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婚礼の準備


 ――そう。

 思いだした。あの時、四つ葉のクローバーは、みつからなかったのだ。


「お母様と、四つ葉のクローバーを探したといったでしょう?」

「あぁ」

「結局、見つからなかったのです。あの時は、見つからなくて……それで、その日。お母様は亡くなりました」


 抱きしめる力が、いっそう強くなった。

 私は甘えるように、ディアス様の背中に腕を回した。

 忘れていた。記憶の続きだ。

 違う。忘れてなんていなかった。ただ、思い出すのが嫌で、頭の奥に押し込めていただけだ。


「四つ葉を探した帰り道です。お母様は急に、青ざめて。それで、倒れてしまいました。そのまま、二度と目を開けませんでした」

「そうか……」

「あの日は、少し暑くて。長時間、暑い中にいたから、病気が悪化して死んでしまったのだと、使用人たちが話をしているのを聞きました。だから、私のせいで」

「君のせいではない」

「……私のせいだと、思って。それで、私は、覚えることをやめたのです」


 その後の記憶はとても曖昧だ。

 お母様が亡くなったときのことも、幼い頃のことだから覚えていないのかと思っていた。

 けれど、違う。はっきりと思い出せる。

 忘れたかったから、忘れていた。覚えているのが、苦しかったのだ。


「リジェ。それでいい。辛い記憶を抱え込む必要はない」

「ありがとうございます。でも、思い出せてよかった。……ディアス様のお陰です。お母様のことを話せる人が、今まで誰もいませんでした。だから」

「いつでも、話せ。俺は君のことが知りたい。朝から夜まで、ずっと話してくれて構わない。聞かせてくれ」


 私も、同じだ。「私もディアス様のことが、知りたい。もっと沢山」と伝えると、ディアス様は私の背中を撫でた。


「これから、君の時間は俺と共にある。飽きるほど、話しができる」


 自信に満ちたその声音が、好きだと思う。

 髪を撫でられて、背中を撫でられると、この時間がずっと続いて欲しいとさえ思ってしまう。

 まるで、幼い少女に戻ってしまったようだ。

 けれどそれだけではない熱が、確かにそこにはあった。

  

 自室に戻り寝所に入り目を伏せても、すぐには眠れなかった。

 唇にまだ、感触が残っているようで。

 体の熱もひいていかずに、幾度か寝返りを打った。


 明け方、微睡みの中で夢を見た気がした。


 私は一人で、海の見える丘に座っている。

 調理場から貰ってきたパン屑を、小鳥たちが食べている。


 お父様が再婚をされた。お母様がお亡くなりになる前から姿が見えなかった侍女のリンダが、お父様の新しい妻として、子供を連れてお屋敷に戻ってきたのだ。

 二人目の赤子が産まれたのだという。


 妹の顔を見ようと思い近づくと、リンダお義母様に頬を叩かれた。

 だから、屋敷からはできる限り離れることにした。顔を見なければ、いないのと同じだ。

 私は、お母様との思い出があるから幸せだ。

 でも――やっぱり、少し寂しい。

 

「リジェ。行こう」


 私に声をかけて、手を差し伸べてくれる人がいる。

 金の髪に、鳥の羽の耳飾りをした立派な男の人だ。

 私はその手をとった。もう、ここにいる必要はないのだと、泣きたくなるような気持ちで。


 ――幸せな夢を見たのは、いつぶりだろうか。 

 目覚めた私は、ベッドの中で丸まりながら、くすくす笑った。

 夢の続きが、ここにはある。

 一晩休んですっかり元気になった私は、身支度を調えるとフェリオ君の元へ向った。


「おはよう、リジェ」


 フェリオ君はクッションに体を埋めるようにしてベッドに座り、医師の診察を受けていた。

 聴診器で胸の音を聞かれたあとに、私に向いにこにこにしながら手を振ってくれる。

 フェリオ君の膝にちょこんと座っているニクスが、私の元まで飛んでくると、肩にとまった。


「おはようございます、フェリオ君、ニクス。目が覚めたのですか? 体調はいかがでしょうか」

「とてもいいよ。リジェが助けてくれたと、兄上から聞いた。僕はもう元気なのに、しばらく動いちゃ駄目だってさ」

「心配をしているのですよ」

「そうだね。……病気は? っていう顔、してる」


 もちろん、気になるけれど、聞いていいものだろうか。

 聴診を終えた三十代前後の男性の医師が、カルテに何かを書き込んでいる。

 フェリオ君に「どうだったか教えて」と言われて、口を開いた。


「まだ、なんとも言えませんが、おそらくは状態が以前よりもよくなっているようです」

「うん。よかった」

「ええ、本当に……!」


 ディアス様に報告をすると、医師は部屋を出て行き、私はフェリオ君に促されてベッドサイドに座った。


「ごめんね、リジェ。病気のこと、黙っていた」

「謝る必要はありません。私の方こそ、ごめんなさい」

「リジェは、何も悪いことをしていない」

「サリヴェに捕縛されたとき、もっと、フェリオ君とどうするか相談するべきでした。私は自分勝手でした。だから、あんなことに」

「……僕は、何もできなかったよ。迷惑をかけてしまった。兄上のようには、できないな」


 私はきつく握られたフェリオ君の手に、自分の手を重ねた。


「そんなことはありません。とても、格好良かったです。私を守ってくれて、ありがとうございます」


 フェリオ君の行動で、私は目が覚めた。

 そうでなければ――サリヴェに行くことを決意していたかもしれない。

 私は大丈夫だと、自分の心に言い訳をして。

 ナユタ様の言っていたとおり、すぐに、諦めてしまっていただろう。


「リジェ……ひどいことを、されなかった?」

「大丈夫です。何もされていませんよ」

「本当に?」

「ええ。ナユタ様とは、恋愛小説の話をしました。恋愛小説がお好きなようです」

「あの顔で?」

「ええ」

「ふふ……色んな人がいるんだね。僕ももっと、本を読んでみるよ。今まで、本を読むのは、体が弱いことを認めるみたいで、嫌だったんだ。でも、リジェが来て、そんなことないって思えるようになったよ」


 そう口にするフェリオ君の顔は、どこか晴れやかだった。


 サリヴェの襲撃から数日後、かねてから準備が行われていた婚礼の儀式が行われることになった。

 グレイシードさんがドレスを数着かかえてやってきて、「聞いたわ、リジェット様! 大変だったわね、アリシア様のこと。僕、あの人、大っ嫌い!」と泣きそうな顔で言った。


 グレイシードさんはてきぱきと私にドレスを着せて、化粧をして、髪を整えてくれた。


「僕のことは泣き虫男女って呼んでたし、ローラのことは山猿って言ったわ。フェリオ様のことも馬鹿にして……でも、とうとうディアス様がお叱りになったのね。せいせいした!」

「グレイシー、口を慎め」

「うぅ、ごめんね、ローラ」


 ローラさんに叱られて、グレイシードさんは唇を閉じた。

 けれどすぐにまた耐えきれないように口を開くと、ぷはっと深呼吸をした。


「でも、苛々は口にしないと。爆発しちゃうもの。ね、リジェット様」

「そういうものでしょうか」

「リジェット様は苛々したことないの?」

「あまり、ないかもしれません」

「じゃあなおさら、苛々したら話すのよ。ローラでもいいし僕でもいいわ。まぁ、ディアス様がリジェット様を悲しませることは、ないような気がするけれど」


 ディアス様に怒るような日が果たしてくるのだろうかと疑問に思っていると、「さぁ、できたわ!」と、グレイシードさんが私から離れた。


 純白の婚礼着を着た私の姿が鏡に映っている。

 とても綺麗だとローラさんや侍女の皆さんが口々に言ってくれるので、私は頬を染めた。

 容姿を褒められるのは、恥ずかしい。

 私と手を繋いで踊ってくれたお母様の顔に、どことなく似ているだろうか。

 とても、綺麗な人だったように思う。

 綺麗で優しい人だった。

 

 きっと、今日の日を――空から微笑んで、見ていてくれるだろう。



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