襲撃
【星原朱里】
「私が囮になればいいんじゃない?」
宇宙生物の襲撃を受けた翌日の放課後。校舎裏でアルガに提案すると、渋い顔をされた。
「君は怖くないのか? 昨日あんな目に遭っておいて」
「怖くないと言えば嘘になるけどさ。守ってくれるんでしょう?」
何度か押し問答を繰り返して、ついにアルガが根負けした。フカドロンが人を大きく傷つけるとはやはり思えない、という判断らしい。
作戦としては、私が破片を集めながら、後ろから月島くんがついてくるという至極シンプルなものだった。アルガが顔の横に探知機を掲げる。
「このダークマター探知機の操作方法について教えておく。なに、簡単だ。まずこのメモリはグロリアス基準といって空中のアヘンナスを検知してバイン星雲下での実数値を比較するのだが……」
埒が明かないので簡単なボタン操作だけ教えてもらった。赤色のボタンを押すと計測スタート。範囲内にダークマターという宇宙船の破片に付着している物質を検知すると、音が出る。緑色のボタンを押すと音が止まる。これを繰り返す。
やってみてわかったのだが、これは途方もない作業だ。まず宇宙船の破片が大きいもので手のひらサイズ、小さなものだと小指の爪ほどしかない。概ね傷ひとつないない漆黒の破片なので手に取れば破片だとわかるのだが、とにかく小さすぎる。すべて集める必要はなく、中枢部に該当する破片がある程度集まれば、研究によって残り破片分を再生することは可能らしいが、それがいつになるのか見当もつかない。中枢部の大きさがバスケットボ―ルほどの大きさらしいので、根気強く探す覚悟を決める。
探知機の性能も悩みのひとつだ。精度の悪さもそうだが、とにかくうるさい。私のような麗しい女子高生が国語辞典のような鉄の塊を両手に持ち、時折ギョオンギョオンと音を奏でているのだ。怪しまれないほうがおかしい。私は月島くんほど愛想よく振る舞えないので、余計に変にみられていることだろう。
そして、これが最大のストレスなのだが、アルガにストーキングの才能がなさすぎる。あまりにも露骨に電柱の影に隠れ、曲がり角ではぴたりと壁に張り付く。シュッシュッと効果音がつきそうな無駄に俊敏な動きを見せ、なんなら実際に「シュッシュッ」と口で言っていた。馬鹿でかいダンボールをかぶって追跡してきたときは、私が鉄の塊でギョオンギョオンと轟音を鳴らして衆目を集めた後に、足の生えた段ボールが「シュッシュッ」と呟きながらそのジグザグに駆け抜けるという珍妙なパレードを展開してしまった。「いい加減にして」とチョップをして怒ると「伊賀流なのに」と悲し気に段ボールを抱えていた。
そんなこんなで、一週間が過ぎて見つかった破片は九つ、中枢部の破片はひとつだけ。
「すごいぞ、星原さんにはダウジングの才能がある!」
疲弊している私とは対照的に、アルガは目を輝かせていた。
一度は警戒されていたが、随分心を許してくれたようだ。クラスメイトがろくに話してくれないので、私との会話が癒やしなのだろう。破片探査の合間に色々と教えてくれた。
星雲0831から来たこと。本来の仕事は異星の生物調査員であること。通信網もやられていて本星と連絡がつかないこと。おかしな言動を繰り返すアルガに月島くんの家族が影で泣いているのでどうにか一般常識を身につけたいこと。そのためにSNSを活用して知識を得ていること。忍者の知識などはそのアカウントから身につけているとのこと(そのアカウントをブロックするように提言しておいた)。
ただ、自分の星のことについては口籠ることが多かった。ジエイ星人との星間戦争があり、一応の終結とはなっているが、情報戦で苦戦を強いられたので迂闊に本星のことを伝えられないようだ。
兄のことについて心当たりはないか尋ねると露骨に目を泳がせる。嘘をつくのが苦手なのだろう。戦争時には前線にも駆り出されていたそうだが、これでやっていけるのだろうか。
そうして和やかに日々は流れていった。宇宙生物は現れず、悪い意味で緊張感のない日々が続いていた。
ことが起きたのは八日目のことだった。
私の右腕が切断され、宙を舞った。
【ネオリンク星人】
バツ、バツと雨が合羽を叩く。人類は雨が苦手なのか、通りを歩く人は少ない。吐く息が白く染まる。
紫傘を差した星原さんが、スマアトフォンをカバンから取り出す様子が見えた。
「星原さん」
俺は手持ちのスマアトフォンで月島さんに通信する。
「練習の甲斐あって、ちゃんとかけられたね」
「フカドロンの気配がする」
月島さんが短く息を吸い込む音が聞こえる。
「そのまま湯ノ島公園に入ってくれないか。前回と同じ広場で釣れれば、俺が対応する」
「オッケー。頼りにしてるよ」
通信を切る。星原さんの後ろ姿を見失わないように、シュッと心の中でつぶやいて移動する。青い雨合羽を着ているので、不審がられないようにせねばならない。
雨に霞む葦井緑地は、晴れた日の情景とはまるで異なっていた。まばらに公園を通り抜ける人はみな傘を差して俯き気味で、まるで犯した罪に許しを乞う巡礼者のようだ。グラウンドには人っ子一人見当たらず、犬を模した遊び椅子は雨粒だけを背中に乗せて佇んでいた。
星原さんが階段を登っていく。その背中を追いながら、防幕鏡を掛け直す。フカドロンは念覚が発達しているが、ほかの感覚器官は未発達だ。防幕鏡さえ貼っておけば多少大胆に動いても大丈夫だろう。
五分と経たないうちに広場についた。長椅子にトイレ。さまざまな遊具が備えられている下の広場とは違い、とても質素だ。
星原さんがトイレの方面に向かうのを見て、俺は草陰に隠れながら辺りの様子を伺う。樹木は多いが葉は落ち切っていて見通しは悪くない。雨が視覚の邪魔をされるのが多少厄介だが、上空からの急襲には対応できそうだ。それより広場の周りを囲うように生える植物群だ。これが天然の壁となっている。潜むとしたらこの茂みの中だろう。注視せねば。
雨足が少し落ち着いてきたが、いまだ水たまりには波紋が絶えない。
遅いな。
雫が落ちる音に心が落ち着きすぎてしまったが、排泄行為にしては長い。
俺は中腰のままトイレの方面へ向かう。近づいて、気が付く。
星原さんの気配が消えている。
中に突入しようと立ち上がったそのとき。
広場の奥から雄叫びが聞こえた。
俺は生垣から飛び出し、声のしたほうに駆け出す。
すぐに目に飛び込んできたのは、傘だ。ふわりと宙に舞う紫色の傘。
回転する傘に見え隠れするように、星原さんの姿が見えた。振り下ろされたフカドロンの爪を避けるように、後ろに倒れていく。
すべてがスローモーションに見えた。
星原さんの右側から、赤と呼ぶには暗い液体が吹き出していた。雨に流されることもなく、むしろ雨を叩き落とす勢いで迸り、周囲は鮮血に染め上げる。
傘が地面に落下するよりも前に、ぼとりと地面になにかが落ちた。九の字に曲がった、俺に手を振り、指をさし、手刀をした、あの右腕が。
「星原さんッ!」
ぬかるんだ地面に足を取られながら、俺は勢いよくフカドロンに飛びかかるが、怒声とともに振り翳された左手に突き飛ばされる。間一髪、両腕で爪撃を防いだが、学生服に深い爪痕が残り、わずかに血が滲み出た。
俺は戦闘体制をとる。あらためて対峙して、ようやく対象の肥大した肉体に気がついた。
天に向かって吼えるフカドロンは、今までの個体とは明らかに大きさが異なっていた。低く見積もっても五倍はある。上腕は周囲の木々よりも太く、その頭はいまや電灯よりも高い位置にあった。剥き出しになった爪には、暗い赤色が付着している。
バカなッ、バカなッ、バカなッ! フカドロンの爪の攻撃をいなして反撃の好奇を伺うも、後悔が戦闘の邪魔をする。なぜ星原さんを知覚外にしてしまった? なぜフカドロンの接近を知覚できなかった? なぜフカドロンはここまで巨大に、凶暴になっている? なぜ、なぜ、なぜ――!
フカドロンの突進を両腕で防ぐも、後退させられる。滑り止まったすぐ傍に、星原さんがうつ伏せのまま倒れていた。痛みに耐えるように口元が歪んでいる。
「星原さん――ッ!」
切断面からはいまだ血が溢れ出ており、周囲は大きな血溜まりに変貌していた。
「――クソッ!」
俺は再びフカドロンに向き直る。ビーッビーッと操縦室に警告音が鳴り響く。本来の人間の許容範囲外の衝撃を一度に浴びすぎた。長くは持たない。これ以上は月島氏の肉体保護と損傷回復のために強制スリープモードに入るように設定している。俺の意識が潰える前に、コイツだけは処理せねばならない。
ふぅーと長く長く息吹く。全身の力を抜く。足元はしっかりと踏み締め、拳は腕に力が流れない程度に握りしめる。
フカドロンは、叫びながら俺に飛びかかってくる。まだだ。まだ引きつけろ。警告音はいまだ鳴り響いている。爪が振り下ろされる。まだ。強制終了まで残り三十秒。ギラついた不揃いの歯が眼前に飛び込んできて――。
今ッ!。
俺は一歩踏み出し、左拳でフカドロンの顎を突き上げた。やつの自慢の歯が砕け散り、短い悲鳴を上げて、足元から崩れ落ちる。
拳をありったけの力を込めて握りしめる。
「骨の髄まで喰いしばれッ!」
倒れ込む顔面に、拳を突き出した。フカドロンの首から上は吹き飛び、緑色の血が吹き出した。首から下の肉体は、なにかを探すように膝立ちのままフラフラと揺れ動き、やがてどしんとその身を水たまりに投げ打った。
目の前の景色が揺れ動いた。警告音が遠のいていく。操縦室には強制終了のための催眠ガスがすでに噴出されていた。我ながら厄介な仕組みを作ってしまった。視界が、聴覚が、平衡感覚が、すべてが螺旋状にぼやけていく。
まだ倒れるわけにはいかない。せめて、せめて星原さんの応急処置だけでも――!
抵抗虚しく、そこで意識が途切れた。