約束
桃色がかった金色の落ち着きのない髪はふんわりと編まれて、花飾りで飾り付けられた。
薄く化粧を施してもらい、ドレスを着せてもらうと、鏡にうつった私は──僅かにその面影が記憶に残るお母様に少し似ている気がした。
お母様が亡くなったのは私が三歳の時。
その姿も声も、本当にほんの少し、記憶に残るばかりだ。
倒れたコップから水がこぼれてしまって、慌てて拾い上げた後に残る僅かな水滴のようなもの。
一生懸命思い出そうとしても、空のコップから水を飲むことはできない。
お母様は私と同じ、十八歳でお父様に嫁いだ。十九歳で私が産まれて亡くなったのは二十一歳。
私は、お母様の年齢に近づいた。
元々、心臓が弱かったのだという。私を産んでさらに弱ってしまった。
それでも調子のよい日は、手を引いて歩いてくれた。クローバーを探したことぐらいしか記憶にないのだけれど。あの時、四葉のクローバーを見つけることができたのなら、お母様は生きられたのだろうか。
そんなことを、鏡にうつった自分の姿を眺めながら、ふと考えた。
もしお母様が生きていらっしゃったら、私になんと言ってくれただろう。
ディアス様と仲良くしなさい?
ご迷惑をおかけしないようにしなさい?
それとも、別の言葉だろうか。その声も、もう思い出せないのだけれど。ただ、優しかったという漠然とした記憶は残っている。
「リジェット、おはよう。そろそろ支度ができた頃合いかと、迎えに来た。……あー……その、なんというか」
「ディアス様、おはようございます。どうされました?」
ノックの後にディアス様が部屋に入ってくる。
私の前まで歩いてくると、挨拶の後に困ったように眉をひそめて、歯切れが悪くなった。
ディアス様は今日は当たり前だけれど、上半身裸ではなかった。
黒を基調にした軍服に、動物の毛皮のついたマントを羽織っている。
首周りのふわふわに触ってみたい気がした。なんの毛皮だろう。
「なんというか、な」
「もしかして、今日はご都合が悪くなったのでしょうか。大丈夫ですよ、気にしませんのでおっしゃってください。ディアス様がご多忙なことは、理解しております」
「そうではない。そうではなく……その、ドレスが、よく似合っている。髪も、愛らしいな」
「まぁ……ふふ、ありがとうございます。ディアス様も素敵です。マントが、ふわふわですね。この色合いは、雪豹でしょうか」
「よくわかるな」
「あたりですか? 嬉しい」
雪豹は、高山や森に住んでいる。その毛皮は高級だけれど、雪豹自体があまり人前に姿を出さないのでとても貴重だ。
出会ったところで、逆に人が狩られてしまう場合もある。
「あぁ。これは、五年前に狩った。人を襲うのでな、討伐をした。雪豹は肉が硬く食えない。せめて毛皮を活用しようと思い、加工をしてもらったものだ」
「素敵です、とても」
「ありがとう、リジェット」
「少し、触ってもいいですか?」
「どうぞ」
ディアス様は私が触りやすいように体をかがめてくださる。
赤い羽の耳飾りが揺れている。ディアス様からはお日様の香りがする。
私は手を伸ばして、毛皮を撫でた。ふわふわしていて、艶々していて、気持ちがいい。
「柔らかいですね。とてもいい、触り心地です」
「そう言ってもらえてよかった。食えない動物を狩るのは好まない。だが、人を襲うものは狩らないといけない。狩った動物はできる限り活用するようにしているのだが……」
「動物の毛皮など残酷だと言って、あなたを嫌うと思いましたか?」
「……まぁ、そうだな。俺の言いたいことがよく分かったな、リジェット」
「ふふ……昨日、誤解が解けましたから。ディアス様のことを、少し知ることができました。ですから」
「どうやら、君には俺を甘やかす才能があるようだ」
「ディアス様……っ」
私が言葉をいい終わるよりも先に、ディアス様は私を抱きあげた。
まるで幼い少女にするように抱きあげられて、私は驚いて目を見開いた。
お父様にも抱きあげて貰った記憶がないものだから、慣れないことで戸惑ってしまう。
ディアス様の腕や体はとてもしっかりしていて、抱きあげられることに不安感はないのだけれど。
ディアス様は背が高いので、いつもよりも視線が高い。
恥ずかしく思いながらもその首に落ちないように手を回した。
「君は、軽いな。それに、小さい」
「ディアス様が、大きいのですよ」
「そうか? では、リジェット。行こうか。ローラ、夜までには戻るかもしれないし、戻らないかもしれない」
「心得ております。リジェット様、お気をつけて行ってきてくださいね。お帰りをお待ちしています」
ローラさんや侍女の皆さんに見送られて、私たちはお城の入り口に向かった。
すれ違う方々が私を抱きあげて歩くディアス様を微笑ましそうに見て、頭をさげてくれる。
「あの、ディアス様。私、歩けるのですよ」
「知っている。だが、抱きあげたい気分だ。嫌か?」
「嫌なことは、ありませんけれど。でも、重いですよ」
「重くない。柔らかくて、軽い」
「……ディアス様、昨日の夜もこうして、私を部屋に運んでくださったのですか?」
「あぁ。あのような薄着で外で眠ると、体に障るだろう? 今度はきちんと準備をしよう、リジェット」
「ありがとうござます、ディアス様。楽しみに、しています」
目覚めた時は、昨日の夜のことは夢か何かかと思いそうになった。
けれど、夢ではないのだ。
川に落ちるクッキーのような形の月も。
毎日、話しかけていいと許可をいただけたことも。
焚き火の約束も。全て。




