15 ミナの異変
走りながら後ろを振り返ると間近にグレート・ボアの厳つい顔が迫っていた。
門までの距離はあと50mほど。
「くらえ」
セラが塀の上に立って何かを振り回し、魔獣に向けてそれを放った。
ビシュッ
「ボゥォォォ!」
後ろからグレート・ボアの鳴き声が聞こえ、足音が止まった。
その隙に門に辿り着いた俺たちは飛び込むように敷地内へ入り、ミナが門を閉じる。
ガラガラガラ……ガシャンッ!
魔獣は門の周りをウロウロと歩き回った後、ほどなくその場を離れていった。
「あ、あ、危なかったぁ……」
俺は担いでいた女性を下ろし、肩で息をする。
……日々自転車で脚力を鍛えていたのが功を奏したか。
「大丈夫ですか? ミナ、水を持ってきて」
「わかった!」
アリサが二人の様子を見ながら体中をチェックする。
「特に大きな傷はないみたい。でもひどく衰弱してる」
「おなか……すいた……」
横に寝ていた男の子が体を起こして言った。
限界までの空腹と体力の消耗で倒れてしまったようだ。
「ようし、今からお兄さんが美味しくて消化のいいご飯を用意するからな、ちょっと待ってろよ」
そう言って俺は最初の夜に食べた『わかめとビーフジャーキーのおじや』を作った。
その親子はふーふー言いながらゆっくりと、足りなかった水分を補うかのように奇麗に完食した。
一息ついて繰り返しお礼を言う女性を制して、俺たちは事情を聴いた。
どうやらこの親子は『クロイワ連合』から逃げ出したそうだ。
出来るだけ食べ物も盗み出したようだが、それも3日ほどで付き、それ以降は飲まず食わずで彷徨っていたようだ。
「どうやってここに辿り着いたの?」
「その、食べ物を探しに入ったスーパーで、これを……」
そう言って一枚の紙を取り出した。
その紙には簡単な地図と『ごはんがあるよ』と言うカメさんが描かれている。
「セラがかいた絵だ」
セラが嬉しそうに言った。
チラシを貼って回ったことも無駄ではなかったらしい。
「よくここまで頑張りましたね、まずはゆっくり休んでください。よかったらお風呂に入ります?」
「え!? お風呂? ってあのお風呂ですか?」
「へっへー、ここにはお風呂があるんですよ!」
ミナがなぜか鼻高々だ。
辺りも薄暗くなってきたため、ミナにLEDライトを持たせて女性と子どもをお風呂に案内してもらった。
30分後、ライトに照らされた寝具売り場にミナが親子を連れて帰ってきた。
「お風呂だけでもすごいのに、石鹸やこんなにふかふかなタオルまで……」
「凄いでしょ? 全部ユウトくんのおかげ!」
ミナが俺を褒め称える。
なんかこそばゆい感じがする。
「やっぱり文化的な生活を取り戻すには衛生的な環境と十分な食事が必要だからね」
「あ、申し遅れました、私は神宮司ショウコ、この子は息子のタケルです」
「タケルです!」
「あら、元気があっていいわね」
アリサが微笑んで子どもを見る。
ショウコと名乗った女性は急に床に膝をついた。
「お願いします、少しの間、私たちをこちらに置いて頂けませんか?」
土下座を始めたショウコを見て、俺たちはびっくりしてしばらく固まってしまった。
「い、いやいや、ちょっと顔を上げてください!」
「お願いします! せめてこの子だけでも……」
「わ、わかってます、だからまずは顔をあげましょう」
必死の説得でベッドマットに座ってもらう。
「そんなお願いされなくてもずっと居て頂いていいですよ。遠慮なんかしないでください」
「え……?」
ショウコの目が見開いた。
「そうですよ、こんな世界だからこそ、助け合って生きていかないと」
「賛成! 住民が増えるのはいいことだよね!」
「セラももんだいなし」
次々に口にするアリサ、ミナ、セラを見て思わず笑みがこぼれる。
「俺たちが『クロイワ連合』を出ていくときに言ったセリフを覚えてます?」
「あ……」
「俺ならこんな集落よりも、よっぽど人間らしい暮らしを提供できる……ってね」
俺はちょっと恥ずかしくなったが、今一度口に出してみる。
「この二人も『クロイワ連合』にいた頃よりも伸び伸びと生活していますよ。あなた達も是非ここの住人になってください」
「そうそう、遠慮しないで!」
ショウコは涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら何度もお礼を言った。
◆◆◆◆◆◆
新しい住人が増え、幾日が過ぎようとしていた。
畑の小麦も成長し、もうすぐ収穫を迎えようとしたある日の朝。
その異変に気付いたのはショウコだった。
「あれ、ミナさんはまだ起きてきてないんですね」
いつもなら早朝から元気よく動いているミナが、まだ起きてこないのは珍しい。
俺は朝食作りを中断して寝具売り場へ様子を見に行くことにした。
「ミナちゃん、寝坊なんて珍しいことも……」
ミナはベッドマットの上でシーツを肩まで掛けたまま後ろを向いて横になっていた。
俺の問いかけにも身動き一つしない。
「ミナちゃん?」
気になって顔が見える位置に回り込む。
ミナの苦しそうに歪む表情を見て、ただ事ではないことに気付いた。
「アリサさん! ちょっと来て!」
俺はその場で大声を上げた。
程なく現れたアリサだが、ミナの様子を見て取り乱した。
「ミナ、ミナ、大丈夫!? 目を開けて!」
そう言ってミナの肩に手を掛けたアリサだが、すぐにその手を引っ込めた。
「あ、熱い!」
俺は掛かっていたシーツをめくってみた。
よく見るとミナが着ていたパジャマが汗でぐっしょり濡れている。
その時、違和感に気付いたのか、ミナが薄目を開けた。
「あ、ミナ! 私よ、わかる?」
「……あれ、おねえちゃん? もう朝?」
ミナはアリサを見て笑顔になった。
しかしその笑顔はかなり弱弱しい。
「ちょっと寝坊しちゃったかな……早く畑の様子を見に行かないと……あれ、身体がうごかない……」
「いいの! 今は横になってて、無理しちゃダメなんだから!」
アリサの言葉にミナはそのまま目を閉じた。
はっはっと短い息を吐き、かなり辛そうだ。
「どうしよう! 前の集落だと病気になったら隔離されて、そのまま……」
アリサは目をつぶって首を横に振る。
俺はそんなアリサの肩に手をかけた。
「大丈夫だ、このままにはしない、考えうる限りの対処をしよう」
その時、騒ぎを聞きつけたのか、セラとショウコ、タケルが顔を出した。
ミナの異変に気付いたセラはそのままミナのそばに近づき、額に手を当てた。
そして汗だくになったパジャマを見ると、俺のほうに向き直った。
「ユウト、あっち向いてて」
「え? ああ、わかった」
「あとしんせんなタオル」
「はい」
俺はタオルを渡すと後ろを向いて目をつぶった。
後ろでガサガサと衣擦れの音が聞こえる。
「う……ぐぅ……」
ミナの苦しそうな声が聞こえてくる。
「からだに外傷はない。呼吸もへんな音なし。たぶん、疲労によるこうねつだと思う」
セラが医者みたいなことを言う。
「ほ、本当か? セラ」
「まだこっち見ちゃダメ」
「ご、ごめん!」
「ちなみに熱は39度ちょっとある」
体温計もないのに触っただけで推測できるのか。
セラの知識の広さに驚いた。
「水タオルをひたいに乗せて、汗をこまめに拭けば下がってくると思う。でもそれで下がらないと……くすりが欲しいところ」
「薬だな、ちょっと待ってろ」
俺はそう言ってその場を離れた。
これまで必要にならなかったから詳しく調べてなかったが、2階の奥に調剤薬局があったはず。
「よし、あった」
俺は調剤薬局のガラスのドアを開け、カウンターを飛び越えて調剤室に駆け込んだ。