契約の確認
つまり、ディアス様は『船三隻で私を買ったという契約の元、この婚姻は成り立っている。ウルフガード家のために子供を産んでくれさえすれば、あとは浮気してもいいしお金も自由に使っていい、好きにしていい』とおっしゃっている。
特別な事情をのぞいては、貴族は貴族同士でしか婚姻が許されていない。
例えばリンダお義母様は、男爵家出身だった。
礼儀見習いとしてジュリエットお母様の侍女となり、よほど親しい間柄だったのか、ユーグリド伯爵家についてきたような形である。
人の縁とは不思議なもので、お母様は早くに亡くなり、その後リンダお義母様は伯爵夫人となった。
リンダお母様の出自がしっかりしていたから、お父様はリンダお母様と問題なく結婚をすることができたのだ。
ディアス様が花嫁探しをしていたのも、貴族令嬢を妻にするため。
ウルフガード家のためである。
そうして私はここにきたのだけれど、先にこんなことを口にするというからには、何か事情があるのかもしれない。
例えばディアス様に、好きな人がいるという可能性だ。
その女性は庶民のために、結婚はできない。
そのため、私という契約妻で妻の座を埋めて、私に好きにしていいという代わりに、自分も好きにする──という意味で、今の言葉をおっしゃったのではないのかしら。
そのための船三隻。
なるほど──と、私は納得をした。
同時に、まぁいいか、とも思った。
ものの本によれば、男性とは多くの女性を愛することができるものである。
結ばれる恋よりも結ばれない恋の方が燃え上がるのだと、恋愛小説などの題材になることも多い。
障害は多ければ多いほうが、恋というものは燃え上がるらしい。
私は恋をしたことがないのでよくわからないけれど。
「わかりました、ディアス様。ありがとうございます」
故郷に好きな人なんていない。そもそも男性の知り合いさえいないのだから、好きになりようがない。
でも、そんなことをわざわざ言っても仕方ないし、むしろディアス様が恋人と会いにくくなってしまうので、私のことなんて話す必要はないだろう。
私はディアス様に感謝をしている。
ディアス様はお金を支払ってくださったし、妻としての役割は与えてくださるようだから、それで十分だ。
それに、自由とは──なんとも魅力的な言葉である。
微笑んでお礼を言うと、ディアス様も静かに頷いてくださった。
「リジェット。何か不足があれば、言ってくれ。俺は城を留守にすることも多い。遠征で帰らないことも度々ある。ここは君の家だ。俺に遠慮せずに、好きなように振る舞ってくれ」
「感謝します、ディアス様」
ディアス様の邪魔にならないように過ごさなければ。
幸い、ウルフガード家はとても大きくて、散策のしがいがありそうだった。
もともと私は、書庫と野原の往復しかしないような生活を送っていたので、何か不足があるようなことは、きっとないだろうけれど。
「お聞きしたいのですけれど」
「あぁ」
「ディアス様に時々、話しかけてもよいですか?」
「時々……? 構わない。俺は君に、自由に振る舞っていいと言った。話しかけてくれるのならば、それは俺にとっては喜ばしいことだが、あまり無理はしなくていい」
「無理はしていません。ありがとうございます、ディアス様」
大切なことが確認できたので、私は満足した。
ディアス様は他に恋人がいるのだろうけれど、私を嫌っているわけではなさそうだった。
それなら、私も必要以上に遠慮して振る舞う必要はないものね。
会話や近づくことを禁じられていたら、私もとても気を使うのだけれど。
そんなことはなさそうだった。
そういえば贈り物を持ってきたのだけれど。
どうしようかしらと思いながら、私はディアス様に挨拶をすると、部屋を退室した。
退室するとすぐに、侍女の方が私を自室に案内してくれた。
三階の一室が、私の部屋だった。
暖炉のある広いリビングルームは、伯爵家の私の部屋の数倍は広い。
本棚や、飾り棚、花瓶やランプなどが飾られていて、革張りのソファとテーブルが置かれている。
大きな窓の外にはバルコニーがあり、バルコニーからは庭園を眺めることができる。
手入れされた庭園の先には林がある。川が流れていて、小鳥が飛んでいる。
海は見えないけれど、川があり、林がある。とてもいい場所だ。
遠くに街も見える。街の外周の壁もかすかに見ることができる。こうしてみると、驚くほどに広く立派な街である。
リビングルームの奥は寝室になっている。
てっきりディアス様と同室で過ごすのかと思ったけれど、別々だった。
私用のベッドも真新しく立派なものだ。太い、花の彫刻のある木枠に、天蓋もある。
「リジェット様。私はローラと申します。ディアス様から、リジェット様の身の回りの世話を任されております。何かありましたら、なんでもおっしゃってくださいね」
ここまで私を案内してくれた、私と同年代か少し上程度の侍女服を着た女性が、挨拶をしてくれた。
ローラさんは、ミルクティー色の髪をした細身の美人である。
「リジェットと申します。よろしくお願いします、ローラさん。ローラさんの瞳は珊瑚のようで綺麗ですね」
「ありがとうございます、リジェット様。そのように褒めていただくのははじめてです」
桃色の珊瑚のような瞳の色をほめると、ローラさんは頬を桃色に染めた。
それから、居住まいを正したように背筋を伸ばす。
「リジェット様の荷物は、この部屋に運びました。ディアス様より、足りないものを全て用意しろと仰せつかっております。ドレスなどの採寸をしたいのですが、構いませんか?」
「ありがとうございます。あまり、荷物が多くなくて。お恥ずかしいかぎりです」
「伯爵家の事情はお聞きしています。ですので、お気になさらぬよう」
侍女の方々がやってきて、てきぱきと私の服を脱がした。
身長や腰や胸周りをあっという間に採寸されて、再び服を着せてもらう。
辺境伯家の方々はとても素早い。私の時間だけがゆっくり流れているような気さえしてくるほどだ。
「ドレスは何着必要ですか、リジェット様」
「ドレスですか? 一着あれば十分かと思います。あまり着る機会もないと思いますので」
ドレス自体、着たことがほとんどない。
私は大体、動きやすい服を何着か着回ししていた。
「髪飾りや首飾りはどれほど必要ですか、リジェット様。好きな宝石などは……」
「お母様から頂いたものが一つありますので、必要ないかと思います。髪飾りも、一つあればそれで。宝石は、なんでも。硝子玉でも綺麗なので、十分です」
真珠のネックレスはなくしたら困るので、身につけている。
髪飾りは、全くないというのも困るかもしれないので、何か一つぐらいは持っていたほうがいいかもしれない。
「化粧品にこだわりはありますか? 欲しいものがあれば王都まで買い付けに行きますが」
「お化粧はしたことがありませんので、詳しくなくて」
詳しくないどころかよく知らないのだ。これは聞かれても、困ってしまう。
「で、では、お食事の好みなどをお聞かせ願えますか?」
「食事は、部屋に運ばれてきました。パンとか、野菜スープですね。でも、お腹はあまり空いていないことが多くて。散策中に、野いちごなどをつまみ食いしていたせいですね」
「野いちごを……?」
「はい。時々は、お弁当を自分で作りました。パンに、残っていた野菜などを挟むのです。それなので、好みというものはあまりなくて。ですから、なんでも食べます。大丈夫ですよ」
「……リジェット様、何か必要なものはありますか?」
採寸が終わると、ローラさんが色々と尋ねてくるので、私は答えた。
答えていると、どうしてか、ローラさんの顔色が青ざめてくる。
何かいけないことを言ったのだろうか。
せっかくよくしていただいているのに、私は会話があまりうまくないので、申し訳ない。
最後の質問に私は両手をパチリと合わせた。
「ウルフガード家には書庫がありますでしょうか? もしあれば、見せていただきたいのですが」
「そ、それはもちろん……!」
どういうわけか、ローラさんの声は震えていた。
今にも泣き出しそうなのを必死におさえているようにさえ見えた。