第二十話 役得ってあるんだな
「ふぁー……眠い……北門を出たところだよな?」
見えてきた門を見上げながら頭が完全に起きてないせいか、予定を整理しているつもりがついつい声に出てしまう。まだ一つ目の鐘(朝六時くらい?)も鳴る前。日の出前の薄暗い街を歩きながら思わず欠伸が出た。ちらほらとあちこちの店からは煙が立ち始めているけど、まだ人通りはまばら。今日はいよいよロックスさんの指名依頼の日だ。いつもならイリスを迎えに行くところだけど、さすがにこんな早朝なこともあって今日は別行動ということになった。まあ向こうは向こうでパーティーとしての参加だしいろいろあるんだろう。
「あっ!セイマ!おっそいッ!!」
北門を抜けると薄暗い中に集まっている人影が見えた。その人影に近付いていくと横から大声で名前を呼ばれた。まあ見なくても誰かは分かるけど。だけどな、リネット。そんな大きな声を出すな。みんな驚いてこっち見てるだろ?
「はあー。おはよう、リネット。ルデリオも」
俺はこっちに集まる視線に溜息を吐きつつ声がした方に向き直る。そこにはいつもと変わらない様子のリネットとルデリオがいた。それにしてもこんな早朝なのにもうそのテンションなの?
「何言ってるのよ!あの“ルセリアーナ”に行けるのよッ!」
訂正。いつもよりテンションが高い。俺の言葉に目尻を「キィッ」と吊り上げながらこっちに迫ってくるリネット。だけど、その瞳は爛々と輝いている。うん、指名依頼の詳しい話を聞いてからずっとこのテンションなんだよね。
「分かった!分かったからちょっと落ち着け!」
こっちに突進してくるリネットの頭を伸ばした腕で抑える。おい、ルデリオ!何を微笑ましげな表情してるんだ!見てないでいつもみたいにこの暴れ馬を止めろよ!
「もう!本当に分かってるの?」
背の低い自分では分が悪いと気づいたのか、ぶつくさ言いながらようやくリネットが離れてくれた。そんなリネットをルデリオが苦笑いを浮かべながら「まぁまぁ」と宥めているんだけど今日はなんだかおっとりしてる。あっ!ダメだ。コイツも浮かれてやがる!
「それで……えっと、湖畔の街“ルセリアーナ”だっけ?」
「そうよ!あの“ルセリアーナ”よ!」
失敗した……落ち着いたと思ったのに焚きつけちゃったよ……キラキラと瞳を輝かせながら捲くし立ててくるリネットの話を半分聞き流しながら事前に聞いていた説明を思い出す。
湖畔の街“ルセリアーナ”はウィーレストから北西に五日ほど先にある街と同名の“ルセリアーナ湖”という大きな湖、その湖畔に広がる街らしい。湖から採れる貴重な資源の売買で発展した商業都市であると同時に観光地としても有名なんだそうだ。
「ん?あっちはイリスたちか?」
事前に聞いたルセリアーナの説明を思い出しながら周りを見回す。周囲が明るくなってきたからかさっきまでよりも周りの状況がよく分かる。集団で固まっているのはイリスたちのパーティーである『蒼穹の翼』みたいだ。相変わらずゴツいフルプレートに身を包んだハワードを中心に何やら熱心に話し込んでいる。あっ!イリスがこっちに気づいたみたいだ。
「ということはあっちは……」
さすがにこっちに駆け寄ってくることはないけど、周りに気づかれないようにか、笑顔で小さくこっちに手を振ってくるので笑いながら小さく頷き返しつつもう一つの集団に視線を向ける。いや、集団というか二人だ。一人は予想どおり、ハワードの銀に輝くそれとは対照的な真っ黒なフルプレート姿。だけど、その隣には珍しく背の小さな影がフルプレートを見上げながら頻りに何か話しかけている。
「女の子……?確かあの子って……」
そうだ!最初にウィーレストに来たときとかたまにギルドにレイジを迎えに来てる子!確かイリスから聞いた名前は『エリーゼ』だっけ?そんなことを思いながら二人の様子を眺めていると女の子と目が合った。彼女は一瞬驚いたように目を丸くしてから、すぐにレイジのフルプレートを頻りに叩きながらこっちを指差してる。どうやら俺のことを報せてるみたいだけど……あの野郎!視線すら向けやしねぇ!さすがに彼女も呆れたのか、溜息を吐くような仕草を見せるともう一度こっちに視線を向けてペコリっと頭を下げてきた。こちらも慌てて会釈を返す。
「おっ!来たみたいだぞ!」
どこかから声が上がる。蒼穹の翼の誰かからみたいだ。そっちに視線を向けると全員が門の方を見ていたので俺も振り返る。するとちょうど門から一台の馬車がこちらに近付いてくるのが見えた。
「みなさんお集まりですね」
門から出てきた馬車は俺たちの前に止まると、御者台に座った二人のうちの身なりのいい男性が降りてきた。ロックスさんだ。彼は俺たち全員を見回して全員が揃っていることを確認すると集まるように声を掛けた。
「いよいよね♪」
俺の隣にやってきたリネットが話し掛けてくる。小声だったけど期待が抑えられてない。
「早朝からお集まりいただき、ありがとうございます。これから今回の依頼の旅程について改めて説明いたします。まずは本日はここから半日ほどの“コロミエ村”を目指します」
周囲に集まった俺たちを見回してからロックスさんが話し始める。今回の依頼は片道五日、滞在二日の全部で十二日ほど掛けた依頼になっている。今日はウィーレストから徒歩で半日ほどのコロミエ村という小さな村を経由して、さらに半日ほどの“ラグヴェイユ村”という村に宿泊する予定だ。この村は北の“ラグヴェイユ峠”という峠の麓にある村でルセリアーナを行き来する人の宿場町のような村らしい。
「明日はラグヴェイユ峠で二泊、その後は峠を越えて“ソドリッド”の街で一泊を予定しています」
ラグヴェイユ峠はウィーレストとルセリアーナのちょうど中間に位置する峠だそうだ。なだらかで交通量も多いので街道はしっかり整備されて見通しもいいらしいけど、越えるのに二日もかかる長さなんだとか。ハワードとかレイジはマジであのフルプレートで峠越えするのか?
峠を越えた先にあるソドリッドはルセリアーナとの経由地であり、隣国との経由地でもある大きな街なんだそうだ。そして、このソドリッドを抜けると目的のルセリアーナに到着となる。
「ルセリアーナでの買い付けの間、みなさんは自由時間となります」
ロックスさんの言葉に隣から「やった!」というつぶやきが聞こえた。チラリと見るとリネットが小さくガッツポーズしている。これはあとで道中で聞いた話だけど、なんでもルセリアーナには湖で採れた魚介や素材を使った屋台や露店が所狭しと並んでいるらしい。行ったことはないけど、九州の中州とか台湾みたいな感じかな?
「説明は以上になりますが、何か質問はありますか?」
ルセリアーナがどういうところかいろいろと想像している間に説明が終わっちゃったらしい。ロックスさんは俺たちからとくに質問が出ないことを確認すると「それでは護衛についてはハワードさんにお任せします」と言って馬車の裏に消えていった。
「さて、それじゃみんな聞いてくれ。俺が今回の護衛依頼の指揮を任された蒼穹の翼のハワードだ。と言っても全員顔見知りだから今更か」
ロックスさんが馬車の裏に消えると代わって前に出たハワードが話し始めた。こうして護衛の段取りを決めた俺たちは御者台に乗り込んだロックスさんの「出発します」という掛け声とともにルセリアーナに向けてウィーレストを後にした。
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「はえーッ!ここがルセリアーナか!」
ウィーレストを出発してから五日目。俺たちはようやく目的地であるルセリアーナに到着した。事前に聞いていたとおり、道中でとくに危険なことに出遭うこともなく、比較的緩い雰囲気だったこともあって俺の周りはイリスやリネットたちで騒がしかった。意外だったのはレイジの見送りに来たとばかり思っていたエリーゼも同行することだった。彼女もイリスと仲がいいこともあって俺たちのグループに混ざっていたんだけど、今回は危険も少ないだろうということで半ば強引についてきたんだそうだ。
「レイジさんもみんなと一緒に食べればいいのに」
どうやら食事の度に誘ったらしいんだけど、結局道中でアイツが俺たちに混ざることは一度もなかった。
「…………エリーゼ、行くぞ」
街の入り口に近い宿の前で道中のことを思い出していたら、いつの間にか近くにいたレイジが俺たちのグループに混ざっていたエリーゼを呼びに来た。彼女はその声に「はーい」と答えると名残惜しそうにイリスたちから離れるとレイジの元へ駆けていく。
「…………」
レイジはエリーゼが戻ってくるのを確認すると、とくに何も俺たちの方を一瞥することもなく彼女を連れて宿の中に入ってしまった。
(結局接触はなし……か。話をするタイミングもなかったな。一体何を考えてるんだ?)
協力してくれる素振りはなく、かといってこちらを攻撃してくるような様子もない。何を考えてるか分からないだけサトウよりも厄介だ。
「セイマー!いつまでそこにいる気ぃー?」
「セイマさん?」
いかん。また考え込んでたみたいだ。気がつくと周りには誰もいなかった。慌てて声がしたほうを見ればすでにみんな宿に入ろうとしていた。入り口の前でこっちを見ながらリネットがぴょんぴょん跳ねていて、その手前では同じくこっちを振り返ったイリスが首を傾げていた。
「えっ?あっ、わ、悪い!すぐ行く!」
俺はモヤモヤとした思考を強引に追い出すと声を掛けながら二人を追った。
「ほら、何してんのよ!さっさと行くわよ!」
「ちょ、ちょっとリネット!待ってよ~」
宿で割り当てられたのはルデリオとの相部屋だった。リネットはイリスと同部屋みたいで、このあたりはどうやらロックスさんの配慮みたいだ。俺は荷物を置いて窓際の椅子に腰を落ち着けたけどルデリオはと言えば、荷物を自分の部屋に放り込んでからすぐ俺たちの部屋に来たらしいリネットにあっという間に去られていった。若者は元気だなぁ!……おかしいな……俺もアイツらとそれほど歳が変わらないはずなのに……
—コンコン
「あ、あの!セ、セイマさんいらっしゃいますか!」
「ん?イリスかー?開いてるよー!!」
俺が心で涙を流していると入り口からノックと同時になにやら緊張気味の声が聞こえてきた。道中でもかなり仲良くなったし、てっきりイリスもリネットたちと街にくり出したんだと思ってたけどどうしたんだろう?
「失礼します」
部屋に入ってきたイリスは装備を外した軽装だった。ショートパンツではあるけど、こうして見るとそこら辺の町娘と変わらないな。そんなことを思っていると彼女は挨拶もそこそこに「えっと……その、お、お休み、でしたか?」とおそるおそる窺うように聞いてきた。まあ出迎えもせず椅子に深く座ってればそう思われても仕方ないか。実際疲れてはいるし。
「えっと……まあ、なんと言うか……少し休憩?」
どう答えたものか定まらないままなんとも気のない返事をしてしまった。その途端、彼女は「そうですか……」とつぶやいて俯いてしまった。
「あっ!えっと、それよりイリスはリネットたちと街を見にいかなか—」
たのか?と続けようとして彼女が拳をぎゅっと握っているのが目に入ったので、慌てて言葉を飲み込んだ。考えすぎかもしれないけど、これはもしかすると俺を誘いに来たんじゃないか?
「そろそろ街に出ようかと思ったところだから……その……えっと、イリスも、その……一緒に……行く?」
普段から一緒に行動することも多いのに何を今更緊張することがあるんだろう?いや……でも……これってデートの誘い……ん?デートの誘いなのか?だんだん分からなかくなってきたぞ???
「お邪魔じゃ……ない、ですか?」
「えっ?もちろん」
なぜか異常にテンパってる俺に上目遣いでもう一度おそるおそる聞いてきたイリスにそう答えると、彼女は「準備してきます!」と言うや否や凄い勢いで部屋を飛び出したかと思うと数分もしないうちに戻ってきた。
「そ、それじゃ行きましょう!」
呆気に取られているうちに彼女に手を取られるとそのまま引き摺られるようにして部屋を後にした。
「うわぁぁぁ!凄いですよ!セイマさん!」
掴んでいた腕はさすがに宿を出たところで離してくれたけど、そこからは子供のようにはしゃぐイリスについていくのに苦労した。だけど、確かに凄い!改めてよく見ると綺麗に整備された石畳の両端に整然と建物が軒を連ね、広場には多くの屋台や露店が並んでいる。昔、テレビで見たオランダみたいな街並みだ。そんな屋台の間をイリスは「こっちは何でしょう?あっちは?」と言いながら次から次に飛び回っている。普段は落ち着いて見えるけどやっぱり普通の女の子なんだな。
「あれ?イリス?……ん?どうかしたのか?」
買い食いしつつ、屋台や露店を冷やかしていたら気づけば隣にイリスがいなかった。慌てて振り返ると彼女は一つの露店の前で立ち止まっていた。「やれやれ」と思いながら引き返して声を掛けたんだけど反応がない。まるで俺の声が聞こえていないように何かに魅入っている。
「ん?ネックレス?へぇー、この石、イリスの瞳の色にそっくりだな」
「へっ?あっ!セセセセセイマさん!?なななな何か言いましたか?!」
「うわっ!」
何を見てるのかと覗き込んでみると、そこには複雑に編み込まれた革紐に深い紅色の石がついたネックレスが目に留まった。すると、それまで全く反応しなかったイリスがいきなり大きな声を出した。
「びっくりした!えっと、なんだっけ?ああ、そうだ!このネックレス!石がイリスの瞳の色と同じだなって。これを見てたんじゃないの?」
そう言ってさっき彼女が魅入っていたっぽいネックレスを指差す。俺の指先を視線で追ったイリスはなぜだか慌てたように「そそそそそうでしょうか?」と言うと、急かすように「お、お待たせしてすみません!さ、さあ次はあっちのお店を見てみましょう!」と言いながら俺の背中をぐいぐいと押した。
(なるほどね)
その様子に思うところがないわけじゃないけど、今はイリスにされるがまま、とりあえずその露店の前を離れることにする。
「そうだ!そろそろ休憩しないか?あっちの屋台の外れにベンチがあったからさ」
「えっ?あっ!そ、そうですね!はしゃいで連れ回してしまってすみません!」
ちょっと思い付いたことがあって彼女を誘導するために休憩を提案したんだけど、めちゃくちゃ気を遣わせてしまった。気をつけないと!俺は「そんなことないよ」とフォローしながら彼女を屋台の外れのベンチに誘導すると「じゃあ俺はちょっと飲み物買ってくるよ。少しここで待ってて!」と言うと戸惑う彼女をベンチに座らせてから制止を無視してその場を離れる。急がないと!
「おじさん!さっき俺と一緒にいた女の子が見てたネックレスまだ残ってる!?」
「ネックレスぅ?ってあんちゃん、さっきまでそこにいた奴だな」
イリスの傍を離れた俺は急いでさっきの露店に駆け込んだ。おじさんは最初ポカンとしていたけど、俺の顔を見てすぐに思い出してくれたらしい。「これだろ?」と言ってすぐにさっきまでイリスが眺めていたネックレスを指差した。
「それェェッ!いくら?!」
「あ、あんちゃん、ちょっとは落ち着けよ」
勢いで詰め寄る俺に若干引き気味のおじさんだったけど、そこで何かに気づいたように「ははぁん」と言って意味ありげな笑みを浮かべた。な、なんだよ……
「フムフム。まあ皆まで言うな」
急に腕を組んで頷きだしたおじさん。ちょっとイラッとしたけど、「本当は銀貨三枚だけど、銀貨一枚にまけてやるよ!」と言われて溜飲を下げた。なんだよその顔は!「上手くやれよ~」じゃねぇよ!早く商品渡せッ!何だろう?まけてもらったはずなのに損した気がする……何となく釈然としないまま飲み物も購入するとモヤモヤした気持ちを振り切ってイリスの待つベンチへ戻った。
(さて、買ったはいいけどいつ渡したものか……)
ベンチでの休憩を終えた俺たちは街の外れにある森の中を歩いていた。森と言っても街から湖に抜けるための遊歩道になっていて、足元も綺麗に整備されているので歩きやすい。「せっかくだから湖を近くで見よう」ということになり、こうして森の中を歩いている訳だけど、頭の中はさっき買ったネックレスをどうやって渡すかでいっぱいだ。
「セイマさん?」
「えっ?ああ、ボートだっけ?俺もボートははじめてだな」
いかん。ネックレスのことに気を取られて会話に集中できない。そうは思うんだけどもうすぐ森も抜けちゃうし……
「あっ!見えてきました!」
「へっ?ああっ!」
声につられてイリスが指差した先に視線を向けると木々の隙間から岸が見え、その更に先にはもう湖が見えていた。
(ヤバいッ!ヤバいッ!ヤバいッ!)
「わぁぁぁぁッ!」
「へぇぇぇ」
気ばかり焦って何も思い付かないまま、遂に森を抜けてしまった。その光景にイリスが感嘆の声を上げる。俺は俺で、それまでのことを一瞬忘れて目の前の光景に魅入ってしまった。そこに広がっていたのは元の世界では見たことがないような澄んだ水を湛えた大きな湖だった。さすがは観光名所。湖畔のあちこちに家族連れやカップルが行き交い、湖はいくつものボートが浮かんでいるのが見えた。
「あっ!セイマさん!あれじゃないですか?」
その光景に魅入っていたらイリスに袖を引かれた。言われてそちらに顔を向けると確かにそこには『貸しボート』の看板が見える。事前に聞いていたとおり、どうやらあれがルセリアーナ湖の名物らしい。
「俺、はじめてなんだけど……本当に乗るの?」
「もう!それは何でも聞きましたよ。それとも……嫌……でしょうか?」
遊歩道を歩きながら何度か繰り返したやり取り。俺としては櫂を上手く漕げる自信がないんだけど、イリスはどうしてもボートに乗りたいらしい。
「別に嫌ではないんだけど……笑わないでよ?」
ボートを漕いだことがない俺としては不安しかないんだけど、イリスはなぜそんなに確信が持てるのかよく分からないけど「はい!セイマさんなら大丈夫ですよ♪」と声を弾ませて貸しボート屋へと向かっていった。
「ハァハァハァハァ」
「だ、大丈夫ですか?」
「な、なんとか……」
岸からそれなりに離れたところで漕いでいた腕の力を抜く。あれから無事にボートを借りた俺たちは真っ直ぐ進まないボートに悪戦苦闘しながらようやくここまでやってきた。ちょうど周りに他のボートもいないので、「ここでちょっと休憩しましょう」というイリスの提案に甘えることにした。
「向こう岸はもう“グロイス・プリジャン都市国家連合”なんですよ!」
彼女はそう言いながら俺たちが出発した岸の対岸を指差した。グロイス・プリジャン都市国家連合はウィーレストやルセリアーナが属する“ユスタッド王国”と国境を接する隣国なんだそうだ。いくつかの都市国家とその衛星都市が集まってできた連合国家なんだとか。
「いつか行ってみたいですよねぇ」
そう言いながらイリスは対岸を見つめている。
(ここしかない!)
どうしてそう思ったのかはよく分からない。だけど、キラキラとした瞳で対岸を見つめる彼女を見て……自分がそう思ったってことを自覚する前に「なあ、イリス」って話し掛けてたんだ。
「はい?どうかしましたか?」
不思議そうにこちらを見て小首を傾げるイリス。俺はそんな彼女の目の前におもむろにポケットから出した“それ”を翳した。
「えっ?それって……」
イリスが息を飲む。二つの瞳が、同じ色をした石へと引き寄せられている。
「えっと……その……今までお世話になったお礼と、『これからもよろしく』って意味を込めて買ったんだ。その……受け取ってもらえないか?」
思ったよりも素直に言葉が出てきた。石を見ていた二つの瞳が一瞬、俺を捉えて揺れた。「いいの?」と聞かれた気がして俺は静かに頷く。彼女の両腕がゆっくり前に出てくる。水を掬うように重ねられたその掌に俺はゆっくりと持っていたネックレスを落とした。
「ああ……」
イリスは自分の手の中に落ちたネックレスを優しく包み込むと、抱きしめるように自分の胸元に引き寄せて目を閉じた。
「あの……着けてみても……いい、ですか?」
「うん。きっと似合うと思うよ」
しばらくネックレスを大事そうに胸に抱いていたイリスだったけど、顔を上げるとそう聞いてきたので俺は頷いた。すると彼女はいそいそと革紐に付いた金具を外すと手を首の後ろに回す。
「その……どう、でしょうか?」
首の後ろに回していた手が離れると彼女の胸元で石が跳ねた。そして、おそるおそる俺に尋ねる彼女に俺は「似合ってるよ、とても」と返す。
「えへへ」
少し頬を染めながらイリスが微笑む。その瞬間、湖の上をサッと風が吹き抜けた。
「そろそろ日が沈み始めそうだし……その、戻ろうか?」
我に返ってなんとなく恥ずかしくなってきた。イリスが直視できない。視線を逸らしながら誤魔化すようにそう言うと、小さな声で「はい」という返事が聞こえた。俺は離していた櫂を掴むと岸に向かって漕ぎだした。湖はいつの間にか朱に染まっていた。
次回更新は2026年2月21日21時予定です。




