いたって普通の水着です
こちらへと示されたのは、よくあるイス。
腰かける前にぺこりと頭を下げてから「よろしくお願いします」と告げてから腰かける。
顔を上げると、目の前の三人は手のひらを口にあてて小さく唸っていたり首をかしげていたり。
(何かおかしなことしたかな)
首をかしげたいのはコッチだなと思いながら、腰かけたまま背筋を正した。
「水でもいかがかな?」
メガネをかけた、いわゆるショートボブな髪型の中年っぽい男性が呟く。
「いただいてもいいなら」
「話がすんだ後には、食事も出そう」
「…え。いいんですか? 食事」
食事と聞いた瞬間、あの音が低く鳴り響く。
グルルル…と、どう猛な獣の声の方で。
「あっ!」
お腹の上に手をあてたからって、音が聞こえなくなるわけもないのに…無駄な抵抗をしてしまう。
「すみません」
ぺこぺこと頭を下げていると、グラス一杯の水が手渡された。
「まずは飲みたまえ。いろいろと聞かねばならないからね」
「助かります。では…ありがたく。………っく、ん、……ぷはっ。やっと何か口に出来た! 幸せ!」
グラスを両手で持ち、一気に飲み干す。
「ごちそうさまでした」
あたしがそう言うと、黒い軍服らしいのを着ている…三人の中では一番若そうな男性がグラスを受け取ってくれる。
あたしはまた、いつものクセで頭を下げた。
視線を彷徨わせ、三人の様子を伺う。
さっきグラスを受け取ってくれた人は、腰に大きな剣をぶら下げている。その時点で、ここが自分がいた場所とは違う感じだ。
黒い軍服で、丈はふくらはぎの中間ほどまでの長さのジャケットを羽織っている。
左胸には、いくつかの勲章らしいのがくっついてて、軍服に近い色だけど黒っぽい髪色だ。紺…とも違う。藍色だろうか。あれに似てるよ、あれに。
ラピスラズリ。あの石の色に似た深い藍色だよ。
髪は長く、勲章がついている方と反対側に、ゆるめに一つに結んだ髪を垂らしている。髪紐とかいうのかな? ヘアゴムがないのかも。その髪紐になにか銀色で花の飾りがついている。オシャレだな。
目は大きくてまつ毛がものすごいいっぱいだし、めちゃくちゃ長い。何もいじらずで、このまつ毛なの? まつ毛パーマとかまつ毛のエクステとかしなきゃいけない世の中に住んでいたあたしからすれば、そのまつ毛くださいっていいたくなるほどにうらやましいまつ毛だ。
心の中で、まつ毛さんと呼ぼう。
そのまつ毛の奥に見える瞳はというと、きれいな空の色。深い青だ。間近で見てみたいかも。
その横にいるのは、こげ茶の髪色でアイボリーのレインコートみたいなのを着ているお兄さん。パッと見、あたしよりは年上かな。それか、落ち着いて見える年下だったりして。とにかくそれくらい、微妙な年齢の人。
奥二重かな、片方だけ。もう片方は一重だ。真っ黒の瞳で、今まで見てきた目に近いだけにホッとしてしまう。
ただし、一番目つきが鋭い。ずっと睨みつけてきてるんだもん。
フードかぶってるから、髪色まではわからないや。この人が三人の中で一番身長が低い。
そして、最初に声をかけてくれただろう人。一番年上っぽいというか、一番偉そう。知的なオジサマっぽい。
ワイシャツかな? 中に着ているの。それの上に紺のベストを着て、同じ色のスラックス? かな。と、軍服の人と同じくらいの丈の同じ色のジャケット。ただし襟がスーツのそれっぽくなってて、縁には太めの金糸で刺繍が施されている。蔦みたいな感じのものが、ウネウネって。
シルバーのフレームのメガネに、ショートボブ。すっごくツヤツヤしてっぽく見える。瞳は透き通ったエメラルドみたいな色。
ミルクティーみたいな金髪とも茶髪ともいえない、あいまいな色合いだ。
その髪の毛が、彼らの背後の窓から陽の光を浴びてとても。
「……きれい」
思わず声に出るほど、透けて綺麗だった。
「は」
と、声をあげたのは誰だろう。
その声に、ハッとしてまた背筋を伸ばす。
思ったことが口からもれちゃうのは気をつけなきゃ。
自分がしたことの恥ずかしさから、視線を下へとおよがせていると声がかかる。
「…して、君は何者だね?」
と。
何者と聞かれて、どう説明をしたらいいのやか悩む。
「いたって普通の社会人です」
「社会人?」
「順番に小中高と学校で学び、その後はさらに専門学校で学びを進め、就職。二十歳になる年に就職したので、社会人二年目になります」
「…なるほど。小中高というのが理解出来ぬが、それが社会人ね。ふむ」
そう言ったのは、知的なオジサマっぽい人だ。
「昨夜はよく眠れたのかね」
とか聞いてきたけれど、あの場所で? と思わず顔をしかめた。
「体育座りで、こんな格好で、飲み食いもなし。熟睡というのは正直無理でしたね。…まあ、このネグリジェは可愛いし、いつか着てみたかったものだったし、素材もよかったので、そこだけは快適でした」
質問をしてきたのがあり得ないと思ったら、愚痴のようなそれがするりと口からもれる。
「…普段着は、あのような服を?」
そう問われて、同じ言葉を繰り返す。
「あのような?」
「あのような」
「あの?」
「…あの」
最初はどれのこと? の確認で、次はまさかあれのこと? という気持ちで聞き返した。
「……水着で生活って、どんだけセレブで呑気ですか。もしくは、特殊な職業な方ですよ」
「水着?」
「はい、水着です。あれは、海で遊ぶ時に着る服です」
「海」
「はい、海です」
え? なんでそんな顔をしかめてるの?
「海ってないんですか? ここ。遊んだりは…」
思わずそう聞けば「冗談だろ」と吐き捨てるような声が耳に入った。
冗談だろと言ったのは、長めの軍服を着ている髪が長い人。
「海は、遊びに行くような場所ではないぞ」
ありえないと言いたげに告げられた言葉に、しゅんとなる。
「我々と生活様式やいろんなものが、ずいぶんと違うようだな。海に遊びに行くなど、死にに行くようなものだ」
そう説明をしてくれたのは、知的なオジサマだ。
「死んじゃうんだ…海行くと」
「絶対ではなく、クラーケンなどが出たら喰われるぞという話だ。戦って勝てれば、生きて帰られる」
「クラーケン」
「クラーケンだ」
ファンタジー系の小説でも読んでいたら、「ああ、あれね!」とか言えたんだろうか。
(知識量不足だ)
ふう…と小さなため息が聞こえたかと思えば、「これを見たことはないのか?」と初めて聞く声がした。
顔をガバッと上げると、真ん中のフードをかぶった人があたしを見下ろしている。
その人は右手の手のひらを上に向けて、何かの言葉を呟く。…と、その手のひらの上に何かの映像が映った。
「ホログラフィー!」
某夢の国でもあっただろう、映像が宙に映ってるあれだ。
「すっごい! キレイ!」
手をパチンと叩き、素直に喜ぶあたし。
「キレイとかの前に、映っているものは見えているか? 娘。何が見えてるかわかるか」
それをぶった切るような、淡々とした声。
「あ、ごめんなさい。…えっと、なにが…って」
バツが悪いなと思いつつ、その映像をよく見る。
よく見れば、イカっぽいな。これ。…思ったよりもデカいイカ。
「これ、食べたことありますよ? ここまで大きくなかったけど」
「…なっ! これを食べた…だと?」
「ええ。これっくらいの大きさなんです、あたしのとこだと。それを焼いたり煮たり、生で食べたりもしますよ?」
思い出したら、お腹が空いてきた。早く話を終えて、食事にありつきたい。
と、またお腹が鳴る。グルルルッと。
無駄な抵抗で、またお腹を手のひらで押さえる。
「……文化の違いか、生態系の違いか」
「それ以前の問題にも思えますが」
「まあ、それはわからなくもないが」
三者三様で何やら言ってますか、全部聞こえてるんですけどね。
「魔物とか出ませんし、比較的平和な場所で過ごしていた影響じゃないでしょうかね」
聞きたかったんだろうことを、さりげなく伝える。
三人同時にあたしの方へと視線を向けて、睨むように凝視してから三人で何やら話し合いを始めた。
(あーあ。この調子じゃ、ご飯が食べられるのはいつになるんだろう)
水がもう一杯飲めたらいいのにななんて思いつつ、さっき返したグラスを横目に見る。
ふとショートボブのオジサマが、小さなベルを手にして軽く振る。
すると背後のドアが開き、メイドっぽい人があれを手にして入ってきた。
「水着?」
それは軍服の人に手渡されて、水着を手にした彼が距離にして1Mくらいの場所まで近づいてきた。
「これが、水着という服か」
「あ、はい。それを着て海に入ります」
「それ以上の用途はないのか」
「…ないですね」
なんだろう。初めて見たものだから聞いてるって感じじゃないのかな。何を聞きたいのかな。
「何の効果もない、と?」
「こうか」
どの、こうか? と言いたげに、首をかしげるあたし。
「効果だ。これを着ていると、何かが出来るとか、何かが起きるとか」
水着にそんなもん、あったっけ?
あたしたちの場所の常識が通じないってことだろうか。
(やっぱりここって、ファンタジーな場所なの? なんでか知らないけど、あたしがいた場所じゃないってことだけは認めた方がよさそう)
「泳ぎやすくて、素材が特殊なので洗濯をした後が乾きやすい? 場所に応じて着るものを変えるのは、ここでもあることですか? もしもあるなら、それと大差ない意味合いでとってもらえるといいかなと」
他に説明のしようがない。
「…だけ、か」
軍服の彼に聞き返されて、それ以上何をどういえと言うんだろうと思いながらもうなずいた。
水着を手にした彼が振り返り、二人の方へと戸惑うような視線を送った。
何で水着一着で、そんな顔をされなきゃいけないんだろう。
(ファンタジーの世界の設定が、イマイチわかりにくいや。この先、どんな常識を押しつけられるのやら)
なんて思いながら、小さくため息をついた時だ。
「この服だが」
そう言いつつ、あたしの方へと水着をグイッと見せつけるようにしてから。
「聖なる力が宿っていることが判明した」
「…は?」
思わず真顔になる。
「いたって普通の水着ですが? ネットで、3000円程度のお買い得な水着ですけど?」
「その金額が高いのか安いのかは知らぬが、こちらの魔法課連隊連隊長殿が鑑定魔法をかけて、出た情報だ。間違いない。この服の名称が水着というものなのならば、”聖なる水着”という呼び方をさせていただきたい」
「聖なる…水着」
それを聞いて、あたしはどうしたらいいんだ。
「また、手にしていた武器があっただろう」
「武器? 武器なんて手にしていた記憶はないのに」
はて? と寝不足の頭でなんとか思い出す。
せいぜい手にしていたのは、パラソルだよね。
「パラソルのことを武器だと言うんだったら、あれは海で過ごす時に、太陽が当たらないようにってするだけのアイテムですけど。武器って呼んでいいものじゃ…」
もしもあれを武器だと言うなら、使用方法は折りたたんでぶん殴るとか振り回すってもんじゃないかな。
「パラソルというのだな」
「はあ、まあ、そうですね」
あの形状を見て、傘という名前が出てこない時点で、ここでは雨の時に傘をさすという文化がないことがわかった。
雨の日、どうやって出かけるんだろう。
「あれは、水着よりもさらに聖なる武器として、ずっと光り輝いている。…あの光を抑える方法を知っているか」
説明を受けて、想像してみる。
「光る…パラソル……」
どういうことだ。電飾でも使ってるの? それとも、蛍光素材とか? 特殊なパラソルだなんて、聞かされてないや。
「それって、見せていただくことは?」
状態を知りたい。光るパラソルとか、謎すぎる。
「…まあ、いいだろう。俺がついていく」
軍服の彼がそう言いながら、また振り返って二人へうなずいてみせると、二人もうなずき返している。
「それじゃ、話は以上ですか」
「あとは場所を変えて、だな」
話はまだ続くらしい。
「……ご飯」
そして、三人の様子からいくと、まだご飯は当たらないっぽい。パラソルの方に行ってからみたいだな。
「すこし移動する」
軍服の彼が手で、こちらへと指し示す。
「ついていけばいいですか? また拘束されるんでしょうか」
犯人でもないのに、後ろ手よりは前の方がいいとテレビでよく見る感じに両手をくっつけて差し出した。
その手を見て、あたしを見て、もう一度手を見て。
「……慣れているな。捕まり慣れているのか」
また、意味不明なことを言われる。褒め言葉じゃないな、決して。
「慣れてはいませんけど?」
若干の怒りを含んだ言葉を放ち、もう一度その手を差し出した。
「必要があれば、どうぞ」
拘束されるのは嫌だけど、向こうから力加減なく抑えこまれたりしながらやられるよりは、自分から差し出した方が気分がいい。
目の前の彼が、ちらっと二人の方へと視線を向け、返事を待っている。
ちょっとの間の後に、二人もこっちへ近づいてきた。それから、フードをかぶった人があたしのその手に触れて、何かを呟く。
すぐにその手は離れて、パッと見は何の変化もないのに。
「うわ…」
金属でも振れているかのような冷たい感覚が、手首にある…気がする。
「そのままついてこい。逃げても、すぐに捕まえる」
そう呟き、ドアの方へと向かってしまう彼。
素っ気ないや。
「逃げませんよ、この状況で」
そう言い返したあたしに、ショートボブのオジサマが「…ほう」と探るような目であたしを見ていた。