交渉
ナユタ様に引きずられるようにして通路を歩きながら、私は抗議の声をあげた。
「フェリオの元に帰らせてください! あの子は、一人で不安がっています」
「それだけではないな。なにを、焦っている?」
告げるべきか、迷う。
敵に弱みを晒すことは避けるべきだ。けれど、黙っていることで最悪な事態になってしまう可能性もある。
どうするべきだろう。もし、ディアス様ならどうなさるだろう。
「――フェリオは、体が弱いのです。ですから、丁重に扱ってください。私のことは、どのようになさってもかまいません」
私はナユタ様の手をきつく掴んで、そう口にした。
懇願ではなく、交渉のつもりで。
ナユタ様には私たちに優しくする理由がない。だから、懇願しても聞いてはもらえないだろう。
だとしたら、何か代わりに差し出さなくてはいけない。
「あなたは私と話をしたいといいました。フェリオを傷つけなければ、私はいくらでも口を開きます。ですが、そうでない場合は、二度と口を開きません」
「ディアスの弟が、虚弱とはな。笑える」
「人には人の事情があります」
「子供を丁寧に扱えば、お前は口を開くし、なんでもしてくれるということだな」
「はい。そのように」
ナユタ様は兵士の一人を呼ぶと「捕虜の子供を、賓客扱いにしろ。慎重に扱え」と告げた。
私はほっとしながら、ナユタ様の腕から手を離した。
フェリオ君が無事であれば、それでいい。
ナユタ様に導かれたのは、恐らくは彼の私室だった。
大きな執務机の上には、サリヴェと周辺諸国の地図が広がっている。革製のソファセットには、毛皮が敷かれている。壁には剣がかけられており、書架には兵法書などがおさめられている。
奥には、立派なベッドも置かれている。私室に通されるというのはどういうことだろうと、私はしばし考えた。
ふと周囲を見渡すと、天上から吊り下げられた鳥かごに、羽が炎で形作られたような鳥がいる。
大きな鳥である。鷲と同じぐらいだろうか。
その足は鎖で繋がれていて、その嘴は開くことができないように紐で頑丈に結わかれていた。
――ニクス。
私は思わず、その鳥を凝視した。ディアス様が言っていた、赤い鳥。
美しく、神々しい姿だ。けれど、弱っているようにも見える。
「鳥が気になるか?」
「……この鳥は」
「かつてディアスがサリヴェの砦を制圧した時、幸運の赤い鳥が傍にいたのだという。ディアスの剣から逃れたサリヴェ兵が、城に持ち帰ってきてな。敵前逃亡をした罰を逃れるために、父上に鳥を捧げた」
ニクスは、サリヴェに捕らえられていたということだろうか。
それでは、いくら探してもみつからないはずだ。
「あまりにも暴れるので、口枷をして繋いである。が、飲まず食わずでも死なない」
「ひどいことをします」
「ひどくはない。王に捧げられた貢ぎ物だ。どのように扱おうと構わんだろう。ただ死なんだけの、懐かない鳥だ。王宮に飾ってあったが、父は不要だと俺に下賜した」
「逃がしてあげないのですか」
「逃がしてどうする? 父から賜ったものだ。役立たずでも、置いておくだけで意味がある」
ナユタ様は、ニクスが不死鳥だと知らないのだろう。
ニクスは伏せていた目を開いて私をちらりと見ると、翼を大きく広げた。
炎が鳥籠いっぱいに広がって、消えていく。
「ディアスにはこの鳥がついていた。勝ち戦を運ぶ、幸運の鳥であるはずだが、俺は惨敗した。ディアスの鳥だからか、妙な反応をする。お前からディアスの気配がするのかもしれんな、リジェット」
「……どうでしょうか」
ニクスについて、私は口をつぐむことにした。
何も知らないふりをしたほうがいい。不死鳥であることが知られたら、サリヴェはニクスをどう扱うか分からない。
必ず助けてあげますと、心の中で呟く。
ニクスに気持ちが伝わったように、広げた羽をぱたぱたと揺らした。
「さて、話をしようか、リジェット」
ナユタ様は、ニクスから興味を失ったように視線をそらして、私にソファに座るように促した。
ベッドルームが見えてしまったことで僅かに緊張していたけれど、ソファに座ることで心に余裕がうまれた。
それを察したように、ナユタ様は私の目の前に足を組んで座ると、皮肉気に笑った。
「すぐさま、抱かれるとでも思っていたか?」
「いえ、そういうわけでは……」
「見ず知らずの女に突然襲いかかるほどに飢えてはいないさ。それで、リジェット。お前は、お前の体をどう扱うべきだと考える?」
「私が……?」
思いのほか、冷静な声音で質問をされた。
それがとても以外だった。元より、血の気の多い方ではなさそうだという印象はあったけれど、戦下手だと言った私に対する怒りも、まったくないようだった。
「あぁ。お前や子供の扱いを間違えれば、俺の名はさらに地に落ちると言ったな。お前たちを攫ったこと自体、戦下手の謗りを払拭するためにと考えてのことだった。だが、どうにも、お前が言うには俺がどのような決断を下そうとそれは裏目に出てしまうらしい」
「私を殺す、もしくはディアス様を殺す――どちらかしか、私は聞いていません」
「それ以外にどのような用途がある? お前と引き換えに土地の一部を寄越せと言ったところで、お前を返せばディアスに土地を奪い返されるだろう」
まるで、サリヴェ側の相談役のように扱われているようだった。
もしかしたら、ナユタ様は私を試しているのかもしれない。
ここは、真剣に考えて答えなくてはいけないだろう。ディアス様の妻として、侮られないためにも。
「お前たちを攫ったという事実は変わらん。お前たちを返したところで、ディアスの怒りは収まらない。あれは、おそろしい男だ。だが、こういった手段をとるぐらいしかできないほどに、俺や、兵たちは追い詰められているというわけだ」
「追い詰められていますか?」
「あぁ。俺は王位を継がない第二王子だ。そのため、役割を与えようと軍を任された。だが、ディアスには一度も勝てていない。先の戦では多くの兵を失った。戦果はないに等しいのにな。父も兄も俺に失望している。このまま、中央に帰ることなどできんよ」
話しているうちに――だんだんと、ナユタ様の感情が、その口調や表情からこぼれ落ちてくる。
少し、疲れているようにも見えた。
「こんなことは誰にも話せないがな。俺にも威厳というものがある。だが、お前は――俺の好きな話を、知っていた。だからかな」
「騎士と姫の話ですか?」
「あぁ。あれはな、実話だ」
「え……っ」
「あの姫は、俺の母だ。俺の兄と俺は母が違う。母は、第二妃。俺が幼い時に、騎士と駆け落ちをして、二人で死んだ。まぁ、実際には俺の母の話ではないのだが、似ていると思ってな。あの話を読んでから、母のことが少し理解できたような気がした」
同情でも憐憫でもない妙な感情が、胸にわきあがった。
親愛でもない――何かだ。
同じ物語を好きだというナユタ様は――あの騎士と姫の話の情熱的なシーンも読んだのだろうか。
じっとその整った顔を見つめていると、ナユタ様は私の胸中を見透かすように、口角を吊り上げる。
「あの話を読んだとは。好き者だな、リジェット」
「……そういうつもりで読んだわけではありません」
くつくつ笑っているナユタ様を睨む。
けれどその仕草に、この人も同じ人間なんだと思うことができて、少し嬉しくなった。
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