第一話 初期リスポーン地が森とか聞いてない
おいおいおいおい、そりゃないでしょッ!あの自称神の奴、本当に消えやがったッ!!普通巻き込んでおいてこれはないだろうッ!
「はぁはぁはぁはぁ」
俺はしばらくその場で何度も地面を激しく蹴りつけたが、そんなことをしてもあの自称神は戻ってくる様子はない。そのうち息が上がってその場に座り込んだ。本当に地上に干渉できないのかそれともこの状況をほくそ笑んでるのか分からないがここでどれだけ不満を表しても何の解決にもならないことだけは分かった。
ふと視線を上げると別れ際に自称神から渡されたきりほったらかしになっていた袋が目に入った。
「はあ」
俺は溜息を吐くとこの状況に諦めてほったらかしていた袋を傍に引き寄せると中を開けようとした。
「うおッ!?」
そのときいきなり背後で「ガサッ」という音がした。驚いて身体がビクリッと跳ねて口から変な声が漏れてしまった。
(こ、今度は何だよッ!?)
俺は内心ビビっていたが確かめないわけにもいかず恐る恐ると後ろに振り返る。そこには動揺ですっかり忘れていた血溜まりに倒れた熊の怪物が見えた。その視線の更に奥、茂みから何かが顔を出しているのが分かった。
「ネ、ネズミ……?」
不安からだろうか?俺は一人なのに態々口に出してつぶやいていた。茂みから顔を出していたのはネズミのようだった。ただし、その顔は俺が知っているネズミに比べてかなりデカい。あのサイズだとおそらく小型犬くらいあるのではないのだろうか?
(ビビらせんなよッ!)
デカいとはいえ、ネズミはネズミでしかない。俺は内心で悪態を吐いて——
「グゥワンッ!」
「ひぇッ!?」
そのネズミがいきなり犬のような声で吠えると茂みから飛び出してきた。またしても俺の口から悲鳴のような声が漏れ、驚いた拍子に袋を握りしめたまま立ち上がってしまった。だが、自分でも分かるくらい完全に腰が引けてしまっている。
逃げ腰の俺は予想通りのサイズだったネズミから視線を逸らせない。するとそのネズミが飛び出してきた茂みのあちこちがガサガサと揺れたと思ったら何匹も同種のネズミが飛び出してきた。
(もう勘弁してくれよぉ~)
感情が追いつかない。たかがネズミだと頭では分かっているのだが俺は泣きそうだった。
へっぴり腰の俺をよそにその後も至る所からネズミがどんどん集まってきて、気がつくと三十匹近い数になっていた。俺は気づかれないようにジリジリと後退ったのだが、次の瞬間、ネズミたちの視線が一斉にこちらを向くと俺に向かって駆け出してきた。
「ヒィィィィッ!っておわッ!?」
ネズミの行動に思わず悲鳴を上げた。すぐにでも逃げようと慌てたのが良くなかった。足がもつれてその場に尻もちをついてしまった。
(喰われるッ!?)
そう思った俺は咄嗟に両腕で自分の顔を庇った。だが、いつまで経っても何の衝撃もない。俺は腕の隙間から恐る恐るとネズミたちが迫ってきていたほうを見た。
ぐっっちゃぐっちゃ
カリカリ
バリバリ
想像したくもない音。血溜まりの熊の死骸。その上を覆う先ほどまではなかったもぞもぞと動く黒い塊。周囲に忘れていた血の臭いが立ち込める。そう、ネズミたちは我先に獲物にありつこうと仲間に覆いかぶさるようして死骸へと口を突っ込んでいた。
気がつくと俺の体はガタガタと震えていた。鼓動がバクバクと早鐘を打つ。
これまでだったテレビの大自然特集なんかで野生動物が獲物を狩る場面を見たことはあった。飼っている猫が無邪気に虫をいたぶる姿を見て動物の残酷さは知っているつもりだった。だけど、それらは所詮安全圏から眺めて知った気になっていただけだったのだと、俺はこの時初めて理解させられた。
頭の中で(早く逃げろッ!)と自分が叫んでいる。だが、いくら自分に命じても体は動いてくれなかった。そのとき視界の端で何かが動いた。俺は反射的にそちらに視線を向けた。
それは一匹のネズミだった。すでにかなり体積を減らしてしまった死骸を貪るネズミたちの中から出てきた口元を真っ赤に染めたネズミ。そのネズミと俺の視線がぶつかった。
「うわぁぁぁぁぁッ!」
限界だった。その瞬間、俺は弾かれたように立ち上がると反転して駆け出した。最早頭の中には一刻も早くこの場を離れるということで埋め尽くされている。
背後から「ウワァオンッ!」という鳴き声とともにいくつもの足音が聞こえた。俺は振り返らなかった。草を掻き分け、枝を振り払い、木の根に足をとられてようとも足を止めずに一心不乱に走った。
どれほど走ったのだろうか?森の音以外は自分の荒い息遣いしか聞こえないことに気づいて俺は初めてゆっくりと背後を窺った。そこにはどこまでも木々が広がっているだけだった。そこまで確認したことで俺はようやく近くの木に背中を預けれるとそのまま根元にへたり込んだ。
「痛っ!」
しばらくして荒かった息が落ち着きだしたところで、俺は頬に痛みを感じて恐る恐る触ってみた。鈍い痛みとぬるっとした感触。頬を触って指先を見てみれば僅かに血が付いている。どうやら逃げている途中で枝か何かで引っ掻いたらしい。そう思って改めて自分の身体を見てみれば、手にも細かな傷がたくさん付いているし、服も泥だらけで所々が破れている。
「クソッ!」
何にぶつければいいのかも分からない悪態が口を吐く。そもそもあれは何だったのかと思い返したところでふと頭の中に“四腕熊”と“群狼鼠”という名前が浮かんだ。そして、どうやらそれがあの熊の怪物とネズミの名前らしいということをなぜか理解できた。
(なんだこれっ!?)
一瞬またパニックになりかけるが、そこで自称神との別れ際のやり取りがフラッシュバックした。奴におでこを人差し指で突かれたシーンが思い浮かび、次いで「この世界の一般常識とアイテムボックスを付与した」という言葉が浮かぶ。
「もしかしてこれが異世界の常識ってやつなのか?」
口に出してみると「そうだ」という確信がより強く頭の中に広がっていく。同時にどうやらこの能力がそれほど万能ではないということもなぜだか理解できた。
この“異世界の常識”というのはこの世界の人たちが常識だと認識している事柄が分かる知識らしい。例えば本当は間違っている知識だとしても大多数が「常識だ」と認識している内容でこちらに伝わるらしく所謂知識チートというよりは『周囲から浮きにくい』能力と言ったほうが正しそうだ。
(いや、ありがたいっちゃありがたいんだけど……)
なんとも中途半端な能力にどういう反応をしていいのか整理がつかない。とりあえずあの熊やネズミが動物ではなく、この世界では“クリーチャー”と呼ばれる魔物だということが理解できたのは収穫かもしれない。
「そういえばアイテムボックスもあるんだっけ?」
異世界の常識の件で思い出した自称神とのやり取りの中で付与されたらしいもう一つの能力。俺はついでにそれも試してみることにした。
「…………アイテムボックス……おおっ!」
なんとなく能力名を口にするということに中二的な恥ずかしさを感じて、誰もいないのに周囲をキョロキョロと見回してから小さくつぶやくと、俺の目の前の空間にあのとき見たのと同じようにバレーボール大の黒い穴が現れた。ちょっと感動だ。俺は(何もないよね?)と思いつつもドキドキしながら恐る恐ると黒い穴へと片手を突っ込んだ。
「あれ?」
だが、予想に反して穴の中でいくつか硬いものが手に触れた。冷たい感触からおそらくは金属だと思う。俺はおっかなびっくりその硬い物を穴から取り出した。
「おわっとッ!?」
穴から出した瞬間、出した物が急に重くなって危うく取り落としそうになった。慌ててもう片方の手で支えた。改めて見ればそれは剣だった。とくに柄などにも飾り気のない何の変哲もない剣。
(抜いて……見るか……?)
視線が外せない。こんな刃物を抜いてはいけないんじゃないかという常識的な自分がいる。
(でも、またさっきみたいに化け物に襲われたとき、今度は自分で身を護らないといけないかもしれない……そう、だよな……?)
それが誰に対する言い訳か分からない。俺は微かに震える手でゆっくりと柄を握る。そして、ゆっくりと鞘から剣身を抜いた。ズッシリとした重みが腕に伝わってくるのを感じながら剣身を掲げてみた。木々の間から差し込む陽光を反射して剣身が鈍く光る。
「…………」
自分の感情が自分でもよく分からない。ただ、自分でも気づかないうちに両手は柄を握っていた。そのまま剣を正面に構える。今まで剣なんて握ったこともない。体育の授業で竹刀を振ったことがある程度だ。だけど、なんとなく手に馴染んでいる気がした。高揚する心を隠すようにゆっくりと剣を頭上に掲げ——振り下ろす。
「ハハッ」
思わず口から笑いが零れた。剣は思いのほかイメージ通りの軌道を描いた。そのまま何度も同じ動作を繰り返す。
「はぁはぁはぁはぁ……ハハッ、やれるじゃん俺」
気がつくと息が切れるほどに剣を振っていた。もっと試してみたいと興奮している自分がいる。そこにサーッと風が吹いた。木々が揺れ、葉が擦れあう音がした。その瞬間、我に返った。そうしてここまでの自分を思い返した。途端に顔が熱くなる。俺はそそくさといつの間にか足下に落としていた鞘を拾うと剣を納めた。
「あっ!まだ何か入ってるんだった!!」
剣を鞘に納めたところでアイテムボックスの中に他にも何か入っていたことを思い出して再度穴の中に手を突っ込んだ。出てきたのは五本のナイフだった。おそらく投擲用……だと思う。
俺は一旦剣とナイフをその場に置くと続けて逃げる前に中を確認しようと思っていた袋を開けてみた。最初に見えたのは布の上に置かれた筒だった。取り出してみるとそれは木を筒状にくり抜いているようで中には液体が入っているようだった。片側に木の栓が付いているようだったので、それを抜いて臭いを嗅いでみる。木の匂い以外は無臭。試しに筒を傾けて中身を少し地面に出してみると透明な液体が零れた。これはどうやら水筒らしい。ここで俺はようやく喉の渇きを覚える。そりゃあれだけ無我夢中で走れば当然だと思うのだが、どうにも色々なことがあり過ぎて感覚が追いついていないみたいだ。
持っていた水筒を口元へと運ぶ。水で間違いないと思うが、若干躊躇いながら中身を口に含んだ。水が喉へと流れ込むと止められなかった。そのまま一気に半分ほどを飲み干す。思っていた以上に喉が渇いていたらしい。
「ふぅー」
人心地ついたところで次に取り出したのは水筒の下にあった布。ゴワゴワした生地で思いのほか分厚い。取り出してみるとこちらの服のようだった。生地自体もそうだが、分厚かったのはシャツとズボン、それと上着にタオルが重なっていたからだった。
その他には編み上げの丈夫そうな革の靴に干し肉などの携帯食が入った小袋、そして、最後に硬貨らしい雑多なコインの入った袋が出てきた。
そこで改めて今の自分の恰好を見ると、ボロボロなのはもちろんだが、亡くなった男性を抱きかかえたため血みどろだった。さすがにこのまま森を出て人にあったりするのは拙いのは分かる。俺は袋に入っていたタオルに水筒の水を染み込ませると見える範囲を拭ってからそそくさと着替えを始めた。
数分後、どうにか着替え終わった俺は元々着ていた服と靴をアイテムボックスに放り込んだ。最後に腰のベルトに最初に取り出した剣とナイフを装着する。これでなんとか現地人に見えるだろう……たぶん。
すっかり時間が過ぎてしまった。俺は慌てて荷物まとめると改めて森の出口を目指そうとしたのだが、そこで血の気が引いた。
(あれ?出口ってこっちでいいのか?)
ネズミと目が合って慌てて駆け出したため、自称神が示した森の出口に向かって逃げたかどうか覚えていない。なんとか記憶を辿る。自分と熊の死骸、ネズミたちとの位置関係を思い出す。
(熊とネズミを背にして逃げたからは進行方向はあっているはず……)
正直自信はない。
「ええいっ!ここで悩んでても仕方ない。とりあえず進もう!」
荷物をもらったとはいえ、さすがに森の中で夜を越せる自信はない。俺は自分が進んできた方角が間違いないと信じて森を歩き始めた。




