2、お腹が空く夕方
コーヒー牛乳色のお家には、爽太郎の好きな女の子が住んでいるらしい。今日もオレンジに染まりはじめた空き地にて、爽太郎はストーカーらしきことを続けていた。友達の家からの帰り道にひょっこりとここに立ち寄ったわたしを笑顔ひとつで迎え入れてくれた爽太郎。今日は防犯ブザーを持ってこなかった。
「あそこの二階が、幸子の部屋なんだ」
サチコ、とは爽太郎のストーカー相手の女の子の名前らしい。リスみたいに小柄で頭を撫で回したいくらい可愛い人、らしい。でも、恋はモウモク、だから実際のところサチコの容姿は謎のままだ。
「ベランダがあるところ?」
「そう」
「爽太郎は、いつからサチコを好きなの?」
「ずーっと昔から」
「ストーカーの片想いも大変なんだね」
「ばーか。俺らは元々両想いなの」
「ストーカーはみんなそう言うんだよ」
「マジかよ、こわいな」
爽太郎は、また他人事のように頷いた。
「なあ、ろくちゃんは夏って好き?」
「わりと好きだよ。暑いけど、夏休みもあるし。たくさん遊べるし」
「俺はね、夏が一番好き」
「なんで?」
「だって、夕方の時間が長いじゃん」
「夜になってほしくないの?」
「夜は暗いしこわいから、苦手なんだよ」
「怖がりなんだね」
「そう。だから、ストーカーしてる時間も夕方限定なの」
「変なの」
爽太郎は毎日毎日、この夕暮れ時の空き地で壊れそうな音が鳴る椅子に座って飽きもせず、サチコを想いつづけている。何をするわけでもなく、ただじっと息を潜めるようにして二階のベランダを見つめているのだ。真夏だというのに、長袖の紺色カーディガンを涼しげに着こなして、真っ直ぐとサチコを好きだと言った爽太郎はかっこよかった、ストーカーなのに。変なの。
「ろくちゃんここの所、毎日俺のとこ来てんね」
「爽太郎の隣はなんだか涼しいから」
「避暑?」
「今年の夏は猛暑らしいから」
「なるほど」
それから、爽太郎はサチコの話をする時、あのコーヒー牛乳色の家を見上げている時、いつもやさしい笑い方をする。わたしは、ストーカーと呼ばれる人たちはみんな不気味で下品な笑い方をするのだと思い込んでいたから、こんな笑い方をするストーカーもいるのだということを爽太郎と知り合ってはじめて知った。
椅子の上に立って、爽太郎は鼻をクンクンと犬みたいに動かした。猫を七匹飼っている谷村さんの家からカレーの匂いがする、と爽太郎は言った。
「腹減ったなあ」
爽太郎のお腹の音を聞いていたら、今すぐに家に帰って夕飯を食べたくなった。
「暗くなる前に帰りな」
椅子の上に立ったまま爽太郎が呟く。爽太郎の黒い髪の毛が夕日色をしていて、思わず見入る。不思議なくらい爽太郎とこの夕方の空き地は溶け合っていてとても絵になっていた。
「爽太郎は帰らないの?」
「…俺は、まだ帰るわけにはいかないんだ」
また明日も来てあげる!
走りながら叫んだら、爽太郎は仕方ないなあって顔して苦笑いをしていた。