13 大学の研究室にて
「やった!トマトが赤くなった!」
日課にしている早朝のトマト観察で、ミナが歓喜の声を上げた。
種を植えてからまだ6日目だ……どんだけ成長が速いんだ。
「ねぇ、収穫して食べてみようよ、もう我慢できないよ」
トマトとこちらをキョロキョロするミナ。
「セラ、トマトって普通収穫までにどのくらいの期間がかかるんだ?」
「たねを植えてからなら、だいたい4ヶ月くらい」
「そうか、ってことは……通常の20倍近い速さで成長したってことになるな」
俺は念のためトマトを解析してみた。
トマト【『ナス科の植物 水分量:94% エネルギー:19kcal 食用可』】
特に変哲もないただのトマトだ。
なにか変な影響がないか心配だったが、食用として問題ないらしい。
「食べられそうだな、水で洗って食べてみよう」
「やった!そうこなくっちゃ!」
ミナは一番赤みの強いトマトを4つほどもぎ取ると、スキップしながら水場へ駆けていった。
「うん、酸っぱい!トマトの味だ!」
俺が駆け寄るとミナはすでに一口目をほおばっていた。
酸味が強いみたいだが、その顔は嬉しそうに緩んでいる。
野菜や果物特有の酸味なんて、この世界ではほとんど口にできなかったもんな。
その後、アリサとセラも呼んでみんなでトマトをかじる。
「弦にはたくさんトマトが生ってたから、まだまだいっぱい食べられるね」
「これでこの土でも栽培できることが判明したんだ、もっと他の野菜類も植えたいな。セラ、選んでくれるか?」
セラはトマトを口に当てながら首を縦に振った。
相変わらずかわいい食べ方をする。
「さて、俺は今日も物資調達がてら周りを走ってくるよ。今日こそカレーを見つけたいしな」
「いいね、期待しているよ、ユウトくん! アタシは洗濯と飲料水の確保とトマトの管理と……」
「ミナ、あんまり無理するなよ? セラも出来たらミナのこと手伝ってやってくれな」
「わかった」
力強く首を縦に振るセラ。
この時はまさかあんなことになるなんて思いもしていなかった。
◆◆◆◆◆◆
今日は多摩川を超え、百合ヶ丘方面へ足を向けることにした。
物資調達がメインのミッションだが、マップを見ていると少し山のほうに専修農業大学があったからだ。
学校のような広い土地なら生き残った人たちがいる可能性もある。
「しかし、自転車だと、上り坂が、しんどいな……」
ペダルに力を入れながら果て無き坂を延々と登っていく。
ようやく登りきった辺りで、大学の看板を見つけた。
その看板には大学名の下に大きくペンキで文字が書かれていた。
『避難所 こっち→』
「これは……可能性が高くなってきたな」
俺は矢印の方向へ舵を切った。
大学の正門とは別方向に向かっている。
恐らく広い講堂かどこかに向かっているのだろう。
緩やかなカーブを曲がると、程なく裏門が見えてきた。
「あそこか……ん?」
近くまで来て嫌な予感がする。
設置されていたであろう頑丈な鉄製の門扉が倒されている。
しかも何かに引きずられた跡を残して。
咄嗟に周囲解析を掛けると、大学の敷地内に四足歩行の魔獣の反応があった。
それも2頭、しかもその輪郭には見覚えがある。
「あー、あれはグレート・ボアってやつだよなぁ」
俺は気付かれないよう近くの建物に入り、生存者を探していく。
管理棟と書かれた建物には誰もおらず、隣の大きな講堂を目指す。
グレート・ボアは正門の近くへ移動していたため危険なく入り込めた。
「誰かいますかぁ?」
そう声を掛けながら入り口の扉を開けたが、その荒れ具合で人がいないのは明白だった。
講堂の中は半円形になっており、中央に向かって段差が下がっていく。
各段に固定された机と椅子が床ごと削り取られている箇所が複数あった。
隅には複数の人間が生活していたであろうゴミが散乱している。
「ここに、魔獣が入ってきちゃったんだろうなぁ……いや、待てよ?」
この講堂は床が傷だらけだが、四方の壁には全く傷がついていない。
もし魔獣のせいだというのなら、奴らはどこから入ってどこから出たんだろう。
その答えは意外にもすぐに見つかった。
「あ、これか」
講堂の中央、教卓の脇のあたりに見覚えのある空気の揺らぎがあった。
ダンジョンの出入り口だ。
避難所として使っていた講堂内に突然ダンジョンが現れ、魔獣の襲撃を受けたのだろう。
「これは……生存者は絶望的だな。血みどろの惨状になってないだけよかったけど」
そう言って俺は疑問に思った。
そういえば、今までいろんな場所を巡ってきたが、人間の遺体を見たことがない。
魔獣が現れて2年なら、そこかしこに遺体や骨が散乱していてもおかしくないのに……。
なぜだ?
「実はほとんどの人が生きていて姿を消しているだけだったりして……」
少し考えてから、それはあり得ないと否定した。
アリサが2年前にテレビで人々がやられていく姿を報道していたと言っていた。
犠牲者は多く出ているのだ。
ではなにか、魔獣にやられると人間の存在自体が消えてしまうとでも言うのだろうか。
「うーーん……ま、考えてもしょうがない。今は生きることに専念しよう」
俺は5秒ルールに則って考えるのを後回しにした。
講堂の中をざっと見渡し、誰も隠れていないことを確認すると、俺は最後に隣の研究棟を覗いて帰ることにした。
「お邪魔します」
棟入り口の扉を開ける際につい言葉が出てしまった。
ノブに手をかけた瞬間、中に人の気配を感じたからだ。
しかし誰もいなかった。
近くの研究室に入るが、意外と整頓されたまま物が残されていて驚く。
まぁここに食べ物を探しに来る人はいないか。
「あれ、なんだこのドア」
研究室の奥に重々しいドアが鎮座している。
取っ手は鉄製で90度回転させて開けるタイプだ。
コンビニやスーパーにある冷蔵庫の扉に近い。
俺は渾身の力を込めて取っ手を回し、重い扉を開けた。
ギギギギ……
中に入ると冷やりとした空気に身が震える。
今は電気も来てないが、ここは冷蔵室として使われていたんだろう。
6畳ほどの広さの壁際に棚があり、ガラス瓶やバインダーなどが並んでいる。
「農業系の大学だもんな、いろんな研究に使われてたんだな」
ふと部屋の隅にあるガラス戸で出来た棚が目についた。
ガラスの上部には『種子保存ケース』と書いており、中には真空パックで厳重に包装された袋が複数置かれている。
俺は何気なくその袋の一つを手に取って表紙に書かれた文字を読んだ。
『専修農業大学 コムギ(小麦)ミナミノカオリ WHEAT-KSH-2027-03 育種試験用』