不死鳥ニクス
私の呼び声に答えて――窓の開いていない玉座の間に、吹くはずもない強い風が巻き起こった。
私たちを吹き飛ばすほどの突風は、けれど春の嵐のように激しい中にも優しさを孕んだものだった。
「ニクス……?」
フェリオ君の傍に片膝をついているディアス様が、顔をあげて呟く。
強い風が止んでいる。
閉じていた目をひらくと、フェリオ君の上に、炎の翼をもつ輝く赤い鳥が浮かんでいた。
金魚の尾ひれのように揺れる長い尾、神々しく、優しげな金の瞳。
その嘴を拘束していた縄は引きちぎられていて、体にまとわりついている檻の残骸が、炎の翼に焼き付きされてぼろぼろと崩れ落ちた。
「お願いです、ニクス。命の、再生を」
幻獣には幻獣の言語がある。そう、幻獣学者は謳っている。
きっと伝わる。届くはず。
ニクスは、きっと――ディアス様を覚えているのだから。
『ルーフ・アルマス』
ニクスは、少年のような声でそう言った。
ニクスの翼の炎が、燃え上がる。
その炎はひとかたまりの球体となり、フェリオ君の心臓の上にふわりと浮かぶ。
そして、その体の中へと、水面に雨が落ちるようにして、すとんと吸い込まれるように消えていった。
『ファルアリ・ルーフ・ルタ』
「大丈夫。命は、戻る」
「リジェ、ニクスの言葉が……?」
「幻獣の言語です。本当に、話せるなんて……フェリオ君!」
フェリオ君の土気色の頬に、赤みがさした。
胸が、ゆっくり上下に動き始める。
指先が、ぴくりと動いた。
「フェリオ!」
ディアス様が慎重にその体を抱えた。
信じられないものを見る目で、フェリオ君を覗き込む。
その瞳は希望に輝き、僅かに潤んでいた。
私もフェリオ君の手を取った。
ニクスは私たちの傍に降り立った。
輝く炎の翼から炎が消えて、赤い翼に戻っている。もう話すことはできないのか、愛らしい金の瞳が熱心に私たちを見つめていた。
「――兄上、リジェ」
薄く瞳が開かれて、小さな唇が動き、私たちの名を呼んだ。
「僕は、どうして……リジェが、助けてくれた……? リジェが、僕の名前を、ずっと呼んでいてくれた」
「フェリオ君、よかった……帰りましょう、皆で、一緒に」
「あぁ、フェリオ。リジェだけは、諦めなかった。お前の命が助かることを祈り続けてくれた。共に帰ろう、ウルフガードに」
「……うん。帰ろう」
フェリオ君は微笑んで、それから疲れたように大きく息を吐き出した。
再び目を閉じて、安らかな寝息をたてはじめる。
安心しきった寝顔は、ディアス様への信頼の証だろう。
私も――はりつめていたものが切れるように、フェリオ君を抱きかかえるディアス様の手に、自分の手を重ねた。
潤んだ瞳から、涙がひとしずくこぼれ落ちる。
安堵と喜びで胸がいっぱいになる。
ディアス様を信じていた。
信じたとおり――来てくださった。
フェリオ君の命が救われて、皆で一緒にウルフガードに帰ることができる。
それが、どれほど幸福なことなのかを、噛みしめた。
「リジェ。……俺が来るまで、よく耐えた」
「信じていました。必ず、来てくださると」
「あぁ。君がどこにいても、俺は必ず見つける。約束だ」
「私も、あなたを信じます。何が起っても、あなたへの信頼をなくしたりはしません」
もう、逃げない。諦めない。
私は、静かな書庫と本が好きで、海や森が好きで、ディアス様が好きで、フェリオ君が好きで、ウルフガードの皆が好きだ。
好きなものを守るために、私もディアス様と共に立ち向かっていきたい。
ニクスが翼を広げる。飛び立とうとしたが、その翼は二度三度、空を切った。
するするとその体が縮んでいって、卵ぐらいの大きさの、まるまるとした赤い小鳥に変わった。
「これは、一体……。ニクスを拾ったときの姿だ」
「不死鳥は、力を使うと幼体に戻ると言われています。ニクスもそうなのでしょう」
ニクスがぱたぱたと飛び上がり、私の肩に乗った。
翼を羽ばたかせた時に光の粒子が広がって、倒れている兵士たちへと雪のように降りかかる。
兵士たちも、夢から覚めたように上体を起こした。
けれど、怪我が全て治ったわけではないようで、斬られた腕や、折られた足をおさえてすぐにうずくまった。
「ニクス……命を助けてくれたのですか?」
「ゅーあ」
たどたどしい声で、ニクスが答えてくれる。そうだと言っている。
命の再生を私が願ったからだろうか。ディアス様は周囲を見渡して、それからフェリオ君を抱きあげたまま立ち上がった。
しゃがみこんでいた私も、立ち上がる。
ディアス様は呆然としているナユタ様に向き直った。
「兵たちの手当をしてやれ。救われた命だ、無駄にするな」
「何故だ! 何故、俺を斬らないのだ、ディアス! 俺は、お前の家族を攫った。殺すつもりでな。お前には分かっているだろう。俺が、憎いだろう。どうして斬らない。俺に生き恥をさらせというのか!?」
ナユタ様は叫んだ。
私と話していたときは、余裕のある態度だった。
けれど、これが本来のナユタ様なのだろう。剥き出しの感情から感じられるのは、自己嫌悪と劣等感だ。
「ここは戦場ではない。リジェもフェリオも無事だ。ニクスも俺の元に戻った。だから、帰る。それだけのことだ」
「俺を憎め! 貴様はいつもそうだ。いつでも俺の首をとることができる癖に、あと一歩を攻め込まない。いっそ死ぬことができれば、俺も父上や兄上から失望されずにすんだというのに」
「命を無駄にするな、ナユタ。俺もかつてはお前と同じ、戦場での死が名誉だとばかり考えていた。だが今は、違う。リジェと共に生きることが、俺の誇りだ。そして、生きるために無駄な血を流す必要はない。お前の首をここで切れば、俺の誇りが穢れる」
ナユタ様は、気力を失ったように、項垂れた。
フェリオ君が失われると思ったとき、私はナユタ様に怒りを感じた。
けれど、今はその感情も消えている。
私は、二人きりで話したときのナユタ様の全てが偽りだとは思わない。
一度は――和睦の道を、考えてくれた。
「ナユタ様。私はあなたの元に行くことを、お断りさせていただきます。それが両国のためだとしても、私はディアス様の元にいたいのです。ですが、和睦の道が消えたとは思っていません。いつかその日がくることを、できるかぎり模索していきたいと考えています」
有耶無耶になってしまったけれど、はっきり伝えておくべきだろう。
私は何があってももう迷わない。
私はディアス様と同じ。ディアス様と生きることが、きっと私の誇りになるだろう。
「……ナユタ、リジェに何を言った?」
「俺のものになれと。……その女性はお前には勿体ないな、ディアス」
「俺に勿体ないのなら、お前にはもっとだ、ナユタ」
ディアス様は「俺はリジェを離したりしない。奪われたら取り返すだけだ」と言って、自信と威厳に満ちた笑みを浮かべた。
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