第三話 異世界の少女は逞しいらしい
「あ、あの……大丈夫……ですか?」
思考停止で森山猫が去っていた森を見つめていると背後から控えめな声が聞こえてきた。俺はまとまらない思考のまま振り返る。そこにいたのはさっきの女性だった。いや、少女といったほうが正しいか。俺はボーっと彼女のことを見た。
小柄な少女だった。遠目では分からなかったが赤茶色の髪をポニーテールにまとめた整った顔立ち。簡素な革鎧にショートパンツ、膝上丈のブーツという動きやすそうな恰好をしている。だが、なんといっても目を引くのは彼女の背丈と変わらないほどのその長い弓だろう。
(あんな長い弓を引けるってことは実は力が強いのかな?)
そんな益体もないことが頭に浮かぶ。
「えっと、あ、あの……」
少女の顔が困惑に変わったところでようやく自分が少女をまじまじと見つめていたことに気がついて「す、すみませんっ!」と謝って慌てて立ち上がった。余程俺があたふたしているように見えたのか少女も「い、いえ!こちらこそすみません!」と言って突き出した手をブンブンと振った。
「あっ!助けていただいてありがとうございますッ!」
自分が未だに礼すら言っていなかったことに気づいた俺はそう言って勢いよく頭を下げた。すると頭上から「そ、そんな!こちらも助けてもらったので!頭をあげてください」という輪をかけて慌てたことが降ってきた。
「えっと……」
彼女の言葉で頭をあげたはいいものの何を話せばいいのか分からない。少女は少女でやはり俺と同じような反応をしていたのだが、ハタッと彼女の視線が俺の顔で止まった。
「あ、怪我!治療しないと!」
「へっ?」
彼女はそう言うと、いきなりのことに漏れた俺の間抜けな声を余所に、持っていた弓を背中に担ぐと急にテキパキと動き始めた。しゃがみ込むとプチプチと周りに生えている薬草をいくつか摘むとそれを手で揉むように擦り合わせる。微かに青臭い匂いが俺のところまで届いている。しばらくそんな作業をしていた彼女が立ち上がる。
「少し前に屈んで顔をこちらに向けてもらえますか?」
こちらに向き直った少女にそう言われた俺は、よく分からないまま言われたとおりに彼女へと顔を近づけた。彼女は左手を俺の頬に添えると彼女の顔がグッと近くなる。思わずドキリッとしたが、彼女は真剣な顔で右手に持ったすり潰した薬草を俺の顔にポンポンと優しく当てていく。
奇しくも俺は彼女の顔を間近で見つめるような形になった。長い睫毛。やや吊り目気味の意思の強そうな瞳。小さな鼻に唇。全体的にはまだ幼さが勝っているけど将来はさぞ美人になるだろう。
俺がぼんやりとそんなことを思っていると彼女と視線がぶつかった。一瞬手の動きが止まる——と、次の瞬間、「すすすす、すみません!」と言って彼女がバッと俺から距離を取ると胸に手を当ててゆっくりと息を吸い始めた。
「ええと……」
俺は俺でどう反応していいものか分からない。「あの……」だとか「その……」だとか言ってみるがその後の言葉が出てこない。俺がそんなこんなで慌てている間に彼女は落ち着きを取り戻したようで、こちらを見て「もう大丈夫です」と言うと、今のは応急処置なので念のため、街の治療院に行くようにと言われた。
「治療までしていただいてありがとうございます。えっと……」
そこまで礼を言ったところで俺はまだ彼女の名前を聞いていなかったことを思い出した。
「あっ!私はウィーレストの冒険者でイリス・レミルトンといいます」
「イリスさんですね。申し遅れましたが俺は……セイマ オリドといいます。改めて助けていただいたうえに治療までしていただいてありがとうございます」
どうやら彼女も気づいたのか自己紹介されたので、俺も一瞬どう名乗るか迷ってから自己紹介をした。俺の自己紹介を聞いたイリスは「セイマ……さん、ですね。年上の方みたいですし私のことはイリスでいいですよ。敬語も必要ありません。」とおそらくあまりこの世界では聞きなれない響きなのだろう俺の名前に戸惑った様子ながらそう告げてきた。俺は無難に了承しておいた。
「それでセイマさんはなぜこんなところに?あっ!私は合同パーティーで四腕熊っていうクリーチャーの討伐依頼を受けて来たんですよ」
互いに自己紹介を終えたところでイリスにそう言われた俺は、出そうになった声を寸でのところ飲み込むことに成功した。どう説明しようかと視線を泳がせると視線の先にさっきまで集めていた薬草の束が目に入った。俺は咄嗟に「森を抜ける途中に薬草畑を見つけたので路銀稼ぎをしようと思って」と言いながら薬草の束を指差す。彼女は俺の指差し先を確認すると「そうなんですね」と納得してくれたようだった。
(あ、危なかった……四腕熊って確かあの死骸だった熊のことだよな?)
俺はイリスの様子を見て内心でひとりごちた。正直、彼女にどこまで本当のことを話しても大丈夫なのか判断がつかない。
「あの……森の中でセイマさんと同じ黒髪の男の人を見掛けませんでしたか?」
俺がイリスにどこまで話すかを考えているといきなりそんなことを聞かれて俺は再び声が出そうになるのをなんとか堪えてなんとか「えっと……その、男の人というのは……?」と聞き返す。
「私たちと一緒に森に入った冒険者なんですけどはぐれてしまって……もしかしたら見掛けていないかと思ったんですが……」
どうやら俺の質問はイリスに不審に思われなかったようで、彼女は伏し目がちにそう答えた。
(それってやっぱりあの……)
彼女の答えを聞いて俺の頭の中にはあの血溜まりに倒れていた男性の光景が蘇る。
「セイマさん?」
イリスの言葉に黙り込んでしまったらしい。彼女が俺を見て首を傾げていた。
「えっ?何の話だっけ?ああ、男性冒険者か!ちょっと覚えがないなぁ。なんせ俺がこの森に入ってから初めて会ったのがイリスだから……あっ!でも、もっと奥のほうで剣で斬られた四腕熊らしき死骸に群狼鼠が群がっているのは見たような……?」
彼女に問いかけられた俺は焦って捲くし立てるように話し出してしまった。途中で気づいたもののどう考えても怪し過ぎるだろッ!
「えっ!?四腕熊の死骸ですかッ!?どこでッ!」
だが、どうやら彼女には四腕熊の死骸のほうがインパクトが強かったようだ。俺の様子に気づくことなく食い気味に四腕熊の死骸を見た場所を尋ねてくる。その勢いに押されながら俺は「い、いや~どの辺りだったかなぁ?何せ道に迷ってたうえに群狼鼠に見つかって追い掛けられちゃったからちょっとはっきり覚えてないなぁ~」と言ってなんとか誤魔化す。俺の答えを聞いたイリスは「そ、そうですか……」と言って残念そうな顔を浮かべた。なんとなく気まずい空気になる。
「で、でも、ここより更に奥で迷っていたのならよく無事にここまで出てこられましたねっ!」
彼女もそんな空気を察したのか殊更に明るくそんな風に言ってくれたのだが、俺のほうは本当のことを言っていないので余計に気まずい。なんとか「ほ、本当に運が良かったよ」と無難に返事をした。
「それでセイマさんはこれからどうされるんですか?」
どうにも気まずい空気だったところに気を遣ったのかイリスがこれからの予定を尋ねてきた。とはいえ、とにかく森を出ることしか考えてなかったので聞かれても困る。
(確か彼女はウィーレスト?って街から来たんだっけ?ウィーレスト……ウィーレスト……これかっ!)
ただでさえ俺は怪しいところだらけなのだ。何か答えないといけない。今までの彼女との会話から何か糸口はないかと考えていたところでふとあることが思い浮かんだ。
「え、えっと、俺もウィーレストで冒険者になろうかと思って旅をしたんだ」
そう。俺が思い付いたのはウィーレストという街に行くこと。というのも、どうやらこのウィーレストという街は巷で“冒険者の街”と呼ばれているらしいと異世界の常識が教えてくれたのだ。
(とりあえず冒険者になれば稼ぎはなんとかなるはず!冒険者なら他の勇者候補の情報も手に入るかもしれないし案外いい考えなんじゃないか?)
ほとんど思い付きだったけど、言ってから冷静に考え直してみるとあながち悪い考えじゃないと思えてきた。
「そうだったんですかっ!だったらこれも何かの縁ですし、私たちと一緒に街まで行きませんか?うん!それがいいと思います!」
俺の予定を聞いたイリスがそう言ってズイッとこちらに身を乗り出してきた。この娘、案外押しが強いな……。
「えーっと……迷惑なんじゃ……?」
そうは言っても、俺もここでボロを出すわけにはいかない。やんわりとお断りしてみるのだが、彼女は「そんなことありませんッ!どうせ目的地は同じですし、なによりここから一人で移動するより安全だと思いますッ!」と言って更に身を乗り出しくる。
確かに彼女が言うことも最もではある。結局同じ場所に行くのにここで別れるほうが不自然だし、安全に森を出ることを考えればメリットしかないと言えた。
「そ、それじゃお願いしてもいいかな……?」
なんとなく押し負けてしまったような気がしつつも窺うようにお願いしてみる。すると彼女は「もちろんです!」とにっこり微笑んだ。
「それで森山猫の素材なんですが、二人で折半ということでいいですか?」
とりあえず予定が決まったところでイリスがそんなことを言い出した。
「いやいや!倒したのは君だし受け取れないよ!」
俺はその提案に慌てて首を横に振ったのだが、彼女は「自分も助けられたのだから」と言って譲らない。結局ここでも俺は押し負けてしまった。
「そうと決めれば血の臭いで他のクリーチャーが寄ってくる前に解体してしまいましょう!」
素材の折半が決まるとイリスはそう言って手を叩いてスタスタと森山猫の死骸に向かって歩き出した。出遅れてしまった俺は慌てて彼女の後をついていく。
(ついてきたものの素材の剥ぎ取りってどうやってやるんだ?)
森山猫の死骸の前まで来たものの俺は途方に暮れた。元の世界で生き物を解体するなんて小学生の頃の理科の授業のカエルの解剖くらいしか経験がない。チラリっとイリスの様子を窺うと彼女はナイフを取り出して躊躇うことなく森山猫の爪を剥いでいた。
(マジかよ……)
俺はその躊躇いの無さに衝撃を受けた。この日、俺は異世界の少女が逞しいことを知ったのだった。




