捕虜
ナユタ様は立ちあがると、私の元までゆっくりと歩いてくる。
目の前に膝をついて、私と視線を合わせた。
ぐいっと頬顎を掴まれて、至近距離でまじまじと顔を観察される。
「リジェットに、触るな!」
「黙れ、子供。……お前、名は?」
フェリオ君を冷たく一瞥すると、促すように尋ねられる。
私はフェリオ君にちらりと視線を送った。大丈夫だと伝えたつもりだけれど、伝わっていただろうか。
「リジェットと申します。リジェット・ウルフガード」
「リジェットか。お前たちを捕縛して、どうするか考えていた。先の戦では、多くのサリヴェの兵が死んだ。その多くを、ディアスが殺めた。報復のため――あいつの大切なものを奪い」
ナユタ様は感情の籠らない声音で続ける。
「殺す、か。その首を国境に晒せば、少しは溜飲がさがるかと考えていたが――まぁ、それはくだらない私情だ」
「もし、そのようなことをなさるのなら、私だけに。フェリオには手を出さないでください」
「それは、家族としての情か?」
「もちろん。でも、それだけではありません。子供を、巻き込まないでください」
子供を守るのは大人の役目。だからお母様も――私に、辛い顔一つみせなかった。
今ならその気持ちが少し、分かる気がする。
病で苦しい日も、悲しい日も、絶望したくなる日もあっただろう。
それでも私の前ではいつも、笑っていてくれた。
私に心配をかけないために。
フェリオ君は守られたいと思っていないのだろう。でも、私はフェリオ君を守りたい。大人として。
家族として。
それに。フェリオ君になにかあれば、ディアス様はきっと、悲しむ。
「ふふ、はは……っ、戦に女も子供もないだろうに。甘いな、リジェット」
「そんなことはありません。サリヴェの方々も、大切にするでしょう? 星を見て、神話を作り、馬を愛します。騎士と姫の話には、愛があります。戦だけが全てではありませんでしょう」
「よく知っているな。それは、サリヴェの物語だろう。どちらも有名だ」
ナユタ様の声に、感情が籠る。
感心。驚き。それから、興味だろうか。
もし会話ができるのなら、私とフェリオ君に危害を加えずにいてくれるかもしれない。
可能性に賭けてみよう。ディアス様が来てくださるまで、私たちは無事でいなくては。
「サリヴェの方々も、私たちも同じ。大切なものがあって、大切な人がいますでしょう? ナユタ様。私たちの亡骸を晒しても、ディアス様を怒らせるだけです。多くの血が流れるだけです」
「そうかもしれんな。ディアス・ウルフガードがいる限りは、どうにもならん。あの強さは、鬼神だ。だから――たとえば、お前たちの命とディアスの命を交換するというのはどうだ?」
なるほど。そういう使い方もあるのだろう。
けれど、そんなことをしたらきっと、多くの人がサリヴェを恨む。
ディアス様は皆に慕われている。その命を、私たちの命と引き換えにされたら――。
「それは私の命が奪われるよりもずっと、いけません」
「何故だ? ディアスを失えば、ウルフガードなどは何も怖くない」
「だからあなたは、戦が下手だと言われるのです」
本当にそう思ったので、そう伝えた。
きっと怒らせるだろうとは思ったけれど、言わずにはいられなかった。
「生意気だな、リジェット。貴族の女に何がわかる?」
「わかることもあります。そんなことをしたら、私もフェリオもサリヴェを憎みます。ウルフガードの多くの者たちが、サリヴェを憎みます。あなたが戦に負けた報復で私たちを攫ったのと同じように、私たちの憎しみが更に苛烈な報復をうむとは思いませんか?」
「それがどうした?」
「感情は、闘争心の糧になります。それがサリヴェを滅ぼすきっかけになってしまったら、あなたの名は不名誉なものどころか、地に落ちます」
ナユタ様は一瞬不快そうに眉を寄せたが、一拍おいて大声をあげて笑い出した。
「はは……っ、おもしろいな、リジェット。もっとお前と話をしたい。子供を牢に戻しておけ。お前は私と共に来い」
腕を掴まれて、引き上げられる。
無理やり立ちあがらされた私は、転びそうになってたたらを踏んだ。
腰に、ナユタ様の腕が回る。
ディアス様に抱いていただいたときとは違う。ぞわりとした嫌悪感が体を走った。
「リジェット!」
「フェリオにも、相応の待遇をしてください。傷つけないで」
「そればかりだな。そいつも、ウルフガードの血筋だろう。覚悟ぐらいできているさ」
フェリオ君が、兵士たちに連れていかれる。
私の名を呼ぶフェリオ君は、青ざめて、息を切らしているように見える。
私は不安になって、ナユタ様の腕から逃れようともがいた。
フェリオ君は、お母様と同じだ。
はっきりと聞いたわけではないけれど、心臓が悪い。
体に負担をかけたら、発作が起こるかもしれない。
それは、フェリオ君の命を奪うかもしれない。
私の抵抗もむなしく、私はナユタ様によって引きずられるように連れていかれて、フェリオ君の姿は見えなくなってしまった。
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