第二話 森の中は出会いがいっぱい
歩き始めて数時間、俺は未だに森の中にいた。景色は相変わらず見渡す限り、木!木!木!果たして本当に出口がこの方向なのか不安になってくるが、かといってもう引き返すこともできない。
不安なまま更に一時間ほど歩いただろうか?それまで木々が風に揺れる音や生き物の声ばかりだったところに別の音が混ざるようになった。
「水音?」
口に出してみて実感する。そう、水が流れるような音がするのだ。俺は逸る気持ちを抑える。ここで焦ってはいけない。同じペースを維持しないと。そうは思うのだけど、次第に歩く速度が速くなっていく。次第に大きくなるせせらぎ。遂に木々の隙間を抜けるとそれはあった。
そこは森の中にぽっかりとできた隙間のような場所だった。それまでの木々の隙間から差し込んでくる木漏れ日とは違う陽光。その中心を小川が流れ、周りには青々として草むらが広がっていた。
「ん?これって?」
広がる草むらをよく見てみればそれはどうやら薬草のようだった。見たこともない草が薬草だと分かるということはこれも異世界の常識の効果なのだろう。この感覚を経験したことがない人に説明するのは難しい。いきなり頭の中に知らないはずのものを「知っている」と感じる感覚……既視感に近いだろうか。
そんななんとも言えない感覚を味わっているとき、ふと(これって売れるよな?)という考えが頭を過ぎった。今持っているのは自称神から渡された硬貨のみ。きちんと数えた訳ではないが、心許ないのではないかという気がしてくる。
「ま、まあ少しくらいならいいか?」
誰に対する言い訳かよく分からないことをつぶやきつつ、俺はふらふらと草むらの中に入っていった。
「やり過ぎた……」
薬草集めを始めてどのくらい経ったか、俺は目の前の薬草の束を見つめていた。初めての薬草採集に自分でも気がつかないくらいにテンションが上がっていたのか、一心不乱に集めた結果、目の前には大きな白菜一玉分くらいの薬草の束が五つほど積み重なっていた。
「鞄の中に全部入るか?いや、一部はアイテムボックスに仕舞って……ぐへっ!?」
目の前の薬草の束をどうやって運ぼうかとああでもないこうでもないと考えていると、いきなり何かに圧し掛かられて地面に押し倒された。舌を噛んだのか口の中に鉄の味が広がり、打ち付けたのが後頭部や背中がズキズキと痛んで目の前がチカチカする。だが、それよりも——
「ハァハァハァハァ」
顔に掛かる生臭い不快な風と荒い息遣い。明らかに何か重く温かいものが身体の上に載っている感覚。俺は恐る恐る目を開いた。そこにあったのは視界いっぱいに広がるいくつもの鋭い牙とザラザラとした舌だった。
(喰われるッ!?)
そう思った瞬間に「ヒュンッ」という鋭い風切り音が聞こえた。途端に上に乗っていた何かから力が失われて俺は下敷きにされた。
「ぐえッ!?」
いきなり押しつぶされたことで俺の口から悲鳴とも嗚咽ともつかない音が漏れる。このままじゃ拙い!喰われなくても潰れて死ぬ!とにかくなんとかここから抜け出さないと!俺は強引に身を捩る。もがいてもがいてなんとかできた僅かな隙間から必死に這い出した。
「痛ててて……」
俺は痛みに顔を顰めながらよろよろと立ち上がると、顔をあげて改めて自分の上に覆いかぶさっていたものを確認する。それは大きな猫のような生き物だったのだが、その眉間に深々と矢が突き刺さっていた。どうやら誰かが放った矢に救われたらしい。俺は矢を放った人物を探して矢が放たれたと思われる後ろを振り返った。すると二〇〇メートルほど先だろうか。背丈ほどのおそらく弓と思われる長い棒を持った赤茶色の髪のおそらくは女性がこちらに向かって駆けてくるのが見えた。だけど、そんなことよりも重大なことに俺は気づいた。ちょうど今、女性が通り過ぎた木の上。そこから今にも女性に飛びかかろうとするクリーチャーの姿に。
ほとんど無意識だった。俺は腰のベルトからナイフを引き抜くと、枝を蹴って女性へと飛びかかった森山猫というらしいクリーチャーに向けて投げつけた。森山猫に向かって一直線に飛んでいくナイフ。俺はそれを追いかけるように腰の剣を引き抜くと駆け出す。
ナイフは突然の俺の行動に驚いた表情で固まってしまった女性の頭上を越えて、空中の森山猫の左前脚付け根あたりに深々と突き刺さる。バランスを崩した森山猫は女性の手前で失速してそのまま地面に着地した。その間にも俺はぐんぐんと加速して間合いを詰める。
女性と目が合った。若い。たぶん俺より年下。そんなことを思いながら彼女の脇を抜け、背後にいる森山猫の首筋めがけ剣を振り下ろした。
(取った!)
そう確信したはずの俺の剣は、しかし、素振りしたときと違って全然イメージどおりじゃなかった。剣速は遅いし、身体も流れてしまっている。完全に力が逃げてしまっている俺の剣は首筋を僅かに傷つけただけで後ろへ飛び退いた森山猫に簡単に躱されてしまった。意味が分からない。
あまりの衝撃に俺の足が止まる。視界の端では森山猫が今にもこちらに飛び込もうと身を屈めているのが見えているのだが、頭の処理が追いつかない。
(何してる!早く!)
頭では必死に命じているのだが、俺の身体の動きは鈍い。そのとき再び「ヒュンッ」という風切り音が聞こえた——と同時にそれまでこちらに飛びかかろうとしていた視界の端の森山猫が上に飛び上がった。一瞬遅れて地面に矢が突き刺さる。
俺は慌てて視線を上げる。森山猫は枝の上にいた。こちらを睨みつける視線と視線がぶつかる。身じろぎ一つできない。
だが、森山猫はすぐに俺から視線を外すと踵を返して別の枝へと飛び移った。どんどんと遠ざかっていく姿。その姿が完全に見えなくなったところで、俺は全身の力が抜けてその場にへたり込んでしまった。




