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よくないタイミング


 

 フェリオ君とアスベル様と一緒に中庭に出ると、アスベル様はほっとしたように大きく息をついて、伸びをした。


「あぁ、外に出ることができてよかった。城の中は生きた心地がしない。リジェット様、不快な思いをさせてしまい申し訳ありません。アリエス様は昔からああなのです」

「いつも、自分が正しいと思っているんだ。テオ叔父さんが甘やかしたせいだよ」


 フェリオ君も具合が悪そうに見えたけれど――少し、落ち着いたのだろうか。

 それでも怒りがおさまらないといった様子で、珍しく眉をきつくよせている。


「一人息子のあとに、年が離れて生まれた女児ですからね、可愛くてしかたないのでしょう。今はああですが、ディアス様がいらっしゃれば借りてきた猫のようにおとなしいのですよ」

「兄上も分かってはいるんだよ。でも……叔父上はいい人だからね。アリエスに来るなとも言えないんだ」


 ローラさんや侍女の方々がやってきて、中庭にお茶とお菓子を用意してくれる。

 アスベル様とフェリオ君の話を聞きながら庭園を散策したあと、私たちは一息入れようと椅子に座った。


 アスベル様はご一緒はできないと恐縮していたけれど、フェリオ君が手を引いて椅子に座らせてくれた。

 ローラさんや侍女の方々が何か言いたげな顔でアスベル様を見るので、私は唇に指をあてて、ローラさんたちに今は何も言わないように示した。


 アスベル様の心労をこれ以上増やさなくてもいい。

 

「こういうとき、私はどうしたらいいのでしょう。ごめんなさい、慣れなくて。ディアス様の妻は私だと大声で言って、アリエス様と喧嘩をしたほうがいいのでしょうか」

「……っ、あはは。申し訳ありません、つい」

「ふふ……リジェット、気にしないで。そうして喧嘩をしているリジェットも見たい気がするけれど、兄上はすぐに帰ってくるだろうから。兄上に任せておけばいいよ。それに、アリエスの暴虐さを兄上にも見て欲しいし」


 アスベル様とフェリオ君が楽しそうに笑っている。

 笑わせるつもりはなかったのだけれど、二人の笑い声が嬉しくて、私も口元をほころばせた。


 不機嫌な顔をしているよりも、笑っているほうがいい。

 私は、お母様の笑顔が好きだった。

 今は、ディアス様の笑顔が好き。フェリオ君やアスベル様、ローラさんの笑い声も好きだ。


 できれば、アリエス様とも仲良くしたい。ディアス様の血のつながった家族なのだから。

 でも――アリエス様はディアス様のことが好きで、私はディアス様のことが好き。


 同じ人を好きになってしまったら、仲良くなれないのだろうか。

 

 ふと、お母様とリンダお義母様のことを考える。

 二人は、同じ人――お父様を好きになってしまったのだろうか。

 お父様はお金持ちで、見た目も素敵だ。仕事もできる。でも、あまり家にはいなかった。

 私には、お父様との記憶はほぼ、ない。


 目の前に置かれている、小さなタルトを一口食べる。

 美味しいけれど、甘さと食感が、ウルフガード家に来てから食べたお菓子とは少し違う気がした。


 ディアス様がいないからだろうか。

 もしかしたら、僅かな寂しさは、味覚さえ変えてしまうのかもしれない。


 ――寂しい?


 ふと、ごく自然に私はディアス様のご不在を寂しいと思っていることに気づいた。

 どうかご無事でと思う。

 何事もなく帰ってきて欲しいと思う。こうしてフェリオ君たちと過ごしていても、心の中にディアス様がいる。

 私の中で、ディアス様の存在が大きくなっていって、そのうち心がディアス様でいっぱいになってしまうのではないかと、不安になる。


 足りていたものが――足りなくなってしまったら。

 私は、笑っていられるのだろうか。例えば、ディアス様がアリエス様を選んだら。


「リジェット、大丈夫?」

「え……あ、大丈夫です。ごめんなさい、考え事をしていました」

「できる限り、アリエス様をリジェット様に近づけないようにします。あの暴虐も、もってあと数刻ですよ。ファスト家に使者を送りました。テオ様なら事情を察して、アリエス様をどうにかしてくださいます、きっと」

 

 私は頷いた。とはいえ、アリエス様を追い出したいわけではない。

 アリエス様を嫌いとも思わない。ディアス様に恋をしているのだとしたら、アリエス様の気持ちも分かる。

 ――お母様もこんな気持ちだったのだろうか。

 こんな気持ちで、リンダお義母様とお父様を見ていたのかもしれない。


「あら! 婚礼の準備もせずに、こんなところで優雅にお茶会なんて! しかも、おチビさんはともかく、アスベルと肩を並べて座るなんて、とんだ浮気者ですわね!」


 噂をすれば影とはいうけれど、アリエス様が従者たちを引き連れて、私たちの元へと真っ直ぐにやってくる。

 鳥の羽の扇で顔を隠しながら、私を睨みつけた。


「アリエス様、お仕事は終わりましたか? アリエス様は働き者ですね、お疲れさまでした。一緒にお茶を飲みますか?」

「飲むわけないじゃない! 部下に命じて、あなたの婚礼着は捨てさせましたわ。グレイシードなんて不気味な男にドレスを頼まずに、私の婚礼着はファスト家のお抱えの仕立て屋に頼むことにしましたのよ。ディアスお兄様がお戻りになられたら、すぐに結婚式をあげますから」

「勝手なことを……」

「グレイシードには、アリエス様の言葉なんて通じませんから、ご心配なく!」


 アスベル様が立ちあがり、ローラさんが我慢できないというように声を張り上げた。

 皆が――怒っている。

 私を守るために、怒ってくれている。

 本当はきっと、私がなんとかしなくてはいけないのだろう。

 ディアス様がご不在時には、ウルフガード家を預かるのは妻の役割なのだから。

 私は、椅子から立ち上がる。それから、話がしやすいように、アリエス様の正面に立った。


「――アリエス様、私はディアス様が好きです」

「えっ、何、急に」

「私はディアス様が好きだともうしあげました」

「だ、だからなんなの?」

「お金のやりとりで、私はウルフガード家に来ましたが、とてもよかったと思っています。ここでは皆が優しくて、私の中にある大切なものが、沢山増えていく感じがします。ディアス様も私に優しくしてくださいます。だから、好きです」


 ローラさんや侍女の方々が、アスベル様やフェリオ君が、呆気にとられて私を見ている。

 アリエス様も戸惑ったように眉を寄せている。


「だからなんなの? 好きだからどうしたというの?」

「――ですから、たとえ同じ人を好きになったとしても、引き下がるつもりはありません。ディアス様の妻は私です。申し訳ありませんが、譲ることはできません」

「それが、考え違いだと言っているのよ。ディアスお兄様は私と結婚するのよ。そう、約束してくれたもの!」


 本当だろうか。

 ディアス様は誠実な人だ。そんな大切なこと、口約束などしないだろう。


「いいかげんにしろ、嘘つき――」


 フェリオ君がそう口にしたとき、空気が変わったような気がした。

 中庭から、大きな木の上から、お城の屋上から――黒い服を着た男たちが何人も、私たちの元へと鍵縄をつかって降りてくる。

 ほんのわずかの間、瞬きをするほどの一瞬で、男の一人がフェリオ君を羽交い絞めにした。

 短い剣を抜き、その喉元につきつける。

 私たちを取り囲んだ男たちも、同じように剣を抜いて、その切っ先を私たちに向けた。


「お前たち……まさか、サリヴェの兵か」


 アスベル様が呟く。腰の剣にてをかけようとしたのを、男が制した。


「動くな。お坊ちゃんの首が飛ぶ」

「くそ……っ」

「ウルフガードの嫁とは――どちらだ?」


 男は黒い頭巾をかぶり、仮面をつけている。口元だけが出る仮面は、何かの動物をかたどっているようだった。

 アリエス様が青ざめて、がたがたと震えている。

 私は、一歩前に出て、自分の胸に手を置いた。


「私です。リジェット・ウルフガードと申します、サリヴェの方。どうか、フェリオを離してください」

「それはできないな。そうか、お前か。ならば、共に来てもらおう」


 私の腕を、男の一人が掴んだ。

 フェリオ君の体を、男が担ぎ上げる。

 ローラさんや侍女の方々が、体のどこかに隠していたのだろう、細長い針のような剣を抜いた。

 私たちを助けようと、男たちに切りかかる。

 アスベル様も剣を抜き「サリヴェの兵だ! リジェット様とフェリオ様を助けろ!」と、兵士たちを呼ぶ。


 剣を切り結ぶ音がする。

 私の口は、大きな布で塞がれた。


 何かの薬が染みこんでいるのだろう布の匂いを嗅ぐと、一気に眠気が押し寄せてくる。

 

「リジェット……!」


 アリエス様の泣きだしそうな声がする。

 ――やっぱり、悪い人ではないのだと、薄れゆく意識の中で思った。



お読みくださりありがとうございました!

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