第一話 決意と覚悟 side 長月 怜司
とある船室、その一室がぼんやりと映し出される。備え付けの小さな丸窓から月明かりが差し込んだのだ。
「すぅー、すぅー」
「…………」
小さな寝息を立てる少女。その傍らではその寝顔を静かに見守る人影がある。青年だ。短く刈った髪の下には年齢に不釣り合いともとれる精悍な顔立ち。バイト仲間や大学の友人たちから「目つきが悪過ぎる」と揶揄われた目元だが、今、少女を見つめる視線を見れば彼らはその柔らかさに驚いたことだろう。
「クトルアスネ大陸……」
青年が小さく呟く。それがこれから自分たちが向かう大陸の名前らしい。どうにも言い慣れない。随分と遠くに来てしまったものだと自嘲気味に思う。
「遥……待ってろ」
青年がそう呟いたとき、月明かりが差した。その表情は声とは裏腹に悲痛に歪んでいた……
青年—長月 怜司の人生はお世辞にも順風満帆と言えるようなものではなかった。中学生の時、彼は両親を事故で失った。幼い妹と怜司は祖父母に引き取られることになった。すでに年老いた祖父母に迷惑をかけていることは彼にとっては負い目であった。高校進学すら諦めようと思っていた怜司が大学まで進学したのは、祖父母の「両親が遺した物がある」という言葉と妹のためだった。
しかし、不幸はこれで終わりではなかった。
怜司は大学二年生になっていた。少しでも祖父母に負担を掛けまいとバイトに励んでいたある日……それは唐突にやってきた。
バイト先に鳴り響く電話の音。
「えっ……」
「怜司ッ!怜司ッ!」
手から零れ落ちた受話器からは取り乱した祖母の声。
「遥が……遥が……そんな……」
全身の力が抜けて膝から崩れ落ちる。
「どうして……」
妹の事故の知らせ……その日は奇しくも怜司の誕生日だった。
—シュコー。シュコー。
規則正しい呼吸器の音だけが響く。その中心には彼の妹が静かな表情で横たわっていた。ひき逃げだった。誕生日、兄を喜ばせようと怜司が借りているアパートへ向かう途中の事故。犯人は未だ見つかっていない。だが、怜司にとってはそんなことはどうでもよかった。ただ、妹に目覚めてほしかった。
医師の話では妹はいつ目覚めるかも分からないと言う。そんな妹の面倒を見ていた祖父母もすでにない。息子と孫を立て続けに事故で失うかもしれないという状況に彼らの精神が耐えられなかった。妹の事故からほどなくして祖父が、その後を追うように祖母が立て続けに亡くなった。幸い、両親と祖父母の自宅を整理した金が手元に残ったが、これからは自分が妹の面倒を見ていかないといけない。
それからの怜司の日々は激動だった。大学の講義時間以外は全てバイトに充て、隙間があれば妹の見舞いに行く。そんな生活は肉体的にはもちろん、精神的に彼を疲弊させた。
そんな極限の状態が一年近く続いたある日—
「やあ~やあ~、長月 怜司くぅん。きぃみに~、耳寄りなは~なしがあるんだけどー?」
怜司は“あれ”と出会った—いや、出会ってしまった。
「君ぃ~の願ぁぁぁい……叶えたくなぁぁぁい?」
ボサボサの髪、サイズの合っていない大きな丸眼鏡、ヨレヨレのシャツと、同じくヨレヨレの白衣を羽織った狂人。
調子外れな口調で奴は囁く。
「ちょぉぉっとだけぇ、僕のお願いを聞ぃ~てくれるだぁぁぁけでいいんだよ~?」
それは甘い毒のように怜司の頭へと染み込んでくる。
「僕のため、そして、君の願いのために魔王と勇者候補を……殺してくれない?」
その言葉だけはやけにはっきり聞こえた。
■□■□■□
「ご苦労さん」
近付いてきた男がにこやかに告げるに対して青年—怜司は短く「…………ああ」とだけ答えると肩を組もうとする男を避けるように身を翻した。
「お、おいッ!チェッ!ッんだよアイツッ!」
「いいからほっとけよ」
背中から聞こえる男の悪態。それを別の誰かが宥めているらしい。
(アイツらに構ってる暇はない俺は……)
怜司は目の前に広がる景色を改めて見やる。そこには赤土と剥き出しの岩々だらけの荒涼な大地が広がっている。怜司は背後の声を無視して現在の『家』を目指して歩を進めた。
あの日、目の前に現れた男は自分のことを『神』と名乗った。奴の話は要約すると「自分の世界で生まれる“魔王”を倒してほしい」というものだった。
「もぉぉし、協力してくれぇぇるなら~君の願ぁぁぁいを~叶えてあーげるッ!」
荒唐無稽な話だ。しかも、怜司と同じような奴が十二人もいると言う。そして、願いを叶えられるのは一人だけ。何より魔王を倒す一人になるためには他の十二人の勇者候補が持つ“勇者の欠片”を手に入れて真の勇者にならないといけないと言うのだ。
(なんだそれ!実質デスゲームじゃないか!)
怜司だって子供ではない。どれほど自分の不幸を訴えたところで自身の欲望を目の前にして人に善意を施せる者はそう多くはないのだ。
「君だって同じだろ?」
「ッ!?」
はっきりした口調にハッとさせられた。
(そうだ!俺は遥を!)
ゴテゴテして医療機器に囲まれて眠り続ける妹。自分に残された最後の家族。その妹を救えるのだとしたら他者の願いなど何を気にする必要があるのか—そうして怜司が降り立ったのがこの“ファゼイクエインド大陸”だった。
「みぃぃんなにあげてるから~」
自称神の思惑に乗ると決めた時、“勇者の欠片”のほかにアイテムボックスと“異世界の常識”というものを与えられた。その“異世界の常識”によるとこの世界には三つの大陸があるらしい。
一つはファゼイクエインド大陸の北に位置するクトルアスネ大陸。大陸中央を流れる“大河”によって東西が分断されていることを除けば、年中温暖で多くの国が発展している大陸。
一つはファゼイクエインド大陸から北西に位置するエオロウクス大陸。クトルアスネ大陸からの入植者が開いた沿岸の港町以外は湿地とサバンナと森林をごちゃ混ぜにしたような出鱈目な地形でほとんど開拓が進んでいない大陸であり、内陸には獣人が多く暮らしているらしい。
そして、最後がこのファゼイクエインド大陸。東西に細長いこの大陸は北に『バルナグラ山脈』と呼ばれる岩山が、西に広大な砂漠が広がり、耕作地は二割ほどしかない不毛な大地だ。その唯一耕作可能な大陸の南東部にはクトルアスネ大陸からの移民が開拓した『ザスカーシュ』という港町があった。
西に広がる砂漠で暮らす先住民たちとの争いを繰り返して手に入れた耕作地—だが、そんな耕作地でも人口三万程度のこの町の口を賄いきれるものではなく、その多くをクトルアスネ大陸からの食料輸入に頼っていた。
夕暮れ時、町の市場が賑わう時間。そこですれ違うのは人間だけではない。ずんぐりむっくりした髭面の男たちが酒を片手に屋台で騒いでいるかと思えば、食料品が並ぶ屋台で店主と値切り交渉をする頭に角が生えた女がいる。ずんぐりむっくりなほうは“ドワーフ”、角が生えているのは“魔族”と呼ばれる種族であり、耕作地の少ないこの大陸で人々が生きていけるのは彼らが存在しているからだった。
大陸の北側に広がるバルナグラ山脈は豊富な鉱石の産地であり、多くのドワーフたちが暮らしていた。彼らは鍛冶に長けており、その能力を活かして他の大陸と交易を行っていた。そんなドワーフたちの作った武具に魔法の力を宿らせる“魔化”という処置を施していたのが魔法に長ける魔族たちだった。共生関係だった彼らと他の大陸との間に入ることでザスカーシュという町は生き長らえてきたのだった。
(本当にこの大陸に勇者候補はいるのか?)
この大陸に降り立って数週間、「情報が集まれば」と冒険者の真似事を始めてみたものの一向に情報が集まる様子はない。怜司は内心で焦りを感じていた。それには「他の冒険者と慣れあうつもりはない」という怜司自身の態度も大きく影響していたのだが、彼がそれに気づくことはなかった。
「道に迷ったか……?」
そんな日々が続いたある日、とある依頼で事件は起こった。なんてことはない素材確保の依頼。だが、一緒に来ていたパーティーは素材を確保すると怜司にクリーチャーを押し付けて自分たちはさっさと離脱してしまったのだ。裏切り—怜司がそのことに気づいた時にはすでにパーティーの姿はなかった。
「どうしたものか……」
怜司は冷静に周囲を見回す。正直言って怜司にとって彼らの裏切りなどはどうでもよかった。元より慣れあうつもりなどない。そもそもこれから同じ世界から来た勇者候補を殺そうと言うのだ。全く関係のないこの世界の住人など怜司にとっては劇の書き割とさして変わりはなかった。
「……ん?あれは……?」
その時、人工物らしきものが目に入った。まだ遠いがおそらく小屋だ。
「行ってみるか」
すでに日が暮れ始めている。日帰りのつもりであったので当然ながら野営の準備などしていない。ましてや砂漠が大半のこの大陸の夜は酷く冷え込むのだ。備えもなしに野宿などできたものではない。「背に腹は代えられない」と言い聞かせながら怜司は小屋に向けて歩き始めた。
「これは……」
小屋に近付くにつれ、さすがの怜司も絶句した。そこにあったのは明らかに手入れもされていないようなボロボロの小屋—いや、いっそ『廃屋』と言ったほうが潔いかもしれない。
「狩猟小屋……か?」
一応、良い方に考えてみようとするのだが、所詮は気休めだ。壁こそ剝がれてはいないがあちこちに小さな穴が開き、とてもではないが寒さを凌げるとは思えない。辛うじて『小屋』と呼べるようなものだった。
「他に建物は……ん?」
さすがにここでは夜は越せない—そう思った怜司は周囲を見回す。すると遥か遠くにいくつかの建物が並んでいるのが見えた。
「村か……あそこなら……ッ!?」
どうやら村があるらしい。やはりここは村の狩猟小屋か、廃棄された家屋のようだ。そう思って村に向おうと踵を返しかけた時、小屋の中から物音がした。ギョッとして身構える怜司の前で「ギッ、ギッ」と不快な音を立てながらゆっくりと小屋の扉が開く。
「「えっ?」」
“何か”と怜司の声が重なる。開いた扉から現れたそれは驚愕に目を見開いて固まっていた。
年の頃は十二~三歳くらいだろうか。元は綺麗だったであろう金髪、ややウェーブした髪は肩口で乱雑に切り揃えられ、その下のくりくりとした蒼い瞳が今は驚愕に見開かれている。一八一センチの怜司の腰ほどしかない小さな体に纏っているのは何度も継ぎ接ぎしたような薄汚れたワンピース、お世辞にも裕福とは言えない少女だった。
(遥ッ!?)
「あ、あの……う、うちに、な、何か御用でしょうか?」
「あっ……いや……その……」
「ッ!?な、何もッ!うううううちには何もお金になるようなものはありませんからッ!わわわわ私を攫ってもおおおお金にはならないと思います!」
「い、いや、俺は別に人攫いでは……」
「みみみみ見逃してくださいッ!」
別に似ているわけではない。ただ、怜司にはなぜか少女が幼い頃の妹と重なって見えた。それがいけなかったのか、少女の問いに言い淀んでいる間になぜか人攫いと間違われてしまった。
「道に迷われたのですか?」
取り乱す少女を何度か宥めたところで怜司は改めて事情を説明した。事情を聞いた少女—『エリーゼ』というらしい—はようやく落ち着きを取り戻すと、ここが『グアスティレ』という村の外れだと教えてくれたのだが……今度は「今晩はうちに泊まっていってください!」と言い出した。
「うち?それは……?」
怜司は遠くに見える村の子なのかと思い、そちらへと視線を移し掛けたのだが、返ってきたのは「はい!ここが私の家です!」という予想もしていなかった答えだった。
「い、いや、それは申し訳ない。俺は村にでも—」
「『困っている人には親切にしなさい』ってお母さんが言ってました!遠慮しないでください」
「えっ!?ちょっと!?」
「泊まる」とは言わせてもらえなかった。エリーゼは怜司の手を掴むと有無も言わさず小屋の中へと引っ張った。
「これは……」
中に入った怜司は絶句した。そこに広がっていたのはある意味で想定どおりの光景だったからだ。物は少なく、壁の隙間から外の光が差し込む寒々しい小屋。そんな侘しい小屋の中で、エリーゼは「そこに座っててください」と部屋の一角を指差すと囲炉裏のようなものに火をくべ始めた。
「その……ご両親はまだ帰ってこないのか?」
言われた場所に腰を下ろしたものの落ち着かない怜司はつい、彼女にそんなことを聞いてしまった。途端にエリーゼの手が止まる。「しまった」と思った時にはもう遅かった。
「お父さんには会ったことがありません。お母さんは私が小さい頃に……」
「ッ!?そ、それじゃ、なぜこんな小屋で一人で!」
聞いてしまった瞬間、怜司の中でまた彼女と妹が重なった。心の中でもう一人の自分が『聞くなッ!』と叫ぶ。だが、止められなかった。
「本当にいいですか?」
「……ああ。君は待っていろ」
「でも……」
「心配するな」
「そ、それじゃあ……お、お願いします」
エリーゼがペコリッと頭を下げた。その小さな姿に見送られながら怜司は小屋を出た。夕食の獲物を確保するため……というのは言い訳でしかなかった。
「…………」
飛び出してきた砂兎の首筋を一突きする。澱み一つない動き—だが、それとは裏腹に怜司の心は乱れていた。
(どうしてあんな子がッ!)
湧いてくる怒り。それをぶつけるように怜司は獲物を狩り続ける。
「お母さんが亡くなってから私のお世話をしてくれたのは村長さんの家族でした」
パチパチと薪が爆ぜる中でエリーゼが静かに語ったところによると、最初は彼女も村の中で生活していたそうだ。母を亡くした少女を不憫に思ってか、最初は村人たちも彼女に優しく接していたという。あの日までは……
その日、村を一体のクリーチャーが襲った。だが、そのクリーチャーの動きはおかしかった。村の中を逃げ惑う人々を無視するような動き。まるでどこかを目指すように一心不乱に進む。その先にあったのは—彼女の家だった。
この時は幸いにして大きな被害を出すことなくクリーチャーは村人たちによって討伐された。だが、そんなことが二度三度と続くうち、村では彼女がクリーチャーを呼び寄せているという噂が流れ始めた。優しかった大人たちは自分を見てもヒソヒソと遠巻きにするようになり、仲の良かった子たちからは無視されるようになった。そして……村人からの嘆願に堪えかねた村長から「この小屋に住むように」と言われたのだった。
「でも、村を出ていけって言わなかったのはきっと村長さんの優しさなんです」
そう言って微笑みかけてくるエリーゼの顔を怜司は直視できなかった。
(どうしてあの娘が……だが……俺は……)
答えの出ない想いを抱えたまま怜司は獲物を狩り続けた。
「わあッ!こんなに!!」
いつまでも戻らないわけにもいかない。晴れない心のまま帰った怜司を迎えたのは明るいエリーゼの表情だった。怜司から砂兎を受け取った彼女は「すぐに準備しますね!」と言うや血抜きを始める。戸惑う怜司が何か手伝うと言うも「座っててください」と言われてしまう。彼は仕方なく囲炉裏の前に腰を下ろすとテキパキと下準備を進めるエリーゼを見つめるしかなかった。
夕食も終わり、時刻はすでに深夜。
「ッ!?」
ふと目を覚ました怜司は暗い部屋に浮かぶエリーゼの顔にギョッとする。
「エ、エリーゼ……?」
慌てて身を起こした怜司だが、一言も言葉を発さないエリーゼを訝しむ。
「…………」
(エリーゼ……なのか……?)
ただ自分を見つめるエリーゼ。その表情が先ほど「こんなにお肉を食べたのは初めてです!」と口の周りを油でベトベトにしていた少女の姿と重ならなくて困惑する。
「レイジさん……あなたに……お願いがあります」
ようやく口を開いたエリーゼ。最初は言い淀むような様子を見せた彼女だったが、何かを決意したのかはっきりとした口調でそう告げた。暗闇の中で蒼く輝く瞳が彼を射抜く。
「エリーゼ……一体……いや、それよりもどういうことだ?」
「私を……エオロウクス大陸に……エルフの元に連れていってもらえませんか?」
「なッ!?」
最初、怜司には彼女が何を言っているのか理解できなかった。混乱する頭が次第に彼女の言葉の意味を理解する。
(エオロウクス大陸?エルフ?何を言っているんだ?いや、そんなことよりも俺は……)
自分には妹を救うという“願い”がある。そのために勇者候補を見つけ出し、“勇者の欠片”を奪い取り、魔王を倒さなければならない。寄り道をしている時間などはない。こうしている間にも妹は—
「お願いします。これはあなたにも関係があることなのです」
「ッ!?エリーゼ……君は……」
明らかにこれまでとは違う少女の口調。その口調にハッとして顔を上げるとそこにあったのは悲壮感すら感じさせる少女の顔。
(断るか?……いや、だが……)
『断るべきだ』と頭の中で自分が訴える。『情に流されているのだけだ』と理解もできる。しかし、自分にこの少女を—妹と重ねてしまったこの少女を置いていくことができるだろうか?
「俺は—」
「早く!早く!」
翌朝、まだ夜も明けきらぬ小屋の前に二つの影があった。前を行くのは小さな影。後ろの人物に対して「早く!早く!」と急かしている。その声に悲壮感はない。あるのはまだ見ぬ世界への希望。
「落ち着け。転んでも知らないぞ」
後を追うのは大きな影。今にも駆け出しそうな小さな影を諫める声にはぶっきらぼうながらも慈愛に似た色を帯びている。
「それでこれからどこに行くんですか?」
前を行く小さな影—エリーゼが問いかける。
「まずはザスカーシュ。そこからは船でまずはクトルアスネ大陸へ渡る」
大きな影—怜司が答える。
「船……船かぁ。私、海を見るのは初めてです!」
怜司の言葉に振り返ったエリーゼが屈託なく笑う。
(この娘は無事に送り届ける。そして、俺は……)
その悲壮とも言える決意を笑顔が知ることはなかった。
以降の更新についてお知らせいたします。
2026年3月21日(土)21時頃インタールード第二話更新
2026年3月22日(日)21時頃インタールード第三話更新
2026年3月28日(土)21時頃インタールード第四話更新
2026年3月29日(日)21時頃インタールード第五話更新
第二章第一話は2026年4月11日(土)21時頃からの投稿を予定しています。




