「夫がオオムカデに斃されて一年が経過しました」と絶世の美少女に言われたんだが
初めて足を踏み入れた貴賓室。そこに居たのは、自身が白昼夢でも見ているのではと疑ってしまうような美少女だった。まさに掃き溜めに鶴。騎士は傭兵よりは良く調教、もとい教育されているとは言え、基本的には脳筋が大部分を占める。そんな場所に薔薇の花ですら嫉妬のあまり色褪せそうな美姫に長々と居座られては危険だ。早々にお帰り戴かないと。
さっさと相談事とやらを聞くためにも、まずは挨拶を、と名乗ろうとしたその時。俺が入室した瞬間に立ち上がった後は微動だにしなかった彼女の口から予想外の一言が飛び出した。
「夫がオオムカデに斃されて一年が経過しました」
「…………ご愁傷さまです」
それがどうした、と言いたいのを堪えて月並みな言葉をかける。
「いきなりこんなことを言われても困りますよね」
全くもってその通りだが、それを馬鹿正直に言ってしまうと目の前の佳人は泣き出してしまうかもしれない。いや、既に涙ぐんでいるのだ。
団長に客人の話を聞いてやって欲しいと頼まれ、相手の名を訊いても「お楽しみ」としか言われなかった。何か企むような表情から知人かと予測し、自分には無縁だと思っていた貴賓室に足を運ぶと、待ち構えていたのは初対面のうら若き美女。その口から放たれたのは、こんな意味不明な発言。
いや、訳が分からないのは一先ず置いても良い。それよりも大きな問題がある。目の前の女性はどう高く見積もっても二十歳そこそこ、普通に見ると十代にしか見えないのだ。その若さで夫に先立たれるとは、全くもって不運だと思う。そんな相手にどんな言葉をかけようが慰めにはならない。魔獣の群れに対峙する方がまだ気楽だ。
それとは別の戸惑いもある。〝夫〟とは言うが、彼女は明らかに純潔だ。
豊富な魔力量が影響してか──個人的には何らかの呪いとしか思えないが──生まれ持ったスキルで相手の性交渉の遍歴が嫌でも分かってしまう。これのせいで余計なことを考えてしまい、二十二歳の今まで女性との付き合いに踏み切れなかったのは嬉しくない。
それはともかく、真っ白な関係だった筈の亡き夫との関わりが想像すら出来ないことが、より一層どう彼女に対応すべきか分からなくさせる。
だが俺が悩んでいる間に客人は気を取り直したらしい。
「アルフレッド・マクファーレン殿。第二騎士団の第一部隊長を務めておられますよね?」
「そうですが、どうして自分をご指名なさったのです? 貴女とは初対面の筈ですが」
佇まいから察するに間違いなく高位貴族の夫人、いや、元夫人なのだろう彼女と俺では住む世界が違う。
「…………若き英雄の名は有名ですし、夫が、見込みのある若者がいると貴方の名前を何度か口にしておりました」
それは嬉しい。
魔獣討伐で名を上げたとは言え、殆どの中枢のヤツらには便利な駒としか思われていなかった。そんな俺を気にかけてくれていたお偉いさんがいたのか。
「光栄です。失礼ですが、ご夫君のお名前をお訊きしても?」
「名乗りもせずに失礼しました。私の名はミリアム・アンダーソン。
夫はケヴィン・アンダーソン侯爵、現マスグレイブ辺境伯の弟で辺境騎士団の団長でした」
「えっ、殲滅の黒狼?! あ、いえ、失礼しました」
まさかあの軍神とも評されるお方が、奥方に話す程に俺に目をかけてくれていたとは。
俺が入団試験を受けた際にかの方が見に来ておられたのは知っているが、一度も言葉を交わした事はない。だが、絶対にマクファーレンを採用しろと現団長に進言したのはあの方だったと聞かされたのは、その訃報に驚いた時。憧れの騎士が目をかけて下さっていたと知れて喜ぶと共に、その方に成長した姿を見せられないことが悔しかった。
「失礼だなんてとんでもない。あの人は自分の通称を気に入っておりましたから」
微笑みながら話すその様子に、その人との生活は楽しかったのだろうと思われる。そして、微かな不快感すらも滲ませないその様子から、故人が本当にその通り名を気に入っていたのだろうと察せられた。
襟足がやや長めの黒髪を靡かせ敵を屠る姿からついた二つ名は、最初は獣のような田舎者と揶揄する意味合いも含まれていたそうだ。実際のマスグレイブ領都は田舎どころか王都よりも活気に溢れる都会らしく、馬鹿にしたヤツは無知だと嗤われ大恥をかいたと聞く。
「そうですか。是非とも一度、剣を交えてみたかったものです」
「それを聞いて兄さ、あの人も喜んでいると思います」
彼女の瞳の表面を覆う水の膜が今にも決壊しそうに揺らいでいる。だがギリギリの所で留まるその様は、まさに武人の妻といった風情で立派だと思うと同時に、いっそ泣けたら楽だろうにと胸が痛む。
「私としたことが、つい関係ない話をして。お忙しい隊長殿に余計な時間を取らせてしまいましたね」
「いえ、お話を聞けて嬉しく思います」
どう慰めるべきか悩んでいると、ハッと我に返ったように話題を変える夫人。お気を遣わせてなどと言うが、嬉しかったのは俺の偽りない本音だ。
気持ちを切り替えたのか、夫人の様子が少し変わった。腹に力がこもっていると感じる発声、歯切れよく紡ぐ言葉。全くブレない姿勢は高位貴族なら当然の事だろうが、今の雰囲気からは貴族夫人と言うより寧ろ武人のような印象を受ける。
「本題に入りたいのですが、よろしいですか?」
「お聞かせ下さい」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
目の前の夫人が我が国の第三王子殿下でもある現団長を巻き込んだ嘘をつくとは思えないが、最初はとても信じられなかった。
山を何重にも巻く程に巨大なオオムカデ?
それって本当に存在するの?
よくその大きさになるまで討伐されなかったなオイ!
そりゃそんなバケモノ相手じゃ軍神だって殺られるだろうよ!!!
表面上は真面目に話を聞きながら、内心は阿鼻叫喚だった。
「しかも兄さ、夫は領内を荒らす盗賊団を捕縛した直後にオオムカデが暴れる山に向かったのです」
「近隣の領に援軍は頼まなかったのですか?」
盗賊にしろ魔獣──この場合は魔蟲か?──にしろ、周囲の領地にとっても無関係ではない。困った時は助け合うのが当たり前だ。特に辺境は横の結び付きが強いと聞く。
「みな疲弊しておりまして、最も余力があったのが辺境伯領でした。因みに私はその時、農地に出没したソーンボアの群れを討伐しておりました」
「考えてみれば、最強の騎士がいる辺境騎士団が一番余裕があるのは当然ですね」
しれっとした顔で話しつつも、実はかなり驚いている。
彼女は何てことない様子だが、ソーンボアは馬車馬くらいの大きさで背中にびっしり硬い棘が生えた猪だ。十頭前後の群れで行動し、大きな図体の割に繊細な性質の持ち主で、僅かなきっかけでパニックになり四方八方に突進しまくるのが始末に負えない。そのせいで、魔獣専門の第二騎士団でもなかなかに嫌われている。アイツらよりは統率のとれた攻撃を仕掛ける魔狼の群れを相手する方が楽だと誰もが口を揃えて言う程に。
彼女が戦えるだろうことは察していたが可憐な外見に目が曇っていたようで、そこまで戦慣れしているとは流石に思わなかった。
「討伐の際、辺境一帯に余裕が無かったのは分かりました。ですが国の騎士団には頼めなかったのですか?」
俺が率いる隊は実力者が集まっており、実力は騎士団一と言われる程だ。もしも軍神と力を合わせれば何とか勝てたのではないか。
「半年以上も前から何度も依頼しておりました。ですが良い返事は得られず、とうとうオオムカデが人里に姿を現したので一刻の猶予もなく……」
当時の団長は実力も無いクセに偉そうにふんぞり返ったクソで、最初に軍神を田舎者呼ばわりしたのもヤツだったと聞く。辺境に援軍など送るワケないな。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
団長命令の遠征、行き先は辺境。彼女の話を聞いた時からこうなるのは分かっていたし俺としても望んでいたが、いざとなると遠い。
出発の朝、彼女たちに合流すると待っていたのは彼女自身と、初対面の際も貴賓室の隅に控えていた侍女が一人、そして護衛の騎士が三人。他には誰もいなかった。
「失礼、他の騎士はどこに?」
「これで全員揃っています」
「…………」
冗談だとしか思えなかった。彼女自身を戦力に入れてもたったの五人だなんて。何故こんな少人数で辺境領から王都まで来てしまったのかと問い詰めたい。間には魔獣が闊歩する森が幾つか挟まっているのに。普通の貴族は魔獣討伐に慣れた冒険者を追加で雇うものだが、当然ながらそれも無い。武勇の誉れ高い辺境騎士がそれを良しとする筈が無いからそこは理解できるが、この人数では誰かが負傷でもしたら一気に瓦解するのでは?
それにしてもたった一台しか無い馬車は高位貴族夫人を乗せる物にしては簡素、いや質素としか思えない代物だ。まるで荷馬車のような。
「この馬車に……乗られるのですか?」
「まさか」
俺の質問に目を丸くした後に笑って否定する彼女に「そうだろうな」としか思えない。
「これには糧食や着替えなどを積んでいます。私は馬に乗って行きますから」
まあ、見ないふり、と言うか突っ込まないようにしていたけど、彼女までが武装しているのだから薄々は予測していた。武装して馬に乗り領地から王都まで往復する貴族夫人──寡婦なので元夫人か──なんて規格外すぎるだろう。たとえ馬術に長けていようと普通そんな真似はしない。外聞が悪い、侍女が困る、又は護衛が守りにくい等の理由で。
だが、彼女を常識の枠に当て嵌めようとするのが間違いなのだろう。気にしたら負けだ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「ああ、ここは相変わらずですね」
「以前に来られたことが?」
辺境領に近い青の森に数年ぶりに足を踏み入れ、昔と変わらない清浄な空気に思わず深く息を吸い込む。
柔らかな木漏れ日が降り注ぎ、小川のせせらぎが心を落ち着かせ日常の喧騒を忘れさせる。色とりどりの花が芳しい香りを放ち、愛らしい小鳥の囀りに思わず頬が緩む。忙しない日々に疲れた心を包み込み癒やすような場所だ。
遠くから聞こえる魔獣の雄叫びさえ無ければ、だが。
ここに辿りつく迄に幾つかの森を抜けたが、日頃から適度な間隔で間引いていたのが功を奏したのか魔獣に襲われることはなかった。彼女が言うには、往路でも何も起きなかったらしい。この森以外では。
「ここは昔から多種多様な魔物が生まれ、人々を悩ませると同時に生活を潤してもいました」
「素材の宝庫な上に、護衛などの需要も高くなりますからね」
危険な魔物が多くとも空気が澄んで過ごしやすいのは、精霊が多い上に人が定住していないお陰だ。もし人間が居座ってしまうと、その悪意などが生み出す瘴気で精霊は弱り、この地を見捨てるだろう。本能に忠実に生きているだけで意図的に悪事を働く訳ではない魔物は決して精霊と相容れない存在ではなく、互いに不干渉を貫くことで平和に共存している。
「フレッド! 魔狼の群れだ!」
入団試験で対戦して以降、何かと付き纏い俺に貴族社会の在り方を叩き込んだジェレミーが叫ぶ。この隊で唯一の上位貴族令息だ。しかし由緒正しい伯爵家の令息とは言え、四男ともなれば自ら身を立てる必要がある。
コイツは隣国に留学していた際は騎士科の首席であったために腕に自信があったのか、試験で俺に負けたのがよほどの衝撃だったようだ。その後、何故か興味を持たれてしまい、今では副隊長として何かとフォローしてくれる。ジェレミーが居なければ、うちの隊の扱いはもっと酷いものであった筈だと思う。
実力主義の現団長に代替わりしてからは打って変わって良い待遇になったのはありがたいことだ。が、ある日ジェレミーがいきなり「俺、捨てられたりしない?」と訊いたのには呆気にとられた。俺の背中を任せられる相手が他にいるとでも思うのか、コイツは。
今となっては笑い話だが、何かと世話を焼く自分が口煩いと嫌がられていないか不安に思ったらしい。「捨てられるかも」と言ってジェレミーをからかったヤツも、そこまで真剣に受け止められるとは思っていなかったため、俺が苦情を述べると焦っていたのは面白かった。
閑話休題。さっきから魔狼が近付いているのは知ってたけど、言わないワケにもいかないしな。何となくお約束的な? それに皆が魔力がある訳でもない。寧ろ平民の隊員が多いうちの隊は、そっちの方が半数以上なので、彼が注意を促すのは意味があることだ。
「そもそも騎士爵の親の元に生まれたのに人間離れした魔力のフレッドがおかしいんだよ」
よくそう言われるのだが、平民であってもある日急に高い魔力を覚醒させる者がいるので俺が特におかしいワケじゃない。
因みにミリアム嬢──一応は貴族夫人であった彼女だが、夫人と呼ぼうとしたら騎士たちに全力で止められたのでのでそう呼ばせてもらっている──の魔力もかなり高い上に、彼女自身がその扱いに長けている。それなりの強さであることは初対面の時点である程度予測できていたし、ソーンボアの討伐にも参加していたという話から、ここで彼女を守る必要は無いのは分かっていた。
だが、それと心配するかどうかは別の話。おまけに彼女専属の侍女も護衛を兼ねる程の相当な手練らしいが、こちらも妙齢の美女。隊員に緊張が走る。
「任せて下さい!」
こちらが指示する前に飛び出す二人。いや、確かにあちらも辺境伯家の騎士を連れているし、我々の指示に従う必要なんて更々ないのだけどさ。飛び出すなら前もって教えて欲しかったよね、こちらの心臓を労るためにも。
ぽん、と肩に手を置かれて振り返るとこの旅程で気心が知れたあちらの騎士だった。その目には「慣れろ」又は「諦めろ」という言葉がありありと見てとれる。
飛び出したミリアム嬢の前方に迫る魔狼は五体。同時に動き出した侍女の姿は既に見えず、流石に一人では手に余るだろうと思った次の瞬間。
彼女が手にした剣が青く光り、それが振られると共に魔狼が弾け飛んだ。
いやー、掃除が必要な場所じゃなくて良かったな〜。
凄い血の匂いがするけど、真っ先に寄って来そうなヤツらは粉微塵だから気にしなくて良いかな〜。
うん、良かった良かった。
「マクファーレン殿、お気を確かに」
「ああ、すみません。少し呆けていたようで」
無理も無い、と気を遣ってくれる彼も、辺境伯家の寄子である子爵家出身のミリアム嬢が嫁ぐ前からの顔見知りだそうだ。やはり彼も初めて彼女たちが参戦した時は暫く現実逃避してしまったらしい。
「そう言えば侍女殿は婚姻前からミリアム嬢付きだったそうですね」
「はい。お二人は護衛など必要ない程には強いのですが、女性二人だけの旅は流石にあり得ない上に、辺境伯家の戦力に余裕が無いという噂が立ちかねませんので」
そうなると他国からも攻め込まれかねず、軍神を喪った上にオオムカデに悩まされる今、それは是非とも避けたいことだろう。
「幸いなことに国境線で隣接する向こうの辺境伯閣下は、故アンダーソン侯爵とは息の合う友人同士だったので、彼が積極的に何かを仕掛けようとすることは無いでしょうが」
「国から命じられたら従うしか無いでしょうね」
それは望ましくないことだと進言は出来るだろうが、それで止まってくれない場合はどうしようもない。
「見守って下さり ありがとうございました」
前途多難な辺境伯家を思い やや暗くなっている我々の元へ戻ったミリアム嬢は何事も無かったかのように見える。少し走って軽く剣を振っただけなので衣類の乱れもほぼ無い。微笑みを湛えた姿の美しさはまさに夢のようで、つい今しがた目の前で起きた殺戮を忘れそうになる程だ。
姿が見えなくなっていた侍女殿も「あちらも片付けて来ました」と言いながら戻ってきた。こちらは物理メインで戦うスタイルなのか、着衣に多少の乱れが見える。だが返り血らしき物は見えず、相当に戦慣れしていると分かる。
因みにミリアム嬢は魔力を乗せた片手剣、侍女殿は双剣がそれぞれのメイン武器らしい。だが侍女殿は槍や弓矢の腕も相当なものだと聞く。是非とも うちの騎士団に……は、流石に申し訳ないな。
ふと気になって魔力を使い彼らの戦力を分析してみると、他の騎士たちはどう見ても彼女たちより強い。なら彼らが所属する辺境騎士団の強さは相当なものだ。それに軍神を加えてさえ勝てなかったオオムカデとは悪夢のような存在だとすら思う。
「そちらの隊の皆様も、辺境騎士団に勝るとも劣らない使い手の集まりではないですか」
「まだ戦っていないのに?」
「相手の力を分析できなくては辺境では生き残れませんからな」
そんな彼でも彼女たちの強さは意外だったと言うのだから、つくづく人の目を欺く二人だな。それが更に彼女たちの身を守るのに一役買っているのだろう。
「件のオオムカデは侯爵閣下たちの手によって半身を切られたとお聞きしましたが」
「はい。その場に居た者はほぼ命を落としましたが、虫の息で伝えられた情報によると、半身になって のたうち回りながら山奥に帰って行ったと」
そのままの大きさであれば良いのだが、豊富な魔力を持つ存在、おまけに再生能力が魔獣とは比べ物にならない程に凄まじい魔蟲ならば、一年も経てばかつての姿を取り戻しているだろう。
「フレッドが居れば大丈夫だって俺は信じているぞ」
「自分もです、隊長」
どうやって犠牲を出さずに敵を倒すべきか考えていると、ジェレミーを始めとする仲間が声をかけてくれる。暗い顔をしていたのだろう、気を遣わせてしまったな。
「ありがとう。油断は禁物だが、俺もみんなが居れば大丈夫だと信じているよ」
その様子を見てミリアム嬢が得心した様子で頷く。
「殿下──団長殿に伺った通り、皆様の絆は強固なのですね。それぞれがお強い上にその結束力なら、騎士団一の戦力と太鼓判を押される理由も納得です」
彼女がしみじみと言うその言葉に思わず頬が緩む。現団長殿の俺たちに対する評価の高さは知っているが、第三者から改めて教えられると擽ったいような飛び上がりたいような何とも抑え難い気持ちが湧き上がる。
王子殿下である彼は、以前から公平な目で団員を見て下さる頼れる上官だった。しかし、第三王子としての公務──人当たりの良さを活かした外交がメインであった──の忙しさに騎士団に常に目を光らせる訳にもいかず、改革がなかなか進まなかったことを未だに悔いていらっしゃる。結局は軍神の訃報にブチ切れられ、父君である陛下や兄君であられる王太子殿下を半ば脅すようにしてご自身を団長に任命させたらしい。何と言って脅したのか知りたい気もするが、きっと知らない方が良いのだろう。
「それを言うなら辺境騎士団もそうでしょう」
そう言うと嬉しそうに笑う彼女と騎士たち。お互い、かつて中央に蔓延っていた鼻持ちならない連中に煮え湯を飲まされた苦い過去を持つ。相通じるものがあるせいか、打ち解け合うのも早かった。
「絶対にヤツを始末しましょう」
弔い合戦という言葉は好きではないが、今はまさにその雰囲気だ。決して簡単に済むことではないが、きっと何とかなる。そう思えるのはありがたいことだ。彼女たちも含め、素晴らしい仲間に恵まれたな。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「アルフレッド様」
未だにそう呼ばれるのに慣れない。許可したのは自分だが、いきなり名前で呼びたいと言われる理由が分からずに混乱したままに頷いただけなので、実感が湧かないのだ。何故か辺境領に到着した翌日から、ミリアム嬢の箍が外れたように距離を詰められて対応に困る。幾ら実質的には兄妹のような関係だったとしても、公的には夫婦であった亡き侯爵閣下の親族がいらっしゃるこの地で、積極的に来られてもどう反応するのが正解か分からない。なのに何故か侯爵の実兄である辺境伯閣下まで彼女との関係を肯定するのだから戸惑うばかり。
これは何かの罠なのか? だが俺を罠にかけようが、彼らには何の得にもならないだろう。
「私とケヴィン兄様は実質的には夫婦ではなかったと既にご存知だったと伺いました」
昨晩、辺境伯閣下に聞かされ、思わずスキルについて話してしまった。あれ以上、形だけとは言え余所の夫婦の関係性を本人が居ない場所で聞いてしまうのは後ろめたかったせいだ。
「はい。すみませんが生まれつきのスキルのせいで、どうしても相手の〝そういう〟遍歴を知らされてしまうのです」
「勿論、貴方が意図的に人の秘密を暴くような方ではないと承知しております。ご不快な思いをされたこともあるでしょう。大変でしたね」
穏やかに俺の言葉を肯定してくれる上に労いの言葉をかけてくれる彼女に頭を下げる。望んだ訳でもないこんな能力のせいで、人の秘め事を覗き見する下衆にでもなった気がして嫌気が差していたのだ。
「私は兄様の前妻であるフラン姉様の従妹です」
今から六年前に夭逝したフランシス夫人は、妹のように可愛がっているミリアム嬢が年々美しく成長する様子を見て心配し、亡くなる際にも彼女を頼んでいたと昨晩呼び出された閣下に伺った。それだけなら娶る必要は無いのだが、美しすぎるとそれに惹かれた愚か者が余計なことを思い付くものだ。
ミリアム嬢に妾になれと言い寄ったクソが居た。それが悪名高き前の騎士団長なのだが、本当にヤツはロクなことをしない。妾と言うがヤツに婚姻歴は無く、正式に娶ることも出来る状態で恥知らずにも程がある。
ヤツの言い分は子爵家の娘が次男相手とは言え筆頭公爵家に嫁げる訳もないだろう、とのことらしいが、難しいけど絶対に無理とも言い切れないだろうに。家を継ぐ予定もない上に無能なボンクラなら尚更。
しかも彼女の生家の寄親である辺境伯家からの抗議を受けると、即座に婚約の申し込みに変更した。当時の公爵、つまりヤツの父親が非常に彼女を気に入ったと触れ回ったために、表向きはマトモな婚約に見えるせいで抗議も出来ない。
だがハッキリと公爵家に嫁げる身分ではないと馬鹿にされた相手との婚姻など、絶対に嫌だというのが彼女を含めた家族全員の意思だった。まかり間違って正式な婚姻を結んだとしても、幸せになれるとも思えない。
それに正式に婚約者となってしまったら花嫁修業と称して同居させられたり、それを免れても婚約者同士の交流として様々な触れ合いを求められるのが誰の目にも明らかだ。そうして弄んだ後で難癖を付けて破棄されてしまえば、彼女のその後の人生は悲惨なものとなる。
「なので兄様が即座に婚約を調えて下さって、私が十五になって成人したと同時に婚姻を結びました」
その後一年経った去年に侯爵閣下が亡くなった。つまり彼女は現在僅か十七歳。若い訳だ。
そして あのクソが恥知らずなことを言って迫ったのは彼女が十三歳だった時だと聞き、流石に頭に血が上った。ヤツは現在三十二歳、四年前でももうじき三十路に手が届くいい年をした大人だ。おまけにお飾りの無能とは言え騎士団長、その地位に相応しい行動を心がけて欲しい。能力が足りなくても己を律する程度のことは出来るだろうに。
更に気持ち悪いことに、彼女の婚姻後もまだ諦めていなかったらしいカスが、何かと彼女を王都に呼び付けようと画策していたらしい。そんな折に辺境領からの救援要請を握り潰したのだから悪質だ。クズには騎士を名乗る資格はない。
現団長が軍神の没後にそれらを調べ、ヤツを重大な軍務規定違反の疑いで半年前に拘束して下さった。しかも余罪がわんさか出ているらしく、最終的にはめでたく死罪となる予定だと聞く。これで一安心だ。
ヤツがいきなり更迭された理由を知って驚いたが、ミリアム嬢は団長から自分の代わりに俺に説明しても構わないと言われたらしい。女性の個人的な事情に踏み込む内容なので、殿下から彼女自身で伝えるかどうか選択肢を与えて戴いたようだ。そういう気遣いも流石で、殿下が俺たちの団長になって下さって本当に良かったと思う。
「事情を知っているから皆が私の幸せを望んでくれるのです」
「だからと言って、何も自分に……」
自意識過剰だと思えない程に彼女自身も周囲も積極的だが、何故なのか分からない。ジェレミーに言わせると、王国史に名を残す程の騎士をこの地に迎え入れるのが目的ではとのことだが、彼らは皆が高潔な騎士で、色仕掛けで王国騎士団員を引き抜くなどあり得ないことだけは分かる。
「アルフレッド様は、七年前に隣の子爵領にいらしたことがありますよね?」
「何故それを?」
十五で正式な騎士になってすぐに、その地での魔獣討伐を命じられた。予算、日程共にカツカツの平民中心の小隊で、隊長は男爵家出身のあまり出世を見込めない人だった。が、皆がこの人を信じてついて行こうと思える良い上官で。彼の下で過ごした二年が今の俺を作っていると言っても過言ではない。
「そこでワイバーンの群れと対峙している子供を助けた覚えは?」
「はい、妖精と見紛う程の美しい少年でした。明らかに貴族家の血筋と分かる身形でしたが、平民の子供たちを守ろうと一人で戦っている様に胸を打たれましたね」
そう言うと、嬉しいようでいながらも心外なようにも見える微妙な表情をするミリアム嬢。どうしたのか。
思い返すと、その少年の面差しは彼女とよく似ている。五年も前の出来事だが、その心意気と際立って美しい容貌は印象に残っている。
「もしかして、あの少年は貴女のご兄弟でしたか? 今にして思えば面影があるような」
「少年……に見えましたか、そうですか。なるほど」
その言い方から察するに……どうしようか、今更どう取り繕っても俺が彼女の性別を誤認していたのはバレてしまっている。
「あの時はまだ私も十歳でしたし、その少し前に火災現場で人を救助した際に髪が焼けたので短く切ってしまっていましたから。おまけに兄のお下がりを着ていたので、よく考えなくても仕方ないことですね」
焦る俺を見かねてか、間違えられた被害者である筈の彼女自身がフォローしてくれるのだが、それが却って俺の申し訳ない思いを刺激する。
「いや、申し訳ない」
こういう時は下手に言い訳せずに謝るべきだ。
「でも、私もその時は驚いたのですよ。流石に一人であの数を相手取るのは厳しかったので」
少し空いた時間に森から少し離れた草原に散歩に出た際、見かけたのがその現場だった。周囲に大人の姿は無く、平民の子供たちに結界を張って守ってやりながら、たった一人で五体のワイバーンと戦うその姿に信じられない思いがしたと同時に、この地は素晴らしい次期領主に恵まれたものだと思ったものだ。
後になって彼が嫡男とは限らないと思い直したが、そもそも性別から間違えていたとは。
「その際に瞬く間にワイバーンを片付けて下さった素晴らしい腕前に、そしてこんなに美しい男性がいたのかという事実にも圧倒されたのです」
これ程までに美しい彼女に言われても微妙な気分になるが、容姿を褒められるのは今に始まったことではない。普段なら聞き流すその言葉に、何故か胸が苦しくなった。
「どうなさったのです? 急に胸を押さえられて。何かご病気でも……」
「いいえ、持病の類はありません。ただ、何故か貴女の言葉を聞いたら急に胸が苦しくなりまして」
そう言うと、何故か苦虫を噛み潰したような顔をされた。
「これは……わざとなの? それとも天然? まさかとは思うけど、恋愛の免疫ゼロだったりするの?」
何かを呟いているが、全く聞き取れない。
「良いわ、過去の女の影に悩まされるより遥かにマシだもの。私がリードするくらいの意気で攻め込みましょう。実際に出来るかどうかは別として」
何を思い立ったのか、こちらに向き直り にっこり笑う彼女。その顔は相変わらず美しいのだが、何故か天敵に対峙した獲物のような気分にさせられる。
「あの時からずっと私の心は貴方に奪われたままです。それを亡くなったケヴィン兄様は勿論ですが、ここの皆は知っているので私を応援してくれるのですよ」
だからミリアム嬢を夫人と呼ばないように注意されたり、矢鱈と彼女と過ごせるように気を回したりしていたのか。
え、俺、逃げられないのでは?
でも逃げたいのか? だって意図が分からないから戸惑っていただけで、決して嫌じゃなかった。
きっと色々と考えなければいけない問題もあるのだろうし、強敵の討伐を控えている今はそれどころではない筈だ。でも不敵な笑みを浮かべる彼女を目の前にして激しくなる胸の高鳴りを抑えられない。
間違いなく陥落するであろう未来の自分に、頑張れとだけ告げて熱くなる頬を何とか冷まそうと試みた。