森の探索
日が落ちてしまう前に、ローラさんや侍女の方々に湯浴みをさせてもらった。
湯浴みのあとにお肌の手入れをするのは当然で、髪にも艶を出す為の香油を塗って熱心に髪でとかしてくれるのも当然のことだと、ローラさんも侍女の方々も口々に言う。
それはとても気持ちがいいことなので、ぼんやりとなすがままになりながら、私はディアス様のことを考えていた。
フェリオ君やローラさんは、ディアス様の恋人について知らないようだ。
ディアス様が私にかけた言葉についても、多分知らない。
この婚姻は契約だと知っているのは、ディアス様と私だけ。
つまり私は、誰にもディアス様の気持ちを言うべきではないということだ。
きっと――秘密にしておきたいのだろう。
誰にだって秘密はあるものね。私にも――私に、秘密はあるかしら。
今までは、なかった。秘密にするようなことはなにひとつ。
はじめて、秘密ができた。言えないことがあるというのは、なんとなく、重苦しさを感じた。
「それでは、おやすみなさい、リジェット様」
「はい。おやすみなさい」
自室に食事は運ばれてくる。お肉や川魚、新鮮なお野菜やふわふわのパン。
そのどれもがとても美味しい。それからふかふかのベッドで眠ることができる。
今までの生活からは考えられないぐらいに、贅沢をさせてもらっている。
ローラさんが挨拶をして、蝋燭の炎を吹き消してくれる。
もっと起きているかと尋ねられたけれど、高い位置にあるお城の三階の部屋はとても空が近く、星も月も明るい。
蝋燭が勿体ないので、炎はなくても大丈夫だと言って消すようにお願いをした。
ローラさんが退室したあとは、一人の時間になる。
ユーグリド家にいたときは、一人の時間の方がずっと多かった。
話しかけられることはまれで、私の傍に人がいることなどまずなかった。
「ここは、賑やかだわ」
辺境の方々の気質なのだろうか。皆、お話しが好きで明るく賑やかな方々だ。
「……お義母様とディアス様の違いなのかもしれないわね」
お義母様は私語を許さなかったけれど、ここでは皆自由に振る舞っている。
ローラさんもフェリオ君に気兼ねなく話しかけている。
ローラさんというのは、元々は国境警備隊を務めていた兵士の子供だったのだという。
辺境の方々は、戦によって親を亡くす者が多い。
そんな子供たちは孤児院で育てられる。兵士になる者もいれば、こうしてお城で働く者もいる。
ローラさんの場合は、今は亡きウルフガードの奥様に拾ってもらったのだという。
そうして、幼い頃からお城で育った者も少なくない。ウルフガードの奥様――ディアス様のお母様は、とても優しい人だった。まるで皆のお母さんのようだったと、ローラさんが教えてくれた。
つまり、ローラさんはディアス様のすぐ近くで育っている。
もしかしたら二人は恋人なのかもしれない――と、心配になった。
リンダさんも、私のお母様の侍女だったのだ。けれど、お父様と子供をつくった。
つまり、お父様に恋をしていたのだろう。
「……よくないわね。尋ねてもいないのに、そんなことばかり考えてしまうのは」
秘密を抱えるのは、よくないことだ。
余計なことを考えてしまう。
今まであまり、思い悩むことなどなかったのに。
でもそれは――今まで私の周りに、あまりにも人がいなかったからなのではないかしら。
私はだいたい一人だった。お父様はお仕事で、お義母様はサフィアさんやエメラダさんのお世話で忙しかった。サフィアさんは宝石に夢中で、エメラダさんは美術品に夢中。
三人で王都に出かけることも多く、そういうときはお城のパーティーなどに出席しているらしかった。
寂しいとは、思わなかった。
本の頁をめくれば、そこには別の世界が広がっている。
そこでは私は、騎士に恋する姫であり、世界を冒険する冒険者であり、過酷な冬を越える子狐だった。
誰とも話さなくても、頁の中の登場人物たちが私に話しかけてくれる。
それで十分満ち足りていた。今も――満ち足りている。
――多分。
なんだか眠れない。人の声が、頭に響いているみたいに。
五歳でご両親を亡くしたフェリオ君。明日はなにか教材になる、サリヴェ語の本をみつけないと。
サリヴェの人々は信仰心があつい。
生まれ変わりを信じている。人は死んだらそれきりだ。そのはずなのに、そこには魂があって、再び生まれるのだと信じている。
ローラさんはディアス様やフェリオ君とご兄妹のように育っている。
それなのに、私などの侍女をしてくれている。
ディアス様は――フェリオ君に私に近づくなと言ったらしい。
私の役割は、ディアス様の子供を産むこと。
「……眠れないわね」
寝付きはいい方だけれど、時々眠れない日がある。
あまりにも星が綺麗な夜も。不穏な風が吹いて、海が荒れる夜も。それから、月が海におちていき、一本の光の道ができるような、海の凪いだ夜も。
ベッドから抜け出してバルコニーに出ると、光が見えた。
それは私の部屋のバルコニーの、眼下に広がる庭園の、更に奥。
城の裏側をぐるりと囲む森の中が光っているようだった。
私はショールを羽織って、そろりと部屋から抜け出した。
お城では、空が近い。国境を見張る物見台からはもっと近く見えるだろう。
輝く星々に手が届きそうなほどで、夜目でも十分に明るかった。
寝静まったお城の中をそろそろと進み、庭園に出る。
光が見えた方向にまっすぐに進んでいく。どうせ眠れないのだから、少し歩きたかった。
余計なことをぐるぐる考えていても、散歩をしていても、眠れないのは同じだ。
それなら散歩をしていたほうが、少しは気が晴れる。
暗がりの中でもぼんやりと光って見えるような大ぶりの薔薇たちの合間を抜けて、庭園奥に行くと、森に続く小道がある。
小道の先に光りがある。誰かが焚き火をしているようだった。
「……見張りの方、かしら」
森の奥にあるのは裏門である。それは有事の際に、脱出口として使われるものだという。
他にも数本、抜け道があるのだとローラさんが教えてくれた。
裏門は普段は開かない。お城の周りはぐるりと深い川に囲まれている。小高い丘の上に建っているような作りである。
そのため、門が開かない限りは、森の奥は行き止まり。普段は誰も近づかないのだという。
炎に近づいていくと、ざばりと水音が聞こえた。
森の中の開けた場所に、火が燃えている。その焚き火の傍には剣と服が乱雑に置かれている。
幅の広い川がある。川に月明かりが落ちて、その水面は黄金色に輝いていた。
魚が跳ねたのかと思った。
ざばざばと響く水音に視線を送る。川面が揺れて、丸い月が歪む。
「リジェット?」
川から顔を覗かせて、それからざぶざぶと水をかき分けて姿を現したのは。
逞しい上半身を惜しげもなく外気に晒した、ディアス様だった。
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