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追放された探究者《シーカー》は、死者の声を聞く

作者: Vou
掲載日:2026/04/01

 死者の遺品は、生者よりずっと正直だ。そして死者は俺に進むべき道を示してくれる。



「レイン。残念だが、おまえは勇者パーティーを外れてもらう」


 勇者レオンハルトの口からその言葉が出た瞬間、俺の思考が止まった。


 王城内の勇者パーティー専用の会議室。

 魔王領遠征を翌日に控えた、最後の作戦会議だった。


「……何を言っているんだ?」


「追放だ」


 レオンハルトは蔑むような視線を向け、冷ややかにそれだけ言い放った。


 同じ会議卓についていた賢者ルカは目を伏せ、聖騎士ユリウスは腕を組んだまま黙っている。

 聖女エリシアだけが、何かを言いたそうな顔で唇を噛んでいた。


 冗談じゃない。


 俺は「探究者シーカー」だ。

 ユリウスのように盾で皆を守れるわけではない。ルカのように派手な攻撃魔法も使えない。エリシアのように強化魔法や治癒も施せない。そして、レオンハルトのように剣の一振りで竜を倒せるわけでもない。


 だが、魔物の痕跡を拾い、賢者も感知できないトラップを見抜き、危機の前兆を察知し、地図のない深層で進路を定め、あるいは退路を作ったのも俺だ。——他の誰にもない、俺にしかないスキルを使って。


 ここまでの遠征で死人が出なかったのは、奇跡じゃない。少なくとも半分は、俺がそうさせなかったからだ。


「理由を聞いてもいいか?」


「必要ない」


 レオンハルトは即答した。


「必要だろ。魔王領に入るんだぞ。斥候役の俺を切ってどうする」


「斥候など代わりはいくらでもいる」


 その一言で、熱くなっていた俺の頭がすっと冷えた。


 怒りより先に、妙な納得があった。

 ああ、そうか。人は本当に誰かを切り捨てるとき、もっともらしい理屈すら用意しないのか。


 前にもあった気がする。


 ずっと昔。いや、今の俺にとっては前の人生で、か。


 都合よく穴埋めに使われ、面倒な仕事だけ押しつけられて、最後には「おまえの代わりはいくらでもいる」と言われたことがあった。

 使い潰され方は、この異世界であっても変わらないらしい。


「今までの報酬は規定どおり払う。これまでのおまえの働きには感謝する」


 「ふっ」と乾いた笑いが漏れた。


「感謝……か。便利な道具を捨てるときの言い方としては、上等だな」


 ぴくりと、エリシアの肩が震えた。


 レオンハルトは何も言い返さない。ただ真っ直ぐ俺を見ている。これ以上の俺の反論を許さない、強い眼差しだった。


「……わかったよ」


 これ以上、ここにいても惨めになるだけだ。


 俺は席を立ち、壁際に立てかけてあった短剣と荷物を掴み、会議室の扉に向かった。

 誰も引き止める者もいない。


 扉に手をかけた、そのときだった。


「レイン」


 エリシアの声が俺を呼び止めた。


 俺は片足を扉に向けたまま、半身で振り返る。


 白い法衣の裾を握りしめた彼女は、聖女らしい穏やかな微笑みもなく、青ざめた顔で俺を見つめていた。


「……ごめんなさい」


「謝るくらいなら、止めろよ」


「止められないの」


 弱々しい声だった。


 エリシアは一歩だけ近づき、震える指で俺の袖を掴んだ。


「お願い……あなたは王都に留まって」


「何の話だ?」


「聞かないで」


 顔を上げた彼女の目は、ひどく切羽詰まっているように見えた。


「……ただ、あなたはここにいて」


 願いというより、懇願だった。


「どうか、生きて」


 俺が問い返す前に、彼女は手を離した。

 そして聖女らしい顔に戻ることもないまま、会議室の奥へ下がっていく。


 俺は何も答えず、会議室を出た。


 「生きて」だと? 俺が絶望して自殺するとでも思っているのか?

 おまえらの思う通りになどなるものか。



 冒険者を夢見て、辺境の村から王都に来たばかりの俺は、王都の人々に気後れしてパーティーも組めず、ずっとソロでつまらない依頼をこなすだけで、家もなくその日暮らしをしていた。

 そんな俺の才能を見出し、勇者パーティーに誘ってくれたのが、勇者レオンハルトだった。

 あのときからレオンハルトはずっと俺の尊敬の対象であり、親友になれたと思っていた。

 それはすべて思い上がりだったということか。


 思えば、辺境の田舎者の斥候職でしかない俺を、勇者が相手にすること自体おかしかったのだ。


   ※


 夕暮れの王都を、苛立たしい気分で歩いた。


 勇者パーティー追放の噂は、明日には王都中に広がり、酒場での格好の話題になるだろう。探究者(シーカー)など勇者パーティーには相応しくない役立たずだっただの、レインという男は素行が悪かっただの、好き勝手に尾ひれがつくに決まっている。


 好きに言えばいい。


 王都の大通りの石畳を踏みしめながら、俺は冒険者ギルドへ向かう。

 行く場所があるだけまだましだ、と思うことにした。


 追放されたとはいえ、勇者パーティーに所属していた実績のある冒険者だ。当面はギルドの依頼を受けて生活していこうと決めた。


 受付を素通りし、依頼を選ぼうと掲示板へ向かおうとしたところで、低い声が俺を呼び止めた。


「レイン、ちょっといいか」


 ギルドマスターのガレスだった。


 元冒険者らしい、熊のような巨体の中年男が、受付カウンターの奥からこちらを見ていた。


「もう噂を聞きつけたのか?」


「魔王討伐を前に一人でいるってことは、勇者パーティーを外れたんだろう?」


「慰めならいらないよ」


「なら仕事をやる」


 足が止まった。


「お前にしかできん依頼だ」


 ガレスはそう言って、ギルドの奥の小部屋へと俺を招いた。


 部屋の中には一人の女が座っていた。


 年は俺と同じくらいだろうか。粗末だが、清潔にしたワンピースを着て、膝の上で両手を強く握りしめている。目の下には濃い隈があり、思い詰めたような様子だった。


 彼女は俺の姿を見ると、慌てて立ち上がり、深く頭を下げた。


 ガレスが口を開く。


「このお嬢さんが依頼主だ。依頼内容は、行方不明の冒険者の生死確認と遺品回収。場所は旧坑道第五層の先、闇喰らい(ダーク・イーター)の縄張りだ。三日前に潜ってから、音沙汰がない」


 闇喰らい(ダーク・イーター)


 その名を聞いた瞬間、俺は眉を顰めた。

 群れない代わりに、一体で冒険者を喰らう、A級の大型の魔物だ。並の冒険者なら、第五層に入る前に引き返すのが通例だ。

 だが稀に、名誉と一攫千金に取り憑かれた冒険者が挑み、格好の餌食になる……


「そんな場所に入ったのか」


「借金があったんです」


 女は俯いたまま言った。


「闇喰らいの落とす魔石を持ち帰れば、一気に返せるって……」


「無茶だな」


「はい」


 否定しなかった。


 その一言だけで、何となく察する。

 借金取りにでも追い詰められていて、焦っていたのだろう。


 女はスカートのポケットから、小さな革箱を取り出した。安物だが、何度も触れられたのか革箱の縁は擦り切れている。


「これ……中身はいつか必ず買うって彼が言ってくれていたんです」


「婚約者か」


 女は頷く。


「エマと申します。彼の名前はガルド」


 言葉がそこで詰まった。


「お酒も、賭け事もやめられなくて。借金も繰り返して……私にも、ひどいことをたくさんしました」


 静かな声だった。


「それでも」


 エマは顔を上げた。泣き疲れながら、なおも泣くのを堪えているようだった。


「帰ってきてほしいんです」


 俺には理解できなかったが、本当に愛しているのだろう。


「しかし、なぜ俺なんだ?」


 俺は女にではなく、ガレスに尋ねる。


「『闇喰らい』に太刀打ちできる冒険者などそうはいない。それこそ勇者パーティーくらいだろう」


 ガレスはじっと俺を見つめる。


「それに、レイン、おまえは死体や遺品から、何か拾えるんだろう」


「噂だよ」


「俺はその噂に賭けているんだ」


 舌打ちしたい気分だった。


 死んだ人間の持ち物に触れると、最後の感情や記憶の断片が流れ込む。好きで持っている力じゃない。役立つこともあるが、大抵はろくなものを見ない。


 恐怖。後悔。未練。

 死に際の感情なんて、醜いものがほとんどだ。


 それでも、拾ってしまう。

 醜い感情はともかく、死者の記憶から、俺は普通の斥候以上の情報を得ることができるのだ。


「……成功報酬は?」


「申し訳ないが、依頼主はそれほど財産がなくてな、だがドロップアイテムは色をつけてギルドが買い取ろう」


「太っ腹なことで」


 ガレスという男は、見た目に反してお人好しなところがあり、冒険者ギルドの経営には向いていないのではないかとも思う。


「生きてた場合は?」


「連れ帰れ。死んでた場合は遺品だけでもいい」


 俺はエマが愛おしそうに握りしめる革箱を見た。


「わかった」


 頷くと、エマの肩が小さく震えた。


   ※


 旧坑道の入口は、夜のように暗く、淡い光を放つ魔導灯が、中を不気味に照らしていた。


 王都外れの打ち捨てられた採掘場。地中へ口を開けた縦穴の向こうから、冷たい風が吹き上がってくる。腐った水と、血の匂いが混じっていた。


 ひとりで潜るには最悪の場所だ。

 だが勇者パーティーにいたころに、五層よりもさらに深い場所まで行ったこともある。俺には勇者パーティーの他のメンバーほどの戦闘能力はない。しかし、彼らにもない能力がある。


 俺は両腰の二本の短剣の位置を確かめる。


 入口から進み、ザコモンスターを蹴散らし、一気に下層へと潜っていく。腐っても俺は元勇者パーティーのメンバーだ。第四層までは何の苦労もない。


 第五層に入ってまもなく、壁にもたれかかる白骨を見つけた。

 その手には半ばから折れた剣が握られている。


 新しくはない。ガルドのものでもないだろう。


 俺はしゃがみ込み、折れた剣の柄にそっと触れた。


残想感知(エコー・センス)


 スキルを発動すると、柄の感触を確かめる前に、ぞわり、と記憶と感情が流れ込んでくる。


 暗い。狭い。怖い——


 そしてある一言が強く響いた。


『床が沈む』


 俺は反射的に地面を蹴った。


 次の瞬間、さっきまで俺がいた場所の石床が真下へ崩れ落ちる。轟音。舞い上がる土埃。底の見えない穴。


 着地した先で、俺は息を呑んだ。


 鼓動が激しくなっている。

 あと一歩遅れていれば落ちていただろう。


 薄暗い坑道の中で、俺はゆっくり息を吐く。


 俺は先人の死者の声を聞き、こうして死地を何度も生き延び、勇者パーティーを救ってきた。あいつらも俺の能力を理解しているものだと思っていたのに……


 崩落を迂回した先で、革の水筒が転がっていた。それを拾い上げた瞬間、微かな酒の匂いが鼻をついた。


残想感知(エコー・センス)


 スキルを発動した途端、男の怒鳴り声が響いた。


『なんで俺じゃだめなんだ?』


 淀んだ感情が流れ込んでくる。苛立ち。嫉妬。惨めさを誰かのせいにしたい醜い感情。


『勇者はなぜ俺を選ばない?』『俺のほうが強い』『あの無能なやつらが俺を押しのけた』


「……ガルドか」


 この依頼が俺のところに回された理由の一つがこれなのかと勘繰ってしまう。


 ガルドは勇者パーティーに入ることを望んで、俺のような()()に押しのけられて、願いが叶わなかったと考えていたのだろう。

 こいつは自分の挫折を誰かのせいにし続けて、壊れたんだ。


 だが、その残響はそれで終わらなかった。


 淀んだ感情の底に、別の声が沈んでいる。


『もう飲まない』『借金は返す』『殴ったことを謝りたい』


 最低な男だったのだろう。

 けれど、最低なまま終わりたくないと足掻いていたようだ。


「……死んだんだな」


 「残想感知」に反応したということは、ガルドはすでにこの世にいないということだ。これで依頼は半分以上完了だ。


 水筒を腰袋へ押し込み、先へ進む。


 やがて坑道が大きな空洞へと開けた。

 黒い水が地面に溜まっている。静かすぎる水面。こういう静けさは危ない。

 危険な何かが他の存在を遠ざけているか、あるいは……。


 足元には、血のついた革の長靴が片方だけ転がっていた。


 嫌な仕事だ。


 俺はそれに触れた。


 突き刺さるような恐怖が流れ込んでくる。

 飛びかかる黒い影。喉元へ迫る牙。


 最後に、必死に絞り出すような声だけが残った。


『黒の水たまりの真ん中には深い箇所がある』


 視線を巡らせる。黒の水たまりの端の浅瀬を歩いて渡る。


 そのとき、奥の方で低い唸り声が響いた。


 闇喰らい(ダーク・イーター)


 狼のような姿だが、狼と呼ぶには大きすぎる。肩の高さは俺の身長以上あり、全身の黒い体毛は周囲の黒い岩肌に溶け込むようだった。その目だけが、青白く光っている。


 正面から挑めばやられる。


 俺はじり、と後退する。

 闇喰らいはすぐには飛びかかってこない。


 獲物を確実に仕止めるために様子を窺っているかのようだ。


 嫌な魔物だ。


 俺も相手の動きを見極めたい。俺の方から動くつもりはない。


 やがて、焦れた闇喰らいの前脚がわずかに沈む。——来る。


 黒い塊が風を裂いて飛びかかってくる。その瞬間に俺はとっさに頭を下げて屈む。


 さっきまで頭があった位置を爪が薙ぎ、岩壁に火花が散る。


 速い。避けながら攻撃できる余裕がない。


 転がりながら、体勢を戻し、じりじりと後退する。


 闇喰らいも同じペースで近づいてくる。


 やがて黒の水たまりに足が浸かる。その瞬間、俺は走り出し、わずかに内側に移動するように体を傾ける。


 闇喰らいが俺の進路を予測するように、水たまりの真ん中を目掛けて飛びかかる。


 それを確認して、俺は内側にかけていた重心を外側に切り替え、浅瀬を走りながら、両腰の短剣を抜く。


 闇喰らいが着水する直前に腕で顔を覆い、激しい水飛沫が目に入るのを避ける。


 闇喰らいは黒水の深い窪みにはまり、動きを鈍らせる。その青く光った目だけが水面から覗いている。


 俺は一本の短剣を投げる。


 まっすぐ飛んだ短剣は闇喰らいの左目に刺さった。


 闇喰らいは激しい咆哮を上げ、のたうち回る。


 その闇喰らいに飛びかかる。


致命点穿ち(キル・ポイント)


 スキルを発動し、もう一本の短剣を闇喰らいの首すじに打ち込んだ。


 咆哮がさらに大きくなり、坑道内にこだました。


 やがてその咆哮も弱々しくなり、消えた。


 俺には派手で高い攻撃力を出すようなスキルはないが、弱点を見出し、クリティカル・ヒットさせるスキルがある。相手の動きさえ止められれば、これで大抵の魔物は倒すことができる。


「はっ……は……」


 肺が焼けるようだった。

 壁に手をつき、どうにか呼吸を整える。


 生きた心地はしなかった。だがまだ生きている。

 死者——ガルドに救われた。


 エリシアの声が、不意に頭をよぎった。


 ——どうか、生きて。


「……何なんだよ」


 そこにはいないエリシアに悪態をつき、俺は前を見る。


   ※


 低い空洞の中央に、人影が倒れていた。


 うつ伏せに崩れ、片腕を前に伸ばしたまま動かない。背中の革鎧は爪で大きく裂かれていた。


「……ガルド」


 返事はない。


 亡骸の傍らには、血に汚れた紙片と、小さな木箱が落ちていた。

 最後まで持ち帰ろうとしたのか、指先には血がこびりつき、爪が割れている。這ってでも帰ろうとしたのだ。


 俺は紙片に触れた。


 触れた瞬間、感情が奔流となって流れ込んできた。


 恐怖。後悔。諦められない気持ち。

 それらがぐちゃぐちゃに混ざったまま俺の中に流れ込んでくる。


 そして、途切れ途切れの声。


『エマ……すまない』『殴ったことも、泣かせたことも』『ずっと、悪かったと思ってた』


 紙片の冒頭の一語が目に入る。


「エマへ」


 逆恨みの声だけなら、自業自得だと嘲って終わりだっただろう。だが後悔の声を聞いてしまうとわずかながら同情心も湧いてくる。


 紙片を腰袋へ入れ、次に木箱を拾う。


 中には細い銀の指輪がひとつ。

 飾り気のない、安物だ。けれどきれいに磨かれていた。


 触れる。


 静かな声が流れる。


『お金は少しずつでもちゃんと返して』『今度こそ、ちゃんと働いて』『それでもあなたが好きなの……』


 ガルドの記憶に残ったエマの声だ。


『エマを幸せに、したかった』


 再びガルドの声。

 そして、最後の一言はかすれて消え入るような声だった。


『愛している』


 そこで、声が途切れた。


 坑道は静まり返っていた。聞こえるのは、俺自身の呼吸の音だけ。


 俺はしばらくその場を動けなかった。


「……面倒くさい奴だな」


 木箱を丁寧に腰袋に入れる。


 依頼の生死確認と遺品回収はこれで完了だ。


   ※


 坑道を出たときには、太陽は沈みかけ、空は赤く焼けていた。


 地上の空気は冷たいが、淀みはない。肺の奥にこびりついていた血と腐った水の匂いが、少しだけ薄れる気がした。


 腰袋に触れる。中には血のついた紙片と、小さな指輪の入った木箱。それだけなのに、妙に重く感じられた。


 ギルドへ戻ると、夕方だというのに中はまだ騒がしかった。

 依頼を完遂し、報酬を受け取る冒険者、受付で揉めている若いパーティー。

 よくある光景だが、何かよそよそしい感じがした。


 俺は受付を素通りし、奥の小部屋の扉を開ける。


 俺の姿を認めたエマは、椅子から飛び上がるように立ち上がった。疲労の色は朝より濃くなっていた。どんな気持ちで待っていたのか、容易に想像がついた。


「……レインさん」


 ガレスは壁際で腕を組んでいたが、俺の顔を見ると何も言わずに視線を落とした。報告の内容を察したのだろう。


 俺は口を開くことを躊躇したが、そうしたところで事実は変わらない。

 すぐに諦めて、事実を伝える。


「ガルドは……死んでいた」


 エマの目はまっすぐ俺を捕らえていた。

 泣き崩れもせず、叫びもしない。ただ、静かに俺のその言葉を受け止めた。


「そう、ですか」


 掠れた声だった。


闇喰らい(ダーク・イーター)にやられたようだ。遺体までは俺ひとりじゃ運び出せなかった。すまない」


 エマはゆっくり首を振る。


「いいえ……生きてるか、死んでるか、それだけでも知りたかったから」


 少なくとも「待つ」必要はなくなったのが、せめてもの慰めか。


 俺は腰袋から紙片を取り出し、銀の指輪の木箱を机に置いた。


 エマの目がそれに止まる。


「これ……」


「ガルドが持っていた」


 それ以上、うまく言えなかった。


 エマは震える指で木箱を手に取り、中の指輪を見た。

 指輪を手に取った瞬間、初めてその表情が崩れた。


 俺は紙片を差し出す。


「血で読めないところも多い。でも、あなた宛てだ」


 エマは両手でその紙片を受け取った。

 紙を開き、文字を目で追う。途中で視界が滲んだのか、一度、指の背で乱暴に目元を拭う。


 それでも最後まで読み切って、唇を噛んだ。


「……謝ってばっかりね」


 涙がエマの頬を流れ落ちた。


「謝ればいいと思ってるところ、最後まで変わってないわ」


 震えた声だった。



 しばらくして、エマは指輪を胸に抱いたまま、静かに言った。


「……やっと、ちゃんと帰ってきたね」



 生きて帰ってきたわけじゃない。亡骸すらまだ戻らない。

 それでも、今この瞬間、確かにガルドはエマのもとに帰ってきたのだ。


 ガレスが静かに言った。


「ガルドは良い冒険者だった……」


 そして言葉を続ける。


「後で回収班を出す。場所の詳細は書けるな」


「ああ。今なら闇喰らいもいない」


 俺がそう答えた、そのときだった。


 小部屋の外がざわつき始めた。


 最初は、よくある冒険者同士の喧嘩かと思った。

 だが何か違和感がある。ざわめきは止むことなく大きくなっていく。

 俺たちのいる小部屋に、誰かが駆け込んでくる足音が響く。


「ギルマス! 大変だ!」


 若いギルド職員が扉を開け放った。顔色が変わっている。


「勇者パーティーが……魔王領で敗北しました!」


 その言葉に一瞬驚きはしたものの、勇者パーティーが俺を追放した判断の誤りを証明するようで、胸の奥にかすかな勝利感があった。


 しかし、続く言葉がそんな気分を一掃する。


「生還者は聖女エリシアただ一人! 勇者レオンハルトは——」


 その言葉は俺の心臓を抉ろうとしていた。


 その先は言わないでくれ……


「……死亡、だそうです」


 部屋の空気が凍りついたかのようだった。


 レオンハルトが死んだ。

 今朝まで生きていた男が。俺を追放したあの勇者が。あまりに真っ直ぐで、融通が効かず、腹が立つほど真面目だった男が。俺がずっと尊敬していたあの男が。


 死んだ。


 エマが心配そうに俺を見ていた。

 先ほどまで憐れむ側だった俺が、憐れまれる側に変わっていた。今、この瞬間、エマと俺はお互いの気持ちを誰よりも理解しているはずだ。


 廊下の向こうでは、ざわめきがさらに大きくなる。


「何やってたんだよ、勇者のくせに」「勝てもしないなら最初から行くなよ。役立たずの勇者め」「これからどうなるんだ、この世界は。魔王軍が攻めてくるんじゃないのか」


 悲しむより先に、責める声が上がっていた。


 ——おまえらは何もわかっていない。


 追放されたパーティーなのに、バカにされるのが無性に腹が立った。


 俺は小部屋を飛び出した。


 冒険者たちが集まり、口々に言いたいことを言っている。


「あの勇者は弱かったぜ。パーティーのメンバーもしょぼかったしな」


 そう口にした男に歩み寄り、殴った。


 男が吹っ飛ぶ。怒号と歓声が上がる。


 男は俺を睨む。


「何すんだ、ごらぁ!」


 男は背負っていたバトルアクスを手に取り、俺に向かってきた。

 その一撃を受け流し、後頭部に肘の一撃を入れると、男は失神し、うつ伏せに倒れた。


「勇者は俺の何倍も強かった。おまえらの何百倍も強かったんだ」


 怒号と歓声はさらに熱を帯び、失神した男の仲間と思われる冒険者たちが俺を取り囲む。


「やめろ、おまえら!」


 小部屋から出てきたガレスが俺たちを睨む。


 構わず、攻撃を仕掛けようとしたそのとき、ギルドの扉が開くのが目に入った。


 ……エリシア。


 開いた扉の向こうに、聖女が立っていた。


 俺を囲んでいた冒険者たちも、聖女に気づき、動きを止めた。


 白い法衣は土と血に汚れ、肩口は裂けている。長い金髪も乱れ、聖女らしい清らかさなどなかった。

 しかし、その目は静かに俺を見据えていた。


「……レイン」


 聞きなれた声のはずなのに、何か他人の声のようだった。


 エリシアは数歩だけ俺に近づいた。


「……ごめんなさい」


 何を謝っているのだ?

 俺の追放を止めなかったことか? それとも勇者を死なせて、自分だけ生き残ったことか?


 彼女は震える手で何かを差し出してきた。

 布に包まれた、小さなもの。


「これを……あなたに」


「何だ?」


 問い返すと、彼女は俺の目を見た。


「勇者レオンハルトの遺品よ」


 息が止まる。


 布の隙間から見えたのは、見覚えのある金属の光だった。

 勇者がいつも左手の籠手から下げていた、小さな方位盤。地図も魔力探知もあてにならないダンジョンの深部で、わずかな磁気と風向きで進路を読むための道具だ。


 探究者(シーカー)の俺が、レオンハルトに使い方を教えたのだ。


「……あなたに渡してくれって」


 エリシアの声はそこでかすれた。


 俺は手を伸ばし、布ごとそれを受け取る。


 軽い。


 レオンハルトは死んだのに、残ったものはこんなにも軽いのか。


「……どうしてだ」


 かすれた声が出た。


「レイン」


 エリシアが泣きそうな声で俺の名を呼ぶ。


「どうして俺を追放した? 俺なら、あいつを死なせずに済んだんだ。エリシア、おまえはなぜあいつを助けなかった! ユリウスもルカも死んだのか? おまえらはなんて無能なんだ! おまえらこそ追放されればよかったんだ」


 思ってもいないようなことが口をついて出る。いや、もう何が俺の本音なのかもわからなかった。


「おまえらが追放されていれば誰も死ななかったはずだ……。おまえらは間違っていたんだ……」


 気づくと涙が溢れて、方位盤を包んだ布に滲んだ。


「何があったんだ? なぜ俺は追放されたんだ?」


 エリシアはぎゅっと唇を噛み締めていた。


「レオンハルトは最初からわかっていたの。今回の遠征で、私たちに勝ち目はなかった。私たちは魔王のことを何も知らなかったんだもの。それでも王命で行くしかなかったの。魔王を倒すためじゃなくて、王都に攻め込まれる時間を少しでも稼ぐための遠征だったのよ。最初からレオンハルトは捨て石になるつもりだったの」


 エリシアの声は震えていた。


「でも、あなたは連れていけないって。何度も、何度も言ってた。あなたがいたら生き延びる確率は上がるかもしれない。けれど、生き延びるだけでは、ただ寿命を少し延ばすだけで、魔王討伐には何もつながらない。でも、レオンハルトがあなたに魔王の情報を伝えれば、きっとあなたなら次に繋げてくれると信じていたの」


 そこで彼女は再び唇を噛み、肩を震わせた。


「私は嫌だった……!」


 その声は、さっきまでの聖女のものではなかった。

 年相応の、ただの女の声だった。


「あなたを傷つけるってわかってて、黙ってるのが嫌だった。あんな追放みたいな形にするのも嫌だった。レオンハルトにも何度も言った。せめて本当のことを伝えてって……でも、それを伝えてしまったら、あなたは必ずついてきてしまうって」


 エリシアの目には涙が溜まっている。その涙をこぼすまいと、必死に言葉を紡ごうとしている。


 朝の言葉が、ようやく繋がった。


 ——どうか、生きて。


「結局……私だけは生き残ってしまった。いえ、誰かが生き残って、あなたにレオンハルトの遺品を届けなければならなかった。それが私の役目だった」


 彼女は生き残ったのではなく、生き残されてしまったのだ。それは誰よりも辛い役目だったに違いなかった。


「あなたに会うのが、怖かった」


 静かに言う。


「でも、恨まれて当然だと思ってる……」


 俺は布を剥ぎ、方位盤を強く握りしめた。


 冷たい金属の感触。使い込まれて細かい傷が無数に走っている。


残想感知(エコー・センス)



 遺品の持ち主の、死者の残想が俺の中に流れ込んできた。


   ※


 暗い。


 濃い魔力の霧。


 空は灰色で太陽の光も届かない。


 そして、よく知った声が響く。

 静かで、真っ直ぐなあの声。


『……勝てない』


 方位盤を握る手に、思わず力が入った。


『レインが退いてくれて良かった。あいつだけが俺たちの希望だ』


 息が詰まる。


 残想は容赦なく続く。


『あいつは特別だ。人類を未来に導けるのはあいつだけだ』『俺の代わりはいても、あいつの代わりはいない』『探究者(シーカー)を失えば、人類はどこにもたどり着けない』『誰かを頼るなんて、勇者が聞いて呆れるな』


 もうこれ以上、何も聞きたくなかった。何も見たくなかった。


 それでも死者の言葉は止まらない。


『だから、置いていく』『不名誉くらいは、俺が背負う』


 そこで、ふっと微かな笑いが混じった。


『またあいつも一緒に、酒でも飲みながらバカ騒ぎしたかったな』


 最後に。


 黒い霧の向こうに、()()は立っていた。


 俺たちが魔王と呼ぶ存在だ。


 最初は人の形に見えた。

 だが、そう認識した次の瞬間には、その輪郭が揺らぐ。背の高さも、腕の長さも、立ち姿さえ定まらない。王冠を戴いた痩せた王のようにも、黒いローブをまとった影のようにも見える。けれど、そのどれも本当ではない気がした。


 顔があるはずの場所だけが、異様に暗い。

 その奥で、横に並んだ青白い光が二つ、静かに浮かんでいる。


 生き物を見ている感じではなかった。魔物ですらない。

 ただ、概念としての「死」がそのまま地上に顕現したかのような姿。


 エリシアが後方から祈りを捧げる。

 白い光がレオンハルト、ユリウス、ルカを包み、三人の力を底上げした。


 最初に飛び出したのはユリウスだった。大盾を構え、真正面から魔王へ突っ込む。

 同時にルカが炎の魔法を放ち、紅蓮の奔流が魔王を飲み込んだ。


 だが、効いていない。


 炎は確かにその姿を呑み込んだはずなのに、炎が晴れた後にも何も変化はなかった。

 ユリウスの盾撃も当たっている。だが、硬いものを打った感触ではなく、底の見えない深い闇に叩き込んだような、空虚な手応えしか残らない。


 レオンハルトが間合いを詰め、一気に剣を振り抜く。

 剣閃は魔王の胴を裂いた——はずだった。


 だが、血は流れない。

 裂けた闇の奥で、ほんの一瞬だけ青白い光が反応したのが見えた。


 次の瞬間には裂けた傷は閉じ、魔王は何事もなかったかのように立っている。


『……少しも通っていないのか?』


 レオンハルトが小さく呟く。


 その直後、魔王が腕を振った。

 ただその動きだけで、ユリウスの巨体が吹き飛んだ。地面に叩きつけられ、鎧が軋む。エリシアの治癒の光が飛ぶが、受けた損傷に追いつかない。


 ルカの種々の属性魔法も、レオンハルトの追撃も、まったくダメージにはならなかった。


 押されている。

 いや、最初から勝負にすらなっていなかった。


 死そのもののようなあの闇の奥に、何か斬れるものがあるのか?


 やがて血の匂いが鼻をつく。


 レオンハルトが左の籠手から方位盤を引きちぎり、エリシアに向かって放り投げ、『逃げろ』と叫んだ。


『頼んだぞ、レイン』


 そう言って、再びレオンハルトは魔王に向かっていく。


 それきり、すべてが途切れた。


   ※


 気づけば、俺は方位盤を握ったまま、その場に膝をついていた。


 エリシアが一歩近づきかけ、でも止まる。


「……どうしても言えなかった」


 消え入るような、か細い声だった。


「本当のことを言えば、あなたはついてきたから」


 返す言葉が見つからない。


 真実を聞けば、俺は迷うことなくついて行っていただろう。レオンハルトの想いを裏切っていただろう。


 悔しいのか、怒っているのか、情けないのか、自分でもわからなかった。


 追放されたと思っていた。理不尽に切り捨てられたのだと思っていた。


 けれど、違った。


 切り捨てるためじゃない。俺を守るための判断だった。


 そんなもの、わかるわけがない。


「……ふざけるな」


 弱い声だった。


「そんなの……今さら聞いて、どうしろってんだよ」


 エリシアは俯いた。


「怒っていいよ」


 静かに言う。


「……でも、あの人があなたを切り捨てたわけじゃなかったことだけはわかって」


 手の中には、レオンハルトの方位盤。


 ほんの一日のうちに、俺は二人分の死者の想いを受け取ってしまった。

 一人は、勇者パーティーに入れず、人生をやり直せなかった男。

 一人は、人々のために生き、勇者として人生を終えた男。


 どうしようもなく、重い。


 ギルドではまだざわめきが続いていた。相変わらず、勇者を責める声。明日からの不安を漏らす声。誰かの死を、自分の怒りの材料にしか使わない声。


 そんなやつらのために、レオンハルトは死に、俺に後を託した。そんなやつらだらけでも、世界は、人類は続くべきだと信じて。


 俺は扉のほうを見た。


 世界はまだ終わっていない。人類を脅かす魔王は生きている。勇者は死んだ。不安だけが広がっている。


 前の人生でも、こういう瞬間があった気がした。

 誰かがミスをした後始末だけが残って、目立たない場所で拾う役が必要になる瞬間が。


 俺はきっと、そういう役回りから逃げきれない。

 前の人生でも。今の人生でも。


 でも——


 方位盤を握り直す。


 死者の声を聞けるのなら。

 拾われずに終わるはずだった後悔や、託されるはずのなかった想いを、俺だけは拾える。


 まだ、できることはある。


 ガルドの遺品をエマに届けたように。

 レオンハルトの意思を継いで、足掻いていくことはできる。


 生き残された側にしか、できないことがある。


 エリシアが怯えるように、それでも縋るように俺を見る。


「レイン……」


 怒りも、悲しみも、消えていない。何も納得もできていない。

 たぶん、それらはすぐには消えない。


 それでも足は前を向いていた。


「……とりあえず」


 弱々しい声で言う。


「回収班を出してくれ。ガルドを、置きっぱなしにはしないでやってくれ」


 ガレスが頷いた。


「すぐに手配する」


「あと、勇者のことは——」


 そこまで言って、言葉を切る。


 俺は方位盤を布で包み直し、腰袋へ入れる。


「……俺が引き継ごう」


 エリシアの目から、ついに涙が決壊した。


「……ありがとう、レイン」


 俺は扉へ向かう。


 ギルドの喧騒が遠ざかっていく。



 俺は死者に導かれている。


 生き残された者にしか、繋いでいけない想いがある。

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