停戦協定
僅かな時間の間に、ナユタ様の口調や表情は柔らかくなっている。
今なら私の言葉が通じるかもしれない。
私とフェリオ君が無事にディアス様の元に戻るため――それから、ナユタ様の名誉を守るため。
双方を両立するためにどうすればいいのかを考えなくては。
「サリヴェは、塩山が欲しいのですよね」
「そうだな。ディアスは多くの塩山を保有しているが、サリヴェに流通する塩は少なく高価だ」
「それは、王国民がサリヴェで商いをするのがおそろしいと思っているからではないでしょうか。逆も同じです。敵対する国に、行商に行くことは難しいですよね」
ユーグリド家は海の向こうの国と貿易をしているが、それは相手との関係が良好だからだろう。
船で乗り付けたら船ごと奪われたり襲われたりする国と、貿易などできない。
サリヴェの場合は――互いに敵国として認識している。
「サリヴェはよく作物がとれるでしょう? 平らで肥沃な大地があります。逆に、ルーフェンシュタインは土地が少ないのです。山や谷が多いのですね。ですから、本当は――敵対ではなく、同盟関係になれば互いに利益が出るのではと思うのです」
「同盟を結べと?」
「ええ。サリヴェは内陸にあり、ラヴァロと、それからアリティア帝国と敵対をしています。敵国に囲まれて戦を繰り返すばかりでは、多くの民が困窮するのではと、思うのです」
「お前はまるでサリヴェの民のようだな」
「……私の知識は、そのほとんどが、書物から得たものです」
私は目を伏せる。
目を伏せると――楽器を奏でるディアス様の楽しげな姿が思い浮かんだ。
子供たちと手を取って踊った慰霊祭では、ウルフガードの民は亡くなったサリヴェやラヴァロの兵たちの魂にまで、手を差し伸べて祈っていた。
そこには憎しみも憂いもなく、ただ皆で、魂に祈っていた。
いままでずっと、書物ばかりを相手にしていた。
それはとても恵まれたことで、静かに穏やかに時間が流れていた。
ディアス様の元に来てからは、人の体温も、熱気も、感情も――多くのものが渦巻いていて。
それは、多くの生き物たちを内包して、静かに凪いでいる海のようだ。
光を受けて輝く水面の下では、多くの生き物たちが生命活動を繰り返している。
それと同じ。皆、多くのものを、感情を抱えて。
それでも、毎日を過ごしている。
私にはそれがとても、美しく、好ましいことに思える。
優しい人々が好き。大切だ。
だから――誰も求めていない戦を続けるのは、とても無益なことのように感じられる。
「ナユタ様、ウルフガードの民は、サリヴェを憎んではいません。お父様を失ったフェリオでさえ、サリヴェの兵に同情をするのです。国の方針が変わらない限り、命が失われることを憂うのです」
「……俺とて、兵の命を石ころのように考えているわけではない。だからこそ、ディアスに報復をと」
「その結果は、新たな報復です。ウルフガードには、サリヴェやラヴァロからの移民も多いのです。皆、戦を恐れてウルフガードに亡命を。ディアス様の元にいれば安全だと考えている方々が、少なくありません」
ルーフェンシュタイン王国全土のことは、わからない。
ただ、ウルフガードに限って言えば、とても懐が深い。
それは、ディアス様の人柄とよく似ている。
「剣を持つ手で、斧やツルハシを持ったらいかがでしょうか。私やフェリオは交渉の材料になります。ディアス様と話し合いをしてください。ウルフガードには手つかずの土地があります。サリヴェとの国境に、塩湖と、未開発の鉱山が」
「それを、どうしろと?」
「和平を結び、その土地を共同で開発したらいかがでしょうか。サリヴェの取り分は、ディアス様との交渉次第です。家畜の飼育にも塩が必要ですし、人々の生活にも欠かせませんでしょう? それに、鉄も、鉱物も……サリヴェにないものが、多くあなた方の国に流通するきっかけになります」
おそらくは、その土地を開発しなくても、ウルフガードは足りている。
ディアス様はお金には困っていない。今、採れる分でもう十分なのだ。
土地を奪うわけではなく、開発の協力であれば――ディアス様はきっと受け入れてくれる。
労働力を提供してくれるのならば、むしろ歓迎してくれるのではないだろうか。
それに、ウルフガードも、ユーグリド商会から食料を買い付けするよりは、サリヴェの方が近いのだ。
互いの国が手を取り合って、流通が盛んになれば、それだけ互いに豊かになるのではないだろうか。
「……これは、私の願望も入っています。所詮は机上の空論と思われるかもしれません。ですが、私は人々に穏やかに暮らして欲しいのです。突然、大切な人がいなくなってしまうのは、とても寂しいことでしょう?」
私はお母様を失い、ディアス様はお父様とお母様を失った。
フェリオ君も、ご両親を亡くしていて、ローラさんやグレイシードさんたち、多くの人々がそうだ。
ナユタ様も、お母様を亡くしている。
病気で亡くなるのは、仕方ない。
けれど、他者によって命を奪われるのは、病死とは違う。
「……そうだな」
「でしたら」
「お前の考えは、理解した。お前は頭も、口もよく回るな。度胸もあるし、感情的にもならない。交渉の材料としては相応しい」
「もったいないお言葉です」
「例えば――和平の証として、お前が俺に嫁ぐというのはどうだ? どうにもお前は、自分の価値を下に見ている。自分は死んでもいいというようなことを平然という。お前の度胸も覚悟も、自分自身に価値がないと思っているからだと、俺は感じた」
何を言われているのか一瞬分からずに、ナユタ様の言葉が意味を為さずに鼓膜を揺らした。
――私は、ディアス様の妻。
ディアス様のことが好き。その気持ちに嘘はない。
それなのに、ナユタ様の妻になれというのだろうか。
「第二王子の俺にお前が嫁げば、それは両国の友好の証となるだろう。それに、部下の話では、ウルフガードではもう一人の女が、まるでディアスの妻のように居丈高に振る舞っていたという。ディアスにはもう一人、妻がいるのだろう。だとしたら、俺の元に来たほうがいい。俺は妻は一人しかいらない」
それは、アリエス様のことだ。
アリエス様のことを私は、うまく説明できなかった。
――私は、どこにいても私。
居場所が変わっても、私が変わるわけじゃない。だから、きっと大丈夫だと、ディアス様の元に嫁ぐ時には思っていた。
でも、今は。
ディアス様が好きだから、ナユタ様の元には行きたくない。
あぁ、でも――私がナユタ様の元にいけば、全て上手くいくのではないだろうか。
アリエス様はディアス様のことが好きだ。
私がいなければ、ディアス様に嫁ぐことができるだろう。
私がナユタ様の元にいけば、両国の友好が保証される。
私が、ナユタ様に直接お願いをすることができるようになる。
ウルフガードと友好な状態を保つために、どうすればいいのかを。
「考えておけ、リジェット。俺は、ディアスを迎える準備をする。……まぁ、もう、手遅れかもしれないがな」
ナユタ様の案内で、私は部屋から出た。
貴人用の客室に案内していただけるのだという。
部屋から出ると――妙な空気が漂っている。
僅かに、血のにおいがした気がした。
お読みくださりありがとうございました!
評価、ブクマ、などしていただけると、とても励みになります、よろしくお願いします。




