迎えに行くから
「知ってるか、ナディア。女でも騎士になれるらしいぞ」
私がシグリッドと出会ったのは六歳の頃だった。誰もが憧れる皇室騎士団は殿方の世界だと思っていたけれど、公的な記録では過去に女性がいた事を後に知った。
シグリッドは当時から少し変わった子で、話す言葉に女の子らしさはなかった。長くてきれいな黒髪と、薄青の空みたいな色をした優しくて力強い瞳が愛しくて、私は彼女に「きっと出来るわ」と返したのを覚えてる。
でも期待はできなかった。私たちは孤児院で暮らしていたから、まともな出身など持たなかったし、皇室騎士団といえば上流階級の血統を持つ人々の由緒正しき集団だから。どれだけ女性が腕を磨いて入団試験を通ったからといって、きっと認められることはないだろうと幼い私でさえそう思った。
けれどシグリッドは十歳になると誕生日に院長にねだって木剣をもらい、特訓を始めた。皆は後ろ指をさして「女なんかに出来るもんか」と馬鹿にして笑っていたけれど、彼女はそんな言葉を気に留める事もなく特訓をやめなかった。
「あんな奴らに負けないくらい立派な騎士になるんだ」
彼女はいつも私には夢を語ってくれた。どうしてそんなに構ってくれるのか、と聞いた事がある。孤児院では根暗だからという理由で避けられていたから。
同じ人種のはずなのに髪の色は白くて、瞳は紅かった。目が少し他の人より悪くて、いつもちょっとだけ目つきが鋭かった。口数も少なかったし、不気味な奴だと冷ややかな言葉を投げられたのは、今も胸に痛みとして刻まれている。
「知ってるか、ナディア。もし騎士団に入ったら平民だとしても爵位を与えられるらしい。今日、偶然に話す機会があって、騎士団長様に聞いたんだ」
子爵か男爵か。ともかく皇室騎士団は、昔はどうであったかまで知らないけれど、今は平民出身でも優秀な人材なら育てるべきだという声があがり、方針を変えて貴族としても迎え入れるようにしたらしい。
どんな効果があるのかを私は知らない。でも、それはとても良い方向へ作用しているのだと騎士団長様から聞いたみたいで、シグリッドは気合いっぱいだった。だから私も彼女の背中を押した。「応援してるわ、頑張って」と伝えたら、嬉しそうな笑い声を聞けて、こっちもなんだか嬉しかった。
十七歳になる頃。ついに入団試験の日がやってきた。正直、私もどきどきした。彼女が帰って来るまで、結果が分からないから、とにかく不安だった。合格してますようにと手を組んで祈ってばかりで、分刻みで胸が締め付けられている気分に苛まれた。信じていないわけじゃなかったけれど、やっぱり怖かった。
もし落ち込んで帰ってきたら。泣いて帰ってきたらどうしよう。そんな事ばかり考えてしまっていた。元々、私はそれほど前向きな性格ではなかったから。
でも、そんな不安も夕刻には吹き飛んだ。彼女がしたり顔で帰って来て、ピースサインをしてみせた。
「合格。それも成績は首席だったんだ、凄いだろう?」
立派が過ぎると思った。男ばかりの皇室騎士団で、女であるというハンディキャップを背負っての首席。そもそも体格が違い過ぎるのに、彼女は何年も続けてきた特訓の中で、独学で技術を身に付けて誰よりも優秀な成績を収めた。
騎士団には、現役も試験を受けに来た人たちにも、彼女の凄さを理解してくれる人ばかりで、みんなが讃えてくれたと自慢げに話してくれた。その姿がとても輝いて見えて、私だけじゃなくて他の子たちも皆が彼女を受け入れた。
自分を貫いて手に入れた立場が羨ましくなる。私は結局、彼女の背中を押すだけで他には何もしてこなかった。気味悪がられても仕方ないと受け入れて諦めるばかりの人生は、本当に美しいものなのかと改めて考える程に。
そんな私に彼女は言った。
「何を言うんだ。誰かの背中を押すのは簡単な事じゃないんだぞ。君はいつも私の背中を押してくれた。どんなときでも。だから私は頑張れた。七年間、君は一度だって『できっこない』とか『絶対に無理だ』なんて言わなかっただろう? 毎日のように私を支えてくれた。簡単な事じゃないんだ、君が私を騎士にしてくれたのと同じ事なんだよ、ナディア。誰もがしなかった事を君はしてくれたんだ」
その言葉だけですごく救われた気持ちになれた。誰かのために何かひとつでも出来た事が嬉しかった。私は何者にもなれないと諦めていたから。
それから三年が経って、二十歳になるときには異例の若さでシグリッドは副団長となった。類稀な才能を持ち、かつ後進の育成にも尽力し、思慮深い優しい性格が彼女を高位の貴族たちにさえ認めさせるだけの人望を与えた。
「結婚しないの、シグリッド?」
私が尋ねると彼女は首を横に振って、困ったように頬を掻く。
「たくさん縁談の話が来るんだ。公爵家からもぜひとお願いされたんだが、私にその気はないと断ったよ。ずっと好きな人がいると言ってね」
そう言って彼女は照れくさそうな表情を浮かべた。どんな人が好きなんだろうと思って「私に手伝える事があったら言って」と、どこまでも力になるつもりで伝えてみたら、彼女はまた困った顔をして、頬を真っ赤にしながら。
「君が好きなんだ、ナディア。ずっと君の事ばかり考えてる。食事のときも、湯浴みのときも、眠るときも。孤児院を出て騎士団の寮で暮らすようになってから、どうしても寂しくなる。だからその、良かったら……」
彼女は意を決したように、きりっとした顔で私に告げた。
「結婚しよう、ナディア。女同士でも関係ない、騎士団では過去に女性同士が伴侶となって慎ましく暮らした記録もあったし、団長や公爵様にも尋ねてみたんだが、不可能ではないと。可能であれば力になってくれるとも言ってくれたから」
恩を売られているのではと思わなくもなかったけれど、彼女がそれでいいというのなら、私は構わなかった。むしろ嬉しくて仕方なかった。私にとっても、シグリッドは他に誰もいないくらい大切な存在だったから。
「ええ、でも、結婚できるのは二十二歳を過ぎてからでしょう?」
「その通りだ。騎士団に所属して五年は結婚できないから」
「じゃあ約束しましょう。二年後、私はまだここにいる。だから迎えにきて」
差し出した小指を、シグリッドの僅かにゴツゴツとした、女の子らしくない指が優しく結ばれる。向かい合って顔を見つめるのは、なんだか恥ずかしかった。
「必ず迎えに来るよ」
そう言って契りを交わして一年が経つと、隣国との衝突が起きた。国境沿いでの兵士たちでの小競り合いから発展したもので、それが規模は小さかったものの戦争を引き起こす事になった。
皇室騎士団は実力者ばかりを集めた集団だったから、戦地に駆り出される事も少なくない。私は、ある日にシグリッドが遠征に向かうというので、城門で彼女を見送った。それまで何度かあった事だから心配はなかった。
「今日で五年だ、ナディア。帰ってきたら迎えに行くよ」
二人で暮らそうと言って既に家まで買ったと言う。ゆっくり暮らしていくだけの貯蓄もしたから、ゆっくり小さな庭先で美しい花でも育てながら、穏やかな時間を過ごしていくんだと夢を語って。
一年続いた戦争も、そろそろ終わりを告げる頃。敵国はじわじわと弱っていき、遠征も今日で最後だろうと私も含めてたくさんの人たちが家族の無事の帰還を祈って待ち続けた。今回は首都まで攻め入るのだと知っていたから。
そして戦争は私たちの国の圧勝という形で幕を閉じた。敵国の首都陥落を目指して行われた侵攻では激戦になったけれど、既に弱っていたのもあって時間は掛からなかったそうだ。私たちは、何も戦地の事など知らないまま安穏の暮らしの中で、戦争が終わった事を騎士団の帰還によって知ったのだった。
あれから五年。私は二十五歳になった。小さな庭先で、日課になった花の水やりに勤しむ日々。この身に起きた変化と言えば、前より少し目が悪くなったくらいで、体調自体はすこぶる良い。花も美しく咲いてくれる。
「……あら、いらしてたんですね」
ふと気配に気付いて声を掛けると、騎士団の制服を着た殿方が立っている。花束を抱えて、寂しそうに笑いながら。毎年、決まった日に訪れてくれる騎士団長には、頭が上がらない。
「夫人。今日も花が奇麗に育っていますね。俺の用意した花束が見劣りしてしまうような気がしてなりません。ナディアもそう言うと思いませんか?」
私は可笑しくてふふっと笑った。確かに、今ここにいたら言いそうだ。
「どうぞ、こちらへ。自慢の庭なんです、手入れも欠かした事が無くて」
「わかります。俺も庭師の仕事ぶりをよく知っているので」
家の裏手にある石碑の前に、彼はそっと花束を置いて膝を突き、十字を切って、それから胸に手を当てて目を瞑り、深く祈りをささげた。
「貴重なお時間を失礼しました。また足を運ばせて頂きます」
「いつでもいらしてください、ナディアも喜びます」
お辞儀をして騎士団長を見送り、石碑のところへ戻った。添えてもらった花束もきれいだ。とても美しいゼラニウムの花束。また礼を考えておかなくちゃ。
「……そうだ、私も花を持って来なくちゃ」
庭に綺麗に咲いた黄色いガーベラ。私のお気に入り。ひとつ摘んで、花束の前に添えてみる。気に入ってくれるといいけれど。
「迎えに来るなんて言っておいて結局来てくれないなんて。……でも大丈夫、私は絶対に嘘なんて吐かないわ。きちんとあなたに会いにいくから、それまでゆっくり休んでいてちょうだいね」
石碑に刻まれた文字を優しくなぞる。指が、また小さく震えた。
《シグリッド・リブリー ここに眠る》