12 カレーライスの誓い
「なに描いてるの?」
A4の紙にマジックで線を引いていた俺は、アリサに後ろから声をかけられた。
「この辺の地図を描いてたんだ。もしセラみたいな生存者が他にいるなら、ここに誘導できないかと思ってね」
「ああ、なるほど」
そう言って紙を見たアリサは眉をしかめた。
「あの、字がちょっと、個性的ね」
「気を使わなくていいよ、字が下手なのは自覚してる」
「ちょっと貸して」
アリサはペンを手に取ると、読みやすい字体でさらさらと書いていく。
思いのほか丸文字でかわいらしい。
アリサのことだから達筆な草書のようなものをイメージしていたから驚いた。
「こんな感じでどう?」
「おお、凄く良くなった。読みやすい字で内容もフレンドリーでいいね」
「お絵描きならわたしもしたい」
気が付くと後ろにセラがいた。
興味深く紙を凝視してる。
「それじゃセラにも手伝ってもらおうかな。この地図を何枚か複製してほしいんだ」
「セラちゃん、この地図の部分、描ける?」
「ぜんぜんいける」
セラは新しい紙にスッスッと軽い手つきで線を引いていく。
俺よりも奇麗な線を引くセラに少し嫉妬する。
「それじゃ私は文章を書いていくわね」
こうしてこの拠点へ誘導する広告が10枚ほど完成した。
それぞれの紙の隅にウサギさんやカメさんのイラストが追加されているのはご愛敬だ。
しかもカメさんが右手を上げ『ごはんがあるよ』と喋っている。
これを見たらクロイワ連合のような酷いイメージを持たれることはないだろう、二人に頼んで正解だったな。
「二人ともありがとう、凄く良くできてるよ」
「どういたしまして」
「むふー」
二人とも嬉しそうだ。
俺はそれを異空間ポケットに収納すると、充電していたタブレットPCの電源を入れる。
フォーンと懐かしい電子音とともに、マップアプリが起動した。
「今日は多摩川の向こう側を見に行ってみるよ。登戸駅のほうはまだ見に行ってないからね」
「わかった、私たちはトマトの様子を見ながら、いつもの家事をしておくわ」
「魔獣が来たらすぐ建物内に逃げるんだぞ?」
俺はそう言って自転車にまたがる。
ハンドルの中央にタブレットPCを装着できるよう改造済みだ。
トマト畑にいるミナに一声かけ、俺は施設を出て行った。
◆◆◆◆◆◆
その日の収穫はお菓子が3つに缶詰が4つ、あと5kgの米袋だった。
とある住宅街で生存者の確認をしようと1軒1軒見て回った際、誰もいない一軒家の床下から発見したものだ。
災害時用の蓄えだったんだろう、火事場泥棒のようで引け目を感じたが、背に腹は代えられない。
「もし戻ってきたらごめん、この場所に来たらもてなすから勘弁な」
そう言って俺はリビングの目立つところに作成した広告を貼り、その場を離れようとした。
しかし急に後ろから人の気配がし、慌てて振り返る。
「え、誰か……いる?」
リビングの中には誰もいなかった。
しかしなぜか人の気配だけはビンビンに感じる。
リビングの棚には家族写真が納められたフォトフレームが倒れている。
念のため周囲解析をしてみるが、特に何の反応もない。
まぁ今のところ周囲解析は魔獣にしか反応しないんだが。
「気のせい……かな」
首を傾けながら俺はその場を後にした。
その後、俺はいくつかのスーパーマーケットや個人商店を巡り、広告を貼りながら帰途についた。
もう日が傾き始め、夕日が周囲を赤く照らしていた。
「ねぇ、これ見て、もう実がなり始めてるよ?」
帰るや否や、アリサが嬉しそうにトマト畑に手招きして言った。
「うそだろ? まだ種を植えて2日も経ってないぞ?」
「この調子ならあと数日で食べれるようになりそう……ああ、楽しみ」
アリサがうっとりとした表情で目をつぶる。
だらしなく口が開いてなければ美人なんだが……。
この日の夕飯は久しぶりに炊き立てのお米を堪能することになった。
キャンプ用品のコーナーから飯盒を調達し、火にくべて炊飯する。
細かな炊き方はセラ頼みだ。
炊けるまでの間に沸かした湯にレトルトパウチを4つ投入。
お皿に盛りつけたご飯の上に掛ければ完成だ。
「はい、今日のご飯はカレーライスだ」
久しく忘れていたカレーの極上の香りに、一同よだれが止まらない。
話すことも忘れて夢中で食べる……こんなに静かな食事風景がかつてあっただろうか。
「はぁぁ、こんなに美味しいのに、もう作れる人がいないなんて……」
「そうね、香辛料のほとんどがもう手に入らないだろうし」
「ねぇねぇ、その『復元』ってスキルでカレーは作れないの?」
なかなか無茶なことをいう。
「これまで食べ物が復元できたことはないなぁ。多分、材質が単純で小規模のものに限られてるっぽい」
そう言って俺は手元にあったフェイスタオルを『復元』した。
1分ほど経って目の前に新しいタオルが出来上がる。
「そっかぁ、神の能力にも限界があるんだね……」
ミナは心底がっかりしていた。
まぁこんな世界だからこそ、食事を楽しみたいという気持ちは強いだろう。
「あ、このお米って田んぼに植えれば稲が生えるのかな?」
またミナが突拍子もないことをいう。
「はえない。白いお米はだっこくとせいまいされてるから。植えるには種もみがひつよう」
「はぁぁ、それもダメかぁ、お米が収穫できれば未来は明るいと思ったのにぃ」
「まぁまぁ、今できなくても今後もできないとは限らないわよ」
アリサが良いことを言った。
この世界は今までできたことのほとんどができなくなった。
しかし言い換えれば、どんなことでも自由にやってよくなったのだ。
しかも現代人の知識や技術がまだ使える。
「アリサの言う通りだな。出来ないことでもここを出発点として出来るようにしていけばいい。多分俺の力はその為のものだと思う」
その場で思いついたことを口にしただけだが、ミナに笑顔が戻った。
「確かに、トイレもお風呂も出来たし、電気も使えるようになったしね! これからも期待しているよ、ユウトくん!」
「わたしも、力になりたい……」
ミナとセラの言葉に少し胸が熱くなる。
俺はここに必要とされてるという実感と合わせて、この人たちとの生活を守るという責任感に身が震える思いをしていた。
「そうだな、またレトルトのカレーを見つけてくるよ。いや、カレーのルーでもいいな」
俺は軽口を言って感極まった感情を隠した。
まぁアリサにはバレていたようだが。