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隕石衝突

 想定外の隕石が後頭部に直撃し、隣の席の月島くんはおかしくなってしまった。




 その日は曇天だった。時間はたしか十六時過ぎ、小雨が降っては止み、降っては止みを繰り返していた。空を見上げても灰色が広がるばかりで、誰も星の欠片が接近していることに気づかなかった。


 私は訳あって東丘公園のすべり台に腰かけていた。遊具は雨水に濡れ、広場にはぽつぽつと水たまりができていた。そんな状態だから、普段は子どもが駆け回り、犬の散歩をするご婦人でにぎわう公園も静けさに満ちていた。時折公園沿いの道路を下校する中高生たちが、すべり台上で傘を広げる私を訝し気に覗き見していた。


 そしてそれは突然空から落ちてきた。急に明るくなったと天を仰いだ次の瞬間には、光が音もなく雲を突き破ってきた。光はみるみる輝きを増し、東地区の商業施設のはるか上空で消えた。落下物の軌跡には飛行機雲に似た一筋の煙が残っていた。今のなに? と往来の学生たちが騒ぎ始めた次の瞬間、光より遅れて爆発音が鳴り響いた。


 のちに気象庁が緊急で開いた記者会見によると、隕石は大気圏突入前時点で直径約三十メートルの大きさで、秒速二十キロメートルで落下し、白窪市の高度十九キロメートルで最後の爆発が起きたという。「数字でごちゃごちゃ言われてもまるでわからんな」と大工一筋のお爺ちゃんがぼやいていた。


 当然のことながら、記者が焦点を当てたのが「隕石の落下を予測できなかったのか」という一点だったが、直径百メートルにも満たない小さな隕石は観測が難しいこと、落下した時刻が日中であり落下の把握自体が困難であったこと、観測できないレベルの隕石の落下はたびたび起きており、今回のように街に被害がおよぶことは、観測以来世界でも数例しか記録がないことを強調した。


 災害対策本部の発表によると、隕石の衝撃波で白窪市の五千棟以上の住宅および施設の窓ガラスを打ち破り、千人強の負傷者を出した。火球の落下が下校時間だったこともあり、多数の高校生が視覚障害を受けた。しかし、後遺症の残る負傷者はいなかった。


 重傷者は十九名。被害範囲に対して重傷者が少なく、また死亡者がひとりも出なかったことは国民を安堵させた。近代以降の日本では前例のなかった災害ゆえ、事故直後は多数のマスメディアが市内に押し寄せたが、一週間後には都会へと帰っていった。


 重傷者は十九名。そのうちのひとりが、隣の席の月島誠くんだった。


 先ほどの災害対策本部の報告には一部誤りがある。「後遺症の残った負傷者はいない」。これは大きな誤りだ。あるいは、「死亡者がひとりも出なかった」というほうが誤りかもしれない。



 月島くんは、隕石落下後に、中身が完全に変わってしまったのだから。




 *




 頭に隕石を受け、生き残った青年。


 センセーショナルな第一報に記者たちは大いに沸いたが、月島くんの入院する病院に押し掛けた。どうやら隕石の爆風で巻き上げられた小石が後頭部に当たっただけだという続報に、蜘蛛の子を散らすようにいなくなった。


 月島くんは事故の影響で入院しています。でも意識はしっかりとしていてすぐに退院できるとのことです。


 隕石落下から一日の休校を挟んで朝会で、担任の水田先生はそう言った。なんだ、よかったと皆が胸をなでおろしてから六日後、月島くんが教室に戻ってきた。治療の影響か、耳を隠していた髪は坊主頭になっており、額から後頭部にかけて包帯が巻かれていた。


「心配をかけて、申し訳ない。本日よりまたよろしく頼む」


 入室早々、やけにかしこまった言い回しで頭を下げた。太い眉ときっちり襟のフックまで留めた学生服も相まって、まるで将校さんのようだった。


 まずその時点でクラスの過半数は違和感を覚えたはずだ。入院前の月島くんは目立つことを嫌い、人との会話をできるだけ簡潔に終える青年だった。私もほとんど会話を交わしたことはなかったが、少なくともクラスの前で冗談を言うようなタイプではなかった。


 月島くんの後ろから顔を出した水田先生が補足する。


「月島くん、頭を打った衝撃で少し記憶が曖昧になっていることがあるらしいの。みんなで教えてあげてね」


「水田先生、かたじけない。この御恩は必ずや」


 直角に腰を折ってお辞儀をする月島くんを見て、「この変化は記憶障害の問題なのか」と思いながらも、納得するほかなかった。もともと月島くんと仲の良かった加藤くんや荒沢くんは、かなり戸惑いながらも休み時間中は積極的に話しかけていた。


 面食らいながらも、最初の数日はクラスメイトも月島くんとうまく付き合うことができていたように思う。背筋がピンと伸び、問いかけにいつも元気はつらつな隕石後月島くんは、猫背で話下手な隕石前月島くんよりも印象がいいというのが正直なところだった。休み時間にプロ野球の話題が出た際に、「その巨人軍とやらは何メートルぐらいあるんだ?」という天然発言をするなど、突拍子もない言動がかえって親しみやすさを生んでいた。


 異常性が浮き彫りになった決定的な出来事は、復帰してから一週間経った掃除の時間に起きた。男子数人が教室の掃き掃除をしながら、たしか魔法使いが出てくる有名な児童書の話をしていたときだ。四宮くんが「俺もほうきで空飛べればな」と言った。月島くんが「ほうきで空を飛べる人がいるのか?」と尋ね、四宮くんが冗談で「ああ、飛べるやつもいるらしいよ」と笑った。こうやってまたがって大地を蹴ると飛べるんだよ、と四宮くんが手に持っているくたびれたほうきで実演してみせると、なるほど心得た、と月島くんはほうきに手に持って窓に向かっていくと、そのまま外へ飛び降りた。


 私たちの教室は三階にある。


 ちょうど窓を拭いていた私は、横をすり抜けていく月島くんを見ていた。とても純粋な目をしていて、飛べることを信じて疑わない様子だった。しかし、当然宙に浮かぶことはなく、重力にしたがって力なく落ちていった。


 教室に悲鳴が響き渡った。目を覆う者、呆然と立ち尽くす者、そして、窓から下をのぞき込む者。私は三番目で、思わず窓から身を乗り出して下を見た。


 呆然と立ち尽くす月島くんは、私の呼びかけに反応し、泡を食ってほうきを掲げてみせた。


「星原さん! 大変なことになった! ほうきが、ほうきが折れてしまった!」


 いや、普通折れるのは君の脚だろ。そう心の中でつぶやいた。


 噂はあっという間に広がり、次の日から月島くんは全校生徒から距離を置かれるようになった。




 *




星原朱里(ほしはらじゅり)さん」


 月島くんが窓から飛び降りて五日ほど経った頃。月島くんにこっそりと声をかけられた。


「なにやら最近学友たちにおびえられているような気がするのだが、心当たりはあるだろうか」


 私は通学バッグから筆箱を取り出しながら答える。


「それを感じ取れるようになっただけ進歩だね」


「思うに先日、上条さんが渡してくれたラムネ菓子なるものを八個一気に食べてしまったのがよくなかったのではないか。錠剤型の菓子を流し込むさまは、さながら東京で流行している若者の医薬品の過剰摂取を彷彿とさせ、本校の若者に悪影響を与えかねない軽率な行為だったと恥じている。上条さんにはすでに謝罪済みだが、一度全校生徒の前で頭を下げるべきだろうか」


 こめかみを押さえる。都会の若者の闇に切り込める人間が、どうして三階から飛び降りることの異常性に気づけないのだろうか。


「あのさぁ、月島くん。百歩譲って災害の後遺症で君に記憶障害が起きているとしてだよ」


「そうなのだ。記憶障害が起きていて、少々以前までの自分とは違うように見えてしまうかもしれないのだが……」


「少々じゃなくて、丸っきり違うんだよ。私の知ってる月島くんは、校長先生が壇上に上がるたびに敬礼なんてしないし、三階から飛び降りてケガひとつなく生還したりしないし、授業のバスケでダブルクラッチリバースダンクをリングに叩き込んだりなんてしないの」


 だぶるくらっち?と首をかしげる月島くんを無視して話を続ける。


「ひとまずさ、その口調を直したら? 大正時代の人と話してるみたいでみんな気味悪がってるよ」


 月島くんは腕を組んでううむと唸る。


「口調がおかしいのはなんとなくわかっているのだ。ただ、この星の……この国の言語の細かい違いがわからなくて困っている。翻訳機が壊……いや、とにかく難しくてな」


 ついに星とか言い始めちゃったよ。うまくごまかしているつもりなのだろうか。


 もうどうなったっていいや。月島くんの顔面を指差して、シンプルな疑問を投げかける。


「信じられないけどさぁ、君、月島くんじゃないでしょ? 宇宙人に体を乗っ取られているとかじゃないと、説明がつかないことが多すぎるんだよね」


 五秒間ほど月島くんがフリーズする。あんぐりと口を開けたまま、次の句を告げられずにいる。動いているのは、ザバザバと豪快に泳いでいる目だけ。


「……な、にを言っているのだ。そんな荒唐無稽なことが起きるわけがないだろう。しかしあれだな、そこまで疑われてしまうなら致し方あるまい。取り急ぎ口調だけは変えるようにしよう。情報感謝する」


 そこでホームルームの開始を告げるチャイムが鳴り響いたので、会話は終了となった。その日の月島くんは言葉遣いを気にしてか、いつにも増して言動に落ち着きがなく、少し罪悪感が芽生えた。


 土日休みを挟んでの翌週月曜日。教室に入ると月島くんが挨拶してきた。


「よう、おはッス。今日は寒いな」


 なるほど、この二日間で現代語を少し勉強してきたらしい。


「今日の体育って持久走だよな? やべぇよ、長袖忘れちまった。マジだりぃ」


 すばらしい。若者言葉だ。元の月島くんでは考えられない下品で軽すぎる言葉遣いではあるが、少なくとも現代日本人の言葉ではある。思わず感嘆の吐息が漏れる。


「ってか古文とか意味不じゃね? 帝がチョヅイてモテモテなのマジ意味不だし、あんな奴ナウなヤングならアウト・オブ・眼中だっちゅーの。マジ渋谷って感じ〜。チョベリバ〜」


 ダメだこりゃ。吐息が深いため息に変わる。意味不なのは月島くんのほうだよ。


 私は「あと二十年は時代を進めたほうがいい」とアドバイスして、右手を振った。



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