出立の日
ディアス様に嫁げと言われてから数日後。
ユーグリド伯爵家から手紙を出すと、その返事はすぐに返ってきたようだった。
「すまない、リジェット。お前が嫁いでくれるおかげで、我が家は没落せずにすむ。ウルフガード辺境伯は沈没した三艘の船代を、お前との婚姻と引き換えに支払うと言ってくれている。亡くなった船員の家族への支払いや積荷代、その他の費用は我が家で賄える。なんとかなりそうだ」
お父様の執務室に呼ばれた私は、ディアス様からの手紙を見せてもらった。
そこには確かに『大切な娘を嫁にもらう代わりに、ユーグリド伯爵の失った船代を支払う』という旨が、力強い文字で書かれていた。
ディアス様の直筆だろうか。文字からも、その猛々しさが伝わってくるようだった。
「それはよかったですね、お父様。三艘の船代だけでも、ざっと見積もって、百億ゴールド以上です」
「あぁ。船があればまた仕事ができる。今回の事故で出た赤字もすぐに取り戻せる」
「ディアス様には、感謝をしないといけませんね」
とてつもない金額だ。とても、私一人の価値と釣り合わない。
ウルフガード家がどれほど裕福だろうと、即金ですぐに支払える金額だとは思えないのだけれど。
手紙の返事に嘘はないだろう。
ディアス様は我が家に破格の金額を支払って、我が家を助けようとしてくれる、豪快で親切で優しい方なのだろうか。
ともかく、感謝をしなくてはいけない。
ディアス様とは、ユーグリド家にとっては救いの神のようなものだもの。
私は、社交界に顔を出したこともなければ、夜会やパーティーに参加したこともない。
お義母様は、サフィアさんやエメラダさんのことで手一杯だったからだ。
私も特に参加したいと思ったことはなかった。興味も関心もあまりなく、静かに本を読んだり、庭を散策できればそれで満ち足りていた。
だから多分、家が没落して庶民になったとしても、私はさほど変わらなかっただろう。
けれど、サフィアさんやエメラダさんはまだ若く、希望に満ちた貴族としての未来がある。
私がディアス様に嫁ぐことで家が守られるのならば、こんなに容易いことはない。
いつかは誰かに嫁ぐと思っていたけれど──その相手がディアス様という親切な方だった。
偶然とはいえ、とてもありがたいことだ。
「リジェット、お前に色々と持たせてやりたいが、あいにく我が家にはお前に出せる金がない」
「気にしないでください、お父様。ディアス様もきっと事情をわかってくださいます」
それから数週間後。ウルフガード家からお迎えの馬車が来た。
私はお父様にお願いをして、お気に入りの本を数冊持たせてもらった。
本には、すっかり乾いた四葉のクローバーが挟まっている。
新しく仕立てることはできなかったから、今まで使っていたお洋服。
亡くなったお母様が唯一残してくれた形見の、小さな真珠が一つついた首飾り。
その他には特別、持っていきたいようなものはなかった。
とはいえ、何も持たずにディアス様にお会いするというのも失礼だから、ユーグリド家の所領の街では有名な、サメの歯でできたお守りを、僅かばかりのお小遣いを貯めていたものを使って、購入しておいた。
それから、ディアス様が好みそうな本も数冊、こちらはユーグリド家の蔵書からお父様の許可を得て、持ち出した。
お父様は本を持ち出すことを「リンダには秘密だ」と言っていた。
お義母様は、家の中のものが外に持ち出されることを嫌うのだ。ユーグリド家にあるものは、価値があるものが多い。本も高価なものだから、お義母様が嫌がるのも無理はない。
私の荷物は、半分が本、半分が着替えだった。
むしろ本の方が、トランクの大半を占めている。ウルフガード家からの使者の方々が、私の荷物を立派な馬車に積んでくれた。
「お姉様、もうお帰りにならないでくださいね!」
「お姉様、王家の夜会に熊と共に現れるお姉様の姿を楽しみにしていますね!」
サフィアさんとエメラダさんが挨拶をしてくれる。
私は二人の妹たちに微笑んだ。
「ええ。きっとまた会えます。ディアス様に嫌われて、家に返されるようなことにならないように、頑張りますね」
二人は顔を見合わせて、呆れたようにため息をついた。
「やっぱり、変よ」
「何を言っても、私たちの言葉が通じないのよ」
サフィアさんとエメラダさんは私から顔を背けると、その背後のお義母様に視線を送る。
「リジェット。わかっているわね? ディアスに継続的に我が家を支援してもらえるように働きかけるのよ。それが、ユーグリド伯爵家の長女たるあなたの役目」
「それは、もちろん。家族として、仲よくやっていけるように頑張らせていただきますね」
「リジェット、気をつけて行っておいで」
「あなた! 甘い言葉をかける必要はありませんわ! リジェットも伯爵家の娘、伯爵家の役に立つのは当然です!」
「皆さん、今までお世話になりました。それでは、リジェットは行ってまいります」
私は深くお辞儀をすると、ウルフガード家から来た優しげな女性に促されて、馬車に乗り込んだ。




