ディアス・ウルフガード 1
『嵐により、貿易船が三艘沈没してしまったために、援助を頼みたい。その代わり、娘のリジェットを貴公にさしあげたいと考えている』
ユーグリド伯爵からの手紙を受け取ったあとに、すぐに国王陛下に手紙を書いた。
このところの俺は――妙に多忙だ。
あまり座ることのなかった執務室の椅子に座り、頬杖をついて溜息をつく。
そんな態度だったからだろうか、単語のスペルを書き間違えたために、国王陛下への書き途中の手紙をぐしゃりと潰して、床に投げた。
手にインクがついてしまったので、それを眼前にかざす。
窓から差し込む光が手を橙色に光らせて、血管を浮き上がらせている。
ペンのように細いものを持つのは苦手である。
剣を握っていたほうがずっと気が楽だ。
それもまた、辺境の者たちの特性なのかもしれない。できないわけではないが、文官のような仕事を嫌がるものの方がずっと多い。
などと、言い訳がましく考えても、部屋に山積みになった紙束が減るわけではないのだが。
「あ! ディアス様、投げないでください! 誰が拾うんですかそれ、僕!?」
「ディアス様、その物を投げる癖、どうにかしないと。嫁さんに逃げられますよ」
側近たちが騒ぐのを黙殺して、国王陛下――ルーカス・ルーフェンシュタインへの手紙にもう一度取りかかった。
インクで汚れた手が手紙を黒く汚したので、もう一度紙を丸めて床に捨てた。
「戦は起らないだろうか、アスベル」
「不謹慎なことを言わないでくださいよ、ディアス様」
「戦があれば、何もかもを投げ出して遠征に行けるんだがな。そう思わないかカーライル」
「どうかと思いますよ、ディアス様」
俺の不在時――いや、不在の時でなくとも家の財政などを任せてあるアスベルが、床に落ちた手紙のゴミを拾いながら怒っている。
アスベルは、古くから家に仕えている家令の家系に生まれた。俺よりも二つ年下で、黒髪に眼鏡をかけた細長い男である。
ユーグリド伯爵からの手紙を眺めているのは、カーライルである。
こちらはウルフガード家の第一国境警備隊の隊長を務めている。立場的には、俺の副官のような役割である。いわば、侍従だ。
ウルフガード領は遊牧民の多く暮らすサリヴェ王国と、神の生まれ変わりだという聖王を王とする信仰の国、ラヴァロ神聖国と隣り合っている。
三国の関係は冷戦状態の時もあれば、交戦状態の時もある。
半年前までは、サリヴェ王国からの大規模な侵攻があり、俺は軍を引き連れて国境の砦まで遠征をしていたわけだが――帰還して、戦勝の報告を国王陛下にしたところ、思いがけない返事をもらったのである。
『そろそろ身を固めろ、ディアス。お前の血が絶えたら、誰が辺境伯を継ぐのだ。弟は戦わせたくないのだろう。相手がいないのならば、私の妹を紹介しよう。ルーミアは今年十七歳だ。可愛いぞ』
とんでもないと思った。
今年十七歳ということは、今は十六歳である。さすがにそんな子供とは結婚できない。
アスベルやカーライルは、ルーミアをもらえばいいと簡単に言うが、王家の姫など俺の手に余る。
戦と狩りばかりしてきたような俺が、姫と結婚するなど――考えただけで気が重い。
とはいえ、結婚相手のあてなどない。ローラに「誰かいないか」と尋ねたら、「貴族の知り合いなどいませんよ。テオ様の娘はどうですか? 兄上と結婚したいと昔から言っていたのでは」と言われた。
テオとは俺の叔父上のことで、その娘のアリエスは俺の従兄妹である。
それでは血が濃すぎる。血を濃くすることは、王国ではあまり歓迎されない。
――とはいえ、俺のような男に誰が嫁ぎたいと思うのだろうか。
母はよく言っていたものである。
『公爵家から辺境に嫁げと言われたとき、目の前が真っ暗になったわ。戦ばかりしている恐ろしい野蛮な男に嫁ぐのだと思ったのよ』
社交界になど顔を出したことはないが、俺の評判も同じようなものだろう。
戦の勝利を陛下から称えられる時だけ、数回、城に顔を出している。
誰もが俺を恐れて、貴族の娘などは目が合わないように視線を逸らし、うつむいていた。
その時はどうとも思わなかったが――今になって、困ったことになってしまった。
そうして俺は苦肉の策を講じた。
それは、金を払うから嫁が欲しい――という、どう考えても最低な、最後の手段だった。
思ったよりも早く、反応があった。アスベルに代筆してもらった手紙を貴族たちに送って貰うと、ユーグリド伯爵が船の事故により困窮しているために、娘を俺にやる変わりに金が欲しいと言う。
ユーグリド伯爵家とは、古くから貿易船で有名な家だ。
作物があまりとれないルーフェンシュタインでは、ある程度の食料を、他国からの輸入品に頼る必要がある。
必要最低限は自国でも確保できるのだが、それ以上となると難しい。
それなので、貿易船はとても大切だ。
ウルフガード家も、ユーグリド伯爵家との取引があった。
といっても俺が直々に行っているわけではなく、そのあたりもアスベルに任せている。
アスベルも直接買い付けに行っているわけではない。部下たちに仕事を割り振っているために、ユーグリド伯爵との直接の面識はなかった。
家柄は十分だ。金を渡して嫁が手に入るのなら、船三艘分の金額などは安い物だ。
そうして、俺はリジェットを妻に迎えることになった。
何度か書き直しながらその旨の報告をしたためた手紙を陛下に送ると、すぐに返事がきた。
『ユーグリド伯爵の娘は、気位が高く派手好きだと評判だが、大丈夫か? それに、女性を金で買うとは感心しない』
――あなたが結婚しろと言ったからだろうが。
と、文句を言いたかったが、さすがに王都にまで馬を走らせて文句を言いに行くなどできないし、そんな手紙を送るのも馬鹿らしい。
だが――うまくいかないかもしれないな。
陛下からの手紙の文面を見て、俺はすぐにそう結論づけた。
女性を金で買うことは、当たり前だが褒められた行動ではない。
気位が高く派手好きかどうかは分からないが、どちらにしろ母のように、家のために仕方なく嫁いでくるのだろう。
だから、せめてウルフガード家の奥方という立場に縛られずに自由にすごせるように、この婚姻は契約だと、拒絶するようなことをリジェットに言った。
言ってしまったのである。
言ってしまったことは、取り消せない。
「ディアス様、月が丸いですね。水の上に落ちた、クッキーみたいです。今日食べた、クッキー」
美味しかったと言って、俺の隣でリジェットがにこにこ笑っている。
――彼女は気にしていないと言った。
だが、俺は彼女を傷つけてしまった。
その事実は消すことはできない。
だからせめてその笑顔が悲しみに曇らないように――できる限りの努力をしたい。
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