第二十一話 どうしたって“別世界”なのだと実感させられた……
「あーあ、もう帰るのかぁ……」
「が、頑張ってまた来ようよ!」
集まった宿のロビーでリネットががっくりと肩を落とす。隣でルデリオがオロオロと慰めている。今日はもうウィーレストに戻る日だ。
「もう、リネットは大袈裟ね」
そう言って一歩離れて二人を見ている俺の隣でイリスがクスクスと笑う。その笑いに合わせて彼女の胸元で紅い石が揺れている。
「あっ……」
「えっ?あっ!いや、その……」
そんなことを思っていたらイリスと目が合ったけど、気づいた彼女はすぐに俯いてしまった。何か言わなきゃと思って、でも、言葉が出てこない。昨日はリネットたちと街を回ったから気にならなかったけど、二人だとなんとなく照れ臭い。
「何?この空気?」
そんな声が聞こえた。ハッとして声の方を見ると、いつの間にそこにいたのか、リネットの呆れたような顔が近くにあった。もうすっかり立ち直っている。おい、ルデリオ。その生暖かい視線を止めろ!恥ずかしいだろうが!
「楽しかったですね!レイジさん!」
「……ああ」
気まずくて視線をあっちこっちさせていたらそんなやり取りが目に入った。客室へと向かう階段近くにいるエリーゼとレイジだ。無邪気に話し掛けるエリーゼに対して、珍しくヘルムのバイザーを上げて顔を晒しているレイジ。相変わらずぶっきらぼうな受け答えだけど、エリーゼを見つめる表情がいつもよりも柔らかく見えるのは俺の気のせいか?
(そういえば結局この二日間は話す機会がなかったな……)
ぼんやりと二人の様子を見つめる。
(ウィーレストに戻ったらまた頑張らないと!)
レイジが何を考えているのかは分からないけど、今は同じ世界から来た唯一の“同郷人”だ。今はまだ信用されてないけど、きっと協力し合えると思う。
「セイマさん?」
「はぁー、何ボーっとしてるのよ!さっさと行くわよ!」
「えっ?」
言われて気がつくと周りにみんながいない。慌てて視線をあちこち飛ばすといつの間に移動したのか三人は宿の入り口前でこっちを見ていた。俺は「わ、悪い」と言いながら慌ててみんなの傍に駆け出した。さあ、ウィーレストに帰ろう!
■□■□■□■□
「あれ?こんなところで止まる予定だっけ?」
ルセリアーナを出発して二日。行きでも宿泊したソドリッドの街で一泊した俺たちは行きと同じ道を逆に進んでいた。もうすぐラグヴェイユ峠の手前—グロイス・ブリジャン都市国家連合へ向かう国境との分かれ道が見えてくるというところで急に馬車が止まった。
「どうしたのかしら?」
俺と一緒に馬車後方の護衛を任されているリネットが馬車の影から顔を覗かせて前方を窺う。俺も同じように前を確認しようとしたところで、前方から「ちょっと集まってくれ」という声が聞こえた。ハワードの声だ。それまでの和やかな声とは違う緊張したような声音に俺たちは顔を見合わせた。
「と、とにかく行ってみよう」
「そ、そうね」
「は、はい!」
なんとなく嫌な予感を感じながら、リネットとルデリオに声を掛けると、三人で前方に向かった。
「どうしたもんかなぁ……」
リネットたちと前方に向かうと、そこには蒼穹の翼の面々と少し離れてレイジが集まっていた。その中心ではリーダーのハワードと少し小柄な男が深刻そうな顔で何か話をしていた。
(あれ?あれって……?)
ハワードと話している男は蒼穹の翼のメンバーのモンテスだった。彼は斥候のジョブ持ちで、馬車に先行して前方の警戒を任されていたはずだ。そんなことを考えていたら俺たちが近付いてきたことに気付いたらしいハワードが「ん?ああ、三人とも来たか」と言うと表情を引き締めて、「モンテス、説明を頼む」と続けた。
「立ち往生している馬車……ですか?」
モンテスの話を聞いて首を傾げる。彼の話ではどうやらここから少し先、ちょうど街道が都市国家連合と国境方面と分岐している手前で馬車が一台立ち往生しているらしい。でも、それの何が問題なのか俺にはピンと来なかった。
「えっと……普通に助けるんじゃダメ、なんですか?」
なぜ深刻そうな顔をしているのか分からなくて、おそるおそる聞いてみた。途端、全員の視線が俺に集まる。えっ?何、その顔?俺、そんな変なこと言った?なんでそんなに渋い顔すんの?
「いや、助けないのかってお前……って、セイマたちは護衛は初めてだったか」
みんなを代表するように呆れたような声を出したモンテス。だけど、そこで何かに気づいたのか納得したような表情に変わった。
「どういうことでしょう?」
「えっとな—」
首を傾げたらモンテスが説明してくれた。彼が言うには、この街道は確かに比較的安全ではあるけど、だからと言ってそれは絶対ではないということだった。
「とくに国境はたまに追い剥ぎが出るんだよ」
続けて説明してくれたことによると、馬車の故障を装って近付いてきた旅人を襲うのは追い剥ぎのよくある手口なんだとか。
(いや、でも、そうと決まったわけじゃ……)
俺の感覚としてはまずは困っている人を助けることが第一じゃないかと思うんだけど、そんな俺の思いに関係なく、この護衛のリーダーを任されたハワードは「一応、一声掛けて横を通過しよう。警戒は怠るな」と方針を決めてしまった。みんなもとくに何か言うでもなく頷いている。えっ?俺がおかしいの?
「…………」
「セイマ?何してるの?早く戻るわよ!」
ハワードが「持ち場に戻ってくれ。すぐに出発する」と指示を出す。いまいち納得しきれないでいたらリネットに声を掛けられた。慌てて顔を上げるとみんなが不思議そうにこっちを見ていた。その表情にさらにモヤモヤしたよく分からない感情が湧いてきた。リネットに「戻ろう」と手短に言うと、彼女の戸惑う声を無視して馬車の後方に向かった。
「出発するぞッ!」
持ち場に戻るとすぐにハワードの声が響いた。その声には今までなかった厳しいものが混じっている。ゆっくりと進み出す馬車。
「ねぇ?セイマ、あんた大丈夫?」
俺はただただ少し薄汚れた馬車の幌だけを見て進む。それをどう思ったのか、隣に近付いてきたリネットが小声で尋ねてくるけど手短に「ああ」とだけ答えた。
「そろそろだ!速度を落とせ!」
じっと馬車の幌だけを見つめて歩いていたら、前方からそんな声が聞こえた。それに合わせて馬車の速度が落ちる。さすがに気になった俺は馬車の影から前方を窺った。
少し先、まだ距離はあるみたいだけど確かに前方に馬車が見えた。馬がこっち側ってことはこれからルセリアーナ方面に向かうところなんだろう。その周りには数人の人影が見える。俺たちはゆっくりと馬車に近付いていく。
—五〇メートル
—四〇メートル
—三〇メートル
—二〇メートル
—十五メートル
そこで誰かが相手の馬車に近付いていくのが見えた。モンテスだ。彼は相手の馬車のかなり手前で止まると、こっちにも聞こえるくらい大きな声で「おーい、どうしたー?」と話しかけ始めた。すると、それまで自分たちの馬車を見ながら何やら話し込んでいた人たちが一斉にこちらを見た。どうやら外にいるのは全員男みたいだ。そのうち、御者台の男がモンテスに何か答えているようだった。
「ん?ああ!助かった!!我々は都市国家連合から買付に行くところだったんですが、このように馬車の車軸が折れてしまって立ち往生しておりまして……申し訳ないんですが、遣いの者を近くの街まで乗せていっていただけませんか?」
馬車が近付くにつれ、途切れ途切れに聞こえてきたあちらの話をまとめるとそういうことらしい。やっぱりただの困ってる人じゃないか!
(大変そうだし俺に何かできるかな?)
これで気兼ねなく彼らを助けられる。俺は自分が何を手伝うべきか考えていたんだけど、モンテスの返しは耳を疑うものだった。
「そいつぁ災難だったな。だが、申し訳ないがこっちも道中を急いでる身でな。向こうに半日も歩けばソドリッドの街だ。悪いが自分たちで助けを呼びに行ってくれ」
(はぁッ!?)
意味が分からない。
なんでそうなる?
頭の中で混乱している間にこっちに目配せしてきたモンテスが小さく頷くのが見えた。
「ちょちょちょちょっ!えっ?」
俺は思わず飛び出そうとしたけど、なぜか俺たちの馬車も止まる様子もなく、そのまま相手の馬車の横を通過しようとする。なんでだよッ!
—ビュッ!
堪らず文句を言いに行こうとしたところで風切り音が聞こえた—と同時に俺の手前の地面に矢が突き刺さる。
「へっ?」
何が起こっているのか分からない。一瞬固まる身体と思考。そこに「囲めぇぇぇッ!」という怒号とドスドスといういくつもの足音が聞こえた。
「敵襲ッ!」
誰かが叫ぶ。
「ロックスさん!止まらずこのまま駆け抜けてッ!」
今度ははっきりハワードだと分かる声。
「リネットッ!」
幌の隙間からイリスが顔を出すとリネットと手を差し出すと俺の隣にいたリネットが駆け出す。彼女は差し出されたイリスの手を掴むとそのまま馬車の荷台に飛び乗ると一瞬遅れて馬車が速度を上げた。
「逃がすなッ!馬車を止めろッ!」
「馬車に近付けさせるなッ!押し返せッ!」
言いながらハワードたちが武器を手に手に襲撃者に向って突っ込んでいく。ハワードの剣がその一人を斬り捨てたのが見えた。怒号が飛び交う。
「なんで……」
俺はその様子を立ち尽くして見ていた。何が起こっているのか分からない。
なんでそんなに簡単に命を奪える?
捕まえるだけじゃダメなのか?
殺す必要はあるのか?
分からない。
分からない。
「モンテスッ!矢を射ってる奴を先に片付けろッ!」
「あいよッ!任せなッ!」
「ソイツを行かせるなッ!」
「そんな奴らほっとけッ!馬車だッ!馬車を追えッ!」
「痛てぇよぉ~」
周囲に様々な声が飛び交う。
「……めろ……めろよ……やめてくれ……頼むよ……」
口から零れる言葉。目の前の状況が上手く呑み込めない。
「おい。やる気がないなら先に行ってろ」
くぐもった声が耳に届く。ハッとしてそちらを見ればすぐそばにレイジがいた。下ろしたバイザー越しに刺すような視線を感じる。その手には剣が—
「お、お前……なんで……」
切先から滴る液体。地面に零れるその赤黒い液体に思わず後退る。
「グェッ!?」
横合いから飛び出してきた襲撃者が盾で身体ごと弾き飛ばされる。地面に転がった襲撃者の胸に奴の剣が突き立った。
「聞こえなかったか?邪魔だと言ったんだが?」
突き刺した剣を引き抜きながら奴は冷たくこちらを見た。
なんで……
なんで……
畜生……
畜生ッ!
耐えられなかった。見たくなかった。だから……だから……俺は目を瞑ってこの場から駆け出そうとした。
「ルデリオォォッ!」
だから、どうして自分がそんなことをしたのか分からない。
駆け出そうとした視線の先にルデリオが見えた。
襲撃者の剣を受け止めている姿。
そのさらに向こう側。
振りかぶられた剣。
「ハァハァハァハァ」
音が止まっていた。
気がつくと俺の両手には剣が握られていた。
「えっ?」
ゆっくりと下がる視線。転がっている男。流れ出した赤黒い液体が地面に染みを作る。
—ダレガヤッタ?
—オレガヤッタ?
—ヒトヲコロシタ?
「セイマさんッ!」
誰かが叫ぶ声が聞こえた。
身体が動いた。
何かが煌めいた。
飛沫が舞った。
「ハァハァハァハァ」
身体が重い。いや、空気か?纏わりつく。まるで水の中にいるみたいだ。
「……マさんッ!セイマさんッ!大丈夫ですかッ!」
「えっ?」
耳元で聞こえた声に慌ててそっちを見た。
(ルデリオ?なんで?っていうかこんなに近くにいるのは珍しいな?あれ?声が?なんで?)
「セイマさん?」
なんでか悲痛な表情でこちらを覗き込んでくるルデリオに言葉を返そうとするんだけど、どうしてか声が掠れて上手くいかない。俺、何してたっけ?あれ?なんか視界が暗いな?そう思いながらゆっくりと視線を落とすと—
「えっ?」
両手にしっかりと握られた剣の柄。灰色の視界の中で切裂蟹の粉末を混ぜた紅い刀身がやけに鮮やかだ。その赤い刀身にそれとは異なる赤黒い液体が滴っている。
「ウワッ!」
思わず剣を放り投げようとしたけど、硬く握り締めた手は俺の意思に反して開いてくれない。
「ウワァァァッ!離れろッ!離れろよォォォッ!」
「セイマさんッ!セイマさんッ!落ち着いてッ!」
訳も分からなず腕を振り回す。怖い。後ろからルデリオに抑えられる。
—カランッ
「あっ……」
何かが地面に落ちる音がして我に返る。おそるおそる視線を落とす。転がっていたのは俺の剣—だけじゃなかった。
「なんなんだよ……これ……?」
地面には人、人、人。三〇人はいるだろうか?無数の男たちが転がっていた。その多くが身体のどこかから液体を垂れ流している。周囲には鉄臭いような、酸っぱいような、不快な臭いが立ち込めている。
「痛てぇよぉ~」
「た、助けてくれッ!」
「う、腕がッ!俺の腕がッ!!」
大半は動くことを止めてしまった男たち。その中で運よく—と言ってもいいものか分からないが—生き残ったらしい男たちの呻き声が聞こえてくる。
「おーいッ!こっちの奴もまだ息があるぞ!とりあえず止血して縛っておいてくれ!」
「ほいよッ!おっ?馬車が戻ってきたぞッ!」
テキパキと動くハワードたちをボーっと眺める。
「えっ?」
そんなハワードが手にした剣が転がる男の一人の首を刎ねた。
なんで?
ハワードはとくに気にした様子もなく、次の男の首を、それが終わるとまた次の男、とどんどんと転がった動かない男たちの首を刎ねていく。
「ウッ!?」
「セ、セイマさんッ?!」
胃からせり上がってくる不快感。口から何かが噴き出した瞬間に俺の視界は暗転した。
次回更新は2026年2月23日(月)予定です。




