第二十三話 先人の話には耳を傾けるべき
カチャカチャと金具が立てる音だけが部屋に鳴り響いている。
「…………」
俺は黙々と手を動かす。頭の中を巡るのは昨日のこと。
「おい!エリーゼ!俺はそんな話聞いてないぞ!」
珍しく慌てた様子で身を乗り出すレイジ。だけど、エリーゼはそんなレイジを一顧だにもせず俺を見つめている。
「えっと……」
いきなり「一緒にエオロウクス大陸に行かないか?」と言われても……どう答えればいいのか分からない。困惑しているとエリーゼは「一緒に色んなものを見て回りませんか?」といってにっこりと微笑んだ。
「おい!エリーゼ!聞いてるのか!」
痺れを切らしたのか、レイジにしては珍しく自分を無視するエリーゼの肩を少し乱暴に掴んだ。
「もう!レイジさんは少し落ち着いてください」
エリーゼが頬を膨らませながらレイジに振り返る。言われたレイジは彼女の肩を掴んだ手を離しながら、「い、いや、だがな?俺はそんな話は聞いていない」と困惑したように返す。
「それにセイマさんは少しこの街を離れたほうがいいと思うんです!レイジさんもそう思いませんか?」
「い、いや、しかしだな……」
それでも釈然としない様子のレイジに、エリーゼは「そんなんじゃ女の子に嫌われますよ?」と言ってクスクスと笑い出す。
「それじゃお返事はまた数日後に聞きに来ますね!」
エリーゼはすっかり言葉を失ったレイジから視線を戻すと、俺にそう言って笑いかける。
「えっ?いや、ちょっと!」
「さあ、レイジさん。用事も済みましたしいつまでも私たちがいたらお邪魔です。帰りましょう!」
「お、おい!エリーゼ!ちょっと待て!引っ張るな!」
彼女は「言いたいことは言い終えた」とばかりにレイジの手を取ると、俺たちの制止も聞かずにレイジの手を引いて部屋から出ていってしまった。
「何だったんだ……?」
結局、俺は訳も分からないまま一人部屋に残されたのだった。
「はぁー。エオロウクス大陸か……」
鎧の留め具を止めたところでふと手が止まる。昨日の嵐のような出来事を思い返してついつい独り言が漏れた。
(どうしたもんかなぁ……)
一晩考えてはみたけど……答えは—出ていない。
「とりあえず今は準備……って、あれ?」
止まっていた手を動かそうとして自分がもう装備を整えていることに気付く。
「はぁー」
昨日と同じだ。既に“装備を身に着けること”が習慣になってしまった自分に自己嫌悪が募る。
「はぁー……行くか……」
また溜息が出た。腹の辺りに石を抱えてる気分だ。それでも重い気持ちと身体を無理やり振り払うように部屋の扉を開けた。
「来たか……」
「……すみま「謝罪はいい」せ、へっ?」
キリキリと痛む胃を抑えながらやってきたのはケルグ師匠の道場。その道場の真ん中にはこちらに背を向けて師匠が座っていた。まずは全然顔を出さなかったことを詫びようとしたけど師匠に遮られてしまった。師匠は全く軸をぶらすことなくスッと立ち上がるとこちらを振り返る。
「ッ!?」
いつも以上に鋭いその眼光に全身が総毛立つ。
「何をしている?さっさと構えんか」
別に威圧しているわけじゃない師匠の声。だけど、その声が身体を突き抜けた瞬間、ゾクリッと身体が震える。
「は、はいッ!」
俺は師匠の言葉に弾かれたように道場の隅に駆けた。壁にかけられた木剣の中から無造作に一本掴むと急いで師匠の前に戻った。師匠の前に立って手にした木剣を正面に構える。その瞬間—
—転がる男たち。
—咽かえるような血と汚物の臭い
—怯えたような男の顔
(クソッ!)
切っ先が微かに震える。そのことを師匠に気づかれたくなくて、なんとか抑え込もうと柄を強く握り締める。
「参るッ!」
「へっ?」
いきなりだった。いつもは俺が一方的に師匠に打ち込んでそれを師匠が返すってスタイルなのに!
「フンッ!」
「ッ!?」
気がついたときには目の前に師匠の気合いの声が迫っていた。混乱する頭とは裏腹に俺の身体は当たり前のようにその打ち込みを受け止めていた。ビリビリと手が痺れる。
「…………」
—ヒュンッ!
—ゴッ!
—ヒュンッ!
—ゴツッ!
師匠は声を発することなく、淡々と打ち込んでくる。道場には風切り音と木剣がぶつかり合う音だけが木霊する。
—ヒュッ!
—ゴォッ!
—ヒュッ!
—ガッ!
風切り音がどんどん鋭くなっている気がする。その度に打ち合う音も木剣同士とは思えないようなものへと変わっていく。
(ク、クソッ!も、もう手がッ!)
徐々に手の感覚が失われていく。なんとか反撃に転じようとするけど……
—「死にたくないッ!」
「ッ!?」
(チクショーッ!出てくるなッ!)
手に力を込めようとする度、目の前には男たちの必死の形相が現れる。
—カランッ
遂に俺の手から木剣が零れ落ちた。
(打ち込まれるッ!?)
ほとんど目の前に迫る木剣。俺は衝撃を想像して思わず目を閉じる。反射的に拳を硬く握り締め、頭を庇うようにクロスした腕を頭上に突き出す。
「…………」
(あれ?)
想像した衝撃はいつまで経ってもやってこなかった。恐る恐る両目を開く。
「ッ!?」
息を飲む。俺の頭を狙っていたと思っていた木剣、その切っ先は俺の喉元で止まっていた。「ゴクリッ」と喉が鳴って、こめかみを冷たいものが流れ落ちる。
「フム……」
師匠はそれだけ言うと俺に突きつけていた木剣をスッと引いた。途端に全身の力が抜けて膝から床に崩れ落ちる。
「ハァハァハァハァハァ」
思い出したかのように呼吸が返ってくる。虚脱感とともに全身の毛穴が開く。見つめる床にポタポタと汗が落ちる。
「セイマ、今日をもってお前を破門する」
「ッ!?」
(ハ、ハモン……?オレガ……?)
ビクリッと反応する身体と追いつかない思考。慌てて上げた視線の先にはこちらを静かに見下ろす師匠の顔。
「……人を斬ったか」
「ッ!?」
師匠の言葉にまたあの光景がフラッシュバックする。漏れそうになる悲鳴を唇を強く噛んで無理やりに飲み込む。
「…………」
「お前は何のために技術を学んでいたのだ?」
「………………人を……人を傷つける……ためでは……ありません……」
なんとかそれだけ絞り出した。視線が少しずつ下がっていく。
「フン……どうやら覚悟が足りなかったようだな。それを含めて教えてきたつもりだったが」
師匠の言葉が後頭部に突き刺さる。
「…………」
「力とは何か、それを持つということがどういうことなのかをよく考えることだ」
師匠は何も言葉が出ない俺にそう言うと、静かに「出ていけ」と続けた。
「…………お世話に……なりました……」
俺はヨロヨロと立ち上がるとなんとかそれだけを口にする。こちらに背を向けている師匠に一礼すると踵を返して道場を飛び出した。
「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ」
暴れる呼吸に合わせて街の景色が流れていく。
—「一緒に色んなものを見て回りませんか?」
エリーゼの言葉。
—「力を持つということがどういうことなのかをよく考えることだ」
師匠の言葉。
—「セイマ!」
リネットの明るい声。
—「セ、セイマさん」
ルデリオの遠慮がちな声。
—「セイマさんッ!」
イリスの笑顔。
この世界に来てからの出来事がグルグルと頭を回る。
「ハァハァハァハァ……ここは……なんで……?」
遂に足も動かなくなった。膝に手をついて動けなくなった。息を整えて顔を上げる。そこはイリスの家の前だった。
「ハハッ、情けねぇ……」
自嘲のような笑いが漏れる。
「…………とにかく……帰ろう……」
「セイマさん?」
「ッ!?」
何も考えれなくて……何も思い付かなくて……でも、ここに来るのはダメだと思って振り返ったとき—背中から声が聞こえた。それはきっと今、一番聞きたかった声。だけど、一番聞きたくなかった声……
「えっと……その……ッ!?」
逃げ出すこともできずに振り返った視線の先にいたのは……やっぱりイリスだった。驚いた表情を浮かべる彼女。その瞳は赤く腫れて……薄っすらと潤んでいるのが分かる。なんて言ったらいいのか分からなくて逸らした視線で紅い石が揺れた。
「どうして……ううん、そうじゃなくて!……そうだ!とにかくうちに上がってください!」
「えっ?あっ、いや、それは……その……」
捲くし立てるイリスに面食らう。とにかく今は断らなくちゃと思うのに言葉が出てこない。焦る俺を余所に彼女は俺の傍まで寄ってくると、「ほら、早く」と言って俺の手をグイグイと引いていく。
「あら?セイマくんじゃない!いらっしゃい!」
「あっ、えっと……その……お、お邪魔します……」
結局、イリスの手を振り解くこともできずに家まで連れてこられてしまった。そして、戸惑っている間にいつもと変わらないソニアさんに出迎えられてしまった。どう反応していいのか分からない俺の曖昧な対応にソニアさんは「どうしたの?」と言ってクスクスと笑う。そんな俺たちのやり取りを尻目に、イリスは「セイマさんは座っていてくださいね!お母さん、セイマさんの分のご飯ある?」と言ってテキパキと準備を始めてしまった。
「はいはい、ちょっと待って。あの子ったら張り切っちゃって。セイマくんはゆっくり寛いでてね♪」
「えっ?あっ、ちょっと……」
俺の制止も虚しく、微笑ましげな顔をしたソニアさんはイリスを追い掛けて奥に行ってしまった。
「こんなことしてていいのか?」
一人残された俺にはそんなことを呟くことしかできなかった……
「美味しかったですか?」
「うん……」
「…………」
「…………」
言葉が続かない。結局、勧められるがままにイリスの家で食事をご馳走になってしまった。時折、イリスが不安そうにこちらを見ていた気がしたけど、いつもと変わらない食卓……それがありがたかったような……でも、居たたまれないような……
「……あっ……その……えっと……いえ、何でもないです……」
食事も終えて「泊まっていけ」と言うソニアさんをどうにか振り切った。空気に耐え切れなくなって早々にお暇することにしたんだけど、「じゃ、じゃあ外まで見送ります!」と言い出したイリスを断り切れずこんな状況になっている。そのイリスはさっきから何か言いたそうにしては黙り込むということを繰り返している。
—「力を持つということがどういうことなのかをよく考えることだ」
—「色んなものを見て回りませんか?」
師匠とエリーゼの言葉が重なる。
(そうか……そうなんだ……)
頭の中で言葉が繋がる。
「イリス……言わなきゃいけないことがあるんだ……」
それは言うつもりがなかった言葉。
「は、はい……」
彼女の声が震えている。
「さっき師匠に破門だって言われたんだ……」
「ッ!?」
背中越しにイリスが息を飲んだのが分かる。
「エリーゼちゃんたちに一緒に旅をしないかって誘われたんだ」
「えっ……」
急な話の転換にたぶんイリスはついてこれてない。だけど、俺の口は勝手に動く。
「師匠には『覚悟が足りない』『力を持つ意味を考えろ』って言われたんだ……」
「…………」
イリスが黙り込む。
「だから、俺はあの人たちと一緒に行くよ。自分がこれから何をしたいのかを見つけるために」
俺はそこまで言うとイリスの返事も聞かず、「今までありがとう。美味しかった」と告げて駆け出した。一度もイリスを振り返ることはなかった……
次回更新は2026年3月7日(土)21時予定です。




