1、とある夏の夕方
夏休み前日。石でも入っているかのようにずっしりとしたピンクのランドセルを背負って、いつものように薄暗い路地を駆け抜けた。わたししか知らない秘密の近道。そこを抜けると雑草で荒れ放題の空き地がある。
今日もいた。
七月にはいってから、学校の帰り道に毎日見かける高校生くらいのお兄さんは今日も、空き地の真ん中にぽつんとある古びた木の椅子に姿勢悪く座って真っ直ぐとどこかを見つめていた。お兄さんの真っ黒な瞳の先には、コーヒー牛乳のような色をした屋根の下、二階のベランダが見えた。
「お兄さん、何者?」
人気がない夕方の空き地に、わたしの声がポンと響いた。お兄さんはわたしを見てちょっと驚いたような顔をしてから、腕を組んで考えるような素振りをしてみせた。そして、にやりと笑って一言。
「俺、ストーカーなんだ」
電柱のそばにあった“不審者に注意”の看板を見つめて、もう一度お兄さんを見つめる。ランドセルにぶらさがっていた防犯ブザーをぎゅっと握り締めた。吹き出すような笑い声が聞こえて、少しムッとする。
「何年生?」
「…六年」
「この辺の子?」
「知らない人に住所は教えちゃいけないの」
「物騒な世の中になったもんだ」
お兄さんは、まるで他人事のように頷いた。
「名前は?」
「知らない人に名前を教えてちゃいけないの」
「ガード堅いなー。んーと、じゃあさ、俺が付けてもいい?きみの名前」
「うん」
「ろく、なんてどう?」
「ろく?」
「六年生だから、ろくちゃん」
「かわいいね」
「だろ!」
小学生の社交辞令に本気で喜ぶお兄さんは椅子をガタガタと揺らして笑った。
「俺は爽太郎」
「お兄さんの名前?」
「そう」
「なんで教えてくれたの?」
もしも本当にこのお兄さんがストーカーだったら、わたしみたいな赤の他人に本名を知られたら後々まずいのではないのだろうか。それとも偽名?
「知らない人から名前を教えてもらっちゃだめ、っていう決まりごとはないだろ?」
得意げに口角をあげた“ソウタロウ”は、またコーヒー牛乳色の家のベランダをぼんやりと見上げた。わたしも真似をしてぼんやりと見上げてみる。
夏休み前日、ソウタロウと名乗った不思議な雰囲気を持つお兄さんとはじめて会話をした。