞こえた。